香辛料交易の歴史
《香辛料の歴史 古代からマルコポーロまで……》


古代から中世まで歴史
 
  香辛料は古代から貴重品として知られていた。12世紀頃には、すでにスパイス(espice) と言う言葉が使われていた。しかし、その原産地は未知のベールに包まれており、遙かに遠くのオリエントから来ることは知られていたが、詳細は不明で神秘的な伝説の域を出なかったのである。 
交易ルートは2つ、海上と陸上の道である。
  中国と西方世界の交易は、紅海を経由して行われた。アデン(アラビア半島最南端の港湾都市(現在はイエメン民主人民共和国)から来た船は、オリエント産の品物を積み込んで、紅海をへてアレクサンドリアに運ばれた。ヴェネツア人はここから品物をヨーロッパへ持ち込んだのである。
陸路ではインドからカーファ、タナ、アジャゾをへて運び込まれた。この商品はラクダなどの隊商でアララト山を経てエルズルム(トルコ東部)からアジャゾに運ばれた。もう一つのルートは、インドの都市カムベイからインダス河を経てカスピ海を渡り、アストラカンからコーカサスの麓を経てアフゾ(ロシア南部)に着いたのである。

シルクロードに始まる香料交易
 シルクロードとは、地中海やイラン諸国と中国と結ぶ陸路の路であった。この路は5000キロ以上もあり、ほとんどが険しい山岳地帯や寂しい砂漠地帯の道であった。
 しかし、現在考られるような貨物 輸送としての重要性はなかったと言われている。シルクロードは、細々とした交易とアレキサンダー大王の後継者(キリストの宣教師)や仏教伝導師が通う「巡礼の道」であった。むしろ伝説的な輝きが人々に強烈なイメージを残したのである
(株)同朋社より

イスラムの香辛料の取引風景
 「香料博物事典」山田憲太郎著

《中世 香辛料の道……十字軍がヨーロッパに香辛料をもたらした》


ローマ帝国の頃には、陸路や海路によりインド産の胡椒(こしょう)が輸入されていた。その後、七世紀にはイスラム教の勃興により西アジアは胡椒の大消費地になっていた。 イスラム商人はインドのアラバール海岸を胡椒海岸とよび、西アジアと中国に大規模な交易をおこなった。

聖地奪還を目指した十字軍(11―13世紀)の遠征は、ヨーロッパ人の嗜好(しこう)に大きな影響をあたえた。遠征に参加した騎士達は、直接イスラム圏の文化や生活様式を見たり、違う食物を味わった。胡椒をはじめ、香料の香りと薬効は大きな衝撃となって、以後、香辛料へのあこがれが増大した。また、アジアのモンゴル帝国からの交易もはじまり、色々な品物がヨーロッパにもたらされ始めたのである。

 13〜14世紀にはヨーロッパのアジア交易の中心は、イタリアのベネチア人とジェノバの商人たちであった。交易ルートは東ローマ帝国の首都コンスタンノープルを中継地として運ばれていた。1453年のオスマン・トルコによる東ローマ帝国の滅亡は、交易ルートの断絶であり、支配者の交代は通過税の高騰を招いた。そのために交易量は極端に少なくなった。

いちど香辛料を味わったヨーロッパは、どうにかしてイスラム商人を経ずに香辛料を手に入れたいと熱望した。この流れにいち早く反応したのがポルトガルである。




《中世社会での香辛料の価値……》


香辛料は極めて重要なものであつた。しかし、蛮族の侵入やアラブによる征服のために、手に入りにくい珍奇なものになってしまった。十字軍遠征の最後には、香辛料の原産地がどこかということさえ忘れさられてしまった。 コショウ(胡椒)はヴェネツア人に「天国の種子」と呼ばれるほど価値の高いものとなった。中世ヨーロッパでは香辛料の中でコショウがもっとも高かった。香辛料は祝祭日、結婚、新年の贈り物などに用いられた。貢ぎ物はしばしば香辛料として徴収された。
          (「香辛料の世界史」リュシアン・ギュイヨ著 白水社)


何故、中世の社会は香辛料を狂気のごとく求めたのか。その答えは『香料を求めた中世ヨーロッパの食生活』にあります。

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