記事タイトル:古事記解読 


書き込み欄へ  ヘルプ
お名前: 中州考古学   
 真に歴史を愛するものは古来より伝わる書物に
対し敬意を持って接するべきで、神話/歴史を先入観
を入れずに十分比較研究すべきでしょう。イザナギ・
イザナミノ命の話は古事記であれ、日本書紀であれ
どちらも神話的はなしではないのですか?
 書物に対して歴史的/神話的と語るのではなく、
研究対象が歴史的か神話的か、あるいはその中間か
を考えるべきです。
[2005/09/19 09:54:30]

お名前: 夜須考古学   
テーマに従えば出雲神話ファン さんのご指摘の「安来市にあるのは伯太川。
この源流がある伯太町には古事記にも書かれたイザナミ命
のお墓があるとこですね。また、この地域は出雲風土記では大穴持が越の八口(ヤマタノ
オロチ)を退治した場所とも」から検討されていますね,それはそのとおりですが
これは「古事記」神話編になっている事は誰も解読していられないので,もっとも
ではあるが,それは昔々の物語の浦島太郎みたいな神話と云う事ですので,
孤のあたりを,理解出来ないので,皆さんはすべて解読できていなかった。
神話古事記と歴史日本書紀の区別がたいせつなのです。  
[2005/08/15 12:01:50]

お名前: 出雲神話ファン   
安来市にあるのは伯太川。
この源流がある伯太町には
古事記にも書かれたイザナミ命
のお墓があるとこですね。
 また、この地域は出雲風土記
では大穴持が越の八口(ヤマタノ
オロチ)を退治した場所とも聞い
ています。由緒が深いんですね。
[2005/06/05 16:25:55]

お名前: 安米   
 島根県安来市に太伯川というのがあるがそれと関係はしないのでしょうか?
[2004/12/30 14:33:17]

お名前: 夜須考古学    URL
埴安毘子とは土の神名であるが、これがどこでつけられたか或いは呼ばれたのか
についてはまだ、誰にも知られていない。
埴夜須毘子の神名の起こりは古代中国に原点があり、これは何から始まったのか
といえば、鬼道の中の自然が神とする古代中国夏の皇帝時期フギにより伝えられた
ものである。
安はあんであるが、夏王朝の都名が安邑(あんむらと書いてにほんでは言霊(はつおん)
により安が夜須(やす)と呼ばれたのも王朝のやきものの技法が日本で焼かれた朝倉郡
夜須町三並鳥巣窯のやきものであったのもまだ誰にも知られていない。
夜須の原点は安邑の地名から日本の邪馬台国の王は祖先の居た都を忘れないよう、
当時のやきものからえらんでその名前をとり鳥巣窯で埴夜須毘子(はにやすひこ)と
したものが、伝承として残り夜須の地名として伝えられてきているのである。
古代中国夏王朝は起源前3000年であり、それが今の日本のやきものの原点として
伝えられているのもまだ知られていない。
ただ一つ証明出来るのは、埴夜須毘子神がやきもの造りの神として祀られて入る事
だけである。  
[2004/11/09 13:15:27]

お名前: 夜須考古学   
あまてらす大神は鏡と書きましたが、代名詞でしてこれは神話にあてはめて
書いたものです。
本来は自然からきた宇宙の万物に神がいるとした事から鬼道はばじまる。
この中で鏡又は太陽とした神の神名があまてらす大神である。
[2004/11/09 10:06:27]

お名前: 夜須考古学   
古事記の解読から見た邪馬台国を検討して見ましょう、これらは安麻呂が述べた
記憶にもとずいて書かれたもの。安麻呂の祖先は何処にいたのか探って見よう、
安と言えば夜須が祝詞に出てきますね、この夜須とは何処にあるのだろう。
古事記や祝詞に出てくる夜須とはいったい何だろうか?
埴夜須と書いてはにやすと呼びます、これは何の事なのかはにやすひこ、について
調べてみよう。これは土の事を指し自然のすべてを呼び神とも呼ぶともあります。
ではそれは何処で始まったのか検討してみよう、それは天皇に関する統治からいや
それ以前の祭祀から起ったとした方が自然であろう。ではこの自然の祭祀は何処から
伝承したのか?   その秘密は雲南省に残っている。雲南の民族には自然のすべて
を神と呼ぶ、何か日本とよく似ているではないか。ここから稲作は伝承したのだろ
うか?...  確かに風習も日本とそっくりではないか、これを倭国から見てみよう
倭人伝にスサノオとあまてらすが出てくる、この話は何を語るのか、スサノオは牛
あまてらすは鏡の題名としたら古代史はすんなりと解けてくる。ではスクナヒコと大国
主は何を語っているのか?  これはすくなひこは、穀物の籾を指しているとする人
もあり、これだとすんなりと解読できるではないか。そうすると大国主は稲作を高天原
から伝授された事になる。これだと判りやすい、すると国譲りの条件になっても可笑しくない。するとスサノオが出雲に着いたとしても自然に解説出来る、つまり稲作が邪馬台国から伝承したのであると古事記には書いてある事になる。では邪馬台国の天神は何
を指した言葉なのか?  天神とは天を祀る祭祀を指す、これは何処から伝承したか、
調べて見ると古代中国越国から来たことが判った、すると倭国と何の関りがあるのか
と云う事になる、中国文献に倭人は殷の時自らは太伯の子だと名乗ったとありそれが
越国会稽に当たると記す。では倭人は会稽から渡来したのか?これは又の機会に。
ヤフー探索邪馬台国掲示板夜須町掲示板に注目して見て下さいこの話しもふんだんにあります。
[2003/11/25 20:42:19]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る