ー古い資料で見る ドードーは日本の長崎にやって来たのかー


   創元選書『 鳥 』内田清之助著 創元社発行 昭和17年(1942年)刊
      目次ー3. 絶滅した鳥 ドド、エピオルニス、モア、大海雀、渡り鳥、

 『モーリチアス島はポルトガル人が往ったり来たりしていたが、1598年にオランダ人是れを占拠し、オランダ領になった。ドドは1638年、チャールス一世の時代にロンドンへ渡ったが、これが欧州に紹介された最初で、物珍しさから忽ち倫敦ッ子の視聴を集めた。その後、この鳥が死んで剥製になり、オクスフォードの博物館に所蔵されて居たが、1775年に此の鳥がボロボロになったというので、惜しくも廃棄処分に会ってしまった。然し幸ひ、その時の頭と右の脚だけが保存され、今でもそれが残って居る。尚、さういふ遺物的なものは其他にも各所に多少残って居るが、完全な骨格はケムブリッヂに一個、大英博物館に一個、パリーに一個を存する。また当時の絵画も、なかなか立派に写生されたものが数枚、諸所に保存されて居るが、その中の一枚は、我が蜂須賀侯爵が所蔵されている。蜂須賀侯爵によると、面白い事には、その時代に生きたドドがモーリチアス島から日本へ積出された記録があるそうだが、勿論、この鳥は遺憾ながら日本へは到着せずに終わったらしいのである。』(同書から)

どうやら、内田氏は「ドードーが日本に来たらしい」と言うことを蜂須賀侯爵の資料から得たようである。その資料はあるのか。確認は出来ていない。

国立国会図書館に所蔵されている蜂須賀侯爵の本 
  タイトル『The dodo and kindred birds; or, The extinct birds of the Mascarene Islands.』ページ数200ページ以上。この本には、上記の記述はないようだ。蜂須賀正氏について 

ドードーは日本にやって来たか、私見……
 
  唐船であれ、東インド会社の帆船であれ、日本にドードーを持ち込むのは確立が低いのではないかと考える。

理由−1、オランダよりモルッカ諸島やインドに向かう帆船は、モーリシャス島に立ち寄り水や食料を積んだが、ごく初期の頃を除き、島に入植した人間が多くなると山羊や豚などの飼育も始まり食料事情も良くなった、そのため食料としてのドードーを積み込むことは少なくなり、モルッカ諸島へ向かったであろう。

理由−2、モルッカ諸島やその周辺から日本に向かったオランダ船は、経験から日本人は美しい鸚鵡(オウム)やインコ、孔雀などが好みであり、ドードーのように珍奇だが美しくない鳥は、購入しないと知っていた。私は日本には来ないと考える。下は日本に入った南洋の鳥。
写真 鳥
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緋音呼 あかいんこ

  天明年間に唐から長崎にもたらされた。梅園禽譜・幕臣毛利梅園の著作で、この図を含めて合計131品の水鳥と陸鳥を収載しています。(参照・国立国会図書館資料)

写真 鳥
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ドードーが日本に来たという資料は見つけることが出来ない。

筆者の別ホームページ 江戸の鳥・魚・獣図譜ページをご覧下さい。

↑「八頭 ヤツガシラ」ブッポウソウ目ヤツガシラ科 南アジア、

  日本にはまれに旅鳥、冬鳥として見つかる。画中に安永7年(1778)、河野通明が実物の鳥を生写とある。『奇鳥生写図』は浜町狩野家が所蔵していた図を河野通明ほかの絵師が転写したもので、全54図を収載します。優れた図が多いのが特徴です。
(参照・国立国会図書館資料)


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