タイトル

ポルトガルの海外膨張》

ヨーロッパの対外膨張は、1415年にポルトガルの北アフリカの都市「セウタ」攻撃に始まる。この頃のポルトガルの人口は、わずか100万に満たないと言われる。この小国が何故に大航海時代をの先駆けをすることが出来たのか。
まず、地理的な有利性があった。ポルトガルが大西洋に面しており、帆船時代に重要な風向き、アゾーレス海流が沖に流れていたことである。また古くからアフリカ大陸の情報が入っていたことである。 また、イスラムの支配を脱した独立気概に燃えていたこともある。

文化的な面では、五世紀に渡るイスラムの支配により、アラブの数学、地理学、航海に必要な知識などの蓄積があったことである。また、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人が移り住み、彼等の文化の影響も忘れることが出来ない。 資本の関係では、大西洋に活路を求めたジェノバ人の商人が、海外進出を援助したことである。これらの条件に加え最大要因は、エンリケ航海王子が積極的に海外膨張を熱心に進めたことである。
 



エンリケ航海王子を海に駆り立てたのは、自国の閉塞した地理的状況であった。スペインとピレネー山脈で囲まれているために、海に出ていく以外には選択のない状況であったのである


ポルトガル

エンリケ航海王子(イラスト)
(1395-1460年) エンリケ航海王子自身には航海の経験はないが、積極的に地理学者や航海者を援助した。香辛料交易とプレスター・ジョンの教国と手を結び異教徒と戦いたいと考えていた。そのため航路の開拓を急いでいたが、その完成を見ずに死んだ

イラストカラヴェラ船の誕生
 
 
彼の最終目的はインド航路の開拓であったために、それにいたるアフリカ航路の発見に力を注ぐのである。彼が援助した中から、逆風でも前進できる「カラヴェラ船」が生まれた。三角帆をつけた帆船の出現である。大きい船はカラック(ナウ)で600トンから1000トン、カラヴェラは60トンぐらいである。

大洋の果て暗黒の海
 古くから「大洋の入り口」と呼ばれるアフリカの南端は、アルバトロス(信天翁)島と言われ、その先は海の終わりと言い伝えられていた。迷信ぶかい船乗りは決して行こうとしなかった。しかし、アラブの商人から聞く噂では「東方には香料があり」と、この王国の話は、「船乗りシンドバットの冒険」などの物語を生んだ土台となった。イラストは風上にも進めるようになったカラヴェラ


『この海の北の岸部には、天然の岩を刻んだ三つの石像がある。石像は恐ろしい形相で海に向かって手を伸ばし、それ以上先へは行けないと航海者たちに警告しているのだ。カディス(スペイン南西部)と幸福諸島(カナリア諸島)、つまり西の外洋の入り口にも同じような石像があって、航海者に「緑の海」に分け入らないように警告している。』その石像は、アレクサンドロス大王その人によって建てられたといわれている。(『スパイスの人類史』アンドリュー・ドルビー著 樋口幸子訳 原書房刊)
 

暗黒の海を越えた最初の成功者、船乗り ジル・エアネス
 王子の馬屋係であったジル・エアネスが、岬を越える冒険に乗り出した。一度は失敗したが、二度目の1434年に成功した。この成功は他の大航海者の陰に隠れて目だたないが、勇気ある真の第一歩と言うべき偉大なものである。何故ならば、宗教や古くからの伝説という呪縛から解き放された進歩だからである。いまからは創造することが出来ないが、恐ろしいほどのプレッシャーであったのだ。こののち多くの航海者が、彼に続いて岬を越えていったのである。

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偉大なる一歩
『 1434年にそれまで、海の終わりと信じられた「不帰の岬」(ボジャドール岬)をジル・エアネスが越えた。そこは当時の人に、海が奈落の底に落ち込むところであり、白人が黒人になってしまう灼熱地獄があると信じられていたのである。歴史では目立たないが、未知の海に乗り出した記念すべき第一歩である。』  (『大航海時代』ボイス・ペンローズ著 筑摩書房刊)


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