岩手の歴史
岩手県は、日本国の語源となった日高見「ひたかみ」を古称とする。その歴史はおよそ古く、太古の古代は原人と呼ばれた人々が同県の早池峰山から宮守村、遠野にかけて住居していた。約4500年の昔、他国より水害で移住してきた人々とともに文明と文化がもたらされ、日高見国(日ノ本国)として北海道より九州までを治めていた。奈良時代には韓国朝鮮半島からの移民者が作った大和朝廷からは蝦夷と呼ばれたその中心地で、8世紀末の38年戦争では日ノ本天皇アテルイは、大和朝廷同じく渡来系移民の子孫である坂上田村麻呂の率いる朝廷軍と戦った。その後、蝦夷は全国に強制移住させられて俘囚と化すが、後に一部が許されて帰還し、11世紀までに俘囚長の安倍氏とともに半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く藤原氏が東北を統一して黄金時代を築いた。
江戸時代には、県の南部は伊達氏、北部は南部氏によって統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた南部藩・伊達藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。
その後、盛岡県を岩手県に改称させられるなど、敗戦の屈辱をバネに人材が輩出し、原敬が総理大臣に就任して薩長藩閥政治を終わらせ議会政治の定着をはかるなど、近代においては岩手県元知事の千田正の采配もめまぐるしく日本国家建設に多くの功があった。現在「道奥=みちのく」と呼ばれる以外は、太古の栄光を知るすべも無くなった岩手県ではあるが、日高見の国を童話「銀河鉄道の夜」で有名な作家宮沢賢治がイーハトーヴォ(理想郷)になぞらえる等、郷土を愛する市民の多いことも如実であり、冬の気候は厳しいながら温情暖かな人々の集う理想都市である。現在知事の増田寛也君をはじめ、岩手県民が一体となって環境問題に取り組み、輝かしい郷土の歴史とその心を子供たちに継承している。
北上市は水の便に恵まれ、縄文の昔から北上市更木の水乞山を中心に大規模な集落が作られている。昭和に入ってからは旧更木村長の千田甚太郎によって北上川に昭和橋がかけられ、それより北上はめまぐるしく発展を遂げた。ここ北上市は古くは宮守村、遠野から移転してきた人々が、土地の郷氏と睦み、日本国の古称である日高見国の中央として古代は豊かな台地であった。
9世紀、平泉より遡ること250年前には、国見山極楽寺が山岳仏教の拠点として栄える。
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[2005/01/02 13:59:14]