記事タイトル:倭国の祖先は何から 


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お名前: 夜須考古学   
考古学はあくまでも取り出す事につきる、何も想像で書かないで弥生か古墳かでよいのだ。 いずれも推測の域では古代は解決しないのだ。勝手にしたからみえなくなった。
何が古代を解決するかをご指南しょう。
何から手をつけたら良いのか、迷うでは始めに日本の初めをよく観察する。
縄文人は誰も知っている、どんな生活していたのかを、弥生人は稲を始めて生活が変化
して、縄文時代が終わると、いよいよ倭国が見えだし、金印と倭王出現する、西暦108年
以降戦乱あり倭国乱れる、中から鬼道をつかう卑弥呼登場戦乱おさまり、女王に推薦されるも、吉野ヶ里狗奴王これに反抗し遂に首をはねられる。 これは殷の初代が夏人の
キョウ民族王朝に使えた者の首をハネタ事に耽(たん)を発す。元国に使いを派遣し、
報告し邪馬台国の王に初めて認められた。ウガヤ王は倭人の玉依姫と結ばれて、都に
遷都した。これが国に譲りの話で朝倉郡夜須へ遷都して倭国を統治したが、幾内では
まだナガズネ彦が組しなかっつたのでウガヤの子息神武滅ぼしに東征した。幾内を次々
に攻略せしめ大和を統治した、国名倭国の印象は殷、秦、倭人と悪い(中国では封建
時代の夏からたとえ兄弟でも助け守りする事が第一に重んぜられる、これを臣下という
)のような形があり秦の時期皇帝起こり冊封体制になり同じであるが臣下制度が始まる
殷の王になった祖先は契(けつ)といい夏の王から土地を与えられ臣下に組していた。
殷はモンゴロイド民族で夏はキョウ民族で黄河文明を切り開いて夏の王朝を長く禅譲
したが、殷のけつにより王権を奪われ恐れたけつは首をはねてしまう。
[2004/04/29 08:48:22]

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