サトウキビプランテーション写真
 上のしゃしんはモーリシャス島のサトウキビ畑(はたけ) 写真 検見崎 誠氏 無断転載禁止  

ドードーは、どうして絶滅(ぜつめつ)したのでしょうか》
上の写真(しゃしん)を見てください、そこに答(こた)えがあります。背の高い植物(しょくぶつ)が一面(いちめん)に見えるでしょう、この植物はサトウキビなのです。皆さんが良く知っている砂糖(サトウ)の原料(げんりょう)なのです。昔はサトウキビから砂糖をつくるのは、たいへんな人間の労働(ろうどう)と燃料(ねんりょう)を必要(ひつよう)としたのです。大量(たいりょう)のサトウキビを栽培(さいばい)するために、広い面積(めんせき)の畑(はたけ)が必要だったのです。モーリシャス島を支配した国は、まず、森の木を切り倒し、根(ね)や岩(いわ)をどかして畑を造りました。

砂糖はヨーロッパに運ばれ、貴族(きぞく)の贅沢品(ぜいたくひん)から大衆(たいしゅう)も使えるものとなりました、イギリスの紅茶(こうちゃ)やコーヒーを飲める「カフェバー」も安くなった砂糖から生まれたのです。自然破壊(しぜんはかい)と奴隷労働(どれいろうどう)からヨーロッパ大衆文化(たいしゅうぶんか)は生まれたといっていいでしょう。大航海時代の先駆さきがけをきったポルトガルの人口は、わずか110万人ほどでした。ヨーロッパの人口も大したものではありません、その人達のために自然破壊は行われ、奴隷が働かされたのです。

切られた貴重(きちょう)な木(コクタンなどの)は本国(ほんごく)に送られ、家具(かぐ)や他の資源(しげん)として使われました。そのほかは、まきとして燃やされました。日本の屋久島(やくしま)のように広大(こうだい)にあった原生林(げんせいりん)は消え失せ、サトウキビの畑になりました。ポルトガルに始まり、オランダ、フランス、イギリスで島のプランテーションはできあがりました。

森を追われたドードーは、森を求め逃げ回りました。サトウキビの畑の労働者としてインドや植民地(しょくみんち)となった国から奴隷が何万、何十万とモーリシャス島に連れてこられました。その人達の食料(しょくりょう)のため豚(ぶた)が、またペットの犬やサルが持ち込まれ「ドードーの卵」を食べました。住む森を失っただけでなく、追いつめられたドードーの卵さえ奪われたのです。最後のドードーがどこでどのように死んだのか、誰も知りません。

島全景
  モーリシャスの人々写真 モーリシャスの人々 学生写真

上の写真は原生林の杉。

右の写真は、モーリシャス諸島の遠景、モーリシャスの人々。(写真 検見崎 誠氏 無断転載禁止)


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