記事タイトル:古事記と神様とは何だろう 


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お名前: 夜須考古学   
古事記を解読してみよう、これがわから無い人は考古学のように頭の良い人達の推論で
ある。素人の私は会で話をして楽しむだけの集まりであり、自由な発言でものを見たり聞いたりしている。だから自由な発言であり推測憶測なんでも屋という立場である。
これまで邪馬台国にのめり込んでしまったが、夜須町の過去をしるには裏が無ければ
無視され、いままでの成果も無駄となろう。そこで考えたのが古事記の中の神話と云う訳であつた。神話を一つ一つ何を訴えているのか調べて見る事にした、この中に神に
ついてまず何なのか紐解く未知から進めよう。平たく言えば神とは古代の何なのか?
これは風習の中に存在しているとし、何時誰が持ち込んだものから始めよう。
風習はお宮からきていた、お宮は神を祀っている、では其の神は何なのか、調べると
なんと古代人は自然の中に宿る霊を神と呼んだり死んだ人を祖先神として祀ったのが
お宮の始まりとある。では誰が持ち込んだのか?調べると中国東南の越国で以前はここが
中国の伝承の王が居た処だと云われる。そこからやって来た神は倭国に受け入れられて
神が始まった。180年以降の話である、鏡はあまてらす大神に牛はスサノオ、では出雲に
見えるスクナヒコとは何なのか調べると何と種の事であるという、種とは稲の種とか粟の種である、これを出雲伝説で載せている、それはすくなひこ、つまり種籾の事で出雲
に来たのは台与の後国譲りのお礼に稲の栽培法を伝授したのである。ほんとか嘘か調べてみれば判ることである、それは豊葦原水穂の国は荒れ国だとしている所に謎がある。
何も根拠の無い物を安麻呂は書く必要もあるまい、それは伝えたいから残したのである
、古事記では大国主が手のひらでもてあそんだとあり種の様子が見えるではないか?
こうして自然の中に神が宿るという風習が存在して、現在に残しているが信用しない
頭の切れる学者はこれを認めないのも、日本が外国の風習にとらわれてしまい、神と云う事すら理解し切れないでいる。
[2003/11/16 14:31:50]

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