記事タイトル:歴史が改竄されていた |
大木遺跡の平成十六年調査によると、農協の建物がつくられる為 急遽調査が行われました、石井学芸員によるもので、終了しても 何も発表がなされないままで、古代の夜須を語るのに何もなかった ではなく、きずかなかった、これで文化財に変わり報告しておこう。 弥生初期から始まった倭国の形石棺と環濠集落は弥生の基準である。 この環濠集落は古代中国起源前にヤンシャオ文化の民族が見える。 これが何故北部九州に存在するのだろうか、 その意味さえ判ればもう古代の歴史は簡単に解ける。 そう民族に原点があり、ヤンシャオ族のこれが特徴なのだ、 やきものも温度の低いので焼いていたのでこれも民族の特徴である。 彩陶土器と古代からよばれている、これが倭国に何故伝来したか? つめれば古代の謎もわけない。 答えは一つ秦の始皇帝の命により除福が渡海して伊都国の王になり これが秦の始皇帝の渡海と共に伊都に受け入れられて倭国の王として 継承して居た。 大国主や宇佐の酋長は皆このみんぞくであるから、環濠集落と甕棺 彩陶土器が遺跡から発掘されているのである。 伊都には中国皇帝の後裔族卑弥呼が来て、戦乱となるが話で治まり卑弥呼 の一族が王の代表格として神武天皇へと継がれて居た。[2004/11/09 17:10:11]
これまでの古代史に終わりの時がついに来ました、それは前置きするとこうなります。 邪馬台国は何処とこれまで謎としてわから無いが常識とされていた、これは事実なのである。何故解からなかったのかが、今年のすごい中身であり、新年に辺り神様の御託宣 であろう。児島宮の託宣として聞いていただきたい、なにもかも不思議な神々なのであってこれまでに託宣の数がすごい中身であつた。考古学ではこれまで色んな事実が託宣により伝わりそれを公表して参りました。これも不思議なご縁で結ばれていて、何故こんなことがと、吾が身からも不思議に思っていた。今年のはじめに大木遺跡(朝倉郡夜須町篠隈コスモスプラザ一帯)に386号線沿いの遺跡から日本の考古学の基礎に価値する 大木遺跡に連なる環濠の跡に埋めた後に土器が棄てられていた、これが吉野ヶ里くらいではない数の土器が環濠を埋めたあと棄てられたものと、見れば一目でこの意味が判りますが、今月の内にはヤフー邪馬台国で公開する予定ですので暫らくお待ち下さい。 ここでは新年も松の内前に事実が又託宣されました。これが今日の話題ニュースです。 何とこれまでの邪馬台国とは矛盾した告白が西日本新聞社発行元に載せてあり自らが託宣と伝えてきた事が、あたっていた内容が国民が驚きのすごさを物語るくらいすごい中身の本である。これまで熱心に勉強されてきたのが無意味となりますと初めに申し上げておきます、怒らないで反省し明日に繋いで気を落とさずに頑張っていただきたい。 この本の著者は大江氏で毛利家の本家にあたる人で、吉永正春氏の友人とか述べてあり この方の勇気に対して怒ってはいけない、そして又中に出てくる家に対しても、憎んではならないのだ、それが勇気というものである。この勇気を心にきざみ、これまでに起こった謎について始めよう。詳しくは本を買い求めてここに上げた事と比較されたい。 そうする事により事実が確認できると指摘します。 本の題名は大江廣元改姓の謎という。これによると北条一族が企んだ歴史の改竄としておこう。中に北条時政の墓と並び島津久光の墓も写真入りで載せてあり事実がより、刻印になった。これは著者も気が付いていられないだろう、島津久光が創作していたと発表託宣どうりであつた、それで高千穂伝説が始まっていた事が確認出来た、末裔の自らも大江氏と同じ運命にある。著作権の関係でこれしか言えないので、本で調べていただきたい。本の告白はすべてが事実と確認できるものであると児島宮が語る。 これまでの歴史は北条一族と大江廣元一族の捜索改竄の歴史であった。神々の改竄から 天皇までの改竄が行われていた。源一族の抹殺と天皇一族の抹殺も行われていた。ここに現代までの天皇の歴史は神々とは関わりが無いものとなる。つまり古代王朝である系統は抹殺されて新しく北条一族は平氏と語り、関りの繋がらない豪族が天皇になり、歴史が始まっていた事が確認出来た。君臣たるもの背くことなかれが規則のおうちょうである。鎌倉時代を始めに改竄された天皇から始まった事は多くの謎となっていて、 土御門天皇、順徳天皇はこれに従えなくついに、正統系に対し罪の意識は変えることは できなかつたのであり、自身から島流しを北条一族に申し出られていた。これで古代の 天皇はすべてが終わっていたのである。伊勢に御参りなられないのはそれが発端であろう。然し伊勢は天皇以外なくしてはなりたたないのも事実である。児島宮託宣[2004/01/07 15:08:48]