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加藤文太郎が登った兵庫の山々
加藤文太郎が名づけた「兵庫アルプス」の山々
小説「孤高の人」で加藤文太郎が登った山々
浜坂に“単独行”の加藤文太郎を訪ねて
加藤文太郎記念図書館
加藤文太郎記念図書館
加藤文太郎のレリーフ

 新田次郎著「孤高の人」のモデルである加藤文太郎(1905〜1936)の故郷、兵庫県浜坂町を訪れた。この町に平成6年にできたのが加藤文太郎記念図書館。その山の形をした建物は、文太郎がよく登った故郷の山・観音山に向かい合って建っていた。

文太郎の登山靴
 二階に山岳資料室があり、文太郎のレリーフが迎えてくれる。
 文太郎が愛用したヒッコリーの山スキー、飯盒、ドイツ製のカメラ、登山靴などがガラス棚に展示されている。登山靴は牛革製、長さ28.5cmと記されていた。
 壁には、文太郎の撮った白黒の山岳写真が掛かっている。文太郎は、当時としてはめずらしく多くの写真を撮っているが、これは単独行のため実際に登ったという証拠を残す意味もあったということだ。
 登山手帳には、持ち物を入念にチェックしたあとが残っていた。食糧も装備も彼独特の創意によるものが多かったが、そのことをこの手帳に垣間見た思いがした。手帳にはまた、重なる北アルプスの山並みのスケッチや、タイムメモ、「単独行」のもととなる山日記が書かれていた。「単独行」は、遭難した年の8月に刊行されたものを含め、全部で7種類の本が展示されていた。最近では、1994年にこの図書館の竣工記念として復刻されている。帰りに、1階の受付で聞いたのだが、残念ながらこれももう手に入らないということであった。
 遭難時の新聞のコピーが当時の様子を伝える。
    「冬山に醸す憂い 『槍』に山の猛者消える」(昭和11年1月9日 大阪朝日新聞)
    「国寶的山の猛者 槍で遭難 死体発見される」(昭和11年5月1日 大阪毎日新聞)
 新聞記事やその写真を見ていると、小説「孤高の人」のラストシーンがよみがえってくる思いがした。

 山岳資料室の隣は、記念図書閲覧室。ここには、約3500冊の山岳図書がある。これまで名前しか聞いたことのなかった本や、文庫本で読んだ本など、山岳図書の古典も数多く揃っている。今度は、1日ゆっくりとこの部屋で時を過ごしたいと思った。


注:「単独行」は、その後、2000年4月20日に山と渓谷社より「新編 単独行」として発行された。
   浜坂には、加藤文太郎ゆかりの場所が多くある。

新田次郎文学碑
  

 浜坂県民サンビーチの松林の一角に「孤高の人」の著者、新田次郎の文学碑がある。
 新田次郎は、加藤文太郎に冬の富士山で1回だけ会っている。新田次郎が中央気象台に勤務していた頃、富士山観測所に交代勤務のため登山する途中、5合5勺の避難小屋で加藤文太郎に会ったのである。「突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くような速さで彼は歩いていきました。私たちは、天狗のようなやつだなと云いながら見送ったものでした。」と、新田次郎は書いている(加藤文太郎記念図書館発行の冊子「孤高」より)。
 この碑には、「孤高の人」の一節が刻まれている。文太郎が、結婚式の当日に観音山に登り、そこからから浜坂の川や山や町を眺める場面である。
加藤文太郎記念碑
 
 浜坂の港を眼下に見る小高いところにこの碑は立っている。自然石を3つ並べ北アルプスの山々を形どった碑には、「不撓不屈の岳人 加藤文太郎ふるさとの碑」と刻まれている。

宇都野神社
 
 父が急病で浜坂に帰ったとき、この神社の石段で美しい目の少女と出会った。後の妻、花子である。(小説「孤高の人」)

観音山(245m)
 
 加藤の家から、岸田川の向こうに観音山が大きく見える。加藤は、この山によく登った。山頂からは、海と山に囲まれた浜坂の町がよく見える。

2000年1月26日作成