ポルトガルの支配の確立あと……オランダ艦隊のモーリシャス島の発見

インド洋は定期的に帆船が航行した。しかしその航路はヴァスコダ・ガマの開いたものである。ケイプターン(喜望峰)を回り、アフリカ大陸に沿って航海するものであった。マダガスカルとアフリカ大陸の間を通過せずに、インド洋を横断する航路はなかった。 それを見つけたのが、ポルトガル人の船長ディオゴ・フェルナンデス・ペレイラである。1507年ペレイラは航海の途中、インド洋上で孤島を発見した。それから三島はペレイラ諸島と呼ばれた。

1513年に二人目のポルトガルの船長が訪れた、ペドロ・マスカレーナスである。彼は三島をマスカリン諸島と命名した。おそらく彼等は島のドードーも発見したが、正式の航海記には載っていない。 ポルトガルはこの航路を活用することはなかった。おそらくこの航路が、風との戦いで危険が大きいこと、あまりにも陸から離れすぎてモンスーンの風も利用できなかったことに原因があると思われる。

リンスフォーテン

「旅行案内記」1596年
 オランダ人のヤン・ハイヘン・ファン・リンスホーテンが出版。のちに東オランダ会社の地図制作者となったペトルス・プランシウスの地図を付属していた。東洋に向かう船はこの地図を持っていった。『世界古地図 』講談社刊

イラスト  
地図

リンス・ホーテンの挿し絵 東インド地方の樹の様子が描かれている。『探検の世界史』香料と財宝を求めてウィリアム・ネーピア著(株)集英社

モーリシャス島が始めてインド洋上に描かれた地図といわれる。1519年、ポルトガルのジョウジ・レイネル(Jorge Reinel)が制作した。ミラーアトラスとも言われる。拡大表示

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