記事タイトル:297回目の御命日 


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お名前: 片岡知恵蔵   
十和田荘の女将は、長崎出身です。文明堂と福砂屋の件で盛り上がりました。
なおみちゃんは青森市出身です。色白のおぼこです。
出張で十和田湖に行った時に時間があいたので蔦温泉に入りましたが、最高でした、みんなが
仕事している時に頭にタオルを乗せて、温泉、しかも蔦温泉の源泉に入っていた時は(^^;)

話は飛びますが、湯西川温泉の「本家伴久 萬久旅館」の女将が、十二単はヨメに任し、自分
はタレントになるって、先日新宿で会った時に宣っていましたが、どこか売り込み先はないか
なー、でもあの派手派手衣装ではなー(^^;)
[1999/12/17 23:22:33]

お名前: 三河 太郎   
>「銚子大滝」です。
#助かった!!!。ここでも神出鬼没とはさすが伴内さん!!。
で、これが「銚子小滝」になってた。

>来年はドリーム号に乗って青森まで行き、睡蓮沼あたりから歩き始め、蔦温泉で泊まり、
沼巡りをし、奥入瀬も歩いて十和田に行き、ホテル十和田荘の中村春子社長と
かわいい「なおみ」ちゃんに会うのだ!(^0^)
#休屋の十和田荘に一泊したんだけど、かわゆい「なおみ」ちゃんの伝言忘れてた。詳細は別便書留めにて。
津軽美人も良かったが、こっちから同伴した、元、元、元伊勢美人も遜色無かったなあ。§^。^§
そろそろ賞味期限が切れそうなのが難点だけど。(^○^)

ところで「片目の運転手」は何時頃現れるのかなあ。そろそろ出番だよ…。
[1999/12/17 20:12:23]

お名前: マルガリータ   
「銚子大滝」です。来年はドリーム号に乗って青森まで行き、睡蓮沼あたりから歩き始め、蔦温泉で泊まり、沼巡りをし、奥入瀬も歩いて十和田に行き、ホテル十和田荘の中村春子社長とかわいい「なおみ」ちゃんに会うのだ!(^0^)
[1999/12/17 14:30:14]

お名前: 三河 太郎   
ともさん今晩は    

みちのく行きは、丁度一月前でした。あちらの情報仕入れて行くのだった。残念。
>義経の北紀行の件ですが、平泉から三厩にかけて、東北には転々と伝承が残っています。
どこまで遡れるものかは、よくわかりませんけど。
#本で読んだ限りですが、信じたくなる伝承ですね。

>中尊寺と平泉にも何度か行きましたが、金色堂しか印象に残っていない。
あのキンピカの建物のインパクトが強すぎて、他の印象が全て霞んでしまいました。
#まだ紅葉の残っていた中尊寺の山を眺めた時、何故ここに?の疑問が第一印象。
藤原氏や住民のこころの拠り所としての義経の存在。藤原氏の都への郷愁もあったでしょう。
義経に帝王学なども学ばせたのではなかったか。
当然のことながら、文化の相違もあって、頼朝との相克は当然の結果だった気もします。
それと、北上川の流れを目にした時、思わず、「北上夜曲」のメロディが浮かびました。
この曲知らないでしょう?。(^○^)

>風光明媚ということであれば、やはり十和田湖と奥入瀬がお勧めです。
#本当に良かったです。残念ながら、奥入瀬は冬季シーズンに入って堰で水量を調整して流水が少なかったですが。〇〇大滝(名前をど忘れ)は水幅1mほどでした。

>大学が吉良町のご近所の豊橋にあったもので、その変をウロウロしていて知りました。
#天伯町にある学校ですね。一時、職場の同僚が講師として行っていました。
[1999/12/16 22:36:37]

お名前: とも   
to三河太郎さん
>エライ失態ゴメンナサイ。M(__)m  これこそ、本当に切腹、御家断絶もんです。(-_-;)
>これに懲りず今後もよろしく。

お気になさらないで、私も以前に似たような失態をやらかしてます。
旧台論争のトップページのタイトルを知らなかった時期がありまして・・・

義経の北紀行の件ですが、平泉から三厩にかけて、東北には転々と伝承が残っています。
どこまで遡れるものかは、よくわかりませんけど。
私が邪馬台国論争に興味を持つようになったきっかけのきっかけは実は義経伝説です。
義経伝説の本をいくつか読んでいるうちに、何時の間にか興味が邪馬台国に移っていました。

義経伝承地の中では、やはり三厩が一番雰囲気があります。
ここからの津軽海峡の眺めは好きです。

中尊寺と平泉にも何度か行きましたが、金色堂しか印象に残っていない。
あのキンピカの建物のインパクトが強すぎて、他の印象が全て霞んでしまいました。

東北の温泉で印象に残っているのは鳴子と金田一ですね。
風光明媚ということであれば、やはり十和田湖と奥入瀬がお勧めです。
個人的なお気に入りとしては、竜飛岬です。
「ここは本州の極地である」と言う太宰の言葉が良くわかる岬です。

それから、吉良の赤馬は大学時代に知りました。
大学が吉良町のご近所の豊橋にあったもので、その変をウロウロしていて知りました。
[1999/12/15 20:29:12]

お名前: 三河 太郎   
Toともさん、くみさん

エライ失態ゴメンナサイ。M(__)m  これこそ、本当に切腹、御家断絶もんです。(-_-;)
これに懲りず今後もよろしく。
この地方では、戦後まで『忠臣蔵』の上演、上映は出来なかったと聞いています。
地元の方々の名君に対する思い入れがうかがわれます。
しかし、最近では赤穂市との交流が少しずつ出来つつあるようですが…。
今年の「大河ドラマ」(私は見ませんが、同居人だがファンなもんで)では、多少なりとも名君として描かれているのは喜ばしいことです。

To ALEXさん
鳥羽藩主の話、初めての聞くことです。
昨夜の「ときめき歴史館」(NHK)見ました。
大石さんは、幕府への批判・抗議の行動ではないことを、盛んにアピールしていますが、
実際はその裏返しでしょう。

わたし、マンガは苦手なもんで・・・・§^。^§
[1999/12/15 13:53:50]

お名前: ALEX   
まんがといえば、杉浦ヒナコの「吉良供養」って知ってます?
このひと本職の時代考証家で、史実にもとづいた討ち入り話を
ニュートラルというより吉良サイドから書いています。いま手に入るかな?

関係無いかもしれないけれど、浅野タクミの叔父の鳥羽藩主内藤和泉って
増上寺で刃傷事件起こして、やっぱりお家断絶になっているんですよ。
浅野もアブナイ人だったんだろうか。
[1999/12/15 02:20:53]

お名前: くみ   
三河さ〜ん。ともさんとくみさんではちがいますぅ。(^_^;)
確かにHNは、ともさんの真似をしてくみにしたのでした。
まぎわらしくてすいません。m(_ _)m

わたしは例によってザルなのですが。
昔、NHKの大河ドラマ「樅の木は残った」をおぼろげに覚えています。
両親が、いい物語だ。としきりに感心していましたっけ。
いま放映中のものは知りません。

あと、マンガですが「HARAKIRI」(堀田あきお)があります。
赤穂47士の生き残りを描いた明るい物語です。江戸の長屋の生活が活き活きとしていて、
面白いです。(^o^)

>美化されていると言えば、義経もしかり。今秋、平泉を散策して見て思いをはせました。

とても興味があります。ぜひお聞かせください。
義経がモンゴルに渡ったというのを気に入ってる友達がいるのですが、どうしましょう。
東北には行ったことがないのです。中尊寺はいかがでしたでしょうか?
温泉もいいと聞きますが?
[1999/12/15 00:35:53]

お名前: 三河 太郎   
くみさん今晩は。

「吉良の赤馬」をご存知とは!!。非常に素朴な玩具です。
仰るように、赤毛の馬に乗った吉良上野介義央がモデルとなっています。
この赤馬に乗って、領内をくまなく見まわって、領民の声を政治に反映させたとあります。
一般に言われている塩田に関わる怨念が原因との説はどうも考えにくい。

今、NHKで放映中ですね。だいぶん美化されている部分もあります。
美化されていると言えば、義経もしかり。今秋、平泉を散策して見て思いをはせました。
[1999/12/14 22:42:39]

お名前: とも   
確か、吉良町には「吉良の赤馬(でよかったかな?)」と言う郷土玩具がありましたね。
これは、吉良上野介がモデルだとか。
この人は地元では評判いいみたいですね。

反対に、浅野匠頭は暴君だったとか言う話も聞いた事があります。
本当のところは如何なんでしょうね。
[1999/12/14 21:56:54]

お名前: 三河 太郎   
今日12月14日、所用で愛知県吉良町の「華蔵寺」の門前を通りかかったら
名君と言われた方の、297回目の法要が盛大に営まれていました。
名君とは『吉良上野介義央』公、「華蔵寺」は吉良家代々の菩提寺です。

古今東西、『吉良上野介義央』公ほど世間の評判と実像にギャップの大きな人物はいないでしょう。
世の中では悪役の汚名を一身に浴びせられていますが、地元では、治水工事、開墾、産業を
奨励して善政をしき名君の誉れ高い殿様です。

松の廊下の事件など、所謂「忠臣蔵」の真相が明かにされ見直されて、名誉回復の兆しがあることは本当に喜ばしいことです。

この歴史は一体誰が作ったのだろうか?
[1999/12/14 21:09:00]

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