記事タイトル:伊都王の三ヶ所目墓見つかる |
k. 福岡前原の井原発掘中弥生後期の遺跡鑓溝から中国の「倭人伝」に記載された伊都国の中心部で、以前江戸時期天明年間に 発見されたが、不明になっていた王墓の可能性が出た、それは 方格規矩四神鏡(中国製銅鏡)が見つかった、今日の新聞から、伊都国には世よ王ありとも記されており、三カ所目の王墓という。 これは【柳園古器略考】1822年の銅鏡の拓本と同じ、で(前漢末〜後漢時代作)から製造された。この鏡は四神が描かれたもの、 が特徴とある。「柳園古器略考に農民が見つけた壷中から高貴な人の墓に用いる朱や鏡があったと記す」 伊都国が何処にあったか正解に達していない今日、歴史の審判が下った。 卑弥呼論争もここに決着が出たが、ある者は名誉の為或いは自己主張で名の為にと聞き入れない者もあろうが、自然の力発掘中から得た証拠には負けるが勝ちの諺もある。[2005/02/17 09:09:54]