このインタビューは'91年、ヴァネッサが19歳の頃にフランスで行われたもの。時期的には3rdアルバム"vanessa paradis"のレコーディングをレニーとやっているころ。記者の質問から、当時ヴァネッサがフランスのプレスから冷たいあつかいを受けているのがうかがえる。

-シャネルの香水、「ココ」のコマーシャル・クリップ撮影は、ギャラが300万フランとか。
そういうことはなにも知らないの。契約は母とマネージャーに任せていたから。
-あなたを知ってる人なら、そんなことはちょっと信じられないでしょうね。その切れる頭を持ってして自分の仕事の事情に通じていないとは考えられませんよ。
でもそれが真実なんだもの。わたしはお金のために仕事をしてるんじゃないの。お金そのものには興味ないわ。お金のことを考えないでいるためなら、お金を持ってるのもいいと思う。わたしの望みはお金と結びつくものじゃない。お金で買えるものじゃないのよ。物質的な財産じゃないからこそ、とっても貴重なの。
-でもあなたはパリ近郊に家を買ったのでしょう…。
そうじゃないわ。一部のマスコミがそんなふうに書いてたけど、完全に嘘よ。それにそんなこと、すぐにたしかめられるじゃない。パリから5分のところに家を借りたの。犬を飼いたかったから。犬を飼ったら犬が幸せになってほしいでしょ、そのためにはある程度スペースが必要だわ。
-そこはあなたの別荘なんですか。
いいえ、そこに住んでるの。パリのアパルトマンにはうんざりしちゃった。まるで水族館だったわ、窓がいっぱいで。近所の人たちみんなに丸見えなのよ。ショーウインドウに展示されてるみたいな気がした。それで最後にはどうしても耐えきれなくなって。たしかに現実ばなれしてるけど、でもなにかうまくいかなくなったら変えるべきでしょ。
-でも家を持つというのは大変でしょう?実際に家の中には毎日いろいろと問題が出てくるわけですが、それを全部やりくりするにはあなたはまだ若すぎるように思えます。
そんな、お城じゃないんだから!まわりに庭がついてるだけで、アパルトマンと変わらないわ。ひとつだけちがうのは、夜わたしが家にいることが多くなったってこと。出かける回数がずいぶん減ったわ。そう、そこがちがうの!家っていうのは、帰りたい気持ちを起こさせるものなのよね。家に帰るのが新しい習慣になってるの。夜はクラブやレストランで過ごすよりも、友達と一緒に食卓を囲む方が多くなった。
-すると料理はあなたが作るんですか。
あら、なにを考えてるの?すごく上手だとは言わないけど、料理をしたくなるときもあるわ。
-あなたが雑巾掛けや窓ふきをしている図というのは、わたしには想像できませんね!
そうね、そういうことはあんまりやる気がしないわね。でもベッドメイクは自分でやってるし、食器洗い機だってちゃんと使えるのよ。週に何回か家政婦さんが来てくれるの。そういう質問されるとおかしくなっちゃうわ。どうしてわたしはみんなと同じような女の子じゃないって思うの?一人の女性が、普通の人間が、家のことを毎日こなしながら暮らしてるんだって、どうして思えないのかしら。
-シャネルが名高い香水のイメージ・ガールに選んだ人は、普通の人間じゃありませんよ。あるイメージに合わせて選ばれたんですからね。それは典型的専業主婦とか、非の打ち所のない女主人とか、そういったものではないでしょう…。
たしかにわたし、全然そういう感じではないわね。ほんとかけはなれてるわ。でもわたしはただあなたの質問に答えただけなの。それにあなた、わたしが笑ってたのに気付いてたはずでしょう?わたしは現実的な生活があるということを言いたかったの、それだけ。そのほかのこと、イメージについては、わたしがシャネルのために表現しているのがどういうものかはよくわからない。イメージについては、自分ではなかなか見えないものだわ。
-非現実的なことを夢見る暗さと、成功を受け入れた明るさとを合わせ持った現代女性という感じでしょうか。
ほんと?わたしには思いつかないわ。分析ってしないのよ、そういう性格じゃない。わたしは直感で動くの。ほかのみんながわたしに働きかけてくれて、そこからなにか願望が湧いてくる。彼らと一緒にやりたい、一緒にこういうものがやりたいって。シャネルのときもそういう感じだった。(ジャン・ポール)グードと食事して、たしかその食事が済むころにはイエスといっていたんだと思う。どういうことなのかちゃんとわかってもいなかったの。
-囚人のようなポーズをさせられることも聞かなかったんですか?いまはもう、いまはもうシャネルを表現するためならなんでもやるっていう時代でもないでしょう!シャネルをやれば、伝えられるイメージがそのまますべて実生活に係わってくるんですよ。
まず、わたしはなんでもやってるわけじゃないわ。それにこれははっきり言えるけど、わたしあなたの話を聞くまでそんなこと考えたこともなかった。シャネルでもどこでも、わたしに人生の人生の規則を押しつけるような人はいなかったわ。わたしは昔もいまも自分のままで生きてきたの。ちがう生き方ができたなんて考えられない。
-するとシャネルはあなたにとってなんだったのでしょう。
「ああ、すばらしいイメージがふたつあるの!シャネルは伝説的で、魔法のようだった。まず"No.5"だけつけて裸で寝るっていうマリリン。それからテレビで "Dim Dam Dom"の再放送をしたときにココ・シャネルを観て、わたしすっかりとりこになったの。彼女の態度にはすごく自由が感じられた。彼女はああいうきっ ぱりとした態度を示していたの、『女であれ!』って。すべての女性に向かって。こういうことなの、『よけいなことを言ったり、説明したりしても役に立たない、でも自分が女であること、その重大な切り札を捨てて生きてはだめ』」
-ココ・シャネルもあなたを選んだと思いますか
「彼女が生きていたとしても、わたしを思い浮かべるとは思えないわ。『ココ』のモデルをやらないかって言われたときでさえ、ほんとびっくりしたんだもの。わたしにしてみれば、自分にそんな話が来るなんて考えられなかった。だから、マドモアゼル・シャネルがわたしをどう思うかなんてわからないわ!」
-あなたは彼女とそんなにかけはなれていませんよ。きっぱりと顔を上げた小さな山羊みたいに毅然とした態度もにてるし、同じように秘密めいていて、繊細さの裏に強さを持っている。もしもあなたが彼女のオートクチュールの店で彼女の立場にいたら、きっと彼女と同じ地位を占めていたでしょうね。
そう言われても答えようがないわ。シャネルとの契約にサインしてから、ココ・シャネルの人生についての本をすべて読んだの。彼女は天才だわ。わたし、彼女のアパルトマンに行ってみたのよ。まるで教会に入っていくみたいだった。そういう、霊にとりつかれた場所のような感じがしたわ。そのときわたし彼女がどんなふうに歩くのか、どんなことを考えていたのか想像してみたの。それって変だけど。
-たしかに奇妙ですね、あのコマーシャル・クリップの撮影があなたの人生の転機だったのかと思えるくらい…。
わたしに大嫌いなものがあるとしたら、まさにそういう転機とかいう考え方だわ。わたしはまだ道の途中で、いまも歩き続けているのよ!
-その道はどこへつながっているのでしょう。
アメリカ
-そう言いながら笑ってますね。
これ以上ないってくらい真剣よ。笑ったのはアメリカ(Amerique)って言い方を使ったから。アメリカっていう方が合衆国(Etats-Unis)というより想像力がかきたてられる。アメリカ、それだけでもう十分だわ。
-それがあなたの計画なんですか?
向こうでアルバムのレコーディングをしてるの。英語で歌うのよ。世界中で発売される予定なの。
-それはあなたのアイディア?
いいえ、アメリカ側のアイディアよ。セザールとかヴィクトワールとかいろんな賞をとったときに、アメリカでやってほしいって言われたの。それからはわたし飛行機の中で生活するようになったわ。たとえば、いつもは2ヶ月休みをとるのに、とれなかったのは今年がはじめて。いままでは、2ヶ月だけは子供でいられたのに。でも今年はわたしミーティングにも出席したの。よく話を聞いて、ディスカッションに参加するように努力してるのよ。そういう話し合いってすごくシリアスで、すごく現実的なの。『仕事の話をするためにここに来てるんだ』って感じ。でもわたし十分すぎるほどみんなに会ったわ。みんな目を見開いてわたしを見るのよ。わたしは自分が望む方向にみんなを引っ張っていけるってわかってる。
-それがあなたの夢だったのですか、アメリカでキャリアを積むことが?
いいえ。でもいまはもう、なんだかひと通りやってしまったような気がするの。19歳でそんなことを考えるなんて嫌になっちゃうわよね。だからゼロからもう一度はじめたかったの。
-いろいろなことに挑戦するのが好きなの?
好きなのはそれだけ。実際アメリカで仕事をしようと決めた理由のひとつは、フランスでやっている方がちょっと楽だなってふっと気づいたこともあるのよ。それに、割と最近のことだけど、ニューヨークである体験をしたの。メイクしないでホテルを出て町を歩いてても、だれもわたしに気づかなかったのよ。はじめて大人として自由を味わえたわ。
-アメリカのことをすごく熱を入れて話すんですね。向こうに定住したいんじゃないんですか。
いまだけよ。わたしのほんとうの生活はここ、このフランスにあるってわかってるから。それはほんとによくわかってるの。わたしはここの人間。よそは考えられない。単純に、わたしは賭けをしたのよ。その賭けに勝ちたいの。

〜Cut 1994.5月号より転載