日 名 倉 山    (1047.4m)      千種町・佐用町・東粟倉村(岡山県)   25000図=「千種」
夏雲立つ3つのピーク、日名倉山
 
日名倉山を黒土から望む
 兵庫県と鳥取県・岡山県の県境の扇ノ山・氷ノ山・三室山・後山をはじめとする山の連なりは、中国山地の東部山地群に属する。かつて、浜坂町出身の加藤文太郎は、ここを兵庫アルプスと名付けて、夏にはヤブを漕いで山を拓きながら、冬にはスキーをはいて、あるいは雪穴を掘って吹雪をやり過ごしながら歩いた。これらの県境の山の中では、日名倉山(ひなくらさん)は1000mを越す山として最も南に位置している。日名倉山との初めての出会いは、佐用町の大撫山の山頂にある西播磨天文台公園からであった。そこから北を見れば、低く緩やかな山並みが幾重にも重なって、高原状に広がっていた。その高原の奥に、裾野をやさしく左右に広げる大きな山があった。前日の台風で落ちた枝葉を片付けられていた公園の職員の方に、その山が日名倉山だと教えてもらった。あれから、もう2年たつ。

 登山口の日名倉神社には「日名倉山頂マデ四千六百十米」と彫られた石碑が立っている。いつものようにハンマーを下げ、一人で歩き出した。小いさな沢を渡り、現れた露頭で石を割っていると、下からひとり人が歩いてくる。「よかったら、一緒に登りませんか。」と、いきなり人なつっこい目で誘われ、そこから連れになった。聞けば、この人はなかなかすごい。広島の福山を出てすでに数日、車に寝泊まりしながら氷ノ山や後山を歩き、国道を走っていると「日名倉山登山口」の大きな看板があったので、今日はここへ来たということだった。「山頂まで1キロぐらいじゃいうて聞いたけん、お茶も持たんと運動靴で歩いとんじゃ。人におうて(会って)よかった。」広島弁に懐かしさを覚え、山のことやらかつての仕事のことやらを聞きながら歩いた。

日名倉山山頂からの後山と夏の雲
 スギ・ヒノキの植林地内の渓に沿って林道が伸び、やがて細い登山路となった。変化に乏しいが、歩きやすい道である。奥海(おねみ)越で進路を北に変え、広い尾根を上っていった。コナラ、ミズナラなどの自然林がときどき顔を出す。ササの茂った一の丸、二の丸の高みを越え、日名倉山山頂(三の丸)に達した。一等三角点のすぐ横に木の古い祠が建ち、その先にはベンチの置かれた広場もあった。ササに覆われた山頂付近は広々とし、枝を斜めに上げたカラマツがまばらに生えている。低く垂れ下がった層積雲は、下がぼやけて、周囲の山々を白く霞ませていた。北には、尖ったピークを持つ後山の大きな山体。その右奥に、三室山の白いシルエットが浮かぶ。氷ノ山は、じっと目を凝らしても見えなかった。東には、千草川の流れる谷を隔てて、植松山のこれもまた巨大な山体。高原のようなこの山頂には、空の白い雲や周囲の山々を背景にして、ナツアカネだろうか、薄赤いトンボの群が乱舞していた。
 下山後、日名倉山の山の形を見ようと千草川の対岸にある小高い集落「黒土」に上がった。緩やかな稜線が左右から高まり、頂稜に三つのピークをのせた日名倉山
。午前中に広がっていた雲はもう切れている。日名倉山の上には、乱れながら垂直方向に発達しかかった夏の積雲が大小さまざまな形で並んでいた。

山行日:2001年7月21日

山 歩 き の 記 録
行き:千種町エーガイア駐車場〜日名倉神社(山頂まで4610m)〜奥海越〜一の丸〜二の丸〜日名倉山山頂(三の丸)
帰り:日名倉山山頂〜岡山県東粟倉村「ベルピール自然公園」
 国道429号線の室橋を西へ渡った所にある「エーガイア」の駐車場に車を止める。室から坂を上り、雛倉の「日名倉神社」に着く。ここが、日名倉山へのポピュラーな登山口である。ここから西へ林道が、棚田の中を通りスギ林の中に伸びている。渓流を右に見下ろしながら、コンクリートの道を上っていく。セミがスギの木の間を飛び、一匹が顔にぶつかった。コンクリートの小さな橋を渡って渓の右に出て、少し進むと奥西山への分岐がある。ここで、広島からの吉原さんに出会った。コンクリートの道は、やがて狭い地道となり渓に沿って南に続いている(地形図破線路)。傾斜が緩くなってしばらく歩くと「右オネミ 左マタニ 道」と刻まれた古い標石が立っていた。その先の水場を越すと、広い林道に合流した。「奥海越」は、景観が一変してしまったようである。合流した広い林道をわずかに進むと、船越山への分岐があった。ここには、「船越山6000m 千種4500m 日名倉山頂上1500m」の板の看板と、「山頂まで1480米 標高805米」標柱が立っている。ここから北へ、広くて急な尾根道を上っていった(佐用町と千種町との町界)。一の丸、二の丸を越えて、広くて明るい日名倉山山頂に着く。

ベルピール自然公園と東粟倉村
 ところで、日名倉山の西斜面(岡山県東粟倉村)に巨大な鐘楼の建つベルピール自然公園がある。ここから日名倉山頂上まで広い遊歩道がつき、この日もこちら側から登ってくる人が多くいた。山頂で知り合った総社からのご夫婦に、ベルピール自然公園から車で千種町まで送ってもらうことになった。公園へ降りていく途中に、見晴らしの良い広場がある。ここで休んでいると、リュウバンベールと呼ばれる大きな鐘の連打が響いてきた。ちょうど正午の鳴鐘であった。その鐘の音は、日名倉山のやさしい姿やここで出会った人たちの思い出と共に、私の心に残った。
   ■山頂の岩石     白亜紀 生野層群中部累層 安山岩

 日名倉山の山頂には、わずかな露頭があった。硬く緻密な安山岩で、黒色の石基の中に、1〜2mm程度の斜長石の斑晶が数多く含まれている。この岩石は、生野層群中部累層に属すもので、同じ層準にあたる暁晴山の山頂の安山岩によく似ている。
 麓の日名倉神社付近や奥西山との分岐付近には、花崗閃緑岩が分布していた。粗粒で、斜長石・アルカリ長石・石英・黒雲母・角閃石から成っている。千種は古くからのタタラ製鉄で有名であるが、この花崗岩には鉄の原料になった磁鉄鉱が含まれているのである。

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