未開の地から珍しい動植物を母国へ、献上された動物達
1502年2月10日、ガマは第2回の航海に出発した。この航海でインドサイをポルトガルの
マヌエル国王(Manuel,o Venturoso 1495ー1521年)のために持ち帰った
1503年、第二回のインド航海から帰国したガマが、マヌエル国王(金持王)に 献上した一頭であるという。ヨーロッパに始めてのインドサイであっ た。もちろんデューラーが直接スケッチしたのではなく、当時、写生したポルトガル人画家のものを後に写したものである。
 
このデューラーの犀のオリジナル画は現在大英博物館にある。このサイは贈り物としてポルトガル王からローマ教皇に送られる途中、運んでいた船が沈没してジェノバ沖に沈没、溺れ死んでしまった。
この事からもデューラーが直接サイを見て描いたわけではない。彼が画に付けた詳細な説明文によれば、彼が古代からの著作に眼をとうしていたことは確かである。何故ならばこのサイは一角サイであるのに、角が二本描かれているからである。
デューラーの描いたサイ 拡大表示

サイの研究家パーソンズ博士によれば、ローマ時代の諷刺詩人であるマルティアリスの『かくして、二本の角で重いクマを持ち上げた。』という言葉を読んでいたために、描き込んだのであろうと言う。デューラーは対象への自らの観念を描いたのであり、そのためにリアリティーを持って迫ってくるのである。デューラーのサイは多くの支持者と信奉者を得た。
    (『サイと一角獣』 ベルトルト・ラウファー著 武田雅哉訳 博品社刊 )

本 〈サイについて……〉
古くからサイはインドとアフリカに住んでいると報告されていた。プリニウスによれば競技のためにローマに来たのはインドサイであるという。

マルコポーロもサイについてふれている。地図の上にはマルコポーロの記載により鼻の上に付いた角のほかに、肩のところに小さな前向きの角を持ったサイが描かれた。
また、ゲスナーの『動物誌』(1551年)にもデューラーのサイが挿し絵として使われている。リンスホーテンの『東方案内記』にも南シナ海のところに描かれている。このあともデューラーのサイは多くの地図に記載された。ビュフォンによって1735年に正しいサイが報告されるまで、デューラーのサイは生き続けたのである。 『動物と地図』ウイルマ・ジョージ著 吉田俊治訳 博品社

 〈日本でのサイのはなし〉
『物語世界動物史』(ヘルベルト・ヴェント)によれば、サイの皮膚に見られる角状の突起物は、長い間の航海のため、狭い船上のストレスで出来たものだという。おそらく皮膚病なのであろう。しかし、見たことのない動物なので、画家もそのまま描いたのであろう。しかし、狭い帆船のなかで、犀のような大きな動物を持ち帰ることが、どれほど大変なことか想像にあまりある.。
本 〈澁澤龍彦氏によれば不思議な点があるという……〉
『このデューラーの犀はインド産なのだから、鼻の上に巨大な一本の角があるわけであるが、この大きな角のほかにもう一つ、背中のうえに第二の小さな角が、螺旋状にねじれて生えているのだ。もちろん、現実の犀には、アジア産であれ、インド産であれ、こんな余分な角があるはずがない。』 これは、氏によればギリシャ以来、犀には二本の角があるという伝説があり、そのことでデューラーも描いてしまったのではないかと述べている。
                 『幻想動物誌』 澁澤達彦著 河出文庫刊
サイは当時の人たちにとって、伝説の一角獣により馴染みがあり驚きを持って迎えられた。

ヴァスコ・ダ・ガマは第二回の航海ののち、海軍を引退したが、1524年に国王ジョアンの命令により、インド副国王として赴任したが到着後まもなく死亡した


日本にも犀の事は伝わったが写真のように不思議な霊獣として古くから存在した。写真は大田区の神社「久原東部八幡神社」のものであるが、日光東照宮にも同様のすばらしいものがある。(西回廊蟇股)詳細は下記の記述を参照。

驚くことにこの動物は犀〔サイ)であるという。

  日光東照宮の禰宜(ねぎ)である高藤晴俊氏は、その著書『日光東照宮の謎』(講談社新書 講談社刊 1996年)に、この写真と同じ姿を持つ動物の写真を掲載している。この写真を見るまで撮影した彫り物が何であるか、私には分からなかった。

 著者によれば、『図像的特徴は、体形は鹿に似て、一角、偶蹄、山羊のような顎髭を持つ。最大の特徴は背中に甲羅があることで、波が配される。東照宮以外にも、各地の社寺建設に見られるが、従来ほとんどが「麒麟(キリン)」と間違えたり、海馬、海獣などと記すものもある。』と語っておられる。確認のため、他の東照宮関連の写真を当たってみたところ、美術関連出版社でも「麒麟」と記載されていた。おそらく、犀と同定されたのは高橋氏以外には無いのではないかと思われる。

著者は、「正倉院 平螺鈿鳥獣花背円鏡の犀」、「鳥獣戯画に見られる足の短い犀」、「京都の養源院に俵屋宗達筆と伝えられている杉戸に描かれた犀」をあげられて、情報が伝わる間に姿が変化して、背中に亀のような甲羅が付いてしまったのではないかと述べられている。

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