当ホームページへの投稿と返答


 当ホームページに寄せられたメール及び返答を紹介します。
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投稿17_1: 2001年5月13日    from:T.K.さん

XX 小学校、6年Y組担任のT.K.と申します。社会科の学習で「縄文土器」に子供たちが興味を持ち、実際に作ってみようという事になりました。子供たちと作る良い方法がありましたら教えていただきたいと思います。お忙しいとは存じますが、ご協力いただけるとありがたいです。

返答17_1:

  1. 小輩のHPに、「土器作り」のページがあります。参考にしてください。
    http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI/pot_make.htm
    今年は、4/8、15、22、5/13に加曽利貝塚博物館で「土器を作る」会が行なわれました。先生がこの会に参加して学び、子供達といっしょに作ってみることができれば、と思いました。
  2. 千葉市の小学校の中には、先生が「土器作りの会」で土器を作ることを学び、学校の授業で生徒と土器を作っている例があります。その先生から授業に土器作りをどのように取り入れているかを聞かれたらどうでしょうか。
  3. 各地の博物館には土器作りを行う「友の会」が多くあります。「友の会」の人に小学校に来てもらえることがあるかもしれません。

投稿17_2: 2001年5月15日    from:T.K.さん

さっそくのお返事ありがとうございました。縄文土器については、子どもたちが調べているバックアップをしている状況で、今は子供たちの動きをみているところです。土の問題や、火の加減などをこれから調べる予定です。いろいろ参考になる情報をいただきありがたく思います。

返答17_2:

土器の胎土にどのようなものを使用するかは重要です。小輩のHPに書いてありますが、縄文時代は CLAY(粘土) とSOIL(土) をある比率で混合したようです。この胎土を数ヶ月から2年近く寝かせて使用します。加曽利貝塚博物館の東では、雨ざらしになっているCLAY/SOILを見ることができます。千葉市の縄文式土器はSOILとして、常総粘土層を使用します。ローム層の下層にある蒼白い層です。常総粘土層は海生粘土で、焼き物に最適なものではありませんが、縄文時代の人は、工夫してこのCLAYを使いこなしました。常総粘土は下総から利根川周辺に分布し、土器の原料となり、湧水を与えてくれる地層でした。この地層が、千葉が縄文時代に繁栄した基礎となったものです。

是非、縄文時代の遺跡の近くで、切り通しの地層を観察して欲しいと思います。粘土層やローム層があります。ローム層でも色が異なるローム層があります。ローム層の上には黒い土の層があります。黒い土の層もいろいろな意味を持っているそうです。
縄文時代の貝塚はたいてい台地の端にあります(舌状台地)。ですから、湧水が貝塚のそばには必ずあります。場合によったら、貝塚の中央の地下水位が浅い所があります(園生貝塚)。ローム層に存在する「宙水」です。武蔵野台地の浅井戸と同様なものです。縄文人の貴重な水源です。貝塚の中央には、遺構が少ないことを知っていますか?「神聖な場所だった」と言う人もいますが、人間が住めない/利用できない土地だったと、小輩は考えています。

縄文式土器は700〜900℃で焼成されました。”野焼き”で土器は焼成されたようです。焼成温度が1000℃以下だと、CLAY/SOIL のSiO2 がガラス状になることはなく、素焼き(ウワグスリを使用しない)の焼き物は多孔質です。いかにミクロな空隙を減少させるか が、縄文時代の人が真剣に考えたテーマだったようです。良質のCLAYであれば、低温でも熔着するものもありますが、海生の粘土では熔着しづらいとのことです。
現在、素焼きの焼き物には、備前焼、越前焼、南蛮焼があります。いずれも、焼成温度は1200℃以上で、CLAYのSiO2は熔着し、焼成によって高密度になり、空隙率が減少しています。現在は、焼成温度を上げることにより、水が漏れない焼き物を作っています。


投稿16: 2001年5月6日    from:M.N.さん

よく加曽利貝塚では色々な動物の骨が出土されていますが、全て頭蓋骨なら頭蓋骨、足の骨なら足の骨という風にバラバラに折られたり、割られたりした状態で発見されるそうです。しかし、犬だけが死んだままの完全な遺体で出土するのはなぜだと考えますか?ちなみに私は犬は『狩猟犬』で人間にとってとても大切な存在であって、食料として用いていたわけではなかったからではないか…と考えています。  でもそれならどうして一般的にゴミを捨てていたといわれる”貝塚”に、食料を得るための必要不可欠な存在の犬を死んだからといって、捨てるでしょうか…?との疑問点がでてきます。『まじない』などの宗教的な方向から考えて、貝塚は元々”ゴミ捨場”ではなかったんだ!といってしまえばそれまでなんですが…

返答16:
犬の埋葬については、HP「千葉市の貝塚」の「犬」のページに書いています。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI/dog.htm
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縄文時代の犬の話し
 縄文時代の遺跡に、犬の埋葬跡があります。人間が埋葬されているそばに埋葬されています。他の動物を埋葬している例はありません。(千葉県茂原市の下太田貝塚では、イノシシの幼獣が埋葬された例があります。ペットだったのでしょうか?副葬でしょうか?)
 縄文時代には、犬が狩猟を助ける方法が発明されました。弓矢で射止めた獲物を犬がとどめをさす狩猟方法が始まり、人間が多くの獲物を取ることが出来るようになったのです。
 即ち、狩猟方法が斧や槍で獲物を捕る方法から、弓矢で捕る方法に変わるという技術革新/文明の発展により、日本は旧石器時代から縄文時代に変わりました。暮らしが豊かになることに、犬はなくてはならないものだったのです。だから縄文時代の人は犬に感謝し、なきがらを丁寧に埋葬したのです。
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犬は、貝塚の貝層に埋葬されているのではありません。貝塚から少し離れた所に、人間を埋葬した場所である埋葬ゾーンがあります(けっして人間をゴミ捨て場に捨てたわけではなく、いわば霊園です)。犬は、埋葬ゾーンに埋葬されています。
人間が食料として狩猟した、シカやイノシシは骨がばらばらになって、貝塚の貝層に捨てられています。骨の一部は釣り針などの材料として使用されました。
これに反して、犬は縄文時代に、埋葬ゾーンに骨がばらばらになることなく埋められています。小輩は、犬は人間の仲間として扱われたと考えています。
M.N.さんは、犬が貝塚に捨てられたと誤解されているようですが、捨てられていません。「貝塚で犬の骨が出土した」というのは、馬蹄形や環状形の貝層から出土されているのではなく、少し離れた所から発掘されているのです。人間の骨が発掘されるすぐそばに埋葬されているのです。縄文人はそれ程犬を大切にしました。集落によっては、埋葬ゾーンを貝塚から離れた所(数百m以上)に作ったところもあったかもしれません。その場合は、骨の主成分であるCaが水にとけてしまい、人間の骨も犬の骨もなくなってしまいます。日本の土は殆どが酸性です。土の酸によってCaが溶けてしますのです。埋葬ゾーンが貝層の近くにある場合(数十m)は、貝の主成分であるCaが、付近の土のpHをアルカリ性にして、骨が溶けるのを防いでいます。だから、5000年前の骨を残してくれるのです。たしか、加曽利貝塚の場合、埋葬ゾーンは、今、スズランが咲いている東斜面にあったと思います。

「なぜだろう」と考えてくれてありがとう。考えることは面白いですよ。

P.S.)蛇足ですが
弥生人は犬を食べる習慣があったそうです。犬の骨がゴミ捨て場(弥生時代の貝塚の貝層)からばらばらになって発掘されるそうです。農耕の文化とともに、いろいろな文化が大陸から入ってきました。


投稿15: 2001年4月27日    from:H. Y.さん
「縄文式土器に縄目の模様があるのはなぜか」という問題が学校の宿題でだされて詳しいことなど知りたいので教えてください。
お願いします。

返答15:
いい質問です。 「なぜだろう」といろんなことを考えましょう。

小輩は、専門家ではなく、趣味で縄文時代を考えているので、詳細に言うことは出来ません。小輩は縄文式土器の外面にはあまり関心がなく、土器の構造に関心があります。小輩の考えは、先生から いい点をもらえるかどうか判りませんが、記します。

縄文式土器にヒモ(ナワ)のマークがついているのは、土器の厚み方向の密度を上げているためと考えます。縄文式土器は素焼きといって、瀬戸物のようにウワグスリを塗って焼成していないので、何も考えないで焼成すると水がもれます。水がもれるのを防ぐのに、縄文人はいろいろな工夫をしています。
@まず、原料の粘土/土の選択が必要です。
A次に、「みがき/つぶし」が重要です。土器を作るときに、粘土を土器の形に成形した後、2〜3週間乾燥させますが、なまがわきの時に土器を貝殻などで力を入れて土器の内側から厚み方向に圧力をかけ、つるつるにします。厚み方向の密度が増すと、水がもれにくくなるのです。
Bそれと同じことを成形時にヒモを強く外面に押し付けることにより行なっていると考えます。その結果、土器の表面に出来るのが、ヒモのマーク=縄文と考えます。
弥生式土器を見ると、外面に装飾はあまりありません。外面に「みがき/つぶし」を施しています。技術的には、これで充分です。それではなぜ縄文人は外面の密度を上げるために、ヒモを押し付ける方法を行なったのでしょう?弥生人は忙しかったが、縄文人は暇だったと考えています。
弥生人は、米の生産を始め裕福になりました。しかし、争いが多くなりました。財産を守るために集落の周りに堀を掘ったり、柵を作ったりしました。武器を用意しないとなりませんでした。忙しかったのです。
縄文人は平和な暮らしをしていたので、生活に最も大切だった土器を装飾したと考えます。その時、なぜヒモを使ったのか、木の棒に切り込みを入れたようなものでも、厚み方向の密度を上げるのに使えたのではないかと考えます。小輩は、縄文人はヒモを尊いものと考えたと思います。ヒモは縄文時代の文明の象徴と考えます。植物繊維を解繊し、糸/ヒモを作り布を作る技術を縄文人は行なっていました。寒さやケガから身体を守ってくれる衣服/布、住居の木を結びつけたり魚をとるための網などを作るのになくてはならないヒモにありがたさを感じていたと思います。だから、土器の外面の厚み方向の密度を上げるのにヒモを使ったと思います。
ヒモがなぜ尊ばれたか、について、2匹のヘビが絡まっているように見えるという人もいますが、小輩はこの説には?です。

北海道には縄文時代の重要な遺跡が意外と多くあります。

1.カリンバ3:2000年6月に江戸東京博物館で、巡回展示会「発掘された日本列島 2000」が催されました。その際に、カリンバ3遺跡(北海道恵庭市、縄文後期:約3000年前)の赤漆製櫛や腕輪が土壙遺跡まるまるごと展示されていました。赤漆出土品にも、ピンク色から朱色/真紅のものがあるそうです。また、紐状の布が発掘されました。生活用品である布製品が発掘されるのは、貴重なことです。北国の湿地遺跡だから、保存状態が非常によかったのです。
さらに2001/3/14(3/13?)の新聞に、カリンバ3土壙遺跡で、目が細かく高度な技術で作られた布(織物)の痕があることが発表されました。ある新聞には「絹の織物」が縄文時代に存在したと書いてありました。
そして、袖のあった衣服を着ていたのではないかとのこと、縄文人の生活観を変える発見です。
カリンバ3遺跡の土壙墓の底部ははそのまま土ごと掘り出され、埼玉・「東都文化財保存研究所」に運ばれ、調査されています。
2.美々貝塚:千歳市美々にあります。南千歳駅から苫小牧に向かう国道の左、ウトナイ湖の北にあります。5000〜6000年前の遺跡です。6000年前頃は現在より2〜3℃気温が高く、対馬海流が内浦湾、勇払平原の南に流れ込んでいたので、遠浅の海だった勇払平原には多くの貝が生息しました。ですから貝塚が出来ました。この遺跡の重要な点は、縄文時代の「道」の遺跡がある点です。北海道の縄文時代の遺跡は保存状態がよく(開発される機会が少ないため)、いろいろなことがわかります。
3.栄浜遺跡:長万部と大沼・小沼の中間にある栄浜遺跡では縄文時代の住居の石製品が出土しており、考古学上貴重なものです。
4.函館空港内にある縄文時代の住居遺跡は、典型的な北方住居遺跡です。「竪穴式住居」を習いましたか?深い穴を掘ったから竪穴式住居といいます。北海道の縄文時代住居は深さ1.5mより深いものがあります。外に出るのに、はしごをのぼらなければなりません。1.5mを超えると、土の温かさ/涼しさが利用できる住居となります。北方住居はカヤぶきではなく、寒さを防ぐために土ぶきであったとも言われています(岩手県一戸、御所野遺跡)。発掘例が少ないので、大きな声では言われていません。学校で「竪穴式住居」という単語を習うかもしれませんが、小輩は単語を覚えるだけでなく、実感して覚えて欲しいと考えます。
5.礼文島は日本の縄文文化と大陸の文化の接点となりました。本土中部以南でしか採れない貝で作られた腕輪が出土しています。大陸で作られた道具が出土しています。

<土器作りのページ>に次の独り言が書いてありました。
「縄文をつける理由:比表面積を増加させる。火が微小の窪みで回転する。草/竹などで作っていた籠をまねた。精神的な理由。
@比表面積を増加させる は、大きな要素ではないと考えます。
A火が微小のくぼみで回転し、熱効率がよくなることは考えられます。
Bカゴの模様をまねたことは考えられます。
C精神的な理由 は、考えすぎかもしれません。


投稿14: 2000年11月9日    from: Y.M.さん
どうも!こんにちは。Y.M.と申します。今、授業で土器について調べています(中2)。私は縄文土器と他の時代の土器(弥生土器など)との違いを見つけることにしました。しかし・・・私の知りたい内側の資料が無いじゃないですか!・・・とそこであなた様のメールアドレスを見つけたのです。縄文土器の中はつるつるしているとのことですが、他の土器もそうしてあるんでしょうか?また、使われている土は違うのでしょうか。


返答14:
磨き:弥生式土器は、内面外面ともに、強度の磨きが施されています。土師器について、小輩は何とも言えません。
    知識がありません。博物館の学芸員の人などに質問してください。
土 : 弥生式土器/土師器は粘土を選択して使用したと思われます。

鋭い質問です。小輩は、縄文式土器は多く見ているのですが、他の土器はそれほど多く見ていません。このメールをいただいたので、弥生式土器をじっくり観察しました。
Y.M.さんが比較する土器は、縄文式土器/弥生式土器/土師器/須恵器/陶器と想像します。
土器のZ方向の構造が需要なのは、縄文式土器/弥生式土器/土師器です。この3種の土器の焼成温度は800〜900℃と低く、粘土の粒子が完全に融合することはなく、粒子の一部分が融着するだけです。これに対して、須恵器/陶器の焼成温度は1100℃以上です。粘土の主成分は二酸化珪素(SiO2)です。二酸化珪素がガラス質の場合、1200℃前後で熔融します。1200℃前後で焼成する場合、土器のZ方向構造は結果として問題が少なくなります。磨きは不要です。須恵器の製造方法は大陸から導入された技術に基づいています。
縄文式土器/弥生式土器/土師器の焼成後の構造は、空隙が多くなりがちで、これをいかに少なくするかが、水漏れのない土器を作る上で重要な点になります。縄文式土器は、土器の乾燥工程で、半乾きの時に磨くことが一つの技術でした。
縄文晩期になると、粒子の細かい粘土を水中で分級して調製する技術が発展し、表面に粒子の細かい粘土を塗ることにより、土器の空隙を埋めるようになりました。このような技術が、弥生式土器/土師器に使用されてもいいのですが、縄文晩期の縄文式土器の技術は必ずしも弥生式土器に継承されていません。
小輩が見た弥生式土器/土師器の内部は、おおむね平滑ですが、縄文式土器の磨きとは、状態が異なります。粒子の細かい粘土が使用されています。粘土の選択が行われたと想像します。弥生式土器の場合、使用した粘土が良質である上に、磨きを十二分に行われたと考えます。
須恵器/陶器は、粘土粒子が熔融する温度で焼成されますから、不純物が少なく、粒子径の小さい均質な粘土を使用しないと、焼成できません。縄文時代には、千葉で多くの土器が作られましたが、千葉の粘土を使用して、陶器を作ることは困難です。


投稿13: 2000年11月11日    from: ”きむしん”さん
>こんばんは。ホームページを御拝見しました。 少年少女のコーナーへだけ行きました。どんぐりクッキーってどんな味がするんでしょうか?食べたいです。シカやいのししも食べたいです。

返答13:
久しぶりの質問です。元気もりもり。  20才未満であれば、BBSに書き込んでくれれば良かったのですが。 書き方からすると・・・。
ドングリ・クッキーは塩味の肉入り滋養食品です。ドングリは戦時中に日本人は食べたし、朝鮮半島では今でも食べているそうです。そのままだと、渋くて食べられませんが、粉に挽いた後で、晒します。「晒す」のは、水で処理するので、水溶性のタンニンが水に溶けて除去されて、渋くなるのか、本当に酸化されるのかはわかりません。とにかく、晒すと、普通の澱粉になります。ドングリの種類によっては、晒さないでも食べられるものと、晒しただけではタンニンが除去できず、灰入り(Ca0、Na2O + H2O → Ca(0H)2、NaOH)の水で煮て、タンニンを除去する場合もあります。縄文時代は、この澱粉に、肉類を混ぜて均一にし、焼いて食べました。塩分は、岩塩が取れる所では岩塩を用いたようですが、そのようなケースは少なく、海産物を少量使用して、塩味をつけたようです。蜂蜜を入れてクッキーを作ったという分析結果は出ていません。 このようなことがわかっているのは、遺跡から炭化したクッキー状の炭水化物が発見されたことと、低湿地遺跡でドングリを処理するための設備が発見されているからです。
イノシシは豚に似ていますが、アクが多いことがあります。変な味がすることもあります。肉の消費量が多い所で食べれば、おいしいものです。静岡県東部では「ボタン鍋」という名前のものを食べることができ、ポピュラーなものです。
肉の消費量と旨さの関係が顕著なのは、羊の肉です。北海道では、ジンギスカンで羊の肉をどの家でも頻繁に食べるので、おいしいのですが、千葉では、ジンギスカンをする人が少ないので、北海道の羊の肉と比べると劣ります。
シカは新鮮なものはそれ程多くありません。北海道東部では、エゾシカが農産物に悪影響を与えるため、計画狩猟が行なわれています。味は強烈ではありません。スジはなかなか噛み切れないことがあります。


投稿12: 2000年3月14日〜    from:”かとしん”さん
  長いものは、別のページに記すことにしました。次行をクリックしてください。

 ”かとしん”さんとの質疑応答のぺーじへ  「藻塩焼く」について


投稿11: 2000年2月14日〜    from:Aさん
  投稿及び返答が長文ですので、別のページに記します。次行をクリックしてください。

 Aさんとの質疑応答のページへ    民俗学的見地について


 質問 1〜10 へ 

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