白い花の姫君 今年の16日は日が変わる前に帰って来いと兄エドガーから言われ、俺は早めに下山して城に向かったが、着いた時はすっかり夜の帳が砂漠に下りていた。 fin あとがき
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俺は城へ帰ってくると真っ先に自分の寝室に向かう。城を出て十数年。どこへいっても安眠というのはなかった。だが、ここは俺が唯一熟睡できる場所だ。
汗を流して女官が用意してくれていた軟らかい絹の夜着に袖を通し、そのまま俺のベッドで深い眠りについた。
……レネー
灼熱の太陽の香り、照りつける黄金の大地に、奇跡ともいえる砂漠の泉のほとりに咲くと言われている儚げで可憐な幻の白い花のような甘い香りが俺の鼻をついた。
「レネー」
ロニの香りだ。とても心地良い髪が俺の頬を撫でる。俺はゆっくりと瞼を開ける。
「ぐっすり眠っていたようだね」
ロニは俺の瞳を覗きこんで、優しい笑顔を向けた。
ロニの笑顔に俺は少年だった頃を思い出す。病弱でいつもこのベッドから離れられなかった俺をその笑顔で、いつも見つめてくれていた、双子の兄。
「……うん……」
俺のぼんやりとした視界にロニの蒼く透き通った瞳があった。
「起きて!」
そう言ったロニは白いシルクのブラウスとラフな姿、馨しい金の長い髪は青いリボンできっちりと束ねていた。
「……兄貴?」
「日付が変わった。今日は私達の誕生日だよ」
「うん!」
8月16日。それは、ロニと俺が生まれた日だ。忘れるはずなどない。どんなに離れていてもずっとこの日だけは、この世に誕生した事を祝ってきたんだ。
「こっそり誕生日を祝おう。
とロニはいつになく嬉しそうだ、まるで少年の時のように。
「ほら、早く着替えて、支度しろよ!」
今日8月16日は、エドガー=ロニ=フィガロ、マシアス=レネー=フィガロが、フィガロ王家に生まれた日だ。
慌てて支度した俺を兄は「早く、時間がないんだ」と珍しく浮かれた様子で俺の手を引き、
白を基調とした調度品が揃ったロニの部屋。扉を開けると奥の部屋の窓が開いているようで乾いた風が俺の頬を撫でた。
奥の部屋の大きな窓は開け放たれ、白いレースのカーテンが風に靡いてふわふわと揺れている。バルコニーにある小さなガラスのテーブル上の燭台にぼんやりと朧げな灯りが燈っている。
浮かんだ影。そこに誰かいるようだ。
バルコニーに足を踏み入れた俺達。可憐で小柄な美しい女性が優雅に座っている。アッシュブロンドの巻き髪が肩から背中へ流れているのがとても綺麗だ。白磁のように透き通った白い素肌、潤った蒼い瞳。俺はこんな美しい女性をあまり見た事がなく、ほんのり頬を染めてしまったようだ。
ロニはその女性のか細い手を取りそっとキスをする。
「紹介します、私の双子の弟、マシアス=レネーです」
「普段は、マッシュと呼ばれています」
俺は後頭部をかきながら、ロニの新しい恋人かな? に挨拶をした。それにしても、ロニが恋人に俺のミドルネームまで教えるのは初めてだ。
その美しき女性は立ち上がって俺を見上げた。
「まぁ! ほんとに、大きく育たれたのですね」
くすっと笑ったその声までが美しく透き通った鈴の音のようだ。
頬を染め素っ頓狂な顔で突っ立っていた俺をロニは苦笑した。
「彼女に惚れてもダメだよ、レネー。レディ・クリステールだよ」
クリステール?! そんな!! どこかでみかけたことがあると思った。何故か懐かしいような会いたかったような。
「驚かせてごめんなさい、
彼女は俺の大きな手を取って、隣に座らせてくれた。俺の心臓は壊れるんじゃないかと思うほどまでに高鳴った。父上とロニにしか呼ばれない、その名前で呼ばれた事に!
「……は……はは…う…え」
俺の母上と同じ色の瞳が微かに潤んだ。
「前に機械室で昏睡から目覚めた時に言っただろう、母上の夢をみていたと。母上にどうしてもレネーを会わせたくて。頑張ったんだよ、ヘンテコな機械と言われるけどね」
ロニ……。俺は声にならず兄の名を心の中で呟いた。
「
「う…ん。まったく何て大胆な事をするんだろな…ロニは!」
俺はまだ信じられない、これが夢であろうと現実であろうと、そんな事はどうでも良かった。美しい母上の姿を拝めただけで幸せだ。
母上は、俺とロニのやりとりを楽しそうに聞いていた。
「こんな真夜中だけど、月光を浴びてのお茶会もいいだろう? これ、母上が焼いてくれたんだよ、レネー」
雪のように白いクリームに薄く削られたチョコレートを散りばめられたケーキがあった。
「“フォレ・ノワール”といって、異国のお菓子です。『黒い森のさくらんぼのお菓子』という意味なのよ」
そう言って母上はケーキにナイフを入れた。生地に挟まれた濃い紅色のさくらんぼが現れる。カットしたケーキを俺とロニの皿に乗せてくれた。
「あ、俺、お茶いれるよ!」
ロニが気を利かせてくれていたお陰で、俺のお気に入りのティーポット、ハーブなどがいくつかサイドテーブルに用意されていた。
「レネーは、こんなクマみたいな体型しているけど、意外とハーブや花に詳しいんですよ、母上」
「兄貴、クマはよしてくれよー」
ラベンダーにレモングラスを少しブレンドしたティーをカップに注ぎ、ほんのり甘い香りのする白い花を沿えた。
「まぁ! 綺麗な色」
差し出したカップを覗きこんだ母上はとても喜んでくれた。
「ラベンダーはリラックスさせてくれるんです。修行に疲れた後、よくこれを飲んでいました」
淡い菫色のティーに浮かんだ白い花の香りは一際目立ったはずと、俺も得意げになった。
「ありがとう、レネー。こんな綺麗なお茶を頂いたのは初めてですわ」
母上は本当に嬉しそうにそう言ってくれた。俺はこれがずっと醒めることのない夢であってほしいと願うほどだ。
「ずるいな、レネーは! 私は…母上を喜ばせるそんな特技なんて何もないよ」
珍しくロニが拗ねたような口調で言った。
「でも、母上を
俺はケーキを味わった。
「ほんのり苦味のきいたココアにたっぷりリキュールに浸された、紅のさくらんぼの風味がたまらなく口の中で広がるね」
とロニ。
「修道院にいた頃に、ロザンナと一緒に子供達へと、色んなケーキを焼いていたのよ。たまたま陛下がいらした時に、焼き上がったばかりの“フォレ・ノワール”をお出しして。とても、お気に召してくださりました」
母上は聖母のように優しい笑顔をつくった。
「それで父上は母上に一目惚れ、口説いたってわけか! 兄貴の性格は父上譲りだね」
「こら! レネー」
「やはりお二人は陛下の御子ですね。気に入っていただけて嬉しいです。久しぶりに焼きましたので、うまく焼けるか心配だったのですが」
本当に嬉しそうだ、母上は。
「母上……。あの、あちらでは、やはり、ケーキなど自由に焼いたりはできないのですか?」
ロニの問いに母上は小さく頷いた。
「王妃様がキッチンへなど、お立ちになってはいけません! なぁんて、周りの者達が言いそうだもんなぁ……」
「ロニ? どういうこと?」
「父上の叔父や、私達の叔父が健在の頃、何かと派閥もあって、女官や家臣達にも刺がある者も多々、そんな時期あっただろう」
俺は頷いた。
母上のいない幼い俺達が心底信頼置けたのは父上、じいや、ばあや、父上の騎士ジェフリー、そしてそのジェフリーに密かに思いを寄せていた父上の従妹のグウィネヴィアくらいだった。
俺とロニは双子だったから、余計に貴族や家臣達に波紋を呼んでいたようだ。どちらが将来王位を継ぐのかと。俺とロニは次第にそういった陰謀渦巻くフィガロに嫌気が差していたのだった。思い出したくない過去だ。そんな中に母上もおられると思うと俺の胸は張り裂けそうに痛い。
「母上……」
俺は心なしか声のトーンを落としていた。
「レネー。そんな顔をしないで」
母上は俺の瞳を覗きこんだ。
「ロニに初めて会った時には言いました。私には、陛下が……。スチュアート様がいつも私を優しく包み込んでくれています。だから本当に神様がくださったもの以上に幸せなのよ。
でも、ロニとレネーは、たくさん辛い思いをしたのですね。私がずっと側にいて差し上げればと……」
「母上!!」
俺は母上の美しい瞳を見つめ返し、そしてロニをちらっとみた。ロニはこくりと頷いた。ロニがどうしても俺に母上を会わせたかった理由がわかった。
「ごめんなさい。俺何でこんなことを…でも母上、俺よりも、ずっとロニの方が辛い事いっぱい……」
「そんなわけないよ、レネー! お前と私は一心同体。離れていても心の中でお互いを支えあってきたじゃないか。レネーがいなければ、今の私はないんだ!」
「ロニ……」
ロニはふと俺から視線を逸らして月明かりだけの暗い砂漠の海へと視線を落とした。
「母上が私達二人をこの世に生んでくださったんだ。楽しい事も辛い事も、いつも分ち合ってきたじゃないか。もう
兄貴……。母上とロニと同じ色をした俺の瞳は俄かに何かが込み上げてきて溢れ出した。抑えきれず俯き、瞼を閉じる。
暫くして俺の頬にとても軟らかい指が触れ、頬に垂れる雫をぬぐってくれた母の手があった。
「優しいのね、レネー」
「レネーの優しさは母上譲りですね」
ロニの心地良い声色。俺はゆっくりと瞼を開けた。俺の瞳に映った母上は、どんな女神よりも美しく輝いていた。とても儚げで今にも消えてしまいそうな幻の美しき白い花のようだ。
母上を照らす淡い月の光がかなり傾き始めている。
ロニは母上の元へ跪き、白い手を取るとそっとキスをした。
「母上、お願いがあります」
そう言って見上げたロニの蒼の瞳はなんと美しい色なんだろう。透き通ったオアシスは、乾いた風に流されほんのり漣を立てたようだ。きっちりと結ばれた金の髪は黄色い月の光に包まれ煌々と耀いている。
この世のものとも思えない美しき聖母とその母より出でた奇跡の神が降り立ったような光景だ。
「もう時間があまりありません。目覚めるまで、私達と一緒に過ごしてくださいませんか?」
そう懇願し見上げたロニの瞳に怪訝な眼差しを投げかける母上。
「あの……」
ロニはほんのり白い頬を紅く染め微かに視線を揺らした。珍しいロニの
「こんなに図体のでかい男二人と一緒に……眠って欲しいというのは心苦しいのですが」
とロニは取りつく島もないというふうに視線を逸らした。
そんなロニの嘆願に母上は「いいわよ」と、鈴の音のよう笑みを含んだ声で応えてくれた。
「では、私の部屋で」
「ずるいよ、ロニ! 俺の部屋で!!」
俺とロニは王子だった頃の各寝室へと誘う。
「わたくしの部屋へ来ませんか?」
俺とロニがどっちの部屋へ誘うか言い争っていると母上は水が穏やかに流れるような心地良い声でそう言った。
「王の寝室……。今はロニの使っている寝室の隣に、まだあるかしら?」
「はい。私には未だ妃はおらず。母上がお使いになっていた、そのままのお部屋がございます」
ではそこへ…と積極的に言った母上により、俺達は王妃の寝室へと向かう事になった。
ロニはそっと母上の手を取り立たせてあげると、本館へ行くまでに母上が冷えては…などと言い、さり気なく持ってきていたベルベットのストールを母上の肩へとかけてあげた。ロニは女性に対するこういう気遣いが本当に自然で一連の動作の優雅さにも見ている俺が感嘆させられるほどだ。
母上の寝室のドアを開くと微かに甘い香りがした。驚いた事に十数年も使われていない部屋とは思えないほど手入れが行き届いている。
「まぁ!!
と驚く母上。
「この香りは……」
母上は奥の部屋へと小さな足を滑らせた。俺達もそれに続く。
ドレッサーの横にあるチェストの上や、ベッド脇のテーブルの花瓶に瑞々しい真っ白のリリーがあった。
「兄貴……これ!」
「砂漠の泉のほとりに咲くといわれている幻の白い花のイメージかな」
ロニは湖面が風に流されたような涼しい笑顔でそう言う。
「! だからロニはこの花が大好きなんだ」
俺は白い花の匂いを嗅いだ。
「でも、これは。いつもなのですか?」
「いつもです。ここはずっと母上の御寝室」
そう言ったロニは一輪のリリーを手にすると花びらに口付けをし、その花を手折って母上の髪に添える。
「父上が……。ずっとこの花を枯らさずに飾らせていたんです」
「父上が?!」
突然軟らかい手が俺のごつごつとした大きな手を握る感触に僅かに身を強張らせる。
「いらっしゃい」
母上は白い花のように甘く穏やかな声で俺の手を引いた。母上の向こうにはロニ。母上は俺達を彼女のベッドへと誘った。
薄絹のカーテンを開け「さぁ」と俺達を促す。恐れ多くも母上の御寝室だ。俺とロニは恐縮し立ち尽くす。
母上はそっと真っ白な絹を持ち上げ滑り込む。そして「遠慮はいらないわ。いらっしゃい、ロニ、レネー」と。その姿は穢れなど知らぬ少女のようだ。
俺とロニは恭しく、母上を真ん中に左右から絹の中に滑り込む。
「俺……なんか夢見ているみたいだ」
「私もだよ、レネー」
母上は美しい小さな手でロニと俺の髪を何度も掬ってくれる。俺とロニは大きな図体をしていながら、まるで子供のように母上を囲んで背中を丸め、母の胸に頬をくっつけた。
何て軟らかくて温かいんだろう。
「父上が、お隠れになって、私が王位を継いだ頃に……。私の身の回りを世話してくれている女官から聞いたんだ。彼女の母君が父上の身の回りを世話していたのだけど、王妃の寝室の手入れと、リリーの花を枯らさずにずっと飾っていたと。だから……私も…」
「……ありがとう、ロニ」
「それは……戻ったら、父上に」
とロニは軽くウインクをして微笑んだ。
「……はい」
ほんのり白い頬を赤らめた母上は可憐な恋する少女のようだ。
俺は、そんなロニと母上のやりとりに幸せな笑みが零れた。そして徐に母上の美しい絹糸を手に取り顔を埋める。
「母上の御髪……ロニと同じ香りがする……」
繊細な金の絹糸、軟らかい巻き髪。俺の大きな掌の上でさらさらと流れる。照りつける太陽とほんのり甘い澄んだ香り。それはどこまでも白く。
「……幸せ……」
母上の鈴のように美しい音が薄紅の唇から零れた。
「母上?」
俺とロニは同時に身を起こし母の顔を覗き込む。
どこまでも澄みきった蒼の瞳はどこからともなく涌き出た雫で揺れる。白く透き通った頬に流れ落ちた一粒。それはきらきらと輝いてゆっくりと流れた。
「スチュアート様に愛されたことは、神様がくださった贈りもの以上に幸せです」
美しき蒼のオアシスは金の睫を濡らして、ゆっくりと溢れ出した。
「……とっても……眠くなってきました……」
「母上!!」
俺はぎゅっと母上の小さな右手を握る。
「そろそろ……父上の元へ、お返ししなければ……」
ロニは母上の額にかかる金の後れ毛を優しく撫でる。
「うん……」
俺の瞼も重くなりかけた。“父上は母上を母上は父上を心底愛してらっしゃるんだね”とそう続けたかはわからない。
母上の馨に溺れ何時の間にか意識を手放していた。
……レネー
灼熱の太陽の香り、照りつける黄金の大地に、奇跡ともいえる砂漠の泉のほとりに咲くと言われている儚げで可憐な幻の白い花のような甘い香りが俺の鼻をついた。
「レネー」
「母上……」
俺はゆっくりと瞼を開けた。
どこまでも澄みきった蒼い宝石の瞳。優しい笑顔のロニがそこにいた。
「ぐっすり眠れた?」
「いい匂いだ」
「え?」
「ロニの髪。母上と同じ香りがする」
ロニはくすっと笑った。
「レネーからは眩しい太陽の香りがするよ」
俺もくすっと笑う。ロニに褒められるのはいつも照れてしまう。ロニは本当に何もかもが綺麗なんだ。まるで描かれた幻の神のように。こんな美しい人が現実には存在しないのではないかと思われるほどに。
でも母上……。あの
「ねぇ、ロニ。何でレディ・クリステールって言ったの?」
「フィガロ王妃と紹介してほしかったのか?」
あっ!
俺は苦笑した。ロニらしいや。
「俺……母上に惚れちゃいそうだ」
何と大胆なことを言っている。
「私もだよ、レネー。あの
レディ・クリステール
砂漠の泉
ほんのり甘く馨しい純白の白い花の姫君
僕達に命を与えてくれてありがとう!
今年は陛下、殿下のお誕生日に間に合いました^^
『砂漠の泉』の続編ですね。
もう2年も前に書いたSSですが
どうしてもマッシュ君にも母上に会ってもらいたくて
初めてマッシュ語りで書いたかも^^
それにしても陛下と殿下の母上
本当に美しい人だったのでしょうね〜
2003.8.16 Louis
Wallpaper:RoseMoon様