コラム1:「マルチシナリオ」って…
サウンドノベルに限らず、ストーリーが売りのゲームにしばしば見受けられる宣伝文句に
「マルチシシナリオ、マルチエンディング」ってのがあります。
ただ、どうも一部の(と言うより多くの)メーカーさんは、この言葉の意味を取り違えているような気がします。
いまさらこんな基本的な事言うのもなんですが、
「マルチシナリオ」とは「インチキ選択肢がたくさんある事」ではありません。
「マルチエンディング」とは「ゲームオーバーが多い事」ではありません。
「インチキ選択肢」とはどういう事かという典型的な例をひとつあげましょう。
とあるRPGをプレイしている時、主人公の目の前で、女の子が悪党に襲われているというシーンがありました。
すると、こういう選択肢が出てきたのです。
(1)女の子を助ける |
(2)放っておく |
こんな選択肢で誰が(2)を選びますか?
いや、中には選ぶ人もいるでしょう。
しかしその場合、まず間違いなくゲームオーバーかストーリーが進まないかのどちらかになってしまうでしょう。
どちらにしろ、(1)よりもろくでもない目にあうのは確実です。
こんな選択肢では、もうどちらを選べばいいかなんて見え透いているのです。
明らかにマイナスであるとわかりきっている選択肢に、どれほどの意味があるのでしょうか?
しかし、これはまだマシな方です。
もっとひどいのになると、
「一見、どちらも正しそうなのに片方を選ぶと何の脈絡もなくいきなりゲームオーバー」
という類の選択肢ばかりを用意して、それを「マルチシナリオ」と言っている場合もあります。
この場合、これまで得た情報や一般常識などから判断する事ができるのなら、それでも構わないでしょう。
ですが、唐突に中身が似たような選択肢を突きつけられ、
「さあ正解はどっちだ」なんて言われても困るのです。
第一、そんなのちっとも面白くありません。
要するに、ほとんど一本道のシナリオに、
「どちらを選べばいいかミエミエ」
「間違った方を選ぶとハイそれまで」
な選択肢を適当にばらまいてるだけで「マルチシナリオ」などと言われては困るのです、ゲームをする側としては。
そんな小細工をされるぐらいなら、最初から一本道の方がまだマシです。
クリアする楽しみのない障害物なんてものをばらまかれても面白くないんです。
また、マルチエンディングにしてもそうです。
いくら結末が多彩でも、そこに至るまでの過程が一本道では意味がありません。
エンディングを複数用意するなら、その道筋も複数用意しないと、本当の「マルチエンディング」とは言えないのです。
違う結末だけを見るために、同じ展開を何度も見なければならないのは、もはや苦痛でしかありません。
おそらくその場合、大抵のプレイヤーは、途中でやる気を無くすでしょう。
そして「どの展開もそれなりにうなずける展開」でなければ「マルチシナリオ」とは言えません。
また「エンディング」とは、それ自体が一つの結末として納得できるものであるべきです。
(これは決して「すべてのエンディングをハッピーエンドにしろ」とか、そういう意味ではありません)
「マルチエンディング」とは、そうした結末が複数あるもののことを言うのです。
いきなりストーリーが中断するだけの結末がいっぱいあっても駄目なんです。
「エンディング」と「ゲームオーバー」の区別をつけて欲しいというのは、そういう意味です。
まさかこのコラムを読んでくれるメーカーさんがいるとは思えませんが、
これ以上「形だけのマルチシナリオ」ゲームが世に氾濫しないことを願いたいものです。
(↑などと書いていたら、なんとパンドラボックスの飯島健男氏に読んでいただいてました!感激(^o^)!)