記事タイトル:中華の歴史を書き換えた武帝 |
邪馬台国の名は有名であるが故に 誤解ばかりが目立つのや、意味不明の?著者へのレスなど して、喜ぶ不届き者も、いますね。 相手してたら、仕方ありません。 邪馬台国は呼び名ではありません、王の九州と会稽では、 呼んでいたそうです。 九州が邪馬台国という、わけです。 この九州には秘密かあり、九州とは支配した区域に都を 儲けました。 この都には神殿が造られました。 そこでは、天文学祭祀が行われ、天の神と地の菩薩に 感謝の豊作祈願をしていたのが、 邪馬台国日本版の始まりになります。 ここが王の国で北部九州は、王の支配した場所の 名前です。 神話にも出てくる、太陽神話も九つとあります。 これは王の支配と都の街づくりに於ける範囲を国と していたのです。 是だけでも、随分邪馬台国に浮かれたのが、意味の 無いのが、わかります。[2006/04/27 16:06:21]
中華の歴史を書き換えた武帝は漢民族平原出身の民なのだが, 平原祖がなにやら,うまい話に飛びついて,それまでの楚呉越皆 滅ぼしてしまった なにやら嫌な予感がしたのか,もう中国には生成する力が欠けた者 ばかりに,なってしまった,農耕すること幾千年の年月 今それが民の思いなのか,ここには神は必要なくなった,それでは この国に居ても意味がない,付いてくる者7000人の身内だけ 聞くところによれば,東夷の国は吾が一族の未来にある と渡海して神仙の山を求めて旅たちました 然しそこは荒れた土地に水地に茅の茂る有様 そこの住人は棄てたという,臣下に命じお前はそこに行き,稲作を 始めよ,そのかわり,前の土地を吾に捧げよと伝えよ 話はまとまり,交換条件をみたした それでは,お前はそこに留まり信仰を広めよ あい,そう伝えます それではお前に神殿を授けさせよう,匠を行かせるから管理せよ あい,わかりまいた おおなんという,すばらしい神殿じゃと酋長は感激し吾が娘の 婿となれ,とそこにすまい,天子を助けて大和に移りましたとさ とこんな風だったかも! これでよかったかも 武帝の国はその後すぐに国は乱れて遂に自分も滅ぼされていまう 運命が待ち構えていました[2005/09/21 20:14:11]
杞憂の杞は、中国最古の王朝夏の遺民団が、移住させられた国だったとか。 古代中国では、敗者を根絶やしにすると、御先祖様を祭る者がいなくなり、それを恨みに思ったご先祖様が祟りをなすと思われていたとか。反乱より祟りが怖かったのでしょうね。 私の始皇帝は、偉い人物だと思います 周によって滅ぼされた殷の国民が強制移住させられた場所が「宋」と呼ばれていた 春秋戦国時代も、このため宋は一段低く見られていた 先祖に対する祭司を絶つと「祟り」があるからだと信じられていたとあった 古代中国人は日本のように「祟り」に対する感性を持っていたという 「史記」が作られたもう1つの理由は、武帝に取り入って何とか盛り返した儒家達が、儒学の目で中華の歴史を書き換えようとしたことでなのはないでしょうそうか? 劉邦などはどう考えても大した人物ではない きんたろう&太田守人11月 4日投稿にみられる[2005/06/13 09:30:26]