ー良く知られた『東方見聞録』以外の旅行記ー

エリュトゥラー海航海記』(案内記)
 紀元一世紀頃のギリシャ人が書いたと言われる航海記。現在のペルシャ湾、紅海あたりの海を案内したものであり、インド洋に吹く季節風を利用した遠洋航海の案内記。この時代は中国とローマ帝国の貿易(海のシルクロード)が盛んであった。日本が弥生時代と言われた時代である。(中公文庫にあり)

『歴史の鏡』
 モンゴルの暮らしや習慣を記載した旅の記録。フランシスコ会修道士・プラノ・カルピニが1246年 に、モンゴルの王族がオゴディーの子であるグユクをハーンとして選ぶ、カラコルムの集会に参画した。ローマ教皇の使者としては失敗したが、旅の記録として『歴史の鏡』(ヴァンサン・ド・ボーヴェ 1190-1264年)に収録された。

『大著』
 フランシスコ会修道士・ギョーム・ド・ルブルクの旅の記録。
福音書をモンゴル人に説教する目的で、1254年にカラコルムに到着。彼の記録はロジャー・ベーコンの『大著』に収録された。カラコルムの様子が詳しく書かれている。

フランシスコ会修道士・オドリコの記録。
 1320年から1330年頃、中国に行ったらしい、マルコ達より後らしいが同じようなところを旅行したらしく、福建省の巨大な鷲鳥の事を書いている。おおむね正確な記述のようだ

『東方旅行記』ジャン・ド・マンデヴィル(フランス人)1371年刊
 この旅行記はイギリス人と名乗るマンデヴィルが、アジアを探検した体験をもとに書いたと言われる、しかし実際は他の旅行記をもとに書いた物であり実体験ではない。だが、250以上の写本があり、当時は東方見聞録より人々に東洋の幻想的な観念を植え付け、大きな影響を与えた。


上記の本が代表的なものであるが、背景としてあるのはキリスト教社会とイスラム教社会の争いがあり、ひとつは十字軍の派遣であり、また、東方にあると信じられたキリスト教を信じる国との連携を目指した教会の思惑がある。代表的なものがプレスター・ジョンの国である。そのため、協会から派遣された修道士の記録が多いのである。

宣教師達は想像を絶する困難を越えて東方を目指した。この時の東方にあった国はモンゴルの諸国であった。(前ページのモンゴル・ハーンの国を参照)

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