「エドガー様、今日はぜひエドガー様にお会いしたいという、私の狩り仲間を連れて参りました。ご紹介いたします」
フィガロ国王に信頼の厚い騎士ジェフリー=マクラウドは、エドガーの狩猟のお供をしていた。
エドガーはチョコボ小屋から自分専用の白いチョコボ「ホーリーベル」を連れたって、小屋を出るところである。
ジェフリーに呼ばれて来たその女性は、ジェフリーと同じ騎士のような服装をし、エドガーより少し長い腰まであろうその金色の髪の毛は、頭の高い位置で無造作にまとめられていた。
「グウィネヴィア殿、こちらがエドガー様です」
とジェフリーの紹介を受け、エドガーは少し驚いたようにその女性を眺めていた。
「いや、失礼……。私はこのように男装をしたレディを見たことがなかったもので……。私がエドガーです」とエドガーが挨拶をすると
「グウィネヴィアと申します」とグウィネヴィアはレディ特有の膝を曲げての挨拶ではなく、背筋を伸ばしたまま深く頭を下げた。
「もしや貴方は父上の御従妹のヴェルダスク公爵夫人ですか?」
エドガーの問いにグウィネヴィアは軽く目線を下げた。
「そうですエドガー様。彼女は公爵をお亡くしになってから、今はご趣味でありました狩りを頻繁になさっておいでで、ここコーリンゲンの森にて私はよくご一緒させていただいております。夫人は女性であらせられながら私も顔負けな腕を持っておられて、一緒に狩りを楽しむには光栄な方でございます」
「ジェフリーが言うのだから、相当な腕のようだね。楽しみだな」
「私を女性だと思って甘く見ない方がよろしいですわよ、エドガー様」
グウィネヴィアの勝気な口調にエドガーはほんの少し驚いたが、風変わりな女性に興味を持ち、笑顔で返した。
砂漠の中の城で育ち、窓の外は果てしない砂漠の風景しか見ることのできないエドガーは、コーリンゲン地方の生い茂った深い緑と、海が近いせいで潮を含んだ風とその香りがお気に入りであった。
森に辿り着くと三人は珍しい大きさのコカトリスが去って行くのを見つけると、突然グウィネヴィアはオートボウガンを構え、その怪鳥へ向かってチョコボを走らせた。二人とも急いで後を追ったが、その距離は縮まることなく、彼女を乗せたチョコボはどんどん森の奥へと向かった。
グウィネヴィアは狙いを定めオートボウガンを放ったが、一本の矢が獲物の片目を射抜いた。逆上したコカトリスは頭を大きく振り乱しグウィネヴィアに向けて突進しだす。
エドガーが後方からオートボウガンを構え、矢を放とうと手をかけたがその瞬間、
「手だしをするな!」と彼女の鋭い声がその手を止まらせた。
コカトリスは鋭い爪を空高く振り上げグウィネヴィアをめがけて下ろそうとした、それと同時に彼女の右手から伸びた細長い剣、ブラッドソードが怪鳥の心臓を貫く。
コカトリスは大きな音をたてて崩れ落ちた。
「グウィネヴィア殿、またこんな無茶を……」ジェフリーの額はうっすらと汗をかいていた。
エドガーは倒れたコカトリスからブラッドソードを抜いているグウィネヴィアを眺めながら、彼女の腕の凄さに驚きを隠せない様子だったが、しばらくして王子らしく背筋を伸ばして気を取りなおした。
「見事な腕前だったな。しかしレディがここまでの無茶をするのは、いただけないな」
「お言葉ながらエドガー様、ご心配は無用でございます。女といえども、御年15歳におなりのエドガー様よりは腕に自信があると思います」
グウィネヴィアは青い瞳でエドガーの透き通る蒼い目を見上げた。
「グウィネヴィア殿、言いすぎですぞ!」
「いや、ジェフリーかまわないよ。これだけの男勝りなレディとの狩りは私も楽しいよ」
エドガーは大らかな笑顔を見せたが、頭を垂れ「ありがとうございます」
と言って顔を上げたグウィネヴィアは無表情であった。
「とにかく初めて彼女に出会った時には、この僕でも驚いたよ! レディの筈の彼女は相当な男勝りだったからな! 僕はあんな女性に会ったのは初めてだよ!」
エドガーは双子の弟マッシュにグウィネヴィアと会った日からの事を語った。
マッシュはエドガーと違って生まれつき体が弱く、床に臥せていることが多かった。床に臥せて退屈そうなマッシュにエドガーは時間の許す限り彼の話し相手になっていた。
「僕も行ってみたいな!」床の上から呟くマッシュのその言葉は、幼い頃から何度も聞いていたエドガーは居たたまれない気持ちになるのであった。
「レネーにはいつか、僕みたいな自由を味わってもらいたいといつも思っているよ! もちろん一緒に狩りにだって行きたいし、だから……」
「ありがとう、ロニ! 僕も強くなるためにダンカン師匠に師事してはもらっているからな! いつかロニみたいに健康な身体になったら、みんなで狩りに行きたいよな」
マッシュはベッドの中でエドガーよりも少し痩せた同じ顔で力強く笑おうとした。しかしエドガーには彼のそんな笑顔が余計に辛くなることもあった。
「エドガー様」
「ジェフリーか、入ってよいぞ」
「ジェフリー久し振りだな。私も元気になったら一緒に狩りに連れて行ってくれるか?」
マッシュは起きあがることなく、床の中から話しかけた。ジェフリーには気を許しているエドガーとマッシュである。
「もちろんでございますとも! マッシュ様」とジェフリーは頭を垂れた。
常に王家の者には忠誠心を忘れない彼だ。
「ジェフリー今日はどうした? ちょうど良かった私も見せたいものがあったのだ」
近頃のエドガーは少年の表情に戻って浮き立つ事が多くなった。
「はっ、その前に陛下がお呼びでございます」
「…そうだった、今日は帝国軍の使者との会談に列席せよ、と仰せられていたのを忘れるところだった」
エドガーは先ほどの表情からすでに王子としての顔に戻っていた。
「行こうか、ジェフリー。マッシュまた後で」
二人はマッシュの寝室を後にした。
「エドガー様、陛下はエドガー様が狩りの腕を上げられた事を大変お喜びになっておられました」
「そうか! ジェフリーのおかげだぞ」
「光栄なお言葉でございます。しかし、あまり狩りにばかり専念なさるのも……。陛下はそろそろエドガー様かマッシュ様を王太子に……」
「わかっておる!」エドガーは少し強い口調でジェフリーの言葉を遮った。
エドガーはいずれこの国を継がなければならない事を幼少の頃から当たり前のように思ってはいたが、自由を憧れ夢を見ている彼にとっては王太子、国王という地位に何の魅力も感じないどころか、フィガロを背負わなければいけないということは夢も希望も破れ、少し酷なことであった。しかしそれも叶わぬことと心の何処かで諦めの整理をつけようとしている頃でもあったのだ。
「すまない、ジェフリー。忠告をしてくれてありがとう。さぁ行こうか!」
自由を望みながら後継者としての自覚を忘れぬエドガーであった。
「新しい機械を作らせた。会談が終わったら、ぜひ見て欲しい! 次の狩りの時にはグウィネヴィアにも」
「では後ほど」
朝から小雨が降り、霧の深いその森はさらに視界を悪くしていたコーリンゲン地方から北東に向かった所にあるその森をエドガーは初めて訪れた。鬱蒼としたその森はコーリンゲンの森の新緑の香りとは反して、老いた木の香りが強く立ちこめている。
グウィネヴィアはエドガーが新しく作らせた不思議な機械を観察していた。
「オートボウガンより小型で何よりも矢がいらぬ。エアーアンカーと言って高圧縮のエアを打ち込むと次の瞬間、一歩でも動いたらその者は内側から破壊され一瞬で死ぬ筈の機械だ」
グウィネヴィアは機械から目を離しエドガーを見上げた。
「いや、まだ完成したものではなく、成功する確率が少ないのが欠点だ」と苦笑するエドガー。
「しかし、成功しなければ何の意味もない機械ですね」
とグウィネヴィアはその機械をエドガーに渡して、チョコボを走らせた。
エドガーの顔からは一瞬にして笑顔が消えた。
「エドガー様、グウィネヴィア様は口の悪いお方でございます。しかし、決して悪気があるわけではありません。本当はお優しい方なのですが、どうも心で思っておられることをそのまま口に出せないようでして……」
エドガーは落胆した表情をジェフリーに気付かれた事を恥じた。
「いや、ジェフリーかまわないよ。それに君が謝ることではないよ」
と笑顔を取り戻したが、内心驚きは隠せないようだ。エドガーは生まれてこの方、王子である自分に対してそのような口調で話す女性は初めてだからであった。
エドガーは白いチョコボを走らせグウィネヴィアの後を追った。
「グウィネヴィア、成功しなければただのお荷物な機械だが、試してはみないか?」
「ならば、ここの奥にベヒーモスがいると言われています。そいつで試してみましょう!」
三人はさらに奥へとチョコボを走らせた。しばらく走らせていると、深い霧の向こうに巨大な紫色のモンスターを発見した。
「いたぞ!」エドガーはそのモンスターの近くへと深い霧の中に突っ込んで行った。グウィネヴィアとジェフリーはその後を追いかける。
巨大な紫色の物体ベヒーモスはこちらの気配に気付き、向きを変えた。その動きと同時にエドガーはエアーアンカーをモンスターの体に打ち込んだ。凍りつくエドガー達。
ベヒーモスは物凄い勢いで突進しようと鋭い爪の生えた脚を一歩踏み出したが、何やら鈍い音がした瞬間、その不気味な体の色のどす黒い液体が流れ落ち、一瞬にして巨大な体は地面に崩れ落ちた。
エドガーは緊張を解きほぐし「どうやら成功したようだ」と言った。
ジェフリーは度肝を抜かれていたようだったが、気を取りなおして
「エドガー様、あまり無茶をなさいませんように…。エドガー様にもしもの事があれば陛下に申し訳がたちません」と言った。
「成功しましたね。便利な機械だとは思いますが、剣で倒す面白みがございません。エドガー様、もう一度私と勝負をして頂けますか?」
グウィネヴィアは驚く様子もなく冷静を装っていた。
「グウィネヴィア様、今日は引き上げましょう。小雨も霧も強くなってまいりましたので」
ジェフリーはエドガーの腕には感心していたが、その一方で国王に忠誠を誓う身、後継者であるエドガーの安否も勤めのうちであった。
「ジェフリー、せっかく今日は遠出をしてきた。時間もまだ早いことだ、グウィネヴィアと一度勝負をしたら、今日は引き上げる事にしよう」
「はっ、わかりました。ではお供をさせていただきます」
「すまないね、ジェフリー、私のわがままを……」
「私からも礼を言います」グウィネヴィアはジェフリーに軽く頭を下げた。
小雨の仕業か霧はますます深くなってきた。
グウィネヴィアはかすかに霧の向こうに紫色のモンスターの姿を確認すると同時にチョコボを走らせた。
「はっ!」あっという間に彼女の姿は霧の中へと消える。
「手がつけられませんな…」と呆れ顔のジェフリー。
エドガーは頷いて自分の白いチョコボを走らせ、グウィネヴィアの後を追った。
グウィネヴィアの微かに動いている束ねた金色の髪の毛を追った。それを追うのに気を取られ、ジェフリーが逸れた事も気付かぬほどであった。もの凄いスピードでかけ離れて行くグウィネヴィアを追うのが精一杯であった。
ようやく彼女の姿を発見した時には既にベヒーモスに剣を向けていた。その巨体はさすがに剣を貫くこともできず、グウィネヴィアが刺すと余計に暴れるのである。
エドガーは長い剣を抜いてその巨体に切りつけると、グウィネヴィアはちらっとエドガーの方へと目線を向け、その瞳は輝いていた。今一太刀!
グサッ! と鈍い音がしたと同時に「うぅっ!」とエドガーは小さな声を発した。
グウィネヴィアは目の前のモンスターから剣を抜き取りながらエドガーの方を振り向くと、背後から鋭い角がエドガーの左肩に刺さっているのが見えた。
二人は前に気を取られ、背後から近づいてきたもう一体のベヒーモスに気付かなかった。
グウィネヴィアは素早く抜いた剣を後ろのベヒーモスに向けて突き刺した。頭を背けたベヒーモスの角はエドガーの肩から離れる。その隙にエドガーの右手の剣はモンスターの急所を貫いた。
ドスッ! 力尽きて倒れるベヒーモス。その内臓からはどす黒い液体が流れ落ちていた。
「危ないところだったな」
と言うエドガーの青く長いマントと金色の長い髪は真っ赤な血に染まっていた。
「そんなに大した傷じゃない、大丈夫だ」
「出血がひどすぎます。このままでは止血しないと体力が持ちません」
グウィネヴィアは辺りに視線を移した。幸い小さな洞窟らしきものが近くに見える。
「大丈夫だよ、それよりジェフリーを探さないと」
「さぁ、降りてください。雨足も強くなってきましたし…」
グウィネヴィアの強い口調に押されたエドガーは何も言わずにチョコボから降りた。グウィネヴィアが早い足取りで洞窟へ向かうのをエドガーは後を追った。
洞窟とは名ばかり、すぐに行き止まりの小さな穴に近かった。二人は入り口付近に腰を降ろした。
グウィネヴィアは素早くエドガーの鎧を取り、中に着ている血に染まった服を躊躇なく剥ぎ取った。
エドガーはこんなに乱暴な扱いを受けたのは初めてであったが、何も言わずにされるがままになっていた。エドガーの大人びた体つきの左肩からはまだ出血していた。
「鎧が大方食い止めてくれましたね」
グウィネヴィアはそう言いながら、先ほど剥ぎ取った服を裂いてエドガーの肩で縛り、止血した。
「これで少しは大丈夫でしょう。後はジェフリーがここを見つけてくれるのを待ちましょう」
「ありがとう、グウィネヴィア」エドガーはジェフリーが言っていた、口は悪いが優しいグウィネヴィアを改めて垣間見たような気がした。
外の雨や霧はどんどん深まる一方であった。
エドガーは血で染まった髪の毛を気にしている様子である。
「束ねられますか?」と言うグウィネヴィアの言葉にエドガーは首を振った。
「エドガー様は本当に真面目なお方ですね」と言って苦笑するグウィネヴィア。
「貴方も王家の血を引く方だ、私が髪を束ねない理由はわかっているだろう?」
「フィガロでは太陽を象徴する金と水を象徴する青は神聖な色。その長くて金色の御髪を青いリボンで束ねることは、国王の装い……ですか?」
「私は国王の嫡子だが、今はまだ国王ではない。……正直言ってこの長い髪の毛は邪魔になることが多いが仕方がないよ……。国王の嫡子でなければ、とっくに束ねていたさ!」
エドガーの輝く金色の髪は背中の真中辺りまで伸びていて、束ねずそのままにしておくには少し鬱陶しそうであった。
「王家に生まれた者の窮屈さは、髪のスタイルまで気を付けなければいけないのですね」
体つきが小柄なグウィネヴィアはその性格とはかけ離れた、幼くまだ少女のような面持ちである。
そんな彼女の顔立ちにエドガーは親近感を抱いていた。既に未亡人で自分より11歳も年が離れているようには思えなかったのだ。
「貴方は自由ではないのか?」
エドガーの真摯な眼差しにグウィネヴィアは嫁いだ日の事を思い出していた。
「私は先代王の王弟の娘。父は王を継ぐ直系ではなく、そこに生まれた私は女性というだけで生まれた時から選択肢はありませんでした。遠縁にあたる年老いたヴェルダスク公爵は後継ぎに恵まれず、私は16歳の時に公爵の後妻にと決められて嫁ぎました。夫は父より年上で優しい方でしたが、私は夫の元で人形のような生活をしていたのです。夫の目を盗んで、大好きな狩りをするのが唯一の楽しみでした。昨年夫が他界しましたが、結局後継ぎに恵まれず、私はそのまま領主にならざるを得なかったのです。ええ、夫が生きていました頃よりは多少は自由になりました。こうして好きな狩りにも心置きなく出かけられるようになりましたけれど……心は自由でも、決して軽はずみな事はできません」
エドガーは一瞬、グウィネヴィアの瞳に哀しいものを感じた。そんな彼女を見たのは初めてで自分の目を疑ったが、次に確かめた時にはいつものグウィネヴィアであった。
しかしエドガーはそのグウィネヴィアの瞬間見せた表情に何か理由付けの出来ない胸騒ぎがした。
「エドガー様のようにフィガロ家直系の後継者の方とはまた違った不自由さです」
「私は今はまだ、ほんの少し自由だ。こうして狩りも出来る。やりたい事は精一杯とは言えないが、ある程度やっているつもりだ。ただ、私の弟のマッシュだけは不自由にさせたくないんだ。弟は幼少の頃から病弱で、私と違ってその体の弱さから私よりやりたい事を制限されてきた。だからこそ、弟が私のように健康になったあかつきには好きな事をやらせてあげたいと思っている」
「そう思われるのでしたら、即位なされた時にエドガー様の権限で、マッシュ様の自由は確保してさしあげるべきですよ」
エドガーは微笑して「貴方には教えてもらった事がたくさんありますね。貴方は本当は優しい方なんだね。僕は誤解していたよ」と言った。
「さぁ、それはどうでしょうか?」とグウィネヴィアも微笑した。
エドガーはあまり笑わないグウィネヴィアの笑顔を暫く見ていたいと思った。その少女のような笑顔にエドガーは何故か懐かしい気持ちになっていたのである。
エドガーはごく親しい人の前でしか使わない「僕」と言う言葉を使い始めていた。二人は一層親しく語り合った。このまま暫く現実に戻らなければいいとさえ思っていた。
雨は止んだようだがさらに霧が深くなり、辺りも暗くなり始めてきた。雨をたっぷりと吸い込んだ老いた木の香りが二人を包み込む。遠くではベヒーモスの鳴き声と重なったジェフリーの声が聞こえてきた。
「エドガー様……」
ゆっくりと現実に引き戻されるエドガーであった。
「ロニ! 傷は大丈夫なのか!?」
エドガーが傷の手当てを済ませ落ち着いたところに、マッシュは早くもエドガーの怪我を聞きつけ、慌てて彼の部屋へかけつけてきた。
「この通り、全然心配はいらないよ。傷は浅かったし、グウィネヴィアが応急処置をしてくれたからね」
「ロニが怪我をしたと聞いて、びっくりしたよ!」
マッシュは変わらぬエドガーを見て安心したようだった。
「それにしても、誰から聞いたんだ? 出迎えた兵士と薬師の者には内密にと言っておいたのだが…」
「ばあやから聞いたよ」
「ばあやから? ……と言う事は既に父上のお耳にも入っているだろうな。何て噂の早い城だ」
エドガーは飽きれた顔をした。
「と言うことは暫く狩りには行けないな。仕方がない……、ジェフリーの言う事を無視して森の奥へと行ったからな……。明日からは大人しく、父上の補佐をするしかないようだな…」とエドガーは苦笑した。
「ロニ……」マッシュはそんなエドガーが本当は落胆しているのを痛いほどわかっていた。
「僕も元気になった事だし、手伝うよ!」
「レネーは近頃、ダンカン師匠の所へ行っていなかっただろう? 父上の補佐は今は僕一人で充分だよ。それより、レネーが健康な体になる事の方が先だ」
「ロニ…」
「ほとぼりがさめたら、一緒に狩りに行こうよ!」
「そうだね。ロニは狩りが本当に好きなんだな」
「ジェフリーやグウィネヴィアと一緒にいると、自由を感じるんだ。彼らとて決して自由の身ではないのだが…、何だろうな…その生き生きとした二人には影響されるんだよ、希望があるみたいで!」
と言ってエドガーは窓の側へ寄り、窓を開けてバルコニーへと出た。
空に浮かぶ蒼白い月は砂漠を一層妖しく黄金色に輝かせていた。
「レネー、月が綺麗だ」
マッシュもバルコニーに出てエドガーの隣で月を仰ぐ。
「本当だ」
「僕はいつか……噂に聞く飛空挺という空を自由に飛びまわれる機械を造りたいんだ! 世界中を旅するのはもちろん、あの月に届くほど空を駆け巡りたいな……」
「僕も……。もう僕の寝室から見える砂漠の風景だけはたくさんだよ!」
マッシュは微笑した。
エドガーも微笑して「叶うなら…みんなで…グウィネヴィアやジェフリーも連れて…異国の地で狩りもしたいな…」と呟いた。
心地よい優しい風がエドガーの長い髪とマッシュの肩までの髪を揺らした。その流れるような二人の髪は月の光に照らされ、黄金色の砂と同じ輝きを放っていた。
現国王一家は元来、舞踏会のような催しをあまり好いてはいなかった。しかし舞踏会は貴族達の伝統の行事であり舞踏会好きな貴族の為にも、国王陛下を祝う行事と絡めて年に数回の宴は催していた。
きらびやかな正装に身を包んだ紳士淑女がダンスをしたり、語り合ったりする社交の場を特にマッシュは苦手であった。幼少の頃から床で臥せっている事が多かったのもあり、この堅苦しい衣装が既に億劫であったのだ。彼は殆どの舞踏会を辞退していたが今日の国王陛下の誕生日を祝う宴にめずらしく臨席していた。
エドガーも本来はこういった場を好きではないが、彼は慣れた物腰を自然に出来るように備わっていた。
弦楽器が優雅な音を奏で始めると、絢爛豪華な衣装を纏った人々が踊り出す。国王一家はその模様を王座の間から静かに眺めているのが常であった。むやみに席を立ったり、ましてや王妃亡き男所帯の現国王一家は夫人達に声を掛けようものなら、全貴族の注目の的である。それだけに公の場での行動は慎重でなければいけなかったのだ。
しかしエドガーは、遠くでジェフリーらしき人物と同伴の女性から目が離せなかった。決して派手目ではないモスグリーン色のドレスに身を包んだ女性は、軽やかなステップと同時に長いレースの裾は華麗に揺れていた。そのドレスからすらっと伸びた白くて細い腕、微かに揺れ動く金色の髪。
そしてジェフリーからは片時も目を離さない様子。
「ロニ!」
突然エドガーが席を立ったのを、隣席のマッシュは驚いた。
そして次の瞬間、弦楽器の音はピタリと止んだ。
踊っていた貴族達はすぐに王座の間へと目線を向けてその空気を察し、当たり前のように王子の通路を確保するために両脇へと下がり、軽く頭(こうべ)を垂れた。
貴族達はこの王子が何処へ向かうのか内心は興味津々であったが、そんな彼らの思惑などまるで知らぬかのように、エドガーは貴族達の間を抜けて颯爽とジェフリーの元へ向かった。
マッシュは驚いたように父の顔を覗ったが、国王は何事もなかったように先程と同じ表情でいる。
エドガーはその二人に近づいてみて初めて気付いた。ジェフリーの同伴の小柄なレディはまさしくグウィネヴィアであった。
グウィネヴィアとは狩りの時にしか会っていなかったエドガーは、レディらしい衣装で正装した彼女を見るのは初めてである。
グウィネヴィアは背の高いエドガーに見下ろされ驚きもせず、膝を折って優雅に軽く会釈をした。
エドガーは彼女からレディらしい挨拶を受けた事に更に驚きを隠せない様子である。グウィネヴィアに懐かしさを無意識に感じていた。
そしてそれと同時に胸の鼓動が高鳴り始めていたのを抑えられなかった。
「すまないが、こちらのご夫人とほんの少しの時間をいただけるかな」
エドガーは狼狽を隠そうと落ち着き払ってジェフリーに言った。
「はっ!」ジェフリーは王子に頭を下げ、一歩後ろへと下がった。
エドガーがグウィネヴィアの白い手を取って並ぶと、多数の弦楽器は音楽を再開した。
狩りをしていた時とは想像もつかぬほどの華麗なステップを踏むグウィネヴィア。エドガーは戸惑いながら自分自信が彼女のペースにのっていることに気付き、懐かしい新緑の香りが遠い日の記憶を呼び戻した。
「もしや、貴方はあの時の………私の幼い記憶の中の……!」
「ようやく思い出して下さいましたね。嫁ぐ日、エドガー様がその変わらぬ瞳で私を見送って下さったのを今でも鮮明に憶えております」
グウィネヴィアは小さな唇を静かに動かした。
弦楽器が奏でる音に合わせてステップを踏むと同時に白い肩の上で揺れる端正に整えられた金色の巻き髪。噎せ返る香水の匂い。
エドガーを見上げる青くて真っ直ぐな瞳。レースの袖から伸びた白い手。コルセットで締め上げた小さくて細い腰の線。
エドガーの鼓動の半鐘が大きな音をたてて早く打ち出した。その音がグウィネヴィアや周りの人に聞こえているのではないかとさえ思えてくる。
グウィネヴィアはあの日洞窟で見せた輝く笑顔でターンを繰り返した。エドガーはそのターンの後に揺れ動く金色の巻き髪にくちづけをしたくなった。
しかしその揺れ動く髪の肩越しにグウィネヴィアを見守る騎士ジェフリーの姿があった。
その青い瞳、動く小さな唇、輝く笑顔を見るたびにエドガーの脳裏にはまるで映画のシーンのようにジェフリーとグウィネヴィアのカットが多数流れ出した。
ターンを繰り返すたびに視界に入るジェフリーの視線とグウィネヴィアの噎せ返る新緑の香りにエドガーは眩暈を覚えた。
ふいにエドガーは彼女の手を離す。
「すまない……」
グウィネヴィアの見詰める瞳からそっと目線を外したエドガーは、早々に体を翻し立ち去った。
「エドガー様!」
立ち尽くすグウィネヴィアは全ての動きが止まった貴族達の注目の的であった。
マッシュは足早にエドガーの後を追いかけた。
ジェフリーは一人残されたグウィネヴィアの元へ行き、肩にそっと手を置いた。貴族達の囁き声、冷たい視線に囲まれる二人。
そんな雰囲気を壊したのは王座に座った国王陛下であった。
「ゴホンッ!」
響き渡った国王陛下の咳払いに一同は一瞬にしてその視線を二人から王座の間へと移す。そして「続けよ」と威厳のある声と同時に何事もなかったように音楽やダンスは再開された。
顔を強張らせたエドガーは後を追う女官達の声も届かぬ様子で廊下を歩いていた。小うるさい女官達を追い払うために近くの部屋へと入り、後ろ手で鍵を掛けた。
薄暗いその部屋はテラスからの月の光がほんのりと照らし、中央にあるピアノの輪郭を浮かび上がらせてた。エドガーはすぐに部屋の暗さに目が慣れたようで、ここが一階にあるピアノの部屋だと確認したようである。
大きなドアの外では女官達が騒いでいたが、その中にマッシュが女官達を下がらせる声が聞こえてきた。暫くして、ドアを叩く音。
「ロニ! 一体どうしたんだよ! ロニらしくないよ」
エドガーはほんの少しの間黙っていたが、マッシュはさすがに無視できない様子である。
「……レネー、悪いけど、今は一人にしておいてくれないか?」
「……わかったよ、ロニ」
エドガーの言う事に何も疑ったり、無理強いをしないマッシュであった。エドガーの只ならぬ様子をマッシュは一番よくわかっているのである。
「父上やジェフリー達には急に具合が悪くなったとレネーから伝えておいてくれないか? それと、暫く誰も近づけないでくれ」
「……わかった……そのように取り計らうよ。とりあえず、僕は戻るよ」
エドガーからの返事はなかったが、マッシュはその場を離れた。
エドガーはピアノの前に座り、その上に頭を凭(もた)せ掛けてテラスの向こうの月に照らされた砂漠を眺めた。
ジェフリーがグウィネヴィアを見る時の高潔な瞳。グウィネヴィアがジェフリーを見る時の冷めた瞳の奥に隠された情熱的な眼差し。
グウィネヴィアと二人、洞窟でジェフリーを待っていた霧の夜、エドガーの安否を気遣いながらもグウィネヴィアの無事に安堵していたジェフリー。
そして今宵、華麗にステップを踏むグウィネヴィアの瞳は真っ直ぐジェフリーの真摯な瞳を離さなかった。
エドガーは二人と共にした数々の場面を思い出せば思い出すほど、二人が愛し合っている事実に直面したのである。
「けれど……心は自由でも、決して軽はずみな事はできません」
と語ったグウィネヴィアの声が頭の中で繰り返した。何度も、何度も!
何故こんなに胸が張り裂けそうなのだろう?
グウィネヴィアの軟らかくて小さな手、小さな唇、そして見事な金色の巻き毛……。
これが恋というものなのだろうか? 恋……。
そして、今ジェフリーに嫉妬さえ覚えている! 何て愚かな事だろう? 恋とは! 誰も教えてはくれなかった! 恋とはこんなにも心苦しい事なのか? 馬鹿げている…。
遠くで馬車の音が聞こえてくる。舞踏会から引き上げる貴族の馬車だ。エドガーは無意識のうちにテラスの前に立っていた。
月に照らされた砂漠がみるみるうちに陽に照らされたように黄金色の輝きを放った。
ゆっくりと金で縁取った白い馬車の影が近づいて来る。
その馬車の中に一人の貴婦人を捉えた。
肩の上で馬車の揺れに合わせて動く金色の巻き髪……。
ゆっくりとその幼き貴婦人はこちらへと目線を動かした。
貴婦人の姿を見詰める深く蒼い瞳の小さな少年。
貴婦人は少年の姿が見えなくなるまで、少年はその馬車が砂煙に消え行くまで二人は見ていた。
馬車の音が消えるのと同時にエドガーの脳裏に浮かんだ遠き日の夢は夜の砂漠へと消え去った。
エドガーはピアノの前へと戻り、目を閉じて静かに月光のソナタを弾き始める。そしてあの日と同じ馨(かぐわ)しい新緑の香りに溺れていくエドガーであった。