伊都と卑弥呼はすでに発表済で、伊都の融合により卑弥呼が共立されてと記されて
いますね、つまり卑弥呼とは何者かと云う事ですね、中国山岳民族は今でも巫女は
共立されて指名されているという事です。
ここで巫女と卑弥呼はどんな関係なのか理解しないといけませんね、然るに巫女とは
中国でも同じ理由という事、でいまで云う区長みたいな人物だったというわけ。
これが周りの国々の酋長(王と名乗っている)から指名されて巫女の卑弥呼が選ばれた
訳、ということですね。
よく勉強されてましたね、一大卒は博多辺りに置いた国でしょうね?
卑弥呼も一大卒はここに持続していたわけなのかな。
卑弥呼は巫女という仕事をしていたとしていますね、職業が巫女だった訳で、鬼道と謂う事をしていたのですね、鬼道は古代中国起源前3500年頃にはあったとしています。
夏王朝の先祖がフギと云いこの天子が八卦をしていました、占いですね、この中には
自然のなかに神々がいるとした鬼道という神を、拝んでいたという訳でして、
雲南の山岳や台湾の同士等それぞれ各地に分散しています。
でもこれらは共に神々は同じという訳、今の日本人は持ちえていませんがね。
このページでも書かれていますので、読み返されるといいと思います。
今も残る伊勢と熊野の神々はみな原点は邪馬台国から始まっていた、ここに
せいじ氏の謂うところの卑弥呼に接点が充てられています。
[2004/08/19 08:47:31]