古代史を探訪しましょう。
古代史はいつまでたっても理解出来ないなんて、そんな事はありません。
辞典がわりに夜須考古学で基礎から古代史の歴史を見てみよう。
さて、邪馬台国にばかりとらわれると、とんだ思い違いが生じる事が
今の考古学会に見られますね、例の教育委員会発行の文化財報告書という
日本中をまやかしの古代史に仕上げた元なのです。
だがいまだ反省が見られませんね、本当はうすうす感じて来ていますが
教育委員会文化財課の失態を暴露されるのが怖いからでしょう。
だからいまだ無口で何も変わらないとしているのです、これを続けると
すれば日本の歴史は物語りに終わり歴史が無い日本になるでしょう。
これではいけませんね・ 他民族が入り込み日本が消滅し戦乱で強い
民族だけが生き残る。そんな事のないようみんなで日本の古代をもっと
勉強しなおそう。
きょうは倭国の先祖について一つおぼえよう。 これからはじめる事は
日本に渡来し国を切り開いた倭人のふるさとについて。
倭人とはを知る、倭人とは殷の始まる時付いた民族の事を言う。
殷の創設は古代王権黄河文明を切り開いた夏と言う国の王・ ここが大切
ウというキョウ民族で今も中国には多くの地名があり、そこに暮らしている
民族は日本の天皇の元祖で、いわば仲間達が生活している。
話は元にもどし、この王朝を滅亡させたのが殷の民族でかれらは狩猟民族とも
呼ばれて、本国はモンゴルであり遊牧民族で生活は今も同じ丸い住居に中央に
炉を設ける家に住んでいる。古代の第一次渡来人はこれにあたる、それで東北
地方の遺跡も皆同じなのはこの為であろう。古代殷の時も狩猟等をして獲物を
求めて遊牧の生活をしていた。よく見かける海での漁、陸では獲物を求めて
生活していた証拠は貝塚等がこれにあたる。動物の骨がよく出土するのも
この為である。まだ渡来した倭人は稲作を知らなかったので、考古学で発表した
年代測定はあてにならないのである、それよりも殷の実情を知る事が大切であろう。
[2004/04/27 18:14:32]