『黄金塚古墳』概要
 
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【所在地】 大阪府和泉市 信太山丘陵の北西端
 この丘陵地帯は、四世紀末以来窯をきずいて急激に須恵器の生産がおこなわれた地であり、窯址群は信太山からさらに東方に分布し、阪南窯址群と総称している。しかし初期の須恵器は、その窯址群内でも黄金塚の南東地帯で生産されており、須恵器生産の開始に、黄金塚の被葬者が何らかの役割をはたしたことを示唆している
 泉北では弥生時代から古墳前期までを通観すると、二つの政治集団の存在が想定される
1.平野部における大集落=堺市四ツ池遺跡(石津川流域)・池上遺跡(和泉市の湧水地帯)
2.丘陵上の高地性集落=岸和田摩湯山古墳を擁する観音寺山集落・『黄金塚古墳』を擁する惣ガ池集落
 
【黄金塚古墳】
1.平面形が柄鏡に似た前方後円墳
2.長さ85m、後円部径57m、高さ8m、前方部の高さ6m、先端での幅34mで、後円部の占める面積が広い
3.墳丘は上下二段からなる
4.墳丘を保護する葺石が斜面全体を被っていた可能性があるが、流失したせいか上段の斜面にはあまりみとめられなかった。下段の斜面では、犬の頭大の河原石を一面に並べてある。当時は積石塚を思わせたであろう
5.上下の段に、長方形の透かし穴をつけた直径約24cmの円筒埴輪が並んでいた。後円部の頂上では、中央棺の上にあたる位置に、円筒か形象埴輪の台と推定されるものが遺っており、中央棺に平行して置かれていた。この部分に四柱造りか入母屋造りの家形埴輪の破片が出土したから、後円部の頂上に家形埴輪を置いていたのである
6.造営時期は四世紀中頃から後半にかけての造営か
【後円部の三棺の位置】
1.墳丘の長軸にそって粘土槨で被われた三つの木棺(中央棺、東棺、西棺)がある
2.中央棺の被葬者がまず埋葬され、その後、東棺、西棺の順と推定
 
【中央槨】
1.中央槨=墳丘のほぼ中軸線上
 高野槙製の割竹形木棺
2.墓壙
 左右の棚状の粘土床の平坦面に、鉄製刀剣、斧鎌、景初三年銘の画文帯神獣鏡
 斜面の四周に幅30cm、深さ15cmの溝を作り、円礫をつめていた。明らかに排水溝である。この溝は槨の両端で深くして水抜きの役割をはたしている
なお、槨の表面にはベニガラが一面に塗布されていた
3.被葬者は女性を推定
【棺内遺物・遺骸着装分】
1.遺骸の頭部付近
頸飾りの玉が散乱。死者に着装させた状態を思わせた。硬玉大型勾玉1、硬玉小型勾玉8、硬玉小型棗玉5、碧玉小型管玉39と多数のガラス製小玉。これらの管玉の総延長は、1.83m
 またこの玉類付近(頭部)には良質の朱が薄く堆積
2.左腕に碧玉製石釧、右腕車輪石
3.腰に垂れ下げた玉類
4.左脚部に、碧玉大型勾玉3、八角形管玉。管玉は中型が56、総延長1.87m。細長い管玉7、総延長54cm
5.遺骸の足先に、斜縁二神二獣鏡 径17.4cm
この形式の鏡は楽浪の古墳にも副葬され、わが国の前期古墳にも数十面の出土例があり、いわゆる三角縁神獣鏡より理論上では先行
6.滑石勾玉11、ほかに管玉、棗玉、臼玉と水晶製筒形品(杖の上端か下端に挿入された儀器かと推定)
7.木箱に入れた状態で、滑石勾玉5、多数の滑石臼玉、棗玉
8.北小口板より23m南で、滑石勾玉1、碧玉管玉1、ガラス製小玉
【棺外の遺物】
1.木棺の東側、遺骸の横にあたる位置に鉄剣1
2.木棺の西側にはほぼ全域に、刀9、剣2、短剣8、刀子1。柄を北におき、刃を棺の外に向けたものが多い。
刀剣は、把頭・把縁・鞘口・鞘尾なる装具をもっている。装具を飾る「直弧文」はわが国特有
 奈良県室宮山古墳や福岡県二軒茶屋古墳の直弧文より先行
3.刀や斧のある西側で、粘土中に直立した形で面を外に向けた景初三年銘の平縁画文帯神獣鏡鏡1、その下部に鉄刀子1。その鏡の南方に、斧、鎌が多い
・景初三年銘の平縁画文帯神獣鏡 径23.8cm。重量1.513kg
【参考資料】
1.神原神社古墳出土(島根県加茂町)
景初三年銘三角縁神獣鏡 黄金塚出土の上記画文帯神獣鏡と内区が同型 径23.0cm
 
【東槨】
1.高野槙の蓋、底、二枚の側板などからなる組合式木棺と推定
2.槨の上へ赤色顔料は塗っていない
3.被葬者は男性。 武人・司祭者の側面あり
【棺内の遺物】
1.「歯型と顔型とが一定の関係のもとにあるとすれば、被葬者の顔型は帯円方型で体格は強大であったと思われる」し、年齢については「青年より壮年期初期であったと推定」
2.頭部は、三面の銅鏡で囲まれる。盤龍鏡=北側を鏡面を下にして後頭部へ斜めに立てかける。鏡面を上にして頭骨の左右に一面ずつの画文帯神獣鏡
・三角縁盤龍鏡 径24.5cm。面に5mmの反り。竜虎や乳の間に、すっぽん・魚・二羽の首を交えた鳥・魚をつつく首の長い鳥・甲虫類など、ユーモラスな小文様が埋めてある。山口県下松町宮洲で同様の鏡が出土。椿井大塚山古墳で同型の鏡が出土
・画文帯神獣鏡 径15.2cm。平縁
・画文帯神獣鏡 径14.4cm。平縁
3.頸部から後頭部をめぐる状態で首飾りを構成する一群の玉類。硬玉勾玉4、硬玉棗玉2、碧玉管玉68、紺青色のガラス製小玉972。管玉はおおむね三連、その延長は1.83m
4.遺骸の右に刀剣各1、左側には剣2
5.頭骨から15cmほど北に、一群の宝器的遺物。碧玉製鍬形石・水晶製大型切子玉・碧玉製紡錘車各1、二個の碧玉製筒形品、絹帛で別々に包まれた五口の刀子と、それに付着した方孔円銭1。径2.5cmで晋代の五銖銭と推定。切子玉は後期古墳に通有のものではなく、楽浪や新羅の慶州の古墳に類例がある。刀子を包んだ絹帛は品質にバラツキがあり、筬(おさ)使用以前の技術
【棺外槨内の遺物】
1.小口板の北に甲冑(三角の鉄板を革錣にしたもの。頸鎧と肩鎧をともなう)。草摺は革製
2.槨内北端には各種工具
3.槨内南端には大型鉄斧
【槨縁の遺物】
1.中央槨に向って二面の盾。革に刺繍をして黒漆と赤漆を塗る。盾の上部ちかくに三個の巴形銅器が着装
2.鉄鏃110・鉾1・鎗3。棺の東縁には武器が列状に置かれていた
 
【西槨】
1.高野槙製組合式
2.被葬者は男性。 武人
【遺物】
1.頭部付近に面を上にした画文帯神獣鏡1面
2.大型勾玉1を親玉にして四条に平行した碧玉製管玉40。頸飾であるが、頭部の横に遺骸から離して置いていた。管玉の延長は1.07m
3.左右の手のあたりに、おのおの一個の硬玉小型勾玉、棗玉、管玉
4.腹、腰、脚部の両側は刀剣でかこむ。右手玉の20cm南に二個の管玉
5.頭部より北方には、二口の剣と一口の刀。鉄鏃110、銅鏃1
6.棺の南方に1領分の甲冑(短甲は横矧板革錣、衝角付冑は三角板革錣、頸鎧、肩鎧)
7.槨の西片の張り出し部に剣一口
・画文帯神獣鏡(黄金塚出土の6面のうち、もっとも優秀な製作) 径18.5cm

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