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ライカはいかにして誕生したか?


| 1925年に登場して以来、ライカは世界中であっという間に人気を博し、非常に高い評価を得る逸品 |
| となった。長年にわたるライカの栄光の発展史は、人々の語り草ともいえよう。ライカの人気と品質 |
| は、今や誰もがよく知っていることだが、ライカカメラの構造と開発に結びついた内部のいきさつや |
| 思考の過程についてはそれほど知られてはいない。ライカにあまり詳しくないライカは大型カメラの |
| 小型版、すなわち単なる「ミニチュア・カメラ」だと評されることが少なくない。 だが、これは厳密に |
| 言えば正しくない。小型カメラはライカが登場するはるか昔前世紀の後半にはすでに作られていた |
| のである。たとえば、ミュンヘンの光学機器製造者シュタインハイルは、被写界深度が深くなること |
| から焦点距離の短いレンズによる写真を普及させようと心血を注いでいた。1880年頃にゼラチン |
| 乾板が発明されると、それを境に本当の意味での小型カメラが洪水のようにどっと市場に流入して |
| きた。こうしたカメラは、当時流行していた、「秘密の暴露」なるものをまったく気づかれずにやって |
| のける、大衆のニーズを満たす設計であった。これらのカメラは小さなかばんや本、双眼鏡などの |
| 形をした物が多く、「ディテクティブ・カメラ(探偵カメラ)」として知られていた。その後の数十年間に |
| は、より本格的な写真機器が作られ、寸法も徐々に小型化された。感光板とフィルムの大きさは、 |
| 8×10インチから、八切判(6・1/2×8・1/2)を経て、八切判の1/2、八切判の1/4、 2・1/2× |
| 3・1/2インチ、そしてさらに小さくなっていった。しかし、こうした寸法の縮小化は、短に大型カメラの |
| 小型版または模造品にすぎず、ライカはこれとは一線を画している。今世紀の初め、ウェツラーにあ |
| るエルンスト・ライツ社の本社工場で働いていたライカの発明者、オスカー・バルナックは、これとは |
| 全く別の視点から写真に取り組んでいた。そして、興味深いことに、バルナックは結果的に大型 |
| カメラにたどりついたのである。彼は、写真による再現性や立体感、遠近感等が批評家の納得の |
| いく水準に達するためには、プリントサイズを大きくするしかないと確信した。その理由は、物理学者 |
| であればよく知っているものであった。見る人の両目が、正しい遠近感で像の中心に合致した時に |
| 初めて、現実に目で見る光景にそっくりな量感や立体感に近づくからである。この物理的事実を理 |
| 由に、バルナックはできるだけ大きなネガを選んだ。その方が拡大せずに直接象を結ぶことができ |
| しかもあくまで正しい距離から見ることができる。バルナックは、このため、撮影旅行に出かける時 |
| はいつも大きくて重いカメラと感光板やフィルムの入った特別製のボックスを携帯していた。彼自身 |
| 体が弱かったので、これらの持ち運びはさらに困難さを増していった。だが、こうした大きなサイズの |
| 感光板とフィルムで撮影した写真ですら、彼は100%満足したわけではなかった。これらの写真は人 |
| 間の目が通常の視界距離で解像するよりもはるかに詳細にその姿を映していると判断したバルナッ |
| クは、感光板の解像がムダにされていると考えた。写真を人間の目の見え方に合わせようとした |
| バルナックは、まず目には円弧にして約2分にあたる角度分の解像度があるとの考えからスタートし |
| た。この値は、単位半径の円においては、その円形における角度W=0.0006に相当する円弧の長 |
| さに相当する。こうした精密さをフィルム上で可能とするには、Wと現像フィルムの解像力との関係 |
| がF・W・=d・となるような焦点距離Fを用いる必要がある。d=0.03である感光乳剤の解像力には、 |
| 焦点距離Fは50oでなければならない。このレンズ焦点距離は、計画されたカメラの標準値として |
| 採用された。 d=0.03oのフィルム一面内の解像力は、一定値(d2π=0.0007平方o)でカバー |
| されるフィルム表面上の一点、すなわち一画素に相当する。そこで、今度は、細部に満足のいく描写 |
| 性を生み出すには、このような単位画素がいくつ必要であるかを決定しなければならない。オスカー |
| ・バルナックは、この問題を解決するため、ハーフトーンでプリントし、良質に再現されたスクリーン上 |
| のドット(網点)を数えた。その結果、一つの被写体の画素数は平均100万個であるとの結論が出た |
| こうした数値はもちろん概数であり、若干の多い少ないは大して重要ではない。しかしバルナックに |
| とっては、合理的な希望をもってその後の彼の計画を支える、統計上の平均値となった。dで計算し |
| たサイズでの100万個の画素は、0.0007×106=700平方oの表面積をカバーすることになる。 |
| したがって合理的な結果を得るには、像はおよそこの範囲でなければならない。この範囲を両辺が |
| 2:3の割合でネガの形に引きなおすと、22×33mmとなる。 幸運な出来事か、はたまた運命的な |
| 偶然か、この大きさのネガは当時すでに発売され、映画フィルム用として世界中で大量生産されて |
| いた。バルナックは、 この映画フィルムを2本並べ、計算した数値にほぼ一致する24×36oのサ |
| イズになるように二つを合わせた。 以後これがライカのネガサイズとして世界的に有名になる。 |
| この解像力d=0.03のフィルム上の切手サイズネガには、100万個以上の画素を含むことが可能に |
| なる。このように、「小さなネガから大きなプリント」の基本方針は、重要な一歩を踏み出した。映画用 |
| フィルムの粒子の大きさと拡大の可能性に加え、当時入手可能だった感光乳剤の質もよかったので |
| 満足ゆく結果が得られそうだった。そこでバルナックは自分用のカメラを作り始めた。彼はプリントを |
| 希望する大きさに引き伸ばすには、最高度の精密さが要求されることを最初から十分認識していた。 |
| フォーカルプレーンシャッターがリリースされる時は、カメラが揺れてはならない。フィルムは次の場所 |
| に正確に移動し(これにはパーフォレーションが役に立つ)カメラに対して水平に位置していなければ |
| ならない。細部がわずかにピンぼけしただけでも、拡大するとはっきり目に付くのである。 長年の |
| 苦労を重ねた結果、バルナックは1913年、ついに自分用のカメラボディーを2台完成させた。これ |
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| が今日、カメラ史上で有名なライカの原型である。 その当時、バルナックは適当なレンズを持って |
| いなかった。だが、ライツ社の科学担当の同僚、ベレーク博士から理解と協力が得られた。こうして |
| 最初のライカ対物レンズ、エルマックスF=5cm、1/3.5が作られ、続くエルマーF=5cm、1/3.5は |
| 今日、ライカの標準レンズとして世界中に知られている。第一時世界大戦によって、その当時はまだ |
| 名もないミニチュアカメラの開発は一時中断された。だがその後何年も、工場生産という発想を展開 |
| しようと考えるものは誰もいなかった。ライツ社は当時まだ高級顕微鏡や工学精密機器の製造を中 |
| 心としており、カメラを製造することなど、 1923−24年にかけて発生した過剰生産と大量失業という |
| 現実がなければ誰からも注目されなかったかもしれない。だが、こうした当時の状況は多くの産業 |
| に打撃を与え、ライツ社をも脅かした。多大な犠牲を払い、また、労働者や従業員、そして彼らの給 |
| 料を守るため、工場の経営陣はバルナックのカメラを製造することを検討した。 ある記念すべき会 |
| 議の席で、ライツ社社長のエルンスト・ライツ名誉博士は、このプロジェクトに反対する工場の技術者 |
| からの反論に遭いながら、決断を下した・・・「このカメラを製造する」。 そしてライツのカメラから |
| 「ライカ」の名前が付けられた。顕微鏡の製造に必要とされた高度な職人技が、今度はカメラの製造 |
| に役だった。 小さなネガから大きな画像を作るという可能性を、文句ないレベルで実現させたのは、 |
| ひとえにこの完璧な機械上の精密さと、レンズの秀逸な品質にあった。これらの非常に鋭敏なネガ |
| によって、驚くほど鮮明な プリントが、8×10インチ、10×12インチの大きさで生まれた。(以来、 |
| 大判フィルムメーカーは、光学システムの質を正当に評価する、細粒子の光感乳剤の製造に成功 |
| している)。まもなくプロの写真家が、それまで使っていた大型カメラからライカに移行し始めた。中で |
| も傑出していたのは、ドクターパウル・ヴォルフだった。ライカをはじめて自由に操った彼の生命力あ |
| ふれるダイナミックな写真は、ライカ出現の衝撃によって革命をもたらした新しい写真スタイルへの道 |
| を指し示した。一方、ライカは今や総合的なライカシステムへと発展している。レポーターやプロの写 |
| 真家、科学者、調査家らは、それぞれの分野に特有の機器を要求し始め、そしてその要求を満たす |
| ため、交換可能なレンズやその他の付属機器が 製造されるようになった。今日では広角から望遠 |
| までの9種類ものライツレンズ対物があり、多くは超大口径の部類に入る。ファインダーも万能ファイ |
| ンダー、スポーツファインダー、ミラーファインダーとあり、クローズアップ写真用の光学的あるいは |
| メカニカルな付属品、コピー用装置、プレーンフィルター、レフレックスの収納箱や万能フォーカス用 |
| 蛇腹なども揃っている。そしてもっとも広い意味では、有名なライカ引伸ばし機や35oのプロジェクタ |
| などの予備品も作られた。ライカは研究所での顕微鏡写真に用いられる。光学系の大学でライカが |
| 使われていないところなど一つもない。診療所でもほとんどが使用している。外科医の手に委ねられ、 |
| 貴重なデータを生物学者に引渡す。図書館員も木や資料のコピーにライカは欠かせない。犯罪学者 |
| はほとんど目に見えないような手がかりを記録するためにつねに手元に用意しておく。ライカは未開 |
| の地への探検旅行に携行され、土地の状態や人々の習慣を記録する。レポーターが手にしたライカ |
| は、この時代のセンセーショナルな出来事を記録に残す。美的感覚の優れたアマチュア写真家にと |
| っては、もっとも信頼できる精密な機器であり、このおかげで多くの素晴らしいひとときを過ごし、また |
| 趣味を追求していく中での記憶を色あせることなく残すことができるのである。 |
