《ポルトガルの海外膨張》 ●ヨーロッパの対外膨張は、1415年にポルトガルの北アフリカの都市「セウタ」攻撃に始まる。この頃のポルトガルの人口は、わずか100万に満たないと言われる。この小国が何故に大航海時代をの先駆けをすることが出来たのか。 まず、地理的な有利性があった。ポルトガルが大西洋に面しており、帆船時代に重要な風向き、アゾーレス海流が沖に流れていたことである。また古くからアフリカ大陸の情報が入っていたことである。 また、イスラムの支配を脱した独立気概に燃えていたこともある。 ● 文化的な面では、五世紀に渡るイスラムの支配により、アラブの数学、地理学、航海に必要な知識などの蓄積があったことである。また、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人が移り住み、彼等の文化の影響も忘れることが出来ない。 資本の関係では、大西洋に活路を求めたジェノバ人の商人が、海外進出を援助したことである。これらの条件に加え最大要因は、エンリケ航海王子が積極的に海外膨張を熱心に進めたことである。 |
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![]() 彼の最終目的はインド航路の開拓であったために、それにいたるアフリカ航路の発見に力を注ぐのである。彼が援助した中から、逆風でも前進できる「カラヴェラ船」が生まれた。三角帆をつけた帆船の出現である。大きい船はカラック(ナウ)で600トンから1000トン、カラヴェラは60トンぐらいである。 ●大洋の果て暗黒の海 古くから「大洋の入り口」と呼ばれるアフリカの南端は、アルバトロス(信天翁)島と言われ、その先は海の終わりと言い伝えられていた。迷信ぶかい船乗りは決して行こうとしなかった。しかし、アラブの商人から聞く噂では「東方には香料があり」と、この王国の話は、「船乗りシンドバットの冒険」などの物語を生んだ土台となった。イラストは風上にも進めるようになったカラヴェラ船 |
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