記事タイトル:邪馬台国は夜須町だった 


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お名前: 児島甚九郎    URL
これまでの邪馬台国は間違いだらけの説である。それは卑弥呼が邪馬台国とか魏志倭人伝の中からいろんな説が出ている事すべて誤りである。時期が邪馬台国とは関係していないのであって、邪馬台国の時期とはウガヤから神武までである。これ以後は大和王権である、つまり安東将軍は大和王権になる。それでは夜須町とは祝詞でも詠まれている夜須であり、夜須とは土の事で神の名は埴夜須毘である。この名の由来は地名もそうであるが、祭祀との拘わりが深い。平成八年平山稜から王権のすべてが出揃った、王冠、爵器、酒器、ヤタノ鏡、ガラス製首飾り、土製鏡多数、それに殉死もあつた墳墓である。教育委員会は何も関らなかったのである、知っていてもである。すでにこれは安本美典氏知るところか。
[2003/05/12 13:05:06]

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