記事タイトル:岡山天神の甚九郎橋と古代 


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お名前: 児島宮刊行会   
最近の考古学は正確な年代に取り組まないと、見る人からすればいかにも歴博が云う事
が間違いないと思うだろう。そこで邪馬台国の話題を歴史と位置づけして検討してみよう、是までの歴博は考古学協会にあらず、考造学と呼ぶに等しい、それは「歴史」を入れず勝手に歴史を創作(年代測定)している。これでは古ではなく造るであり、現代風に云えば新(新しい)にあたいしています、それで考新学です。 これはさておき、歴史の事実を見てください、次に語る岡山の伝承について、冒頭に岡山市天神に架かる橋
を佐久間甚九郎橋と説明板がある。 これと邪馬台国と関係あるの? ええあるのです。
甚九郎は佐久間信盛(織田家)の男で、何故岡山と関係しているの? はいそれは。
先祖から甚九郎を号とした家督の系統嫡孫にあたる人物だから、そうなのっているのです、この祖先は本当は児島宮の嫡孫で児島高徳の後裔なのです。ですから志野高東院、
京都にある現在の大徳寺山内の高桐院が先祖代々のお寺でして、細川家の先祖三渕家臣
が信栄が亡くなった時殉死した事から細川家との現在のお墓の関りがあります、一度
お尋ねになれば判ります。後に長興とがラシャ婦人も祀られていますと云う事です。
そんな訳でして甚九郎が岡山に来たとしても、不自然ではなく、一族の宇喜田と関係してもおかしくはないのです。高徳の娘が宇喜田に嫁いでいましたから、が本当の話と云う事でしょうか。この説明看板には相撲の話と橋が解説されてあり、この話は王権とつながっていると思われますと云ってもお判りになられないので、祭祀と古代王権を思い
おこして下さい、これには弥生からの伝承が継承された伝承物語と一致した話題を橋に
提供していたのです。そうしますと後鳥羽から桓武、天智、神武はこれ皆繋がるとは
誰も知らない伝承です。今日は岡山の甚九郎橋のいわれから古代を覗くを語りました。
[2004/01/16 10:05:08]

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