ドードーの百年

 ヨーロッパ人によるドードーの発見(歴史)》

  
文字(文献)に記載されたドードーの発見
  オランダ艦隊の航海記が最初である。歓待の司令官フォン・ネックは動物にもふれている、『それに大型の鳥がいる、それは白鳥より大きく、頭がおおきくて、その半分は皮膚のような頭巾で被われている。これらの鳥は翼がなくかわりに黒っぽい羽根が3,4本生えている。尻尾には細長くて湾曲した灰色の羽根が数本まじっている。 我々はそれをワルック フォーゲル(walckvogelt)(いやな鳥)と名ずけた。なぜかというと、煮れば煮るほど硬くなり、ますます食べられなくなるからである』と書いてある。これがドードーを食べた最初の記録である。
「フォン・ネックの航海記」(1598年9月の記載)より

 この航海記はオランダに帰国したファン・ネック提督により、テオドール・デ・ブリーから1601年に出版された。文章による初めてのドードー記録となり正式なドードー発見年代は1598年とされた。 下の写真は海から見た現代のモーリシャス島である。


地図イラスト モーリシャス島写真
地図 白い地図工房著作権

ボタン 〈モーリシャス島の発見……前編〉  

初のモーリシャス島の発見者はアラブ商人
  1500年頃の地図には、島がアラビア語で記載されていた。人が住むことはなかったが、ときどきアラブ商人やマレー人達が休息のため船で訪れていたらしい。

1507年
  マダガスカル島から東方に向かって航海していたキャプテン・ディアゴ・フェルナンデス・ペレイラは、小さな火山島を発見した。これがヨーロッパ人によるモーリシャス島の発見であるが、彼らは食料や水を補給しただけで島に住むことはなかった。

1512年
  ポルトガル人航海者ペドル・マスカレニャス(ペドロ・マスカレーナス)が島を訪れた。彼が自分の名前からマスカリーン諸島と名ずけた。一番大きな島にセルネ、次の島にマスカレーニャス、小さな島にロドリゲスと名付けた。この時以後、ポルトガル人が島に住み着き、ヤギやニワトリを持ち込んだらしい。当然、彼らはドードーを見ているはずであるが何の記録も残されていない。

1598年3月
  オランダのアムステルダムを出港したオランダ人ヤーコプ・コーネリアス・ファン・ネック大将の率いる遠征隊が、出発から6か月後にモーリシャス島にやってきた。この遠征隊はのちに『オランダ東インド会社』創設となる歴史的航海で有名となった。
食料や水の不足に悩んでいた彼らの前に、緑豊かな火山島が姿をあらわした、彼らはすぐに上陸した。この時、島は無人であったが、すでにオランダ人たちは島を家畜類の牧草地および繁殖地として、また自生の動物の肉の供給地として利用していた。

 ファン・ネックが時のオランダ提督モーリッツ伯爵に敬意を表して、島をモーリシャス、レユニオン、ロドリゲス島と名ずけた。参考ファン・ネックの航路図 モーリシャス島地図

ボタン1601年に出版された『ファン・ネックの航海記』から……
 彼は島を見た最初の印象を『この島は非常に高い山岳地で、山の大部分が鬱蒼たる原生林で覆われている。土地そのものは、石ころだらけであるが非常に肥沃で、原生林がびっしりと生え、ほとんど踏みいる隙間のなく生い茂っている。この原生林には黒檀が見いだされるが、これほど見事な黒檀はここ以外にはあるまい思われる。コールタールのように黒く、骨のようになめらかである』と書いている。      次のページにつづく

この絵は1601年に出版された、オランダのファン・ネック提督の航海記に掲載されたイラストである。ドードーは、左側の真ん中あたりに描かれている。『探検の世界史 香料と財宝を求 めて』ウィリアム・ネーピア著(株)小学館によれば、オランダの開拓風景を描いたものであるという。

イラスト

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