SUNWARD 1
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――腹、減ったなぁ――
ザックスは、どこぞの店に勝手に引き寄せられる足に気をつけながら、百万回目の愚痴をこぼした。
四番街の商店街はミッドガルの胃袋といわれているだけあり、高額の料亭からカップルのためだけにあるような気恥ずかしいバー、お子様大歓迎のファミリーレストラン、質より量の定食屋、そしてストリートに必ず一軒以上はあるファースト・フードまで、種々雑多な食べ物屋が、客が金を落としにくるのを手ぐすね引いて待ち構えている。
空腹時だと、ちょっとでも気を許すと、そのまま食べられそうなサンプルケースの品々や、そこかしこから漂う匂いの誘惑にすぐにでも屈服しそうになるので油断大敵なのだ。
彼が激烈な訓練の帰りに遠回りをしてまでここまで足を運んだのも、第一の理由が他の街よりも確実に安く食事ができるからである。
――ったく、あの教官め、俺たちをなんだと思ってやがる。人間離れしてるのはソルジャーで、
そこでふいに思考がとまり、のたのたした歩みもとまる。この胸糞悪い苛立ちを何かのせいにしたくて一番嫌いな教官をターゲットにしてみたが、逆効果だったようだ。
こんな羽目に陥るとは思ってもいなかった分、その衝撃は想像以上に大きい。
訓練なら、どんなに厳しくても耐えられた。
どんなに金がなくても、どうにかしのげた。
が……
……候補生になれなかった、か……
訓練も、金欠も、どうってことない。そばに誰かいさえすれば。
故郷にいたときも、
もっとうれしいと思っていた。ソルジャー候補が脱落することはまずないのだから、候補生になったことでソルジャーへの道は確約されたことになる。当初の目的に近づいているのだ。ソルジャーになって華々しく活躍し、有名になる――家出までしてここまで来たのはただそれだけのためだ。
神羅軍に入隊して1年。基礎訓練が終ったばかりのヒヨッコたちが、ソルジャー候補生になる可能性は限りなくゼロに近い。それがわかっていて彼らが資格試験を受けるのは様子見と自身の実力判定のためで、
――間違って試験に合格したやつがいても、俺たちずっと友達だよな……
冗談でそう言ったのは誰だったか。全員がおうと応えた。あのときは誰もがそう思っていた。
合格発表のあともその意識が変わらなかったのは彼だけで、それはおそらく合格した余裕からくる寛容だったのだろう。もし自分が落ちていたら、一人だけ合格し自身の有能さを実証してみせた友達にどんな態度をとったかわからない。
とはいえ、候補生になったことで遼を出ることになったときは、全員が祝福してくれた。これで徹夜で騒げるぞ、と新しい住所を教えたときも、今度大挙して押しかけるからな、と言ってくれた。
だが、神羅が彼に与えた新しい住居は彼が苦手とする高級住宅地の高層マンションだったため、彼はそこに落ち着く間もなく半ば強引に引越した。もっと落ち着ける、気取らない人間が気楽に住み、さらに行動範囲内に「遊ぶための夜」が用意されている地区に。
実際は、18歳になるまでは神羅が定めた地区に居住するよう定められているのだが、17歳なのに関わらず、彼がそこから大きく外れたところに住むことが渋々ながら特例として認められたのには、一応それなりの訳がある。
不動産屋が、彼がソルジャー候補生というだけで保証人がなくとも契約してしまったうえに、訓練校の教官たちが彼の転居を知ったのは、彼が「転居してから」提出した転居届を見たときで止める間がなかったのと、特例として認めさせるだけの実力が彼に備わっていたからである。
そんな突飛な行動(という自覚は当人にはない)が、頭のカタイ訓練校の教官たちの反感をかったのは言うまでもない。
おかげで教官たちの監視じみた注目を集めることになり、また、新しい同僚たちは妙にエリート意識が強く、さらに一期生でソルジャー候補になった彼に対してあからさまな妬みやライバル意識を燃やしていて、訓練校において彼が息をつける場所は皆無といってよかった。
候補生になってわずか半月でかつての同僚たちに会いたくてたまらなくなった彼は、酒とつまみをたっぷり用意してから、住所が変わったことを告げに仲間たちのもとに出向いたのだ。
そこで突きつけられた現実。
――候補生様が、俺たちみたいな消耗品になんの用?
初めは冗談かと思った。だが、そうでないことはすぐにわかった。
わずか2週間で人間の為人が変わることはそうない。だが、ひとつの試験の合否が、他人が送る彼への視線を180度変えてしまった。
そして――それが彼の心のありようまで変えることになる。今が、その最悪の時期だった。
「……ん?」
胃袋を満たすことを第一に考えている通行人たちが足早に行き来する街角に、妙に明るい街灯が灯っている個所があった。――いや、違う、そこに街灯などない。が、ぱっと人目を引く何かがある。
……おっ、かわいい。
彼は、一瞬空腹も忘れて向かいの通りにいる少女を見つめた。長い栗色の巻毛を持つ、ほっそりとした花売りの少女。
おそらく、かつての仲間たちといたときに彼女を見かけていたら、「かわいいな」と思うだけで、すぐに忘れていただろう。
今のこんな状況……自分には何の落ち度もないと彼自身は思っているし、事実には違いないのに思いきりへこまされた精神状態だったからこそ、彼女の放つ、穏やかな、それでいて元気をくれる不思議なオーラのようなものが彼の目を惹きつけたのだ。
自身が強く輝いている光は、めったに他の光に気づかない。光が輝きを失い、闇の中で途方に暮れていたからこそ、淡いが確かな存在感のある輝きに気づいたのだ。
そう、今のところ、候補生になったことで当初の目的に近づきはしたが、それが彼にもたらしたものはマイナス面しかなかった。
あえてプラス面をあげるとすれば、候補生ならではの特権で、かの有名人にお近づきになることができたことくらいだ。ただ一度だけだが、おいそれとお目にかかれない(お目にかかりたくもない)上層部の人間と候補生とが、互いの紹介を兼ねて夕食会が開かれたとき、ソルジャーのトップたる神羅の英雄――セフィロスも同席したのである。
誰もが緊張していた。豪放快活を常とする彼も例外ではなかった。酒は12のときからのよき友だが、あのときばかりはそうではなく、新旧取り混ぜての人間関係の過度のストレスと、新聞でしか知らない英雄に会えるという緊張感、それに直前までの苛烈な訓練の疲れが、この数年来のよき友を悪玉に換えて彼から記憶の一部を奪ってしまったのである。
覚えているのは翌日の凄まじい二日酔いと、英雄が意外と「話せる奴」だったという認識くらいで、実際何を話したのか覚えていなかったりする。
初めはその被害の大きさに気づかなかったが、2週間ほど後――ほんの3日前に貯金をおろそうとして、彼は愕然とした。
金がおろせない!
神羅が指定した口座は(彼が18歳以下なので)自動貸付ができないものだった。そのおかげですぐにわかったのだが、口座には彼がおろそうとしたわずか500ギルも残っていなかったのである。
貯金は一応しているが、それは残高が1,000ギルを割らないように心がける程度のもので、他の銀行に口座をつくっているわけでもなく、貯金をおろすたびに残金をいちいちチェックすることもなかったが、それでもどれくらい残っているかだいたいは把握していた。
予定外の引越で貯金はほとんど使い果たしてしまったが、その後、候補生になれたことで何故か金一封が出たし、名目上は訓練校の生徒ながら、実務に携わることもあるため給料がでるようになって、すでに2ヵ月経過している。
彼の計算では、口座にはあと5,000ギルは残っているはずなのだ。
……が。例の夕食会の日に、彼はその5,000ギルを自らおろしていることに気づいて呆然とした。どうやら酔った勢いでパーッと使ってしまったらしい。それでも気をつけていれば、どうにか給料日まで食いつなぐくらいはできたはずだが、金をおろした記憶が見事にすっぽ抜けていたためにかような事態に陥ることになってしまったのである。
本日ただ今の残金327ギル。給料日まであと4日。1日三食しっかりとり、一食につき70ギル以上は必ず使う彼にはかなり厳しい。が、腹は減る。殺人的な訓練に耐えるためにも食事はとりたい。しかし、金がない。小遣いのやりくりに苦労した覚えはあるが、わずか一週間のこととはいえ、ここまで経済的苦境に立たされたのは初めてである。
借金できる友人がおらず、サラ金も未成年ということで門前払いをくらい、こうなると割かれるのは当然娯楽やエンゲル係数になる。
そのため、彼はミッドガルの胃袋に日参することになったのだ。いくら安いとはいえ、自炊したほうが断然節約になるのだが、食事は一人でするものではないという信念を持っている彼は、そこにいるのが見知らぬ他人だとしても、人がいる空間を欲して意固地なほど外食にこだわった。
彼としては胃袋に重点を置いたところよりも、もう少し色気に重点を置いた界隈のほうが馴染み深いのだが、そういうところは貧乏人には非常に冷たい。
もっとも、たとえ金が入ってもそちら方面にはそうそう近づかないだろうな、という妙に冷めた予感があった。いくら女の子がたくさんいても、一人で行くのはやはりつまらない。野暮な野郎どもとノリのいい女の子たちとで騒ぐのがいい。だが、あの愉快な喧騒はあまりにも遠いものになってしまった。
ただの一兵卒とソルジャー候補とでは、あまりにも周りの態度が違いすぎる。時が経てばそれに慣れ、いつか前のように気のおけない仲間ができるだろうか? あの妬みとライバル心が剥き出しの連中から。
それとも、この殺伐とした人間関係が、「有名になる」ための代償なのだろうか。
生まれてこのかたほとんどつきあいのなかった「孤独」が、彼の心境を大きく変えた。――だから、彼女に気づいた。
彼にとって、彼女はどこにでもいる「女の子」ではなく「癒し手」だったのだ。
「いまどき、花なんて売れるのかな」
我に返ったとき、彼女の姿は視界から消えていた。せっかく見つけたあたたかな灯火をうっかり見失い、残念そうに呟く。
「ご心配なく。いまどきだから、結構売れるの」
うしろから声。驚いて振り返ると、いつの間にかこちら側に渡っていた彼女が、すぐそばで微笑んでいた。
「どんな花をさがしてるの? ここになくても明日でよかったらさがして持ってきてあげる」
そう言って花で埋まった篭を差し出す。
「え? いや、別に……」
あまり唐突でつい本当のことを言ってしまう。
こういうとき、嘘でもいいからちょっと特別な花を注文すれば、明日もう一度会う口実が持てたのだが。どうやら、こういうシチュエーションはあまりに久しぶりすぎて勘が鈍ったようだ。
「そう? じっとこっちを見てたから、何かほしいお花があるのかと思ったけど」
「それは……」
君を見てたんだ。冗談でもナンパの常套句としてでもなく、本心からそう言おうとしたのだが、それを邪魔するようにいきなり胃袋が空腹を訴えて絶叫した。
一瞬の、間。
「びっ、びっくりした……おなか、すいてるの?」
彼女の緑色の双眸が、大きく見開かれる。
恥ずかしいというよりも情けなくて、何も答えられなかった。彼女の眼差に、軽蔑や幻滅した色がないのがせめてもの救いである。
「これ、食べる? さっき、お花買ってくれたおばあさんからもらったの」
そう言って彼女が花籠を包む布のポケットから取り出したのは、一枚の板チョコだった。
「え? いいの?」
「どうぞ。チョコが苦手じゃなかったら――」
彼女がそう答えている間に、彼は板チョコの包装紙を破って、そのままバリバリと頬張っていた。
「……よっぽど、おなかすいてたのね」
板チョコの一気食いなど、初めて見た。
「そりゃーもう! ほんと助かったよ。ついでと言ってはなんだけど、この辺で安さが売りの店って知らないかな? 案内してくれるとすごく助かるんだけど」
ナンパのつもりは毛頭ない。それよりも切実だった。名店ならタクシー運転手に聞けというように、自分の足で商売をしている彼女ならどこか知っていそうな気がしたのだ。
「安くて、量もあるとこ、ね」
彼の体格を見れば、自分の2倍くらいがちょうどいい分量だろう。彼女がそう言うと、彼は藁にもすがるような眼差でうなずいた。よほど切羽詰っているらしい。着ているものは私服か支給品か微妙なところだが、動きやすさを重視したそれでも質はいいもので、まだかなり新しい。
この辺りでは珍しい漆黒の髪を無造作にのばしているが、その中に収まる顔は見るからに人懐こい。そのため、筋肉質、長身、ハリネズミのような髪型でも、不思議とむさくるしくはなかった。自分より少し年上といった感じの、肉体派好青年である。
「うん。わたしもそろそろ食べようかなって思ってたところだから、案内してあげる」
「……たすかった……」
遭難者が餓死寸前で救助隊に発見してもらえたような呟きに、彼女はやさしげにくすりと笑った。
すぐ近くだと思っていたら意外とそうでもなく、板チョコで得たなけなしのエネルギーが切れる寸前で、ようやく目的地にたどり着いた。
「最近できたばっかりで穴場なの。もう少ししたら、きっといつ行っても混むようになっちゃうんじゃないかな」
彼女はそう言ったが、もう少しも何も、店はすでにほぼ満席状態だった。
確かにほどほどに安いし、他のテーブルに出されている定食はそれなりの量がある。条件が条件だったのでてっきりむさい男ばかりかと思ったが、カップルや学生が半分、サラリーマンやOLが半分といったところか。流れている曲も若者向けで、店のつくりからしていい雰囲気を醸しだしている。
「ちょっと、注文してから食事がくるまで長いのが、唯一の欠点かな」
「えっ」
狂気乱舞する胃袋を押さえつけながら前金を払い、空いたばかりの席に陣取ってふぅっと一息ついた彼に、彼女が鋭い楔を打ち込んだ。
「でも、それまでのお喋りが前菜だから」
あからさまに落胆した彼に、彼女はとりつくろうように言った。
そう言われて、彼は改めて目の前に座る少女を見つめ直した。
歳は多く見積もってせいぜい15、6歳、細身で、セミロングの髪を大きなリボンで結わえているためあどけなさが際立っているが、どこか芯の強さを感じる。だからこそ、夜の街でたった一人で花を売ることができるのだろう。
他意はなかったが、結構、いや、かなりいい子と知りあいになれたのかもしれない。
「そういえば、自己紹介がまだだったな」
彼はそう前置きしてから、まず自分の名前を告げた。彼女もそれにならって名前を言い、「見てのとおりのスラムの花売り」とつけ足した。
そう言われるとこちらも職業を言わなければならない気がしたが、彼女――エアリスに向かって「軍人」という無粋な言葉は使いたくなかった。それは、おそらく、一兵卒とソルジャー候補生に対する、待遇や視線のあまりの違いにいい加減嫌気がさしていたせいもあるだろう。
「俺って、何してるように見える?」
「えと……どこかのジムのインストラクター」
昨今彼くらいの年頃で彼ほどの体躯であれば、真先に出てくる職業は軍人だろう。だが戦場ははるか遠く、徴兵制でもないうえに軍需景気で沸き返っているミッドガルでは、戦時中だという緊張感があまりないため職の選択肢は無数にある。
「当たり! それに新米ってつくけど」
彼女が言うのならなんでもよかった。「軍人」と言っていたら肯定していた。彼女がこのありきたりの職業を初めに口にしなかったのは、軍人に対してあまりいい感情を持っていないからかもしれない。
賑やかさを友とする彼に対し、彼女は聞き上手であり、自分から新たな話題を提供してくれる語り上手でもあった。おかげで始めて会ったというのに話題を探すこともなく「前菜」は思った以上に楽しくて、彼女の言葉どおりかなり経ってから食事がきても、それほど待たされたという感じはなかった。
とはいえ、食事中は一転して静かになる。一心不乱に空腹を満たす彼に当然喋る余裕などなく、彼女も彼にあわせて黙々と食べた。
「あっ」
彼がようやく言葉を発したのは、食後のコーヒーを(無料ということで)おかわりしたときだった。
彼女は彼よりも少しだけ早く店内に流れる曲を捕らえ、すでに顔を上げていた。
「SUNWARD、ね。好き?」
「好きっていうより印象的、かな」
コーヒーをすすってからどこか感慨深げに答える。
「『シルベスター』はきらい?」
彼女は少し声を低くして尋ねた。
シルベスターとは、今、絶大な人気を誇る3人組の実力派ロッカーのことである。特に、作詞担当のヴォーカルに対する十代の少女たちの支持率は凄まじいばかりで、彼女らが多く行き来するストリートや、通学時の駅、電車でうっかり彼の悪口を言おうものなら、文字どおり「大変なこと」になる。また、だからこそ意味もなく嫌う輩もいる。彼女が声をひそめたのはこの辺を考慮してだろう。
「いや、好きも嫌いも他の知らないから。もしかしてファン?」
彼女も現役の十代の少女だ。
「ファンっていうほどじゃないけど。知らないとお客さんと話せないし、どこででもよく流れてるし、詩が結構いいから」
……と、言うことは、花売りのためだけではなく、きちんと歌詞を聞いているということだ。
「俺、あまり詩は聞かないからなぁ。曲のノリさえよければいいから。これだって、仲間内で話題になったときに初めてちゃんと詩を聞いたくらいだし。でもびっくりしたよ。よく神羅がこれを出すのを許したなって」
「そう、ね。反戦の歌に聞こえるものね」
「聞こえるなんてもんじゃないよ。ええと、一発の銃声が百の報復を呼ぶ、昨日の遊び場を今日長い柵が二分する、だっけ? それから、柵向こうの種を風が結びこちらで芽吹く、どんな名前で呼ばれても花は咲く、烟る大地にも花は香る……。烟るって硝煙のことだぜ。戦場でこんなの聞かされたらたまんないじゃないか」
詩は正確ではないが、それでもよく把握している。
この曲がゲリラ的に発表されたとき、かつての仲間たちの間で数々の物議をかもしだした。みな念頭に「戦場で」という言葉があった。自分たちが名誉欲や軽い気持ちで選択した職業が、必ず行き当たる現実をいきなり目の前に突きつけられたのだ。
うっかりあのときの勢いで語ってしまった彼は、はっと我に返ると場をとりつくろうために空のコーヒーカップを口に運んだ。
「男の人だと、聞き方が違うね。わたしはね、当たり前のことを詩にするんだなって感心しちゃった」
「当たり前?」
「うん。花って、自分がなんて呼ばれていても関係なく、当たり前に咲いて当たり前に散るでしょ。そこがどこだって関係なく、種が落ちたところに咲くでしょ。そんな当たり前のこと、当たり前すぎて忘れちゃったことを改めて聞かされると、そんな当たり前なこと忘れてた自分にびっくりして、それを忘れずにいた人ってすごいなって思うの」
「……ふーん……」
そんなふうに思ったことはなかった。
俯く者が見るのは影
赤い地でさえ 花は太陽を仰ぎ見る
訊け 君は花を見た
訊け これが最後のチャンス
自分が何者なのか
自分が何をしているのか
彼は歌のサビの部分を聞きながら、「当たり前なこと」について考えてみたが、彼女が何をそんなにすごいと感じたのかいまひとつ理解できなかった。
それは、彼女が女の子だからなのか、それとももっと根本的な何かが違うからか……それも、わからなかった。おもしろいというより、変わったことを言う子だな、と思う。たわいのない話だ。けれど、それをそう感じさせない。
「あのさ、よかったら、明日、今日のお礼に俺がご馳走するよ」
彼が言うと、彼女は少し考えてから頷いた。
その笑顔を見て改めてかわいいな、と思う彼であった。とはいえ、それは年頃の女の子に対する言葉というより、小さな子供に対する言葉としてのニュアンスのほうが強かった。
――このときは、まだ。
2
「おっ!」
彼は、人気のない廊下をやってくる人影を見て反射的に歓声をあげた。
「いた! えいゆうぅっ。捜したぜ!」
必要以上の声量で叫び神羅のトップソルジャーに大きく手を振る。昼休みかけて捜しまわり、タイムリミットまでわずかだった。声をかけられたほうは驚いたように振り返り、こちらに突進してくる後輩にわずかに苦笑する。
「いやー、見つからなかったらどうしようかと思った」
叫びながら、長身の自分よりさらに上背の英雄に笑いかける。
「よくわかったな」
地下の資料室前である。昼休みにこんなところに来るのは、次の講義の仕度を忘れた教官に命じられて教材を取りにこさせられた新米くらいだろう。
「そりゃーもう、さんざん捜し……ましたから。いなかったらどうしようかと思いました」
肩で息をしながら心底安堵したように言う。この様子では何か緊急事態が発生したわけではないようだが、だとしたら何があったというのだろう。英雄は不思議に思いながらも後輩の言葉を待った。
「あ――あの、お願いがあります!」
彼は突然直立不動の姿勢をとって敬礼し、真面目な顔で切り出した。
「なんだ」
「その、不甲斐ない後輩のために資金援助をしていただきたいのですが」
昨日、彼女におごると言ってしまった以上、まさか定食屋に連れて行く訳にはいかない。アルコールが出るようなところには行かせられないが、それでもそれなりのところに案内したい……となると、どう考えても資金繰りが厳しい。
彼が頼れるのはこの英雄だけであった。断られることを承知での大博打である。最悪の場合、今夜で有り金を全て使い果たし、あと2日食事抜きを覚悟しなければならない。
「残り2日か、まあ頑張ったな」
「――は?」
一発殴られるか、説教されるか、呆れられてそのまま立ち去られるかと思ったが、意外にも返ってきたのは感心したような謎の言葉だった。
「まさか、このことも覚えていないのか?」
鮮やかな緑色の瞳が呆れたように見開かられる。それでも彼はきょとんとしていた。この英雄様とは、あの夕食会の翌日にもう一度会っている。二日酔いの薬をもらうために参じた医務室ではちあわせになったのだ。
そのとき英雄は苦笑いをもらし、お前もか、と呟いた。昨日の記憶がほとんどなかった彼はあいまいに頷き、三次会か四次会くらいで差しで飲ませていただいた気がします、と答えた。その返答は、気がするではなく本当にそうだった、というありがたくも衝撃的な
「ええと、俺、何か言いましたか」
戸惑う彼に英雄は軽いため息をついた。
「差しで飲む前のことだから覚えているかと思ったが、そうではなかったようだな。いいか、普通、ああいう夕食会はせいぜい二次会で散会するのが普通だ。当然上層部はそれにつきあうことはない、たいてい仲間内でやる。それを、お前がオレを強引に巻き添えにし、恐縮しまくる他の候補生を尻目に三次会まで勝手に盛り上がり、四次会まで繰り出そうとした」
「……え……えと、そうでしたか」
自分でも顔が引きつるのがわかった。
「次の日のこともあるからいい加減散会させようとしたオレに、お前は自分が出すからとその場で金をおろしてみせた」
「あの5,000ギル……」
「それでもオレは全員を帰し、無駄遣いはするなと言って口座に金を戻させようとした。そうしたらお前は、これがなくても次の給料日までちゃんとやれるからと息巻き、金をオレに押しつけた」
「押しつ……」
「見るからに何か鬱憤がたまっていたようだったからな、かといってお前は愚痴をたれるような真似はしなかったし、それでオレが四次会までつきあってやったというわけだ。どうだ、思い出したか」
「…………」
返す言葉もない。もうだめだ、そう思った。よく今までなんのお咎めもなかったものだ。
「お前、17歳だそうだな」
硬直する彼に、英雄はいきなり話題を変えた。
「は、ははい」
「お前の
「ええ!」
思わず素頓狂な声が出た。よりによって、かの英雄に始末書を書かせたのか、俺は!
全身からさーっと血の気が引いて行く。
「そういえば、軍が用意したマンションを勝手に引き払い、別の地区に引越したそうだな」
「……はい」
「一期生で候補生になれたからこそ許された暴挙だ。だが、上官たちの堪忍袋の緒はそれほど頑丈にできていない。お前、媚びを売るのはあまりとくいそうでないからな、実力で黙らせてやれ」
てさりげなく後輩を激励し、英雄はおもむろに懐から金の入った封筒を取りだすと彼に手渡した。
「お前が晴れてソルジャーになれたら、そのときこそ5,000ギル分おごってもらう」
英雄はそう言って踵を返し、呆然として立ち尽くす彼の前から立ち去って行った。
少しばかり……いや、かなり複雑だが、とりあえず金は手に入った(正確には戻って来た、だが)。彼はそれを手に彼女と再会し、楽しいひとときを過ごすことに成功、それをきっかけに彼女と週に一、二度夕食をともにするようになった。彼が彼女に全く色気を望んでいなかったので、彼女も気を許すことになったのかもしれない。
こうして楽しみがひとつできると、あの過酷でしかなかった訓練が意外と楽にこなせるようになるから不思議だ。
それに、あのあと廊下で偶然すれちがった英雄に一言礼を言ったことで、彼が「あの英雄と気さくに話せる仲」と目されるようになったせいか(彼としてはそれなりに敬意を表して礼を言ったつもりだったのだが)、同期生たちの態度もだいぶ軟化してきた。
敵愾心がなくなってみると、同期生たちは彼が思っていた以上に癖のある連中ばかりで、少しずつではあるが彼らとも打ち解けられるようになっていった。
この現状の180度の好転が、彼には全て彼女のおかげのように思えてならなかった。
――幸運の女神ってやつかな……
それがこんなにかわいいコなら大歓迎だ。
その女神がなんだか落ち着かないな、と思ったのは、彼女と夕食をともにするようになって数回目の日のことであった。
レストランから出て、すぐにその理由に気づく。視線……。誰かが尾けている。彼はさりげなく彼女と話しながら少しばかり道をそれ、彼女をポストの影に立たせるとちょっと待っててと言って踵を返した。そうして、平静を装って角を曲がって来た男の腕をいきなり締め上げる。
「いい大人があんなコにストーカーか、おい――」
そこで思わず言葉を切る。相手はこんな夜にもサングラスをかけたハゲ頭の男で、訓練を受けた者の体躯をしていた。それもそのはず――その男が着ているのは、神羅の特別諜報活動員、通称タークスの制服だった。
「……お前、こういうハレンチなことはせめて私服でやれよな。それとも神羅はストーカーを仕事とするようになったってのか」
男は、彼が締め上げたときからずっと無言だった。そう訓練されているからか、もともとの性格からか、どちらとも言えない。
「なんとか言えよ、それともこのまま警察にしょっぴいてやろうか!」
さらに締め上げても、男はうめき声ひとつもらさない。
「待って!」
そこに駆け戻って来た彼女が叫んだ。
「違うの。その人、ストーカーとかじゃないから放してあげて。なんでもないから」
「なんでもって、兄貴が妹を心配して見に来たって訳でもないだろう」
「ち、違うけど」
彼がそう言ったのは実体験に基づいてなのだが、まさかそんなふうに言われるとは思わなかったらしく、彼女は気抜けしたように答えた。
「なんでもないの、ほんとに。あ……あの、いままでありがとう、楽しかった。もう、会わないから――さよなら!」
彼女はいきなりそうまくしたてると、くるりと踵を返して走って行ってしまった。
「さよならって、ちょっと待て!」
今のは明らかに、この男に自分と彼女がもう会うことはないと宣言するための言葉だ。彼女が自分と会っていることが何故いけないのか。彼は男を突き放し、彼女のあとを追った。
「待てよ!」
彼女は全速力で走り、駅に続く階段を降りようとしていた。その途中で辛うじて捕まえ、肩で息をしながらもう一度待てよ、と言う。
「なんだっていうんだ、あの野郎はなんなんだ? 俺たちただ一緒に飯を食うだけじゃないか、なのになんでさよならしなくちゃならないんだよ。俺、結構君のこと気に入ってたんだぜ。気取らないし、ちょっと変わった考えしてるところがまたいいし、会ってて楽しいし」
「……あれ、タークスっていうの。神羅の――」
「裏方の仕事請負人、だろ。そんなやつらがなんだって君みたいなコを?」
「――そういう人たちに、つけ狙われてるの。わたしに近づく人、みんな調べるの。あなたのことだって……。ごめんね、こうなるのわかってたのに、ずっとあなたと会ってた。あなた何もしてないのに、神羅に調べられてるなんて上官に知られたら、それだけで仕事なくしちゃう」
「それでさよなら? 冗談、それくらいで馘にするようなところだったらこっちから辞めてやるさ。それに、俺、神羅の人間だから大丈夫だよ。インストラクターってのはごめん、嘘」
その言葉に彼女はこっくりと頷いた。
「なんとなく、ね、わかってた。だから少し驚いたけど、話しかけたのはわたしからだったし、あなた、わたしのこと全然知らないみたいだったから……。部署は総務じゃないとしても、どっちにしろあなたの立場、悪くなるかもしれない」
きっかけは『SUNWARD』だった。あのときの会話で彼が軍人だということがわかった。しばらくしてソルジャーの候補生であることも。
「だから、構わないんだって。俺、こう見えても将来有望なんだぜ。これくらいのことで辞めさせるもんか。それに、君に会ってから立場が悪くなるどころが好転づくしなんだ。君と会っていて悪いことなんて起こらない、絶対」
「……ありがと」
彼女のその言葉に、彼はようやく手を離した。
「そう言ってくれたの、あなたが初めて。みんな、わたしが神羅に目をつけられているっていうだけで引いてたから。でも、だから、さよなら」
「え――おい!」
彼女は身を翻すとまるで鳥のようにふわりと階段を飛び降り、ちいさな踊り場に着地するとそのまま走り去ってしまった。
どうしてか追えなかった。彼女の泣きそうな顔を見て、ただ呆然とするしかなかった。
次の日、訓練が終ったあと彼に異動命令が出た。ジュノンでの実習を兼ねた特別研修というのがその名目である。一応メンバーは彼を含んだ数人だが、彼は辞令を手に直談判しに神羅本部に乗りこんでいった。
肩を怒らせ総務部人事課に向かう途中で呼び止められる。振り向くと銀髪の英雄がどこに殴り込みをかけるつもりだ? と訊いてきた。
「そっちは人事課だが……ついに免職でもくらったか」
「俺のことじゃねえよ!」
つい相手が先輩であることを忘れて口走る。
「ほう? まあ落ち着け。そのまま乗り込んでもうまいように言いくるめられるのが落ちだ。向こうは海千山千、お前みたいなのを月に何千人も相手にしているんだからな」
そう言って英雄は側にあったドリンクコーナーを示し、コーヒーを買って彼に手渡した。周りにいた社員はさり気なさを装ってそそくさと離れて行く。
「あんた、上層部に顔がきくのか?」
彼の元来の性格もあるが怒りとは恐ろしいもので、口調は完全に砕けたものになっている。英雄もそれを咎めることなく受け答えをした。今は勤務時間外だ、彼は後輩でも軍人もない――気の置けない奴なのだから。
「そう思うか? 総務部と軍部はほとんど接点がないし、オレはただの一軍人にすぎんのだが」
「そうだな、あんたには関係ない。俺が直接ねじこんでやる」
彼は濃い目のブラックコーヒーをぐいっと飲むと、少しだけ落ち着いた声を出した。
「軍が出した異動の不満なら人事課に言っても無駄だぞ」
「俺のことじゃない。タークスだ」
「タークス?」
英雄はコーヒーを一口飲んでから聞き返した。
「まだ15の女の子をつけまわしているんだ。プライバシーの侵害もいいところじゃないか」
「知り合いか」
「ああ。すげえいいコなんだぜ。あのコがタークスなんかに狙われるようなことをしているはずはない」
「最近のタークスの仕事は、反神羅組織の摘発と粛清、優秀な人材のスカウト、要注意人物の監視だが」
「だから、彼女がそういったことに関わっているはずはないんだ!」
「それほどの仲なのか?」
「――え?」
「ずいぶんご執心のようだが、それほど詳しく彼女のことを知っているのか」
落ち着き払った声で問われ、うろたえてしまう。確かに、彼女のことで知っているのは名前と歳と電話番号くらいだ。あと花が好きなこと、意外とさっぱりとした性格で芯がしっかりしていること、胆が据わっていること……
「いいか、ウータイ周辺諸国との戦争は、当初一ヵ月もすれば終るだろうと言われていたが、すでにこの先何年かかるかわからない泥戦状態に突入して久しい。奴らはこちらの主戦力ではなく補給経路を徹底的に叩いている。長期戦に持ち込めばこれ以上有益な手はないし、実際長期戦に持ち込まれている。それだけじゃなく、我々は、この機に乗じて暗躍しているアバランチとかいう反神羅組織とも渡り合わなければならない。一見戦争に関係ないタークスとて無駄な人員を割く余裕はない。わかるか」
「ああ」
これら事実は公には伏せられており、彼もそれを知ったのは候補生になってからのことである。
「そのタークスが、なんでもない女の子をつけ回したりすると思うか。その子は自分が何故そうされるのかわかっているはずだ、違うか」
「……確かに、わかってはいるようだった」
「ふん? どうやら何故つけ狙われているかお前に話してはいないようだが、なんでもない一般市民を監視するほどタークスも暇ではないということだ。その子も理由がわかっているのなら、やはり何かあるということだろう」
「だとしても!」
「なんだ」
「昨日、俺がそのタークスを締め上げた翌日にこの辞令だ。ジュノン行き、それも明日からだぜ。俺を彼女から遠ざけようって腹に決まってる」
「懲戒免職でなかっただけありがたく思え」
「なん……」
「知らなかったとはいえ、お前がしたのは任務遂行妨害にあたる。普通なら謹慎、ただでさえお前はいろいろしでかしているからな、即刻馘というのが妥当なところだろう」
英雄の言葉はあくまでも淡々とし、説得力がある。
「ソルジャー候補生は確かに金の卵だがな、かといってそうそう好き勝手を許すほど神羅は甘くない。これだけ言ってまだ不満があるのなら辞表をだせ。お前が辞めたところで後釜はいくらでもいるし、当然お前の知り合いの監視がゆるむ訳でもないがな」
「あんた、けっこう意地糞悪いな」
英雄は暗に辞めるなと言っているのだが、彼はそれをその一言で返した。
「ふん――」
英雄はそう言って彼の肩を叩き、おもむろに立ちあがった。結局コーヒーはほとんど飲んでおらず、中身を自動販売機の取り出し口に、ペーパーカップを紙屑入れに放りこみながら口を開く。
「誰にものを言ってる?」
振り返りざま、にやりと笑ってみせる。
「そうでなくてソルジャーのトップなぞやってられるか」
大股に立ち去って行く長身の男をぼんやりと見送っていた彼は、先程まで沸騰していた怒りがすっかり冷めていることに気づいて苦笑をもらし、人事課じゃなくあんたに丸め込まれたな、と内心で呟いた。
3
研修は思ったより早く――半年ほどで終りとなった。てっきりこのまま戦地入りかと思っていたが、彼は再びミッドガルに舞い戻ってくることができた。
そこで彼を出迎えてくれたのが彼女である。あのあと何度も何度も電話して、ようやくさよならを取り消してもらったのだ。
「うぉーい、たっだいまーっ」
三々五々、肉親や恋人たちに出迎えられる同期生とともに、彼はまっしぐらに彼女のもとに駆け寄った。
「おかえりなさい。ね、ちゃんとつくってきたから、どこかで食べよう」
そう言って彼女が差し出したのはやや大きめのバスケットだった。
「やった! 向こうはバンかピザか肉しかなかったから、懐かしいのなんの」
二人はタクシーに乗り込み、カップルより家族での利用者が多い公園を指定した。
「おむすびって、あなたの故郷の食べ物?」
「ん、あのへんの遠足やピクニックの必須料理。おむすびって言葉もなんか好きでさ、直接手で握るだろ、食べてくれる人への思いをこめてさ、お互いを結びつける食べ物だって。母さんが言ってた」
「そうだったんだ。いいね、そういうの」
彼はへへ、と笑いながら改めて半年振りの彼女を見つめた。
「髪、伸ばしてるんだ」
会ったときはポニーテールで肩の下だった髪は、今胸のあたりにあった。
「うん。お母さんも長くしてたから」
「よかった、短くしてたらどうしようかと思った」
「え? あなたも長いほうが好き?」
「あ? うん、そうそう」
ちょっと慌てながらとりあえず答える。それから二人は半年間の出来事などを話し、食事ができる場所ついたのは昼食にするにはいささか遅い時間だった。
大きな噴水のまわりはコンクリートだが、その眼前は広大な芝生とほどよい密度で立ち並ぶ木立とに分かれている。芝生では食後の運動にいそしむ家族連れであふれ、二人は木立の中にある四阿で遅いランチをとることにした。季節は初春、陽が翳りだして冷えてきてしまったが、寒くて外で食べられないほどではない。
彼は見てるほうが気恥ずかしくなるくらいオーバーに喜び、おむすびにかぶりついた。ここまで喜んでもらえれば、初めてのお弁当づくりにほとんど夜を徹してつくった甲斐があるというものだ。
「うおーん、湯葉巻きもある、玉子焼きもある、唐揚げに人参グラッセ、フライドポテト、グリーンサラダ……これ、全部一人でつくったの?」
目を潤ませんばかりに狂喜する彼に、彼女はぺろりと舌を出した。
「母さんにも、ちょっと、ね。でもおむすびは全部わたしの手作り」
「んまい! んー全部食べるのがもったいないくらいだ」
そう言いながら、ぽいぽいと口に運んで行く。
もちろん彼女も食べたが、バスケットはあっという間に空になってしまった。
「あー……ごちそうさま。満腹です満足です」
心の底から満足したように言うと、彼は手をあわせて軽くお辞儀をした。
「よかった、はいお茶」
そう言って彼女は水筒から紅茶を注ぎ、彼に渡した。
「サンキュ。……あの、それで、さ」
彼はくっと一口だけ紅茶を飲むとおもむろに大きなバッグを探り、小さな包みを取り出した。
「お礼っていうか、誕生日プレゼントって言うにはちょっと遅くなったけど、これ」
「え?」
彼女は素直に目を丸くして、それでもうれしそうにきれいに包装された包みを受け取った。
「開けていい?」
「うん」
中にはリボンが入っていた。彼女の瞳と同じ鮮やかなグリーン。
「ありがとう!」
うれしそうに微笑む彼女に、彼も照れたように笑いながら頷く。
「ちょっと待ってね、結んでみるから」
「あ、俺がやるよ」
そう言って彼女がしていたリボンを取り、かわりに真新しいリボンを結ぶ。
「これからもこんなふうに会えたらいいな。なんか君といると元気になる」
「えー? 誰かから元気をもらうまでもなく、充分元気だと思うけど」
彼女はうしろの彼に笑いながら返した。
「うん、もっと元気になるんだ。野郎でも女のコでも、君みたいなコって今までいなかった。なんていうか、思いっきりくつろげる」
彼はきれいに結ばれたリボンをまぶしそうに見つめ、先を続けた。
「――俺、ソルジャーになったよ」
彼女の肩がぴくりと震えた。
「訊いちゃいけないような気がしたけど、その眼、ソルジャーになったから?」
「うん――。通称魔晄の眼」
微妙に照り映える瞳……この眼を得ることがソルジャーたる証なのだ。
「ミッドガルに来たのは、家族とかにそのことを告げるためなんだ.明日からウータイに行く。君が軍人が嫌いなら、もう会わないよ」
なんとなく、電話で彼女の母親が出ると歓迎されていないな、と感じていた。それに、父親は一度も電話に出たことがない。おそらく彼女は母一人子一人で、父親は戦地か、最悪戦死したのではないか、そう予測している。何より、自分は彼女をつけ狙っている神羅の一員なのだ。そのエリートの証であるソルジャーになってしまった。
「……嫌いじゃ、ないの。ただ、母さんの旦那さんが――あ、こう言うと変に聞こえるね、わたしにはもう両親ともいなくて、今の母さんが引き取ってくれたの。その母さんの旦那さんも戦場にかり出されて、それっきりだったから。母さん、電話にでるとちょっと嫌そうだったでしょ。わたしに、自分と同じ目にあってほしくないって、それで」
「君は? ソルジャーの俺をどう思う?」
彼女は少し沈黙を置いてから口を開いた。
「わたしが知ってるあなたは大好き。……あなたは、ソルジャーになりたくてミッドガルに来たんでしょ? 初志貫徹したんだから、そのことをどうこういうことなんてできない。それに、ソルジャーのあなたがどんなだか、知らないから」
「そうだな……ソルジャーになるとすげえもてる。まだ3rdなのに、なんかもうそれだけで有名人になったみたいでさ」
「ええ?」
「俺としちゃ、実績も伴った上でもてたいんだけど」
「やだ、なにそれ〜」
冗談だと思ったのか、彼女はぷっとふきだした。
「あの英雄みたいにちゃんと活躍したいんだ、それこそ華々しくね」
「――戦場で?」
「そう。そこがソルジャーの活躍の場だから」
陽はかなり傾いて薄暗がりが辺りを包み込んでいたが、彼は彼女の前に回りこみ、自分で選び自分で結んだリボンをつけている彼女を見てにっこりと微笑んだ。
「うん、似合ってる。我ながらセンスいい、いい」
「ありがと」
「だいぶ暗くなったな。もう帰らないと。送るよ」
そう言って彼はテーブルを片づけだした。
「――今度会うときは、全部自分でつくるね」
彼女のこの一言は、ゆっくりと彼の心の中に染み入っていった。……とても長い時間をかけて。
戦場ですることは彼が予想していた通りだったが、呆れるくらいの物資の不足さ加減には、苛立つというよりずいぶんうんざりさせられた。格闘術をマスターしているウータイのゲリラたちはほとんど銃に頼らない。ソルジャーとて得物は大剣だが、他の兵士の武器はどうしても銃になる。銃にはどうしても弾丸がいる。
あとで思い返せば、戦況はこの頃が最低最悪の時期であった。
主力がソルジャーに偏りだしたことで新しいソルジャーが次々と派遣されてきたが、中には妙な薬を頓服しているソルジャーがおり、それが悩みの種となった。彼らは薬が切れると急激に自意識を失い、使いものにならなくなってしまうのだ。
どうやら以前なら不適合と見なしていた者もソルジャーに仕立てているらしい。彼が、連中の飲む薬がマテリアのできそこないのようなものだということに気づいたのはしばらく経ってからだった。
連中は軽度の魔晄中毒者だったのだ。発作が起きたときに薬を服用し、廃人になるのを少しばかり引き延ばしているにすぎない。完全にその場しのぎの戦力であった。
将校たちがそれを知らないはずはない。当然、彼が口出しできることでもないが、あまりの人命の軽微な扱いにさすがに怒りを覚えた。
ソルジャーと、それ以外の兵士とは命令系統が少々異なっている。同じソルジャーであれば、ただクラスが違うだけで1stも3rdも同等であった。
ソルジャーに指令を下すのはその部隊の最高責任者か、臨時に権限を与えられた者に限られている。彼らは概してソルジャーだけに手柄をあげられるのを嫌い、ソルジャーの単独行動を恐れて滅多に情報を提供しない。行き先も任務も告げず全ては現地で、ということも珍しいことではない。それでいて危険な任務は当たり前のように押しつける。
ある時期から送り込まれてきたソルジャー3rdは、全て魔晄中毒者と見なしてよかった。あまりにも危うい彼らを単独で行動させることだけは避けてほしかったが、上官たちはその作戦に必要であろう分の薬を持たせ(この薬も当然不足がちであった)、作戦が成功しそのソルジャーが禁断症状を起こしても見捨ててくることがしばしばであった。
いつしか、そんなソルジャー3rdを「グレネードマン」と呼ぶようになっていた。
ついにというべきか、彼もそんなグレネードマンと行動をともにするときがきた。彼は、上官がそのソルジャー3rdに持たせたのと同じ薬を、わずか二錠ではあったが自分にも携帯を許すようねじこむことに成功した。
任務は塁砦をひとつ撃破すること。その先にこの地区一帯の総司令部がある。これはその攻略の第一歩なのだ。
「うまくいったな」
思ったより苦労させられたがそれでも見事占拠した狭苦しい土塁の中で、彼はそう言って親指を立てた。相棒もまた笑顔を向けたが、見る間にその顔が引きつっていく。
「どうしたんだ、おい」
「あ、あんた……今まで、薬、飲んでないな?」
相棒は彼の腕をすがりつくようにつかみ、あえぎながら言った。
「ああ。俺には必要ないから」
何気ない言葉に、相棒は愕然として彼から手を離した。そのまま崩折れそうになったので、座り込んだところで慌てて支える。
「やっぱり……そうなんだ……」
「何がだよ? いや、それより早く薬飲め。持ってきてるんだろ」
「飲んだって……俺……廃人になるんだろ?」
「なに言って――」
動揺を隠しながら言おうとしたが、ぎょっとした。顔色が妙に茶色味を帯びている。ひどく震えて汗も滝のように流れている。あまりに急激すぎる変化だった。
「ミッドガルで、こう言われたんだ、ソルジャー3rdは、ソルジャーって言うにはまだ不完全だから、それで、薬が必要だって。実力をあげていけば、必要なくなるって……。だから、俺、薬を飲み続けた。でも、ここで、変な噂を聞いて……薬は飲むほど量が増えて、い、いずれ廃人に……この薬は魔晄で、俺は魔晄中毒だって……。く、くすりは、頭痛がしたら飲めばいいんだ、でも、ほんとにその頻度が高くなって……うわさなんか信じなかった、信じたくなかった……ソルジャーには、もともと薬なんか必要じゃなくて、必要なのは、俺みたいにでき、出来損ない、だけって……。その証拠に、あんたはくすりなんか、飲んでない……」
「すまん、言い方が悪かった、俺だって持ってるよ、あれはまだ必要じゃないって意味なんだ。ほら、見ろ」
彼はそう言ってあわてて懐中から薬を取り出して見せた。だが相棒は悲しそうな笑みを浮かべて首を振る。
「み、みてたんだ、俺……。誰だって薬は、最低一日、1錠飲む。でも、あんた、全然飲んでなかった。だから、俺もがまんしてみたんだ……俺、けっこう頑張っただろ? ミッ、ミッションを、いくつもこなしただろ? 結構実力ついてるはず……そう思って。あんたも、実力は1stに迫ってるって聞いてたから……だから、くすり、いらないのかと……」
「もう――いいから、おい、薬はどこに入れたんだ?」
彼は相棒を横にし、まず懐を探ったがそこには何も入っていなかった。
「……捨てた……」
「なに!?」
「俺……ちゃんと、あんたについてこれたろ? 1stだって言われてる、あんたにさ……」
「ああ、見事な戦いっぷりだった。だから――」
「だ、だからさ、実力は、俺、2ndだと思う……それがはっきりしても、それでも症状がでたら、俺は間違いなく魔晄中毒だ……。それに、一日に薬を、ご、5錠以上、必要なソルジャーは、グレネードマンだって……使い捨てにされるって……、お、俺も、もう4錠飲んでる……は、廃人になんかなりたくない……いっそ……」
……この震えは、禁断症状のせいだけではないのかもしれない。
「ならねえよ! お前、使い捨てにされるってそんなの悔しくないのかよ、おい、どこに捨てた? 昨日までは持ってただろ、どこなんだよ!」
答えない。目も閉じられている。彼は自分が持っていた薬を無理やり相棒に飲ませ、さらに返事を待った。
「楽になったろ? いいか、お前はまだ充分やれる。魔晄中毒だとしたってちゃんと治療すれば治るんだ。ソルジャーは貴重なんだぜ、2ndとなれば神羅だっておめおめ死なせはしない、そうだろう」
しばらくの間を置いて、相棒は力強い呼吸とともに目を開けた。
「あれ、俺……?」
きょとんとして、何事もなかったかのような顔でむくりと起きあがる。
「ば、ばっかやろう! 焦らせんなよ」
相棒に反して、彼のほうがへなへなとその場に崩折れてしまった。
「ごめん」
答えながら、相棒は震える手が彼から見えないようにさり気なく後にやった。
「悪いけど、薬、取りに行くのつきあってくれないか? まだちょっとふらつくみたいなんだ」
「ああ。まったく人騒がせだな」
どうせ本部に戻らなければならない。彼は相棒の肩を支えて塁砦から出、言われるままに歩いて草地にぽつぽつと花が咲くところまで戻って行った。
「昨日、そこの木の下で寝たろ」
「そうだったな」
そこに捨てたのかと思った彼はさほど高くない木に向かった。たどり着くなり、相棒は木によりかかるように座ってふぅと大きく息を吐き出した。
「
距離はかなり離れていたが、彼は言われるまま指差されたほうに歩き、言葉どおりの石を見つけると屈みこんだ。
そのとき、ふいに名前を呼ばれた。
振り返ると、相棒が手を振りながら笑っていた。
「ありがとう!」
彼が、相棒が振る手に引っかけているのが手榴弾から抜き取られたビンであることに気づいたとき、轟音とともに爆風が襲いかかってきた。
そこにあったはずの木すら吹き飛び、あとにはただ大きな穴だけが残った。
4
彼が初めての遠征からミッドガルに戻るまで、2年の歳月が流れた。
戦況はゆっくりと神羅に有利になっており、グレネードマンが送り込まれてくることもなくなった。プレジデントがかの英雄の活躍ぶりを過剰なほど華々しく報じ、ミッドガルエリア以外からも、旅費は無料などといった特別措置を施して志願兵を募っているからであった。
与えられた休暇は2週間。神羅本社ビルに立ち寄った彼は、そこでいかにも新人といった兵士と話す英雄と鉢合わせした。てっきり戦場にいるのかと思ったが、戦況の好転がこの英雄にも帰郷のチャンスを与えることになったらしい。
「こらこら、英雄ともあろう者が新米くんをいじめるなんて悲しいぞー」
彼がそう言いながら近づくと、銀髪の英雄と、チョコボのような頭の新兵が同時にこちらに振り返った。
「誰がいじめている」
英雄は彼の肩を遠慮なく小突くとわずかに笑った。非常に珍しいことなのだが、彼にとってはごく見慣れたものだった。
「ふん、1stになったのか」
彼の制服と得物を見て手をあげる。彼はその手をぱん、とはたくとウィンクをして見せた。
「なりたてのほやほや。これでも飛び級よ、2ndすっとばしてさ。まあ2年も3rdで頑張ったんだから当然かな」
「うわあ……」
感嘆の声はやや下方から聞こえた。
「すごい、それバスターソードですか」
英雄と話していた新兵だ。基準よりやや背が低いような気がするが、神羅もまだ人材がほしいのだろう。似非ソルジャーをつくりあげるのと比べれば、身長の3センチや5センチくらいどうということはない。
「へへん、いいだろう。新品だぜ。持ってみるか」
言いながら背中の得物をひょいと取り、柄を上にして差し出してみせる。
「あ、ありがとうございます!」
新兵はうれしそうに叫ぶとバスターソードを手にしたが、ろくに持ち上げられずに刃先を床につけてしまった。
「うわ、重……」
「訓練すりゃこれくらい軽く扱えるようになるさ、頑張れよ」
「はい、ありがとうございます!」
彼に――ソルジャーに声をかけてもらえるだけでうれしいのか、はちきれんばかりの笑顔で答える。思わずそのチョコボ頭をぐりぐりとなでてやりたい衝動を堪え、彼はバスターソードを受け取った。
「さ、こわいお兄さんはこの俺が退治しておいてやるから早く行きな」
「いえ、自分――」
「誰がこわいお兄さんだ」
今度はかなり本気の拳がハリネズミの頭に炸裂する。
「ってー、ほらこわいお兄さんじゃないか」
「違います、自分が道に迷っていたら声をかけてくださったんです!」
新兵が慌てて口を挟む。
「そういうことだ。お前のおかげで、また一から説明しなおさなければならなくなったぞ」
「教えるんじゃなく案内してやればいいじゃないか、どうせ暇なんだろ」
「お前と一緒にするな、オレはこれからミーティングがある。そんなに言うならお前が行け、データ管理第二分室だ」
「俺、これからデート」
「お前の享楽的私事と、明日の神羅を担う新人の育成と、どちらが大事だ」
「もちろん前者」
聞くまでもない、と言いたげに実にあっさりと答える。
「あ、あの、さっきの説明で充分です、大丈夫です、ありがとうございました!」
新兵は、もう一度手を振り上げようとした英雄を止めるために必死になって言うと深々と頭を下げ、回れ右をして廊下を駆けて行った。
「うーん、初々しいねえ。俺にもあんな時期があったんだなあ」
「お前に初々しい時期があった記憶などないんだが」
二人は同時に3年ほど前のことを回想し、あることを思い出した彼は、じゃあ、と言ってそそくさとその場から離れようとした。
「――そういえば」
目ざとく気づいた英雄ががしっと彼の腕をつかみ、意地糞悪く微笑む。
「晴れてソルジャーになったんだな、遠慮なく5,000ギル分おごってもらうとしよう。むろんこれからな」
結果、彼は英雄のミーティングが終るまでの2時間を待たされる羽目になり、当然デートはおじゃんになった。(とはいえ、どこぞのバーに繰り出してそこの女の子を誘おう、という程度のものだったのだが)
酒は飲んでも呑まれるな。この言葉をつくづく思う彼であった。
……彼女のことを思い出さなかった訳ではない。だが、彼はまず強要されていた節制の穴を埋めるべく、煩悩を充実させることにいそしんでいた。女のコと、酒と、笑いと、くだらない遊び――そんなもので貴重な休暇が過ぎて行く。
彼に、彼女との再会を促したのは一本の電話だった。ふっと『SUNWARD』が脳裏をよぎったとき、彼は自分が彼女と少し距離を置きたがっていた自分に気づいた。
「ぃよっ」
花を売りに行く途中で突然声をかけられ、彼女は驚いて振り返った。スラムから抜けた通りは車もあまりなく、昼下がりの静寂にまどろんでいる。
「ひっさしぶり〜」
視線の先に、2年ぶりに会う彼が立っている。彼女は一瞬笑顔を見せたが、すぐに引っ込めて「久しぶり」と素気なく言った。
「あれ、そんだけ? もうちょっと喜んでくれるかと思ったんだけど」
「だってもう見てるから」
「へ?」
「2、3回、ね。貴重な休暇なんでしょ、もう会う女のコはいないの?」
まじぃっ! と思ったのはココロの中だけである。
「あ、もしかして妬いてくれてる? ちょっとうれしかったり。ほら、俺、すげえ筆不精じゃん、この2年間の君のこと全然知らないからさ、カレシとかできてたら電話するのも悪いし。で、偶然を装って会ってみたんだけど」
彼女は拗ねた顔を隠しもせず、そのまま彼に向けた。
「もう18か……美人になったな」
これは素直な感想だった。もしも今の彼女と3年前に会っていたら、きっと真先に再会していただろう。
「こんなにきれいになるんなら、あのとき犯罪犯してでも君にツバつけとくんだったな」
「これでもずっと街でお花、売ってたのよ。そういうの、慣れてるから。どうすればうまく切り抜けられるか、今ここで実践してみる?」
「え、いやいい、いい」
彼女が本当に一瞬身構えたので、彼は慌てて辞退した。
そのタイミングを見計らったかのように、ピピピという軽い音がした。
「やべ、電源切るの忘れてた」
歩き出しながらぶつぶつ言い、ジーンズのポケットからPHSを取り出す。
「――はい、あーはいはい、了解了解。じゃ」
早口に言うと、早々に切ってしまう。
「いいの、女のコからでしょ」
「違うって。神羅専用。私用に使ったら一発でばれる」
言いながら、彼はなかなか渋いデザインのPHSを彼女に見せた。
「こーして電源入れとくと、こっちの居場所までわかっちまうんだ」
「居場所も? 電話だけじゃないんだ」
「ネコに鈴ってやつ。そっか、この機能は神羅開発でまだ一般販売してないからな、あまり知られてないか」
説明しながらPHSを彼女に渡す。
「大きめだけど、思ったより軽いね」
「だろ。新品だぜ、俺だってもらったばっかり。んでも、ウータイじゃ電話にもならないのがタマニキズだけど。――あ」
彼は銀行のキャッシュコーナーを見つけると、PHSを彼女に持たせたままちょっと待ってて、と身振りで示して中に入っていった。
彼がストリートから姿を消したとき、1台の黒い車が彼女のそばに止まるや否や男が二人飛び出して来、訓練された無駄のない動きで一人が彼女を羽交い絞めに一人が彼女を持ち上げて車に消えた。その間、わずか3秒。
「――!!」
出入り口で拉致の瞬間を目撃した彼はすぐにとって返し、発進しようとする車の後部に乗り上げるようにしがみついた。車はすぐに彼を振り払おうとしたが、それが難しいとわかると男が一人顔を出し、銃を向ける。
「わっ! 待てま……」
パパン、というやや気抜けする銃声が響き、彼はたまらず手を離した。勢いのままアスファルトを転がり、ちょうど立ちあがったところに別のグレイの車が真横で止まる。
「ちっくしょう、あいつらよくも!」
彼は叫びながら当然のように車に乗り込んだ。中にはタークスの男が二人乗っている。
「無理はするなという指示を出していたはずだが」
運転席の長髪の男が淡々と言う。後部に座っているのは3年ぶりに見るハゲ頭の男だった。
「だからって目の前であんなことされてみろ、黙ってられるかっ」
本気で憤慨している。
――事の発端は昼前にあった電話であった。
タークスは、反神羅組織アバランチを壊滅寸前まで追い詰めてはいたが、いつも主要幹部を取り逃がしており、数人単位で分散している彼らを一掃することができずに常に苦い思いをしてきた。そんな折、アバランチが彼女を狙っているという情報を入手、しかも指揮にあたるのはナンバー2と言われている主要幹部だ。
タークスは悩んだ末に彼女を使って組織の壊滅を計画し、その一端を彼が負わされることになったのである。
「計画どおりのルートを走らせている、PHSも持たせた、心配することはない」
アジトを押さえても意味がないことを痛感しているタークスは、このエリア一帯に人員を配備し、PHSが示す位置表示に合わせ、たとえば偶然や工事や事故などを装い、その車を特定の場所――待ち伏せのいる倉庫街に誘導する手筈になっている。
「そーゆう問題じゃねえっての」
あの車にナンバー2が乗っているのなら、その場で捕えてもよかったのだ。わざと隙をつくり、彼女を襲わせ、そして逃げられた。彼のプライドに傷がついたのは言うまでもない。
向こうとある程度距離を置いて尾行に気づかれないようにするつもりだったが、思った以上に他に車がなく気づかれているのは必至だった。
実際、相手は急にスピードをあげて市街地に抜ける道を曲がろうとしたが、工事中で断念している。幾度かそれを繰り返し、さすがに向こうも自分たちの相手が尾行車だけでないことに気づいたらしい。事故を装って細い路地を塞いでいた車を強引に突破すべく、スピードを落とさずに突っ込んで行く。
「位置をずらせ、突破され――」
長髪の運転手が無線機に向かって叫ぶが、手遅れなのは目に見えていた。と、その事故車の向こう側から――歩道にのりあげながら一台のバイクが飛び出して来、相手の車にぶつかりそうになる。
タイヤが鳴く音が鳴り響き、黒い車は再び街道に戻り、バイクも体勢を立て直すや相手を煽るつもりか並行して走りだす。
「なんだ、あいつは!?」
運転手が突然の事態に狼狽する中、彼は感心したようにバイクを見ていた。
「わお、FSRのネイキッドGX1400だ……」
FSRとは、RHD社とでバイクの双璧と言わしむる自動車製造販売会社の老舗である。
「あれでよく転ばなかったな、すっげえ」
黒い車とぶつかりそうになったとき、バイクはちょうどコーナーを切っていた。それを加速度を無視するがごとく90度方向転換したのだ。並のバイカーならそこで転倒している。常人をはるかに上回る筋力とずば抜けた反射神経の賜物だろう。
バイカーは全身黒のつなぎに身を包み、フルフェイスのメットも当然のごとく黒、バイクそのものはほとんどカスタマイズしていないが、それでも異様な迫力がそのまわりから感じられる。
「なんのつもりだ、あいつはっ!」
運転手が叫んだのは、バイカーも追手だと勘違いしたアバランチが銃口を突きつけても全く動じることなく、逆に急激に前にまわりこんで方向転換を促したからであった。それも、頑固に直進しようとした車を足蹴にしてである。
むちゃくちゃだと思ったのはグレイの車の面々だけでなく、アバランチの連中もだろう。
当然そちらは予定外のルートだった。通行止めになっているがそれは本当のことで、その先には開発が断念され、そのあおりで道路工事が途中で打ち切られた荒涼たる平地が広がっている。
今まで無言を通していた後部の男が、やはり何も言わずいきなり窓から身を乗り出すと発砲した。
見事タイヤに当たって黒い車は一瞬ハンドルをとられたが持ち直し、通行止めのA形を蹴散らして原野に向かって突き進んで行く。
「仕方ない、この先で決着をつける」
運転手はうめくように言うと、ぐんとスピードをあげた。連絡を受けて応援が来ることになったが、それを待つことはできない。
「お前もタイヤを狙え」
そう言って、彼に銃を手渡す。ヴィンスMkV2――ダブルアクション6連発式軍公式採用の拳銃だ。その確かな重量感に彼は思わず短く口笛を吹いた。
「すげ、改良型だ」
「射撃は?」
運転手がそう聞いたのは、ソルジャーの得物が大剣であることを思い出したからだ。
「中に彼女が乗ってるんだ、外すかよ」
言いながら彼は車から身を乗り出し、連射した。向こうも一人はバイク、一人はこちらを狙って撃って来る。
何故あんなでかい的が当たらないんだろう――彼は、バイカーが至近距離で未だに相手の車とせめぎあっているのを見てふとそう思ったが、すぐにその疑問は驚きとともに氷解した。
バイカーは、バリヤの魔法を使いながら運転しているのだ。
――うげっ、なんだ、あいつ……
継続魔法は一度使えばしばらく消えることはないが、連続して使うとなれば凄まじい精神力と集中力とが要求される。それを、並みのアクションでないバイクを運転しながらやるのは――常人にはむろん、ソルジャーとてそうそうできることではない。
だが、ついに魔力が切れたらしい、1発の銃声とともにバイクはいきなりバランスを失って男を投げ出し、そのまま――偶然か、黒い車に激突した。そのあおりでカーブを余儀なくされた車に、後方から銃弾が降り注ぐ。
どちらにしろこの先にはもう道がない、車は反転してついに止まり、中から男が3人飛び出してきた。一人はドア越しに当然彼女を楯にしている。彼も20メートルほど手前で止まった車から飛び出し、車のドアを楯にして身構えた。
そのさいの銃撃戦でハゲ頭が撃たれ(やはり無言だった)、向こうも一人倒れる。これで2対2だ。彼は彼女を人質にしている男を狙い、長髪の男はダッシュボードにあった銃――ヴィンスPPK(刑事警官用拳銃)――で助手席の男を狙っていた。
「銃を捨てろ!」
お決まりの展開、お決まりの言葉。彼はちっ、と内心舌打ちをした。幸いなのは思ったほど彼女が怯えていないことだ。肝が据わっているとは思っていたが、内心はどうあれ、銃を突きつけられて悲鳴をあげるでなく、ただ嫌そうな顔をしているのは天晴れと言える。
「忠告してやる」
彼は銃を構えたままゆっくりと力強く口を開いた。
「お前らが相手しているのはソルジャー1stだ。ちょっとでも彼女を傷つけてみろ、その瞬間全員死ぬぞ」
助手席のドアを楯にしていた男に動揺が走る。そのとき同時に2発の銃声が轟いた。1発はタークスが引金を引いたもの、助手席の男は銃を投げ出すように倒れ、もう1発は――彼ではない、その角度からは彼女が危険で撃てなかった。
銃声は彼らのうしろからした。地面に投げ出されたバイカーが撃ったのだ。
彼はその銃声がスタートの合図であったかのように猛ダッシュをかけ、足を撃ち抜かれてのけぞる男につかみかかろうとした。が――その前に、彼女が振り返りざま男を殴りつけていた。男は声もなくその場にひっくり返り、気を失った。
「うわお……」
途中でスピードをゆるめ、感嘆の声を漏らす。拳ではなく彼のPHSでの一撃だった。手近なものを武器にする、なるほどたいした護身術だ。
「え……と、大丈夫、みたいだな?」
結局何も活躍できなかった彼が所在なげに頭をかきながら近づくと、彼女は向き直りながらただ頷いた。顔は強張り、肩が傍目から見てもはっきりとわかるほど震えている。そうだ……銃を突きつけられて恐くないはずはない。
「よくやった」
彼は包み込むように彼女を抱きしめ、心の底からささやいた。
運転手のタークスは生け捕りに成功した面々を捕縛し(ちなみにハゲ頭のタークスはケアルをかけている最中である)、黒づくめのバイカーに近づいて行った。
バイカーは手にしていた銃――FFニューサービス7――をしまいながら立ちあがり、つなぎについた埃を払っていた。
「君は、いったい――」
運転手はわずかに眉をひそめながら詰問しようとした。ただのバイカーでないことはもうわかっている。だが、そうするといったい……? 改めて見るとバイカーはやや小柄な運転手が見上げるほど長身で、素晴らしい体躯を有していた。
「ただの通りすがりだ」
メットを取ろうともせず、そう言って肩をすくめる。くぐもっていたが運転手にはその声に聞き覚えがあった。
「まさか……」
「詳しくはあそこで一人役得している奴に訊くんだな。バイクの修理代はあとでそちらに請求する」
「はっ。ですが、何故あなたが? 彼が協力を要請したとでも?」
思わず敬礼していた。
「……いきなり電話でいたいけな少女の命がかかっていると言われれば、黙殺するわけにはいくまい。休暇といえど退屈していたから、まあ、ちょどよい暇潰しになった」
あんな、一歩間違えればおじゃんになるような作戦に彼女を巻き添えにできるか――それが彼の言い分だった。
無線の周波数を書き込んだ作戦エリアの地図をファックスし、起きぬけの英雄にそうまくし立てたのである。まったく、自宅にいたからいいようなものの出かけていたらどうするつもりだったのか。
……いや、彼なら根性で捜し出し、協力を要請――ならぬ、強引に巻きこんでいたか。英雄はメットの奥で苦笑いをもらした。
「何故、ルートを変更したのですか」
「そちらが指定した場所までまだ距離があった、その間一般市民の……それも十代の少女を怯えさせる訳にもいくまい。有能なタークスとソルジャーが4人もいれば応援などいらないだろうしな」
「それは、そうですが……ずいぶんと思い切ったことをされる」
運転手はまだ考えあぐねている様子だった。無理もない、軍部と総務部は互いに相容れない存在ということになっている。
彼に協力を要請したのも、ソルジャーとしてではなく(休暇中というのを強引にこじつけてだが)あくまでも一市民としてである。
「オレは休暇中の身だ。それが銃を携帯しかつ発砲したとなれば始末書程度ではすむまい。あいつのように一市民の協力ということにしておいてもらおう」
「――はい、了解いたしました」
普段は無表情で通っている運転手だったが、さすがに苦笑を禁じえなかった。
「いやー助かったよ、英雄!」
二人がそう話しをつけたところに、彼が大きく手を振りながら声をかけてきた。
「この人が、あなたが憧れてソルジャーになった人?」
彼女の言に彼が慌てて「しーっ!」と連呼する。運転手はもう一度英雄に目礼すると踵を返した。
二人が目の前に来たところで英雄はついにヘルメットを取り、おもむろに長い髪をつなぎから出した。
「わぁ、すごい……」
滝のように流れる見事な銀髪に、彼女が感嘆の声をもらす。
「お前、オレに憧れて軍に入ったのか」
「あーいや、俺はただソルジャーになりたかったんだ。で、有名になってテレビに出てみたくてさ。俺の故郷ってすっげえイナカなんだよ、ソルジャーって言ったらあんたのことくらいしか誰も知らなかったし……」
結局同じことである。
「テレビか……」
英雄はどこか呆れたように呟いた。
「そういえば、軍のCMにジュノンでの訓練風景があったが、あれにお前が映っていたぞ。17歳でソルジャー候補生、とテロップも入っていたな」
「え!? うそ、マジ?」
「うん、わたしも見た。頑張ってるなって。……知らなかったの?」
「え? なんだよ、みんな見て知らないの俺だけ!? 俺が見たのは、この英雄がすげーわざとらしくかっこつけてるやつだったぜ」
「あれは演出だ。オレはただ言われた通りにやっただけだぞ」
「うん、だってそれ前のバージョンだもの。今はもうやってないよ」
「うおーーーーっ見てえーーーーー!! ちくしょう、出演料だってもらってねえぞ」
「ただの訓練風景にそんなものだすか。安心しろ、名前は出ていない」
「出してくれよーーーっ」
「とにかくこれで野望は果たせたな、よかったじゃないか」
「一瞬だったけどアップで、かっこよかったよ」
「よくねえ、俺見てねえ! アップ!? うう、ますます見たくなった……」
「まあ、戦況も落ち着いてきたからな、無理して頑張らず生き延びることに専念すれば、いずれいいこともあるだろう。有名になっても結構つまらんものだぞ」
それは有名になったからこその台詞である。無名の彼が納得するはずはない。
「あんたのカオでその前のバージョン、特別に見せてもらえないかなぁ」
「ムリだな」
「うー、あ、あのさ、そのCM、ビデオに撮ってたり……しない?」
「ううん、ごめんね」
「ああ……八方ふさがり……」
心底残念がるその落胆振りに、英雄は自分でも気づかないうちにふっと微笑をもらしていた。
「あっ」
それに気づいた彼女が呟く。雑誌でも新聞でもテレビでもこの英雄を見ているが、笑ったのを見るのは初めてだった。
「え? なに――」
ぱっと顔をあげた彼は、英雄を見つめる彼女の眼差に気づいて急激に浮上した。
「なーーんて、な。テレビに出られなくたって……いや、もう出たのか、まあいいや、さっ帰ろうぜ。あんたも一緒に――っと、そうか、バイクで来たんだったな、バイクでっ。いや、すごいテクでびっくりしたよ、英雄の意外な一面を見たってカンジだな。じゃ、俺たち車で連れてってもらうから。……今日はほんと助かった。サンキューな」
最後だけ少しばかり真面目に言うと、今ごろ駆けつけてきた応援の車に乗せてもらうために踵を返す。
「――いい加減、名前で呼べ」
それを見送り、英雄はまた苦笑いをもらしながら呟いた。
5
――俯く者が見るのは影
赤い地でさえ 花は太陽を仰ぎ見る
訊け 君は花を見た
訊け これが最後のチャンス
自分が何者なのか
自分が何をしているのか
休暇の最終日に、彼は彼女の秘密の場所に案内された。
打ち捨てられた教会で、床板が剥がされてむきだしになった地面に彼女は花を植えていた。
「へえ、ここで花を育ててたんだ」
「うん、あとうちと。ミッドガルで花が咲くとこ、もうほとんどないの。ここ見つけたときすごくうれしかった」
穴だらけの天井から差し込んだ光が、そこだけ別世界のような空間をつくりだしている。
「あっ、いいかな」
ずかずかと小さな花畑に入りこもうとした彼は、途中で気づくと上げかけた足を止めて聞いた。
「ん、ちょっと踏まれたくらいで枯れちゃうような花、植えてないから。それにね、花って結構たくましいのよ。あ、でも行くんならそっち側がいいな」
彼は言われた通りほとんど花のない草の上に直接座り、改めて花を眺めた。
「………」
「どしたの?」
珍しく何か感慨にふけっていた彼に、彼女も座りながら尋ねる。膝の上にはバスケットがあった。
「いや、さっ、食おう食おう」
中身は当然おむすび。他のメニューも前回とレベルがあまり変わらない、なかなかたいしたものだった。
「今度はね、ちゃんと全部一人でつくったんだけど」
「んまい!」
前回より、彼は少しばかり余裕を持ってじっくりと味わった。
「あれから3年か……」
あっという間に食べ終り、食後にコーヒーをもらいながら呟く。
「君の手作り弁当、食べられてよかったよ」
またこうして会えた――会ってもらえた。それは自分が生き抜いた実感よりはるかに強い。
「また、プレゼントがあるんだけど」
そう言って彼はジャケットの内ポケットから小さな包みを取り出した。
「え? ありがとっ」
嬉々として受け取った彼女は、さっそく包みを開いて目を輝かせた。
「進歩ないって言われれば、それまでだけど」
中身はリボンだった。色は濃い目のピンク。
「この前会ったとき、ピンクの服着てただろ、あれ、すごく似合ってた。それにあわせて買ってみたんだけど」
「うれしいっ好きなの、この色」
その笑顔が心からのものだったので、彼はどこか安心したように微笑み返し、この前のように結ぶよと言ってリボンを受け取った。
「前にやったやつ、まだ持っててくれてたんだな、ありがとう」
緑のリボンを取りながら、呟くように言う。そのとき、彼女はようやく気づいた。今日の――いや、ここに来てからの彼が、いつもらしくないことに。
「んー、やっぱ似合ってる。俺、コーディネーターになってもよかったかな」
彼は、彼女の隣に座り直すと、少し照れたような彼女に満足げに頷いた。
「
彼に元気になってほしくて、そんなふうに言ってみる。
「はっはー! 大丈夫、だいたいモデルはなんでも似合う美人ぞろいだから」
「そうね、ハーレム気分が味わえていいかもね」
さらに調子に乗るかと思ったが、彼は軽く彼女の髪に触れ、薄い笑みをもらした。
「百人のモデルより、君一人がいいな」
どきん、と胸が高鳴る。彼の不思議な瞳が自分をまっすぐに見つめ、一呼吸置いて顔が近づいてくる――。思わず目を閉じた彼女は、唇ではなく頬に軽い感触を感じた。
「なーんてくどいてみたりしてね」
目を開けたときにはもう彼は離れていて、ごろりと横になろうとしていた。
やっぱり、いつもの彼じゃない。キスをしようとしたから、そしてしなかったからではなく、何か……彼独自の覇気のようなものが感じられない。
「んー、膝枕なんて貸してくれるとうれしいんだけど、だめ?」
「――うん、いいよ」
「やりぃ、言ってみるもんだね」
そう言って彼は遠慮なく彼女の膝に頭を預けた。
しばらくどちらも何も言わなかった。陽射しは柔らかくてあたたかく、教会は静かで、ただ時間だけがゆっくりと流れていく。
「――訊かないの?」
「んー、何を?」
彼女がためらいがちに尋ねると、のんびりとした返答があった。
「それとももう訊いちゃったのかな。なんで神羅やアバランチがわたしを狙ったのか」
「いや、企業秘密だってさ。まあ、アバランチは起死回生のために君を狙ったんだろ、神羅もつけ回してはいてもそれ以上何もしない、君自身に何かがあるんだなってことくらいはわかるけど」
「知りたい?」
「そりゃあね」
そう言って彼はわずかにみじろぎをしたが、目は開けなかった。
「でも、いいよ、無理に言わなくても。例えグレネードマンだとしたって構わない、君は君だから」
――生きてさえいれば……
今現在、わずかに生き残ったグレネードマンたちは、科学部が責任を持って施設に収容させ、治療に専念しているという。
「グレネードマン?」
「ん……ソルジャーの隠語。ちょっと特別な連中をね、そう呼ぶんだ」
「特別――特別って言えば、そうなるかな、わたしも」
彼女は軽く深呼吸してから続けた。
「実はね、古代種なの。聞きなれない言葉だと思うけど、人間と、ちょっとだけ違うみたい。それほど特別なこと、できるわけじゃないけど」
彼はぱっちりと目を開け、じっと彼女の緑色の瞳を見つめた。
「じゃ、俺と同じだ」
にやりと笑ってみせる。
「え?」
「ソルジャーもさ、この眼を見てもわかると思うけど、ふつーの人間とちょっと違うっていうか、いろいろすごいことができる訳よ。まあ、日常生活にそれほど役立つことはあんまりないけどね。やたら頑丈なのが取り得かな」
「そう言ってくれると、ちょっと嬉しい」
「へへ……」
少しばかり照れくさそうに笑って、また目を閉じる。
再び静寂が流れ、彼女が寝たのかな、と思ったとき、目を閉じたまま彼が静かに口を開いた。
「地面ってさ、こうしてのんびり横になってみるとあったかいんだよな。匂いも悪くないし。そういえばガキの頃よく寝っ転がってたっけ」
「うん、気持ちいいよね」
「逆に、向こうはアスファルトなんてなくて地面ばっかりだけど、全然ありがたみなんて感じなかったな……」
「ふうん」
やっぱり――。そう思った。彼はこの花畑を見て戦場を思い出してしまったのだ。ニュースなどではいいことしか言わないが、それだけでないことくらい知っている。
「花っていうか、草……植物、そのたくましさみたいなの、俺、あそこでまざまざと見せつけられたんだ。手榴弾って結構威力があって、人間も木も吹き飛ばしちまう。一度組んだだけだったけど、その相棒がさ、手榴弾で――やられてさ、あとには穴しか残らなかった。次の日も通ったんだぜ? やっぱり穴しかなかったよ。それが、2週間くらいだったかな、また通ったら、窪みはあるけど思わずどこだったか探さなくちゃわからないくらい、他とおんなじように花が咲いていたんだ……」
「種が、落ちたのね」
彼女はSUNWARDを思い出しながら静かに言った。
「そう。そんとき、君と初めて会ったときの会話を思い出したよ。種が落ちたところに花は咲く、そんな当たり前すぎて忘れていたことをシルベスターは歌っていた。君はそれに感心したって。正直、そんとき君が言っている意味がよくわからなかったんだ。何がそんなに感心するくらいすごいんだろうって。やっと……わかったよ、それが」
生命というもののたくましさ。廃人になるくらいならと自ら死を選んだ一度きりの相棒。その死に場所に咲いた花。ただ、種が落ちて咲いただけの花。
「それからSUNWARDの歌詞がちょくちょく出てくるようになってさ……そのたびに君が遠くなっていく気がした。自分が何者かだの、何をしてるかだの、そういうのはわかっててやってるからいいんだ。ただ……あれに訊けってところがあるだろ。自分では自分が何をやってるかわかっていても、君にとってはどうだろう――そう、思ったんだ。情けないけど、それを訊くのが恐くて君に会うのをためらっていた。タークスから依頼がなかったら、もしかしたらちょこっと君を見るだけで会わずにいたかもしれない」
彼女はすぐには何も言わなかった。
戦場がどういうものなのか、彼女は知らない。敵を殺すことがどういうことなのか、彼女は知らない。けれど……
「前に、言ったよね? わたし、ソルジャーのあなたは知らないけど、大好きだって。あなたが何をしてるか話しても話さなくても、わたしにはあなたがただ神羅に勤めてる人っていう認識しかないから……。嫌いだったらこうして会わないし、頑張ってお弁当つくったりしない」
彼はゆっくりと目を開けて彼女を見上げた。
「サンキュ。これでやっと……」
それ以上続けず、ただにっこりと笑う。自分でも何を言おうとしたのかわからない。けれども、こんなふうに笑えたのはずいぶんと久しぶりのことだ。
彼はそう思いながら再び目を閉じ、浅い眠りに落ちていった。
――彼は、ようやく俯いていた顔をあげ、太陽を見上げたのだ。
「あと5年もすれば俺も25じゃん?」
「そうね」
「この戦争も1年以内で終るだろうから、あと4年。4年も遊び倒せばいい加減満足すると思うんだ」
「それだけじゅーぶん遊んで、まだ足りない?」
「ゴホゴホ。5年後は君だってもう23だろ。いい歳じゃん」
「オカゲサマで」
「いてっ! いや、だから、まあ、そんくらいになれば、さあ」
「いい女になってる?」
「え? うん、そうそう(いや、ちょっと違うんだけど)」
「いい男がいっぱい寄ってきそう。あの英雄さんみたいな」
「うー……まあ、そんときは俺も今よりもっといい男になってるからさ。だから――。あー……いいや、続きは5年後、じゃなっ」
「……? うん、またね。待ってるから――(ずっと