〜ヨッシートルコ漫遊記〜第1話 あこがれのトルコへ

窓の外が急に明るくなった。慌てて飛行機の窓を覗くと、雲の合間から町の赤い屋根が見えた。イスタンブールの町が見えた。ついたぞ。
イスタンブールの赤い屋根の町並み、この町をまた絶対に見に来るぞ...そう心にずっと思い続けていた私はついに、再びこの赤い屋根のもとへやってきた。

イスタンブールへ初めて訪れたのは1994年の夏のことであった。私にとっては初めての海外旅行がトルコだったのだが、トルコの踊りを見るフォークロアツアーに参加した私は、大変なショックと感動にみまわれた。そこには東西文化が入り乱れて存在し、昔ながらの生活スタイル、現代の新しいスタイルの生活が交錯していて、その町には今の時の流れと、昔の時の流れが同時に存在している、そんな町であった。このツアーに参加した私は、ブルサ、ボル、イスタンブール、シリブリを訪れたが、そこで多くの生きたフォークロアに出会い私はすっかりトルコの魅力にとりつかれてしまった。日本に帰ったのちもいつまでもその感動がさめやまず、昨日までトルコにいたように鮮明に残っていた。そしていつしか、また必ずトルコへ行くという夢にむけて活動をしていた。

そんな夢が現実となるきっかけが翌年訪れた。トルコでお世話になった私にとってトルコの父的存在、バフリさんの来日である。日本でお世話になった先崎氏とバフリさんの協力で、翌年の96年の夏再びトルコ行きを決定することとなった。しかも旅行ではなく長期滞在という形で....。
私は最初にトルコへ訪れた後、ずっとトルコで踊りの勉強がしたいと思っていた。しかし2週間程度の旅行では、満足のいく勉強が出来ない。もっと長くいたい、そしてトルコ中を周り、踊りを学びたい、そう思っていた。その夢が現実となった。

出発の朝、家族全員に見送られ、家を出発した。それまではトルコの地での新しい生活への期待でいっぱいだったが、見送りをしてくれた家族の姿がまぶたから離れず、涙が止まらずにいた。空港までは母親と弟に車で送ってもらった。空港へは友人も駆けつけてくれ、出発ぎりぎりまでみんなとともに過ごした。そしていよいよゲートへ、涙をこらえてみんなにぎりぎりまで手を振り続けた。

さて、新しい生活の出発だ。そう意気込んで、パスポートコントロールを通りぬけ荷物検査へ。ここで思わぬハプニングが起きた。手荷物の鞄の中には、写真やビデオカメラなどのアクセサリー類が沢山入っており、荷物検査が行われた。これに予想以上に時間がかかり、また、鞄が閉まらなくなり、慌てる始末。なんとか鞄を閉めて、急いでトルコ航空の搭乗ゲートへ走っていくと、放送でトルコ航空の最終コール。まさに滑り込みで機内へ入ることとなった。中ではもうとっくに準備万端の乗客が待っており、その中を小さくなって通りぬけてそそくさと席についた。

こうして、期待と不安そして涙の門出のはずが、おもわぬハプニングに出発は慌ただしいものとなってしまった。とにもかくにも、こうして私はトルコへ旅立つのだった。

トルコ......................日本

〜ヨッシートルコ漫遊記〜第1話 あこがれのトルコへ...おわり

1999/4/7

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