《アンダマン・ニコバル諸島の歴史…マルコ・ポーロの東方見聞録より》

アンダマン・ニコバル諸島は『東方見聞録』で、第六章 南海経由の帰国航路で
ネクヴェラン島(翠藍島)として紹介されている。


『ジャヴァのランプリ王国をたって北方に約150マイル航海すると双子島に着く。その一方をネクヴェラン島という』(東方見聞録)、これがアンダマン・ニコバル諸島である。地図で見ると、大ニコバル諸島、ニコバル諸島と記載されている。マルコポーロが特定の島を指したのではないらしい。

『住民の間に王をいただくこともなく、まるで獣類のような生活をしている。』『いたる所に貴重高価な樹木が生い茂っている。紫壇・白壇を始め、ここでは、《ファラオの胡桃》と称せられているインド胡蝶・蘇木そのほか各種の貴重な樹木である』とあり、次にアンガマン島(アンダマン諸島)に向かっている。

『右の双子島をたって、西方に100マイル航行すると、アンガマン島(曼陀蛮国)という豊ぎょうな巨島に着く、住民の間に王もなく、すべてが偶像教を奉じ動物さながらの生活をしている。中略 住民は嘘いつわりではなく全くほんとうに、頭も歯も眼もが犬に類している。頭部は特にそれがはなはなだしくて、まるっきり猛犬そっくりである。この島には香料が豊富に産出する。土人の性情は非常に残忍で、人を生け捕りにすれば、それが同種族人でない限り、すべてそれを食ってしまう』と記載されている。
 この島は、中国の唐代から知られている、マルコポーロも聞いていたであろう。マルコポーロは帰国時にこの航路をとってはいない、前に使節としてインド洋を航海したときの事を挿入したものらしい。また、話を面白くするためか、裸族を犬にそっくりな人間としてしまった。(参考 『東方見聞録 第2巻』東洋文庫 六章ナンバー188 平凡社 昭和53年発行)

ニコバル島も命名はマルコポーロである。裸を意味する「ニコベラン」からである。それがポルトガル宣教師により「ニクバル」となまって発音されたのである。
 どちらの島も18世紀からイギリス領で、インドやビルマの反英活動家や凶悪犯の流刑地として利用された。
第二次世界大戦中は日本軍が占領して激しい戦いがあった。日本本土防衛のため他のインド洋の島々と同じく、最後に日本からの補給を絶たれ、悲惨な最期を遂げた。戦後、太平洋上の島の戦いは知られているが、インド洋での戦いはあまり知られていない。
現在、アメリカや欧州人には、海の美しい観光地でダイビングの島として知られています。
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