Abyss-Diver

Abyss-Diver scenario #0
" the Xeno's Fortress "





『異端なる刀使い』  written by 絵空翔


 その少女と少年は、異形の物体に追われていた。少女のほうは、凡そ七、八歳といったところか。
 緑色の長い髪に、エメラルドグリーンの丸い瞳に涙を溜めながら、
ピンク色のワンピースの裾を気にせず少年に腕を引っ張られて必死に走っていた。少年のほうは、少女と同じくらいの年齢だろうか。金の髪に不似合いな黒い瞳を宿していた。クリーム色のTシャツに黒いズボンをはいて、少女の腕を引っ張りながら懸命に出口目差して走っていた。

 日の光がささない、地下居住区の更に下。おそらくはこの地下居住区の生産ラインであろう工場のような作りの所を二人はとにかく走っていた。後ろから追いかけてくる異形の物体は、辛うじて人間の形のような形はしているものの、全身鉄で覆われていて、旧時代の生産ライン防衛ロボットなのであろう。だが長い間使われていなかったせいか、鉄の装甲ははげ落ち、中からコードやら何やらが覗いている。それよりそれを「異形の物体」に見せているのは、頭部らしき部分に付いている腫瘍のような物体である。それは見るからに何故か電子部品でできているロボットの電子頭脳と融合している。
 どれくらい追い回されていたのだろうか、少年と少女のほうは息をあげていた。エネルギーさえあればほぼ疲れを知らないロボットとは違い、まだ未発達の小柄な子供だ。疲労という見えない鎖が体を蝕み――ついに、少女のほうが倒れてしまった。
「ミリアル!しっかりしろ!」
 少年が少女に叫ぶ。どうやら足を捻ったらしく、少女は立てる状況ではなかった。そこへ、少女と少年を追い回していたロボットが近づいてくる。人型のロボットは目の代わりに取りつけられたカメラレンズを音を立てて少女に向けると、鉄製の己のハンドアームで少女の首を掴んだ――かのように見えた。

 ロボットが少女の首に振れる前に、ハンドアームが動くより速い速度で、「何か」がきらめき、そしてアームを切り落とした。何が起きたのかとロボットがカメラレンズを動かすより速く、また「何か」がきらめき、今度はロボットを各パーツごとに切り分けてしまった。それから、ロボットの頭部に寄生していた腫瘍がほんの少し蠢いてから突然発火し、完全な灰になるまでそう時間はかからなかった。
 やがて、少年は自分と少女の他に誰かいる気配を感じて、視界の端で何かが光ったほうへ顔を向けた。そこには、長い金の髪に、長い刀を持った、灰色のコートを羽織った青年が立っていた。青年は刀をしまうと、少年の方へ向いてこう言った。
「…無事、のようだな。」
 その声は低く、冷たく、けれど優しい声に少年の耳には聞こえた。

Abyss-Diver 〜異端なる刀使い〜

 「地下居住区再生計画」が政府から発令され、それに伴って居住区の異形な生物や暴走ロボットを排除し、賞金を得る「ダイバー」が現れてから早五年の歳月が過ぎようとしていた。世界は百億という異常な数の人間を抱え、土地は枯れ果て、人々は滅亡への道を歩まんとしていた。それを解決するために政府が打ち出した計画が、過去に破棄された地下居住区の再生とそこへの移住。これ以外に人類生存の道は残されていなかった。
 だが、いくつか問題が発生した。地下居住区は破棄されたものの、そこに残っていた防衛用ロボットが主を失い暴走し、またかつて研究されていた異形の生物たちが繁殖し、蠢いていたのだ。
 百ある地下居住区の異物排除に兵力を投入できるほどの余裕は政府にはなかった。それほどにまで、荒んだ世の中なのだろうが。そこで、政府は異形の生物や暴走ロボットに賞金をかけた。「賞金首制度(バウンティ・ヘッドシステム)」と呼ばれるものである。危険なものほど高額に設定し、それを排除したものに賞金を与えた。やがて、その賞金目当てに戦争後行く宛のなかった兵士や傭兵が数多く集まった。それらを居住区で暴れさせないために政府は彼らに「登録制度」を強制させた。それからギルドが出来、武器を売りさばく商人もでてきた。ダイバーではない人々は危険な地下居住区へ潜って賞金を得るダイバーたちに畏怖の念を込めてこう呼んでいた。「アビスダイバー」奈落へ潜るもの、と。
 ダイバー達は賞金目的で戦うものが殆どだったが、中には名声を求めて戦うものや、あるいは異形の生物に対して復讐という名目で戦いに身を投じるものもいた。

 「最強のダイバー」とダイバーの間では名を知らない者がいないほど有名なダイバーであるカイゼル・アクシリオスも、そんな一人だった。本来ダイバーとしての平均寿命は1〜2年と言われているが、それを遥かに凌駕し若くして「最強」の座についた伝説のダイバーとしてその名を知られているCLASS/MYST-BLADE、ランク/ベテランのダイバーだ。そんな彼の本当の目的は賞金ではなく、人間が生み出してしまった「異形なる異端者」をこの世から抹殺するためであった。
 彼の追う「異形なる異端者」は、地上には姿を現さない。数多くの「同胞」を生み出してから、地上に這い出してくる。「異形なる異端者」が地上に出てきた日には、おそらく人類が、いや、世界が終わる日なのだろうと、彼は思っていた。別に彼は「世界を守る」とか、まして自分を異端者だとけなしてきた「人類を守る」なんていうことはしようとは思っていない。
 ただ、過去の復讐がしたいだけ。
 ただ、二の舞を出したくないだけ。
 それだけの理由のために、彼は刀を振い続けた。乗り越えてきた地下居住区域――「アビス」は数え切れない程あった。

 カイゼルは今、使用許可が下った地下居住区の一つ「Abyss#45」ヘ来ていた。ギルドからの依頼で一人怪物の掃討作戦にきたのだが、もちろんその理由は「異形なる異端者」を排除するため。ここでの目撃情報があったのだ。
 だが、ここに来て彼はある問題に打ち当たった。まず、使用許可が下ったせいで居住区エリアに人が住んでいること。移動させればいいのだが、一度居住区への入居が許されてしまったため、他に移動するにも移動できない事態に陥ってしまい、結局そのままの状態だった。彼が一度「異形なる異端者」の一体を倒した地下居住区――最も危険とされているアビスのひとつ「Abyss#0」では、居住区にもモンスターや暴走ロボットが存在し、ダイバー以外の一般人は居なかった。人が住んでいるという事は、用意に出入りができない上に、居住区の下――生産プラントと呼ばれている工場地帯と、放棄された研究地帯、そしてアビスを制御しているメイン・コンピュータルームで無茶な戦い方ができないということ。
 次に、政府の兵士であるCLASS「SOLDIER」の存在。彼が居住区へ帰還するごとに下の様子はどうだとか、何なら他の奴に変えてもいいぞと無駄なことばかり言うくせに、何もしないただの警備担当にうんざりしていた。
 そして何より彼にとって邪魔な存在だったのは、好奇心旺盛な子供だった。居住区は地下一階から地下三階まであり、その下の生産プラントまでは一応安全地帯なのだが、そのせいで子供達にとっては格好の遊び場となってしまっているのだ。時折、危険だと判っていながら更に下の生産プラントまで探索気分で赴いてしまう子供も居た。
 見過ごすわけにも行かず、彼は生産プラントへ降りてきてしまった子供を見つけると、すぐに子供たちを連れて地下居住区へ戻っていた。そのせいで、なかなか奥へ進めなかった。腑抜けな警備兵士達に何度も子供を降ろすなと忠告しても、子供達はちょっとした隙に降りてきてしまう。痛い目にあっても、何度も降りてくるのであった。
 今回カイゼルが助けたミリアルと言う少女と、アクゼフという少年もその一人であった。過去にも三度、似たような境遇に陥ったにもかかわらず相変わらず生産プラントへ降りてくるのだ。
「ありがとう!助かったよ天使さん!」
 あれ程死ぬような思いをしたにもかかわらず、少年――アクゼフは、元気よくカイゼルにそう言った。アクゼフがカイゼルを天使と呼ぶのは、危険なところに降りてしまった子供を必ず助けてくれる優しい天使なのだと子供たちの間で言われていたからだった。
 だが、カイゼルは何も言わなかった。いつもなら「これからは気をつけろ」とか、「二度と助けてやらないぞ」とか、何か一言は言っていたのだが。かわりに、彼からほんの少しだけ出ている殺気が、彼がどれほど怒りに満ちているかを少年と少女に判らせた。居住区の入口までカイゼルは二人を連れてくると、警備兵に二人を手渡し、再び生産プラントへと姿を消した。

 先程まで二人の子供が居た生産プラントへ再びカイゼルが足を踏み入れると、待ち伏せていたかのように数多のロボットが襲いかかってきた。その全てが頭部に赤い腫瘍のようなものが融合しており、今度はロボットのアームではなく、腫瘍からの触手攻撃がカイゼルを襲った。だが、触手はどれもカイゼルにとどく前に全て切り落とされ、更に腫瘍は見えない速さでカイゼルが振った刀によって全て切り刻まれてしまった。
 それからカイゼルは、腫瘍に手を差し伸べた。その手の先から赤い光が発したかと思うと、次の瞬間にはロボットに取りついていた腫瘍が全て燃えつきた。カイゼルが用心のため腫瘍を燃やすのにはわけがある。赤い、機械と融合できる腫瘍は、彼が追っている「異形なる異端者」の一部であるからだ。それらは切られても、放っておけば寄り集まり、再生してしまう。完全な灰にしておかないと、逆に殺られてしまうのだ。
 余談だが、この世界では今カイゼルが行ったような「魔法」―フォースという力を扱えるものは限られている。それを扱えるのは、「ネオ・ヒューマン」と呼ばれる、超能力を使えるよう受精卵の内に遺伝子操作され、生み出された人間の、更に女性だけしか使えない力である。その「ネオ・ヒューマン」は独特の長い耳を持つとされているが、長い耳をもたない上に、女性でないカイゼルはその力を扱える。それについては、機会があったら語ることとしよう。とにかく、カイゼルは他者にはない特別な力と、そして人間離れした身体能力を有する故に、若くして最強の座につけたといっても過言はないだろう。
 余談が過ぎてしまった。話を戻そう。

 今まで幾度となく潜ったため、粗方アビスの施設はカイゼルによって直され、使えるようになっていた。カイゼルは地下直通エレベータにパスワードを入力すると、足早にそれに乗り込み、最下層を目ざした。最下層には、アビスを制御するメイン・コンピュータが設置されている。彼が捜す「異形なる異端者」は、同胞を増やすため、まず生産プラントをも操れるメイン・コンピュータルームと同化する。「異形なる異端者」の厄介な能力の一つである、どんな物とも同化できる能力だ。それから「異形なる異端者」は自らの細胞から、生産プラントでクローンを作成する。それが充分な数になれば、異端者は地上へ這い出し、世界中に悪夢を見せるだろう。
――その前に、止めなければならない。
 カイゼルは、強く拳を握った。このまま最下層まで「何事もなく」行ければ、彼はすぐに異端者と戦うつもりだった。だが、それはあっさりと破られてしまった。大きな衝撃と共に、直通エレベータが止まる。それと同時に下から何かが這い上がってくる気配を感じたカイゼルはエレベータの天井を刀で切り、荒々しく開けると、信じられない脚力で飛び上がった。
 だんだん上昇する速度が落ちていくのを感じ、カイゼルは大抵設置されている緊急避難用梯子に手を掛け、次に足をかける。体制が安定したところで下を覗く。三、四階分は上がっただろうか? 下方に見える先程までカイゼルが乗っていた箱型の物体は小さく見えた。それに、わさわさと赤い触手が絡んでいく。触手に箱が取り込まれるような光景が見え――カイゼルが居ないことに気付いたのだろう、一本の触手が上方のカイゼルを目ざとく見つけ、触手が束になってカイゼルに襲いかかる。舌を打つと、カイゼルは真正面に見えるドアを己が持つフォースの力で吹き飛ばす。そこへ移動したときには間一髪、先程までカイゼルが居たところに赤い触手の束が巻きつき、見る見る鉄製の梯子は触手に「喰われて」いった。「異形なる異端者」に存在を嗅ぎつけられたのだ。生産プラントに居た腫瘍とはまるでわけが違う。ただ食らい、成長するだけではない。意志を持った本体が、邪魔物を排除しようと動き出したのだ。
 カイゼルが今居る階は、かつて政府の研究が行われていたであろう研究施設プラントの階であった。彼が想像していた通り、クローン培養管らしき太いガラス管の中には、赤い腫瘍が蠢いていた。「異形なる異端者」のクローンである。それに目もくれず、彼は培養管の間をくぐり抜けて、階段へ急ぐ。階段が見えたところで、彼は刀を抜き放ち、触手を切り刻んでいく。やがて、本体から切り離されたのだろう小型の「異形なる異端者」が姿を現した。一つ目の、足も手もない、肉塊から触手が生えている姿は、まさに異形の存在だった。
 小さな「異形なる異端者」はカイゼルを「喰う」のではなく排除しようと、触手の形態を刃物に変えて襲いかかってくる。目にもとまらぬ速さで攻撃してくる触手を、更にその倍の速度でカイゼルは切り刻んでいく。普通ならば、容易い敵だった。だが、そこへ予想もしなかった第三者が現れた。
「――天使の兄ちゃん!?」
「!?」
――しまった、この上は生産プラントか!!
 先程助けたミリアルやアクゼフとは違う、別の子供が階段の上に居た。だが、小さな異端者はまだ子供には気付いていないらしい。悟られぬように、彼は「異端者」に攻め込む。小さな「異端者」が彼を喰おうとしないのは、おそらく本体が同胞から彼の情報を得ているからだろう。「Abyss#0」で倒した「異形なる異端者」の一体が今だ他のアビスに寄生している同胞に情報を流すのはそう難しくはないだろう。彼はそう推測しながら、五月雨の如く襲いかかる触手を切り飛ばしていった。やがて、一瞬だけ触手がひるんだ。それを彼は見逃さず、すかさず小さな「異端者」の本体とも言える肉塊を切り裂く。勝負はついた――かのように見えた。
 だが、小さな「異端者」は、彼が想像していたよりも遥かに上回る生命力で、再生しようと触手を蠢かせ、いつ気がついたのか、階段上の子供にその狙いを定めたのだ! 咄嗟にカイゼルは子供に食らいつこうとした触手を追いかけ、触手より速い速度で子供の前に達はばかり、自ら餌食になった。
「くっ」
 苦痛の声が漏れる。右腕に巻きついた触手は、そこから彼を「喰おう」と内部に根を下ろそうとする。
「天使の兄ちゃん!」
「私に構うな!! 居住区へ走れ!!」
 少しためらったものの、もう一つの上り階段へ子供が駆け出したのを見て、彼は再び「異端者」の方へ視線を戻す。多少の傷を覚悟して、右腕を触手から引き抜こうとする。だが、ほんの少し根の進行を緩められただけで、引き抜くことはかなわなかった。その間にも、右腕に気を取られていたカイゼルに触手が数本襲いかかる。逃げられないようにするためか、足に触手が巻きつく。身動きが取れなくなったカイゼルに、追い打ちをかけるかの如く触手が巻きついてくる。
――まずい!
 このままでは、ヤツの思うがままにされてしまう。そう悟ったカイゼルは、全神経を集中させ、体内に眠るフォースを一気に開放し、自分にまとわりつく触手を発火させた。更にそれだけには留まらず、小さな「異端者」の本体にも灼熱の炎を着火させる。それだけで、小さな「異端者」は彼から触手を放した。触手に着火させたせいで、体内に張り巡らされていた触手の根まで発火し、カイゼル自身もかなりのダメージを受けていた。だが、引き下がろうとする小さな「異端者」を葬るため、彼は残り少ないフォースを刀に上乗せし、一つ目が付いている小さな「異端者」の肉塊でしかない胴を切り裂いた。もはや再生することも叶わなくなった小さな「異端者」は地面に融けるようにして消えていった。油断し、大ダメージを食らったカイゼルもまた、フォースの使いすぎと、「異形なる異端者」に浸食されたあとに必ずなる疲労状態によって、その場に倒れ込んだ。

 閉じゆく瞳に、妹の影が映ったような気がしながら。



 彼は闇の中をさ迷っていた。
 覚えているのは、小さな「異形なる異端者」を倒した後、自分も倒れたこと。
――自分は喰われたのだろうか?
――あるいは、死んでしまったのだろうか?
 彼にとっては、「異形なる異端者」に喰われるよりは、死んだほうがましだった。「異形なる異端者」に喰われたものは、意識は残りつつ体は言うことを聞かず、ただ「異端者」の思うがままにされてしまうのを、彼は自分の目で見ていた。だが、長年取り込まれ続けていたものは、意識まで乗っ取られてしまう。二度も「異形なる異端者」と対峙した彼は、他の誰よりもその事を知っていた。
――寒い。
 途端、彼はそう思った。
 闇の中で、なぜかはっきりと自分の姿は見えた。いつも通りの装備をしている。なのに、ここは寒かった。
――やはり、黄泉の国へ来たのだろうか?
 彼がそう思った、その時だった。

『兄さん』

「――…?」

 自分以外の、それも、少女の声が聞こえた。それは、聞き覚えのある声で。

『戻ってきて、兄さん』

「――…リズ…ニア…?」

 白い吐息を吐きながら紡いだ言葉が、彼が闇の中で呟いた最後の言葉だった。



 気がつくと、カイゼルは自分の居たアビスの居住区と思われるベッドに寝かされていた。四方八方、白塗の部屋。シーツも白ければ、カーテンも白い。質素な部屋に置かれているのは自分の眠るベッドと、ちょっとした棚と、それから点滴台だった。見るからに点滴は自分の腕に付けられていて。量から察するに、先程付けるか取り替えるかしたのであろう。そう、カイゼルは居住区の病院に搬送されていたのだ。
 だが、彼はそこで疑問に打ち当たった。アビス内でたとえ自分が失踪しようが死んでしまおうが、兵が助けに来るはずはない。自分のようなダイバーの補充はいくらでも可能なはずだ。ならば、誰が―――?
「気がついたようだな」
 ふと先程まで開いていなかった扉のほうに視線をやると、そこにはサングラスをかけた黒い短い髪の青年が壁にもたれかかるようにして立っていた。見覚えのある緑色のボディアーマー。背には大剣を背負い、腰には左右一丁ずつの銃。
「…貴様…ヴェルナーか…」
 口にした途端、鮮明によみがえる記憶。
「Abyss#0」で、「異形なる異端者」を倒すために初めて彼が組んだダイバーが、CLASS/FIGHTER、ランク/ベテランのヴェルナーである。
 サングラスをかけた顔が、カイゼルへ向く。
「…リズニアに感謝するんだな。」
 ヴェルナーのその言葉に、カイゼルは顔をしかめた。
「居るのか」
「今はいない。…花を買いに行っている。」
「何故」
「聞くまでもないだろう」
 単調な会話が紡がれる。ヴェルナーが多くを語らずとも、頭の回転のいいカイゼルには何故彼がここにいるのかという理由まで判っていた。
「…政府はよほどダイバーを信用しないらしいな」
「それはダイバー同士も同じことだろう」
 腕組をし、壁にもたれかかる体制でヴェルナーは話す。カイゼルは一度身を起こそうと思ったが、その時右腕に力が入らないのに気付いた。シーツから右腕を出してみる。肩から肘までは簡単に動いたが、肘から下、手首、更には指まで動かない状態だった。
「五日も眠っていたのだから、起きないほうがいい。それと、そこが一番浸食が激しかった箇所だ」
 滅多に喋らないはずのヴェルナーが、今日はやけに喋るのにカイゼルは少し不気味だと思った。
「そこだけで済んだのは幸いだったな。…アレックスのようにならずにすんで。」

アレックス。

 それもカイゼルには聞き覚えのある名だった。ヴェルナーの「無二の親友」とも言えるべき存在であるアレックスは、カイゼルが目の当りにした二人目の「異形なる異端者」に喰われた者だった。幸い、喰われてから助け出されたのが早かったお陰で、カイゼルが見た一人目のように、意識までは乗っ取られていなかった。だが…
「残念だが、生きてはいるぞ。」
 カイゼルの考えを読んだのか、彼の思考を遮るようにヴェルナーは言った。
「ただ、全身浸食された上に長かったせいで衰弱が激しくてな。…ようやく立てるくらいになったそうだ。」
「…そうか」
 視線をヴェルナーから外し、天井を見上げて、カイゼルはらしくない、と思った。いつからだろうか、他人の心配などするようになったのは。今までは、他人の心配などするだけ損だと思い、しなかった。それが――何故?
「…来たみたいだな。」
 その言葉に、カイゼルは再びドアの辺りに視線を向けた。ガチャリ、とノブが回され、花束を抱え息を切らせているカイゼルと同じ金色の髪の少女が入ってきた。
「あ…」
 息を切らせ、汗を額ににじませながら、少女はカイゼルに視線を向ける。そして少女は、本来言いたい言葉を一瞬だしそうになり、それがいけない事とわかっているから一度口をつぐんで、いつものような言葉をカイゼルにかけた。
「目、覚めたみたいね――…カイゼル。」
 無事でよかった、兄さん。少女が言うのとほぼ同時に、少女と同じ声色の思念が、カイゼルの頭に飛び込んでくる。
「驚いたわ。ヴェルと一緒に生産プラントに降りたら、男の子がこの先で怪物に襲われている天使の兄ちゃんが居るから助けてあげてって言うんだもの。貴方とは、思ってもいなかったわ。」
 走ってきたのだろうか、まだ息があがっている少女――リズニアは、色とりどりの花束を抱え、それを入れられる花瓶かなにかを探し始めた。それを見ていたヴェルナーが、壁にもたれかかるのをやめ、彼女に近寄る。花束を強引に奪い取ると、「何か器をもらってくる」と花束をもって部屋を出てしまった。残されたリズニアは苦笑すると、棚の近くにおいてあった簡易椅子をベッドに寄せ、そこにちょこんと座った。間近で見なくとも、リズニアがネオ・ヒューマンだと判る。特徴的な長い耳、そしてネオ・ヒューマンには必ずあらわれる「紅い瞳」。どこか幼さを残している顔は、心配そうにカイゼルを覗き込んでくる。
「――アビス#0で」
 話し始めたのはリズニアだった。
「最下層であったことを聞いたわ。「異形なる異端者」――「Xeno」と対峙したと」
「Xeno」。
 それが、本来の「異形なる異端者」の存在を知らしめる名。その言葉がリズニアの口から紡がれると、カイゼルは微かに顔をしかめた。
「ヴェルナーに私から聞いたの。「Xeno」は一体だけじゃないこと、
 奴は何とでも融合できる特殊な能力を持っていること、そして奴の目的がこの星を征服するということも」
 カイゼルとヴェルナーがXenoと対峙したとき、リズニアは一人地上に帰還することを強制させられた。だから彼女はそこで起きた、そこで二人が会話した内容すら知らない。彼女を巻き込まないこともできたはずだ。だが、ヴェルナーはリズニアにその事を知らせた。それは――「兄」がこれから何をするのかというのを知らせるとともに、リズニアはどうする? と、ヴェルナーが遠回しに質問したも同然だった。
「私、仲間はずれにされるのが一番嫌いなの。」
 言われなくても、カイゼルには判っている。
「だから、私――」
「言うな」
 そこで、カイゼルはリズニアの言葉を遮った。
「言ったら、重荷になる。言わなくていい。」
「でも――」
「…どうせ、私が止めたところでついてくるつもりなのだろう」
 図星。リズニアの言葉が一瞬詰まる。
「ならば、言うな。お前の判断で、私についてくるのだ。私はお前がついてくることに反対だ。だが、お前は勝手についてくる。それでいい。」
 途中でやめても、いい。だが、中途半端な思いで付いてくるな。
――私は、昔の私ではない。お前を守れない。
 カイゼルの言葉とともに、リズニアに彼の思念がほんの少しだけ、流れてきた。



 カイゼルとヴェルナー、そしてリズニアは、「Abyss#45」の最下層、メインコンピュータルーム目前の部屋に来ていた。この先は、おそらくXenoの一体がいる。最終チェックをしてから、彼らは乗り込もうとしていた。
「リズニア、大丈夫か?」
 ヴェルナーがグローブをつけ直しているリズニアに低い声で聞く。
「大丈夫。」
 にこ、とリズニアは微笑み返す。その横で、カイゼルは今だに動かし辛い右腕を、リハビリもかねて無理やり動かしていた。
「いいか」
 ようやく握れるようになった右手の拳を握りながら、カイゼルは二人に話しかける。
「この間奴を倒したときと同じだ。ボディに壊滅的なダメージを与え、飛び出してきた核を倒す。…取り込まれている奴はいないとは思うが、居た場合は」
「その人を傷つけないように攻撃するのね」
 リズニアの言葉に、カイゼルと、ヴェルナーも頷く。
「核が出てきたら、ボディは無視して核にに攻撃を加える。リズニア」
 再びヴェルナーがリズニアを呼ぶ。
「適度に回復を施してくれ。」
 こくり、とリズニアが頷く。ヴェルナーは拳銃ではなく、背負っている大剣を抜き放ち、用意する。電子錠を、カイゼルがフォースで破壊する。大きな扉が音を立てて開く。大型モニターがいくつも設置されている暗がりに、その怪物は姿を見せた。

 数時間後、居住区は騒ぎに包まれた。生産プラント、及び研究施設プラントの怪物が一掃されたという兵士達の情報を聞いたからだった。大人達はその情報に喜び、互いに抱き合うものも居た。そんな中、子供達だけは、不安な顔を浮かべていた。今までずっと、自分たちを助けてくれたあの「天使」は帰ってこないのだろうか? 大人達からは「悪魔」とも呼ばれても、子供達は「彼」を「天使」と呼んでいた。それから、天使についていった妖精と剣士。ちゃんと、帰ってくるのだろうか?



 子供達が心配そうに見る階段から人影が現れたのは、それから数分後のことだった。

<終わり>




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