Abyss-Diver

Abyss-Diver scenario #0
" the Xeno's Fortress "







『紅き瞳にうつるもの』  written by 坂上葵


 >shoot him a look
 >viewpoint:RIZNIA

 その男は寡黙だった。
 彼女が話を持ちかけたときも、一点を見つめ、黙っていた。サングラス越しの瞳の先に何があるかは、伺えなかったが。

「……提案を受けに来た」
 彼はこちらへ歩み寄り、それだけ言った。こちらが安堵の吐息をもらしたが、あまり気にしていないようだ。
 今となっては、どうして彼が自分の話を聞いてくれたかは分からない。だが、理由を聞くのも何か馬鹿馬鹿しく思える。
「……ヴェルナーだ」
 名を尋ねたときも、彼は端的に答えるだけだった。しかしもうそのときには、雰囲気から無口なんだなと予想していたから、別段がっかりしたりはしなかった。
 ランクはマスター、クラスはFIGHTER。友人を捜しているという。
 そのとき分かったことはこれくらいで、こちらも別段追求はしなかった。殆ど何も相手のことを知らないまま、その日はダイバー専用の宿泊施設に泊まった。
 ロストヘヴンからの歌声が、その日も響いてきていた。

 一人でファットデビルを処理したダイバーがいる。
 そう聞いたとき、リズニアはまさかと思ったものだった。
 二人がかりでバウンティ・ヘッドを掃討したという話はざらにあるが、Aランクとはいえ大物を処理できるとなると、耳を疑わざるを得ない。
 ひょっとしたら、自分が兄を捜すのを手伝ってくれるかも知れない、と期待した。
 だが、その青年に会ってすぐ、依頼は受けてもらえないだろうと感じた。
 悪意も敵意もまったくなかった。
 だが、生来持っている──とでもいうべき殺気が彼をまとっており、それだけで濃厚な存在感を醸し出していた。だから、彼がロストヘヴンに入ってきたのはすぐ分かった。
 見事なものだった。
 ある程度は自分の殺気をわきまえているらしく、入り口で周りを軽く見渡した(視線のみで、である)。MYSTICであるリズニアだけはそれを確認できた。
 ……いや、もう一人気付いたものがいた。赤いバンダナにサングラス、ひげ面の中年男だ。
 この中年男が入ってきたときも、リズニアはすぐに気付いた。
 雰囲気が違うのである。そのときは、周りのものも一瞬凍り付いた。
 そして、直後にざわめきだした。
 《生還者》の異名を持つJ.D.という男だと、かねて小耳に挟んでいた。
 J.D.というのはJoker of Deathの意らしい。クラスはGUNNER。
 彼から漂ってくる血なまぐささに、リズニアは思わず顔を背けたくらいだった。悪意はないのだが、修羅場をどれほど生き抜いてきたかがよく分かるのだ。
 彼がまとう暗い何かさえも。
 だから、J.D.に声をかけることは避けた。
 ヴェルナーがロストヘヴンに入ってくるとすぐ、カウンターに座っていたJ.D.はわざわざ自分から彼に話しかけた。
 話は聞き取れなかったが、ヴェルナーに何か交渉しているらしい。
 二人が話し終わり、J.D.が席に着いてからも、リズニアはヴェルナーに話しかけるタイミングを失い心中うろたえていた。ある程度の説明は考えていたのだが、それすらも殆ど吹っ飛んでしまった。
 話し終わったヴェルナーは、やっと入り口から店内に入る。
 入り口から真正面にいるリズニアは、彼が自分を避けて通るものだと思っていた。
 規則的な足音が、近づいてきて、止まった。
 ふと差した影に顔を上げると、ヴェルナーが自分の前に立っている。
 ほんの一瞬、リズニアは赤い目を見開いた。
「……言え」
 恐るべき直感力、いや観察力だ。恐らく、自分の方をちらちら見ていたリズニアに気付いていたのだろう。ひょっとして、などというものではなく、当然用があるのだろうという口調だった。
 すっかり消し飛んでしまった説明を修復しながら、リズニアは聡明な頭を回転させた。
「あなたね……
あの『ファットデビル』をたった一人で処理したダイバーって」
 ごく僅かに、しかし確実に、彼が顎を引いたのが分かった。少し安心しながら、続ける。
「私の名前はリズニア。クラスはMYSTICよ。……こう見えてもフォース使いなの。実は……あなたの腕を見込んで頼みたいことがあるの」

 説明を一通り終えると、リズニアは言った。殆ど、単なる希望に近かったが。
「……もし組んでくれる気になったら、
私はここの二階で待ってるから、いつでも声をかけてちょうだい」
 それだけ言うと、半ば逃げるように階段を上がった。部屋のドアが閉まる前に、ちらりと彼の方を伺う。
 視線が何処をとらえているかは分からないが、顔がこちらを向いている。リズニアは慌てて室内に顔を向けた。
 背で、ドアが閉まった。

 >look her in the eye
 >angle:WERNER

 部屋に入ると、小柄な少女は座っていた。足をのばして天井を仰いだその姿は子供のようで、彼女の精神年齢にそぐわないように思えた。そしてその頭の良さにも。
 リズニアはこちらに気がつくと、慌てて着席の体勢を取った。それには構わず、彼女の元へ歩み寄る。
 直立の姿勢のまま、ヴェルナーは口を開いた。
「……提案を受けに来た」
 少女は、何故かため息をついたようだった。肩の力を抜いたため、それにより金髪が動く。
「ありがとう……一人じゃ心細くて、困っていたのよ」
 どうやらため息ではなかったらしい。あまり感情の起伏を感じ取れないヴェルナーは少し困惑した。今まで自分の過ごしてきた環境は、人間関係などとはほぼ無縁の世界だったからだ。
 リズニアが精神的にとても弱っているのを感じ取り、ヴェルナーは一眠りすることを薦めた。

 簡易ベッドなのか、宿泊施設はいかにもぞんざいに扱われているようだった。
 ヴェルナーは慣れているが、疲れ切ったリズニアが完全に回復できるかということの方が気にかかった。
 こういうのを『心配』というのかも知れない。
 自分の生死にしかこだわっていなかった自分が、出会ったばかりの少女に対してそういうことを考えられるのが、不思議だった。
 衛生上、素晴らしくいいとは言えないシーツの中に入ると、すぐにリズニアの寝息が聞こえてくる。
 ヴェルナーはサングラスを取ると、シーツを頭までかぶった。
(自分の顔を見られたくないからである。寝顔であればなおさらだ)
 顔を覚えられないようにする癖が染みついていることに、苦笑したくなる。
 自分の人間味を意識した直後なので、あまり変わってないじゃないか、とか、
何だか少しほっとしてしまった、とか、相反することを思う。
 目を軽く閉じ、闇に身を任せると、ヴェルナーの意識はすぐに消えていった。
 ちょっとした戸惑いと、気まずさだと感じた、照れとともに。

 >give an eye to him
 >viewpoint:RIZNIA

 アビス探索を始めてから4日目。
 一日の探索を終えた二人は、宿泊施設に帰った。
 いつもならロストヘヴンで食事をとり、休むのだが、今日は違った。
 ヴェルナーは、リズニアに一言、
「待っていろ」
とだけ言い残すと、どこかへと去っていった。
 待っていろ、ということは、ここで待っていろと言うことだろう。
 まさか、セクシーなお姉さんと密会なんてことに……。
 リズニアは首を振って、その想像を消した。
 あの堅物に、それはあり得ない。
 いや、でも……。
 せめて、「いつまで」待っていればいいのか言って欲しかった。
 落ち着かない。
「自由行動してもいいって事よね」
 そう決めつけてみると、どことなくすっきりした感じもする。
 久しぶりに、散歩してみようかな。
 星空は、阻まれて見えないけれど。

 気がつけば、リズニアはウォリアーズ・フィールドに来ていた。
 掲示板を見る。
 『    …… 今宵は満月 
     狂乱の宴:ルナティック・カーニバル

         闘技場にて開催 !       』
 縁がないところなので、たまには見ておこうと思った。
 観客席の場所をカウンタで聞き、適当なところへ座る。観客席は四方に別れており、彼女が座ったのは正面に位置するところだった。真ん中の辺りなので、歓声でアナウンスが聞き取りにくい。
『ダイバーたちの闘技場《ウォリアーズ・フィールド》へようこそ!!
本日は、待ちに待った満月!』
 そういえば、先程見たボードにも「満月」とあった。アビスの中にいると月は見えないため、全く実感はない。待ちに待った記憶もない。
 なのに、これほど盛り上がるのはどういうわけなのだろう、とリズニアは思った。
『ベテランダイバーのみで行われる狂気の宴ルナティック・カーニバルです!
このカーニバルは、勝ち抜き戦による連続バトルです!
さぁ! 最後まで勝ち残るのは、果たしてどの選手なのでしょうか!?
では、第1試合です!』
 選手が上がる。
 リズニアははっとした。 
『赤コーナーガンナー「ゼスト」!  ランク・ベテラン!!
対する青コーナー、期待の凄腕ダイバー
「ヴェルナー」! ランク・ベテラン!!』
 歓声が大きくなる。
 いつの間に、ランクを上げていたのだろう。
 それに、彼は一体何のつもりでここに来たのだろう。
 そうこうしていると、試合が開始された。

 リズニアは彼を恐ろしく思った。
 血を流しても、決して倒れない。
 冷静に相手を攻撃しては、勝利を収めていた。
 リズニアには、彼の姿は冷酷な獣のように映った。
 自分はひょっとしたら、そこらのバウンティ・ヘッドよりも怖い人間と同行していたのかもしれない。
『さあ、ルナティックカーニバルもいよいよ佳境に入り、
わからない展開となってきました!』
 リズニアの思考を遮ったのは、ヒートしたアナウンサーの声だった。たまに入るハウリングが癪に障る。
『ヴェルナー選手、ついに決勝進出ですっ!!』
 どうでもいいが、もっと事務的にアナウンスできないのか、と呆れたくなる。
『ルナティック・カーニバル、決勝戦!
青コーナー、無名のダイバーでありながら過酷な連続バトルを勝ち抜いてきた「ヴェルナー」選手!
そして……対する赤コーナーは……』
 足音もなく出てきた人間は、見まごうことなくあの人だった。リズニアは息を止めて彼を観察する。
『おおっと! カイゼルです!
最強の証「ブレード」の称号を持つダイバー、
カイゼル・ザ・ブレードですッ!!』
 周囲の観客が大声を上げてカイゼルを迎える中、リズニアは黙っていた。
 この会場の中でそのような状況にあるのは、彼女と、リング内の二人くらいだ。
 カイゼルがヴェルナーに何か言ったが、リズニアのいる場所までは聞こえなかった。
『両選手、バトルフィールドの中央へ……
では、試合開始ッ!!』
 両者は刃物を構え、静かに睨み合っている。
 ヴェルナーがしなやかな動きで前進したのを、リズニアは何とか見切った。そのままカイゼルに打ちかかる。
 リズニアは、どちらにも傷ついて欲しくはなかった。血を見るのは嫌いだったし、死ぬことはないと思ってはいても、心細くなるのだ。アナウンスも、観客の声も、彼女の耳には入らない。
 一方、リング上の二人は武器を交えたまま、動けないでいた。力は拮抗している。
 いや……カイゼルは本気ではないようだ。
リズニアには、彼の思念が聞こえた。
『……どうした? 貴様の実力はそんなものか?』
 ヴェルナーが飛び退いた。相手はただ者でないと改めて実感したらしく、集中している。
 再び、ヴェルナーは斬りかかった。十文字に斬りつける。
 カイゼルは身をかがめてそれをかわす。
 回避できなかった金髪が数本、きらめいて、落ちた。
『なかなかやるな……大した腕だ。では……こちらも本気を出すとしよう』
 青い光がカイゼルの刀を取り巻いた。観客は気付いていない。気付いても、何かは分からなかっただろう。
 カイゼルは体勢を低くすると、下から斬り上げた。
 ヴェルナーがそれを剣で受け止め、流そうとする。
 流れ出る赤。
 ヴェルナーの皮膚が少し切れていた。誰もが、この無名ダイバーの敗北を確信しただろう。
 ヴェルナーは動かない。
 刹那、リズニアにも見切れない速さでヴェルナーが動いた。たとえ相手に斬り捨てられようとも攻撃は中止しない、決意を持った動きだ。
 全てを切り裂く瞬殺の刃が、カイゼルを襲った。防ぐ間もなく、カイゼルは吹き飛ばされそうになった。
けれども踏みとどまり、彼はヴェルナーを見返す。
 服に大きな裂け目が入っていた。リズニアは、カイゼルが彼を殺してしまうのではないかとさえ思った。 
 ……だが、カイゼルは刀を収めた。
『おおっと!?
カイゼル選手、剣を収めてしまいました! 戦闘放棄でしょうか?』
『審判……この試合、私の負けだ。終了を宣言してくれ』
 カイゼルはゆっくりと立ち去った。結果には興味を持っていない様子だ。
 ヴェルナーはしばらくカイゼルの消えた方向を見つめていたが、やがて何もなかったかのように視線を戻した。
『おおっと! カイゼル選手、敗北を宣言しました!
ヴェルナー選手の勝利です!! 新しいチャンピオンの誕生ですっ!!
ルナティック・カーニバル、優勝者ヴェルナー選手!!』
 優勝賞金と商品を受け取ろうとしたヴェルナーが、こちらに気付いた。
 リズニアは慌てて、出口の方へ向いた。走りだそうとするが、熱狂した観客にもみくちゃにされて動けそうにない。
 やっとのことでロストヘヴンに戻ってきたときには、リズニアは疲れ果てていた。

 帰ってきたヴェルナーは、口にこそ出さないが自分よりも疲れているようだった。
「あ、お帰り」
「………………」
 やっぱり怒ってるのかな?
『待っていろ』って言われたのに黙って出て行っちゃったこと。
 リズニアが覚悟したとき、彼は言った。
「手を出せ」
「…………?」
 ぽい、と投げられたもの。
 それは赤い布の箱だった。
 目でヴェルナーに問いかけるが、答えてはくれない。
「……開けていいの?」
 彼は頷いた。
 携帯用びっくり箱でないことを、彼女は願った。
 恐る恐る開けてみる。
 指輪だ。
「これって……メンタルリング!?」
「そうだ」
 シンプルだが、美しい装飾の指輪だ。
「装備しておけ」
「で、でも……」
「構わない」
 購入するとなるととても高価なものなので、リズニアは気が引けた。 
「探索の緊張とフォースの使用で疲れているだろう」
 言い当てられて、彼女は顔を上げる。
「……うん」
 兄に接しているような気分になって、リズニアは珍しく『うん』と言った。甘えているとき以外は、『ええ』と言うことが多いのだが。彼女の昔からの癖だった。
 フリーサイズの指輪をはめる。
 その指輪は、その日からずっと、彼女の指を飾ることになる。
 ヴェルナーの口元が、かすかに上がった、気がした。

 >keep an eye upon her
 >angle:WERNER

 雨が降っていた。
 自分では気付いていなかったが、不機嫌になっていたようだ。歩くのが速くなりすぎていたため、リズニアが駆け足になっている。それに気付いて、ヴェルナーは分からない程度に速さをゆるめた。
 地下4階を探索していた。
 常人ならば吐き気を催す光景である。リズニアが、視界に気持ち悪いものが入らないようにするためかぴったりとくっついている。ヴェルナーで視界を埋めようとしているらしい。
 時々彼女の様子をチェックしながら、慎重に進んでいく。進みにくさから、彼女をおぶった方が早いのではないかと思う。
 地下4階と地下5階の間を通ろうとしたときだ。
 リズニアが叫んだ。
「ヴェル! あそこ、人が怪我してるみたい!」
 目が『助けてあげよう』と言っている。我ながらどうもこの目に弱い。
 ここへ来た第2の目的は、自分自身をもう一度考えるためと言ってもいい。なるべく人を助けてみようと思っていた。
 二人は、浅い水の中を歩き、怪我人に近付く。
 血だらけのダイバーは3人いた。
 一人は既に死体になっていたが、二人はまだ息があった。リズニアは口元を覆い、目を大きくしている。
「ぐっ……この奥に……女が……助けを……」
「だまされるな……奴には……」
 そう言うと、ダイバー達は死んだ。
「奴? 女? ……これは…………」
 リズニアは何やら訝っているようだが、
『助けを求めているらしい女』が気にかかったため、水を渡った。
「お願い、助けて! 怪物に囲まれて逃げられないの!」
 きーんとした声が鼓膜を痛めつける。
 見捨てるわけにもいかず、タコのような足を持った奴らを倒し、近付く。
「ありがとう……助かったわ……」
 リズニアが顔を上向けた。
「待って! ヴェル!
なんか変よ……その人から離れてっ!!」
 その女性が姿を変えたのを、彼も見た。

「…………」
「…………」
 『紅い瞳の娘』、そうスキュラは言った。
 ネオ・ヒューマンを侮辱する響きがそこにはあった。
 気付けば、全力で相手を倒していた。リズニアが恐怖混じりの表情で、こちらを見ていることにも気がついていた。
「紅い瞳か……」
 知らず、ヴェルナーは口にしていた。
「……だから?」
 リズニアの恐怖は、怒りに変わったようだった。そうかと思うと、ふっと泣き出しそうな顔になる。
「私……時々、あなたが怖くなるの。
ヴェルは優しいけど、敵になれば、私のことも殺せる」
 彼女は何か勘違いをしているようだ。もしくは、独りよがりな感情か。疲れているのかもしれない。
「同じものを見ていても、違うの。
……うまく言えないけど……危ない方へ行っちゃ駄目よ。
あなた……誰かが止めなければ、どこか遠くへ行ってしまいそうだから」
「……、…………」
 ヴェルナーは何か言おうとしたが、どうすればいいか分からなかった。
 分かっているのは、心を言葉に変えれば、嘘になってしまうことだけ。だからこそ、何も言えなかった。
 うまく言えないことが分かっていても、相手に伝えようとするこの少女に、一種の敬意を覚えた。
 自分は、分からないものは分からない、だから伝わらないと思っていた。伝わらないのが当然だと思っていた。
 コミュニケーションを放棄し、また、接触を避けていたのかもしれない。
 彼女が懸命に気持ちを伝えようとしていることは、嬉しかった。
 自分が精一杯、答えられるような気もした。
 それが伝わるかどうかは分からないが。
 あと一歩で泣き出してしまいそうな彼女に、彼は口を開いた。

 >hit him between the eyes
 >viewpoint:RIZNIA

 地下6階に辿り着いた。
 レーザーバリアを越えた先に、彼がいた。
「貴様か…ようやく、ここまで辿り着けたようだな」
 カイゼル。
 リズニアが接触を求めていた相手だ。その彼が、まさしく手の届く範囲にいる。
 だが、彼はヴェルナーしか眼中に入っていないようだ。
 彼らの会話が終わるのを待ってから、リズニアは彼を呼び止めた。
「待って! あなた……カイゼルでしょ? MYST−BLADEの……」

「信じられない……兄が死んでいたなんて……」
 カイゼルが立ち去ったあと、リズニアは立ち尽くしていた。
「嘘……だって、そんな……」
 自分で何を言っているのかも定かではない。
「死ぬ……死ぬなんて事…………ないのに……」
 にわかには信じられない。
 優しく頭を撫でてくれた兄。
 転んで怪我をしたとき、泣きじゃくる自分を背負ってくれた兄。
 ものすごく欲しいお菓子があっても言い出せなかったとき、自分を気遣って両手一杯のお菓子を買ってくれた兄。
 失敗作だと父親に殴られそうになったとき、体を張って自分を守ってくれた兄。
 あの強く優しい兄が、死んだ?
 父に殴られた兄の、真っ赤な血が目に浮かんだ。
 あのときには、紛れもなく生きていたのに。
 ……生きていたのに。
 根拠はないが、8年前から今まで信じてきた。
 兄は死なないと。
 彼女は狂おしい感傷の中にあった。
「そう……兄は死んだのね」
 泣いているような、それでも笑っているような、危うい表情。紅い瞳は、狂気の色を宿しかけている。
「ああ、だから……私のいるところはこんなにも寂しいのね。
こんなにも冷たくて、危ないんだ。
また……花を飾らなきゃいけないのね……」
 陽気にふらふらと、リズニアは歩き出した。その方角には何もない。
「?」
 進めなくなって、彼女は首を傾げた。子供のような表情だ。
「……ヴェル……?」
 自分の行く手を阻んでいるのは、ヴェルナーの手だった。彼は自分の後ろにいる。
「…………!」
 状況を把握すると、リズニアは顔を赤くした。
慌てて彼の腕から抜け出す。
「ああああ……ごめんなさい! 私、取り乱してしまって……」
 顔を直視できなくなって、俯いたまままくし立てた。
「いや、いい」
 いつも通りのヴェルナーの声。相手が平静であることに、何だか悔しくなる。
「行くか」
 そう言うと、いつもより少し早足で彼は歩き出した。

「貴様か……また会えたな」
 地下9階に、その人間は、いた。
 カイゼルは手短に言うと、ヴェルナーと交渉し始めた。
 彼の目に、リズニアは映っていない。
 足元を見たまま、彼女は二人の会話を聞き流した。自分はこんな時、蚊帳の外にいると思う。
 世界よりも人類よりも、自分の家族の方が大事なのだ。
 ただ一人になってしまった親族の方が。
 『一対の失敗作』────自分と兄はそう呼ばれた。父親は自分達を実験作としてしか見なかった。ものを見るような冷たい眼差し。それはカイゼルの視線に少し似ているかもしれない。
 父親は母のいない時を狙って、自分達を非難しに来ていた。研究のストレスだったのだろうか。
 兄がいなければ、殺されていたようなときもあった。
 フォース因子があまり高くなかった『失敗作』ザイン。
 女性として生まれた『失敗作』リズニア。
 兄は自分の片割れでもあった。二人の特徴を備えて初めて『完成された作品』だった。
 『実在』の名を持ちながらも、彼は進退窮まる位置にあった。兄であるが故に妹を守り、人とネオ・ヒューマンの間にあったために迫害を受け、適度な力を持ったために死んでしまった。
「…………」
 視線を感じた。
「そこの女……確か、リズニアとか言ったな?」
 カイゼルの声。
 彼の顔には何の感情も浮かんではいない。
「え……ええ……そうよ」
 相手が相手なので、僅かに警戒する。
 あの『カイゼル』が、今更自分に何の用があるというのだ。
「おまえの兄であるザインという男は、8年前の「あの日」に死んだ……
己の父親を殺した、あの時にな……」
「……!!」
 気配が変わった。機械のような印象だったが、その時、彼は一人の悲しい人間となった。
 人間とは悲しいものだと、リズニアは思う。
「……強く生きろ……それが、愛する妹への最後の言葉だそうだ……」
「…………」
 あまりに強い心が、リズニアには痛いほど読みとれた。
 平静を取り戻しながら、カイゼルを直視する。
「そう……私の知っている兄は、すでにこの世には、いないのね……」
 彼の若紫の瞳には、見覚えがあった。
 リズニアは微笑して、目を閉じる。
「……私も、兄に伝えたい言葉があったの。
母さんが、死ぬ前に言った言葉……」
「…………」
 暖かい優しさを持った母。
 実の母ではなかったけれど、誇り高く、出来る限り兄妹を庇護した。元研究者ではあったが、自分達を人として扱い、接してくれた人。
 リズニアはそっと目を開けた。
 聖母のように優しく告げる。
「……私は、貴方という息子を授かったことを今でも、
誇りに思っています……
母さんは、最後まで兄さんのことを心配していたのよ……」
「…………」
 『カイゼル』は上を向き、目を細めた。
 永遠にそうしているのではないかと、リズニアは思った。
 彼は顔を元の位置に戻すと、薄く、しかし、確かに笑った。
「…………そうか」
 それで十分だった。

 彼女が去ろうとしたとき、意志が聞こえた。
『私は、優しくない。
もう誰かの側にいられはしないし、
何か一つのものしか見ることも出来ない。
今、私の眼中にあるものはXenoのみだ。
許せ……リズニア』

 それからあとのことは、彼女の知るところではない。



 >cry her eyes out
 >angle:WERNER

 全てが終わったあとで、ヴェルナーはアレックスに宿泊施設に泊まることを提案した。
 疲労困憊としか形容できないような状態のアレックスは、喜んでその提案を受け入れた。

 ロストヘヴンにつく頃には、アレックスの精神も落ち着いてきたようだ。自分で何とか歩いている。
「ヴェル!」
 透明な声に、ヴェルナーは振り返った。
 衝撃。
 リズニアがこちらにしがみついている。
「……リズニア」
 兄の安否を確かめようとしているのかと、ヴェルナーは予想した。
 彼女の次の言葉を、彼は待った。
「ふぇぇん……」
「…………は?」
 柄にもなく間の抜けた声をあげてしまった。
 リズニアは泣いていた。
 他人に泣きつかれた経験など皆無だ。こちらにしがみついているが、どうにもばつが悪い。
「……ハードボイルドが形無しだな」
 アレックスは笑うと、先に宿泊施設へと入っていった。
 やかましい、とか、ハードボイルドって固ゆでだよな、とか、他の客の視線が痛い、とか、様々なことが一斉に頭の中を駆けめぐった。
 人生で『頭の回りが早かったときベストテン』などをやってみたら、確実に3位以内には入るだろう。
 彼の希望に添えず、彼女はいつまでも泣いていた。

 >All eyes are on him and her.
 >angle:WERNER

 彼は、自分が場違いだ、と感じた。
 確実に浮いている。
 このようなところでは、絶対に『変な人』に分類される。
 ヴェルナーは遊園地に来ていた。平和な空気がまずく感じられるのは、人生経験に問題があるからだろうか?
 だが、これは……
 その時、声が聞こえた。
「あ、ヴェル〜!」
 大きく手を振って、リズニアが現れた。
髪をポニーテールにしている。
 田舎出身らしく、とても嬉しそうだ。誘拐犯と被害者のセットに見えないことを、ヴェルナーは祈った。
 これほど強く祈ったのは、滅多にない。
 二人分のフリーパスを握りしめ、彼女はヴェルナーの腕を引っ張った。
「じゃあ、あれに乗りましょう!」
 リズニアが指さしたのは、有名なジェットコースターだった。

 何でこんな事に、と思ったがもう遅い。
 バーがおろされ、気がつけば、その乗り物は動き出していた。
 機能的な乗り物ではないな、と考える。
 そうしていると、がくんと車体が揺れ、猛烈な勢いで進み始めた。
 彼は僅かに顔を歪めた。
 写真を撮られていたようで、あとでリズニアに笑われたのは、言うまでもない。

「次はね、あれかな?」
 よれよれになりながら、ヴェルナーはジェットコースターから下りた。むやみに身体を振り回されただけだ。何処が面白いのか理解できない。
 ハイテンションになっているリズニアに引っ張られながら、ヴェルナーは思った。
(一生、何かに振り回されるのかもしれないな……それもまたいいか……)
 彼は苦笑した。
 上機嫌のリズニアがそれに気付いたかどうかは、定かではない。

                                   <終幕>




 【あとがき】

 引用の多い話ですね(痛)。
 ゲームをプレイしていない人向けに書いたつもりです(初めは自己満足で書いたものでした)。

 リズニアを主な語り手としています。イメージを優先させていますね……。しかもラックラットが出ていない&J.D.、依頼を断られているようです。J.D.酷いかかれようですが嫌いではありません。苦手なだけで。そしてリズニアのスペルが……。

 このお話のヴェルナーとリズニアについて。
 ヴェルナーは強くて安定性があって、リズニアは敵いそうもありません。その上彼は保護者状態(笑)ですが、感情の面にかけては逆です。むしろお姉さん状態(年齢差が……)。
 ゲーム内でヴェルナーの目的の二つ目に、「自分自身を見つめ直す」というのがあります。だから人助けをしたり、アレックスの妹を思い出させただろうリズニアを手伝ったりしているのだと思われます。リズニアの感情は自分より豊かだから、ヴェルナーも納得するだけです。ところどころで、彼は分からない程度に彼女を気遣っています。恥ずかしくない場合は探してみましょう(筆者は恥ずかしいため出来なかった)。
 彼は目を離したらどこか遠く、それも危険な方へ行ってしまいそうな感じなので、リズニアが心配しています。女の子を心配させちゃ駄目だぞ(笑)。
 うちのリズニアはヴェルナーのことを「ヴェル」と呼んでいます。年上相手に少々気安いかな、と思いましたが……。筆者も心の中でそう呼んでいるので気にしないことにしました(笑)。

 カイゼルについて。
 「フォース因子が低い」ように書きましたが、これは筆者の主観です(……)。仲間にしたらフォースは2種しか使えないので。リズニアは4種だから2分の1。比較するとどうしてもフォースは弱そうに見えました。でも、影で努力して零式抜刀術などを身につけたんでしょうね。山籠もりみたいな修行をして(あくまでイメージです)。ヴェルナーとの対比は「獣と機械」といった感じで。

 >shoot him a look
 >look her in the eye
 ここでは、二人の性格の差が分かるようにしたつもりです。
 何だか、どちらも不器用そうだな……筆者のせいです(恥)。

 >give an eye to him
 リズニアの妄想が書いていて楽しかったです(セクシーなお姉さんって……)。携帯用びっくり箱も考えついてしまったので、つい。キャラクタががらがらと崩壊していってます。
 あと、戦闘シーンで何の技を使っているか分かっていただけると幸せです。

 >keep an eye upon her
 インターミッションです。
入れるつもりはなかったのですが、地下4階の描写をしてしまったので。
 うちのヴェルナーはどことなく甘いせいか、少しリズニアに情が移っています。彼が最後に何と言ったかは読み手の受け取り方にお任せしたく思います。筆者にもよく分かっていません。あの二人だけが知っているのです。愛の告白でないことだけは間違いありません(笑)。

 >hit him between the eyes
 痛い部分です。
 頭の中では、ヴェルナーはもっと破廉恥(死語)な行為に及んでいましたが、
筆者が恥じらってしまいカット(言っちゃった……)。だって、アビス内って、人がいるので……接吻はちょっと(あああ)。カイゼル、美味しいところをかっさらっていますね(笑)。リズニア兄妹については頂いた裏設定を使っています。そういえば名字がないな……このキャラクタ達。兄、お菓子を両手いっぱい買ったというのも何だか笑えます。ハードボイルドが形無しですね(笑)。

 >cry her eyes out
 イディオムを知らないと、
「ヴェルナーがリズニアに」泣くものだと思われたかもしれません(書きたくない……男泣き)。
 エンディングで「数日後にアビスをあとにした」とあったので、安心してここを書けました(「その日」あとにされたらアウト……)。アレックスがいいツッコミだと我ながら思います(笑止)。

 >All eyes are on him and her.
 終わりらしいタイトルだ……。
 クリア後のある一日ですが、手伝ってくれたお礼にリズニアがヴェルナーを引きずっていったという設定です。リズニアが行きたかっただけでは? とも思いますが(笑)。「リズニアが田舎の出身」というのもイメージです。ネオ・ヒューマンは平和に暮らしていると思いましたので。遊園地とヴェルナーの組み合わせが壮絶だと思います。フリーパスがあるので、この日は災難だったでしょうね、彼。よれよれになっていることといい、振り回される人生に納得していることといい、情けないぞ、ヴェル(笑)。

 あとがき(!?)
 長い。




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