砂漠の泉

 

 

           “何かが変だ”
              私はすっきりしない頭でそう思いながら最上階を目指していた。
             どうやら機械室で眠っていたらしい。
              時折すれ違う近衛兵達や、貴族達の態度も変であった。
              階段を昇り扉を開けると冷たい風が私の頬を刺す。
             思い描いていた通り月が綺麗であった。
              私は城壁の方へ行こうとしたその足が止まる。
             前方に、貴婦人らしい人の影を見る。
            いつも私がそうしているように、その影もそこで月を仰いでいるようだ。
             私が近づいてみると、気配に気付いたのか女性は振り返る。
             光沢のある白いシルクに小さな花模様の刺繍が散りばめられ、
            その上に淡いブルーのジョーゼットとレースがふんだんにあしらわれている
            デコルテ調のドレスを身に纏った貴婦人は小柄な人である。
            白に近い金の髪は前方でふんわりと結い上げ、
            背中では腰付近まで豊かに巻き髪が波打っている。
            ほんのり潤った蒼い瞳はオアシスを思わせる。
             何て美しい女性だ。どこかで見た記憶があるが定かではない。
            蒼いドレスを着用していると言うことは親戚か? それにしても変だ。
            実際に会った記憶にない人だ。それとも異国の夫人なのか?
            「やぁ、レディ、今宵の月は一段と美しい、
             まるで君の豊かに波打つ髪のようだね」
             私はいつもそうするようにレディに声をかけてみた。
             しかし、その人は不思議そうに私を見上げて開きかけた口を閉ざす。
            「君は初めて見かけるが……」
            「……あ、あの……そのお髪(ぐし)にお召しのリボン……」
             女はそう言うと私の腰までの長い金の髪を
            二箇所で縛っているリボンの色を確かめるように眺める。
             変わった人だ。私の事をこの国の主だとは知らないようだ。
            やはり異国の人なのであろうか?
            「公爵様? 伯爵様? あ、あの…すみません、
             わたくし、まだいろいろと存じません…
             その蒼い色をお召しの方はフィガロ家のお血筋の方だと聞いておりますが…
             貴方様は陛下の………」
            「私はエドガーだ」
            「…エドガー様…」
             私はこの美しい女性に名前を尋ねようとしたその時、
            近衛兵が邪魔をしに入った。
            「陛下! このような所においででしたか…」
             私もその女性も振り返る。私には見たことのない近衛兵であった。
             しかし何かおかしい。近衛兵はどうやら、“私”にではなく、
            隣の女性に話し掛けているではないか???
            「王后陛下このような冷たい風にあたっておいででは御腹に障ります」
            「すみません。すぐに戻ります」
            “陛下”と呼ばれた女性は、私に丁重に会釈して近衛兵と立ち去っていった。
             一体どういうことだ?
            私は…公爵? 伯爵…か……? そしてあの女性が…陛下???
            王后……陛下……。
             私はもしや? と思い駆け足で階段を下りて、国王の寝室へと向かう。
            もちろん、私だけが知っている秘密の通路から侵入する。
             そう、私は“ここ”では国王ではないらしいので、
            本来ならこの寝室へ堂々と入ることは出来ない。
             寝室に“国王”がいなかった事に胸を撫で下ろす。
            そして私は“長い間不在であるはず”の王妃の寝室へと向かった。
            隠し通路を抜け、扉をそっと開けてみると、果たしてあの女性はいた。
             私の心臓は高鳴っていた。あぁ、何て美しいレディなのだろう?
             夫人はドレッサーの前に座り、侍女に髪を梳かせていた。
            見事な巻き毛は腰まで流れている。
            そしてオアシスのような澄んだ瞳はとても美しい。
            「王妃様……」
             侍女が声を掛ける。
            「やめて、ロザンナ…二人きりの時は、お願い、そう呼ばないで……」
             思えばこの女性は声までも美しかった。
            なにもかもが美しい、まるで女神のようだ。
            この世に存在しているのが不思議なほどの眩い人である。
            「すみません……クリステール様」
             あぁ!! やはりっ!! 私の手や体は震え出した。
            「クリステール……」
             正面のドアから入ってきた、その聞きなれていた懐かしい声。
            「陛下…」
            「陛下、王妃様、失礼いたします」
            「おやすみ、ロザンナ」
             ロザンナは寝室を後にした。
             私と同じように腰まである長い金の髪を
            蒼いリボンで縛っている威厳のある国王はクリステールの後ろに立つ。
            鏡に映った二人の顔……。
             若かりし頃の父上……そしてその前の女性は……母上!!
            「すまないね、フランシス達が君に辛くあたるようで……
             私がもっと貴方の傍にいてあげられれば……」
            「陛下、わたくしは大丈夫です」
             父上は母上の髪を優しく撫でる。まるで壊れそうなものを扱うかのようである。
            「私が……君をここへ連れてきて王妃にしてしまった為に苦労をかけるね」
            「いいえ、わたくしは、貴方のような御方に愛されて、
             子を身ごもり本当に幸せでございます、スチュアート様」
             父上は母上の髪にそっとキスをすると後ろから力強く抱きしめる。
            「私のかけがえのない人だ、クリステール…愛している」
             おっと、私はこれ以上、両親のラブシーンを覗き見するほど悪趣味はない。


             次の日は父上…国王陛下の生誕を祝う祝賀の宴が例年の行事でもあった。
             私は“異国の伯爵”を装って大広間に参賀する。
             大勢の貴族や衛兵を前にして優雅に王座に座っている国王は
            当然の風格ではあったが、意外だったのは王妃であった。
             私が初めて会った昨日、王妃はとても慎ましやかで、
            それでいてどんな時も臣下の前でさえも一歩下がっているような
            礼儀正しい女性であった。
            凡そ王妃という地位に相応しくない程、儚いレディでもあった。
             しかし、今国王の隣に臨席している王妃はどうであろう? 
            あの儚げな風貌とはうって変わって何と王妃という名に相応しいほど、
            高貴な方なのであろう? 威厳? 権力? 一国の王妃? 
            そんな言葉で片付けられるようなものではない。尊い方だ。
             宴の後は決まって王族だけの晩餐がある。
            今度の私は“近衛兵”を装って後方に控えた。
             錚々たるメンバーが国王を正面に大テーブルを囲んでいる。
            “私の時代”ではこのテーブルを囲むのは
            私とマッシュしかいないのを寂しく思う。
             国王、王妃、国王の弟のフランシス・ラバーン枢機卿、その妻。
            そして王の叔父上ヴェルダスク公爵とその娘、
            王の従妹であり私の初恋の人……グウィネヴィア。
             グウィネヴィアは10歳とは思えぬほどの品位があり美しい少女だ。
             それにしても何て陰鬱な晩餐なのだろう。
            誰一人として口を開かず、フォークやナイフの音だけ響いている。
            「ま、何はともあれ、今年もつつがもなく終りましたね、兄上」
             私と容姿がそっくりな叔父上の言葉はいつもそうであった。
            どこか含みがある。気に入らない人だ。
            「わたくしは……小娘で、平民出の王妃が
             粗相をするのではと冷や冷やしておりましたわ」
             枢機卿夫人は歯に衣を着せぬ。
             王妃は無言でずっと俯いていた。
            「これこれ、そなたも、まだ小娘であろう」
            と叔父上。
            「王妃様はとてもご立派でお美しかったですわ。
             このフィガロに相応しい王妃様だとわたくしは思います」
             グウィネヴィアは何事にも興味のないような瞳をしているが、
            大人びた口調でそう言った。
            「世継ぎを…男子を無事ご出産なさったら、王妃の地位も安泰であろうな」
             何と上辺だけの一族だろう? これでは、母上は針のむしろではないか!
            「王妃は臨月も近いので、そろそろ失礼させてもらうよ」
             今まで黙っていた父上がようやく口を開いた。
            父上のお気持ちは痛いほど解る。
            弟フランシスが自身を憎むのを責めることも出来ないどころか、
            彼を愛しておられる。
            それ故、母上を庇ってあげられないもどかしさをつくづく感じておられるようだ。
            冷たい空気に波風立てぬよう、父上の最大の配慮なのであろう。
            「お言葉に甘えて失礼させていただきます。
             皆様ごゆるりと晩餐をお楽しみください」
             母上はテーブルを立つと冷たい親戚に深々と敬礼し、部屋を後にした。


            「今宵の月も美しいですね」
             やはりここにいらした。
            「エドガー様」
             振り返った母上はこの上なく優雅だ。
            「王妃様とは知らず、昨夜は失礼致しました」
            「お気になさらずに」
            「お側へお伺いしても宜しいでしょうか?」
             母上は返答に躊躇なさったが、おもむろに首を傾げた。
             レディに対するいつもの癖で、少し強引だったかな? 
            “私にしては”珍しく、遠慮気味にお側に寄る。
             私達は暫くの間、月を仰いでいた。私はちらっと母上の横顔を見る。
            「ここへ来て月を眺めると心が和みます」
             そう呟く銀の光に照らされた母上の横顔は、はっとするほど気高い。
            「私もここは好きです。
             そしてここからの眺めは…いつになっても変わらない……。ここで……」
             父上の形見である表裏一体のコインを投げて
            それぞれの道を決めた場所……。
            「!?」
             突然母上は怪訝な表情で私を見上げた。
            「貴方は……もしや?」
             小柄な母上は膨らみのあるお腹にそっと手をあてた。
            「すみません……驚かせてしまったようですね……母上……」
             母上は私と同じ色の蒼い瞳を真っ直ぐに私へと向けた。
             その瞳は雲一つない砂漠の澄み渡った空に、
            透き通った潤いの雫を重ねたようであった。
            そんな彼女の水晶体は私を捉えて離さない。
             言いようのない清さと気高さ。
            その瞳の奥は汚れのない純真そのものであった。
            まだ見ぬ胎内にある子の姿が、
            自分よりも大きくなって姿を現した事実に驚異するどころか、
            何の疑いもなく彼女のオアシスは月光に照らされ尚一層耀き出した。
            「何と、ご立派な! 陛下の御血筋を全て受継がれておいでのようですね。
             安心いたしました」
            「即位して十年と少し…。
             私は父上と母上の気高き意志を受け継ぎ、その尊さに時には挫けながらも…
             ようやく父上や母上に恥じぬ、フィガロの王になれたと思います」
             私の脳裏にはそれまでの私が走馬灯のように駆けた。
            偉大なる父と母の意志に気圧され、表面にこそは出さなかったが、
            何度も挫折しそうになった自分がいた。だが私の心には常に家族がいたのだ。
            側にいなくとも、私を愛してくれた、父と母、
            そしてマッシュが支えであり、誇りであったのだ。
            「今の私があるのは、父上と母上、そして……一緒に生まれ出でた弟です」
            「それでは……」
            「はい。たまたま私が兄として生まれましたが、
             父上と母上が下さった命を分ち合った弟です。
             偶然、過去(ここ)へ一人で来てしまいましたが……
             弟を母上に会わせたかった……」
             母上の透き通った瞳を見れば見るほど、
            マッシュは何と母上に似ているのであろう? と私は思う。
            「弟君の事を聞かせて頂けますか?」
             王妃の口調はとても穏やかである。
            高貴な身分の者が話す、決して威圧的ではないその声。
            「私は、エドガー・ロニ、
             弟はマシアス・レネーとして父上により名を授かりました。
             私達は父上の愛情の元にとても幸せに過ごしました」
             私の語りに母上は瞳を煌かせて頷いていた。
            「ただ…レネーは…(父上と私、3人の家族の間でだけで、
             私達のミドルネームで呼び合っていたのですが)……」
            「レネーとロニ…」
             母上の何気ないその呟きがどんなにか私の心を揺さぶったであろうか! 
            母上!! 私は子供のように王妃に縋りたい感情を押し殺した。
            「弟レネーは身体が弱く常に寝室に篭りきりでした」
             私は母上にこのような話を告げるのは、とても胸が痛んだ。
            「まぁ」
             果たして母上は眉間を微かに潜め、その美しい顔が歪む。
            「レネーは! そうレネーは常に彼なりに私を支えてくれていたのです!! 
             その……私の方がレネーに負目を感じていたのかも!!」
             私は崩れ落ち王妃の衣(きぬ)を右手で恭しく握っていた。
            そして恐れおおくもその裾衣を手繰り寄せていた。
            「レネーは強くなりたい…それが彼の夢でした。
             病弱な身体を克服して強くなって私の支えになりたいと! 
             穏和で優しい弟が初めて自身で望んだ事だったのです」
            「エドガー」
             母上は丸くなった私に覆い被さるように優しく白い手をさしのべてくれた。
            「父上は……!! 最期まで……フィガロの誇り高き王でした! 
             けれど……無残にも…まだ大人になりきっていない私達を遺して……」
             ここに来てようやく私は我にかえる。何を言っているのだ! 
            目前の美しきレディ…クリステールは何も知らない……のだ。
            だのに……何故……私は何を語っている!!
             それに私としたことが、何たる迂闊な事を! 
            これでは母上が短命であった事を告げているのも同然ではないか!! 
             私は自分の過ちに、顔を上げることも出来ない。
            何と弁解すれば良いのだろうか?
             しかし、私が考えるよりも早く母上がお言葉をかけて下さった。
            「エドガー。貴方はきっと……
             陛下の……あなたのお父上のように辛い事を何一つ顔や感情に出さずに
             その全てを受け入れて頑張ってこられたのでしょうね」
             母上……。
            「わたくしにはわかります。
             けれども私の前では気にすることはございません。
             私の前にいるあなたは、フィガロ国王でも、フィガロ家の長男でもありません。
             弟のマシアスと同じ私のかけがえのない愛する息子です」
            「母上!」
             ようやく顔をあげた私の瞳からは一つの雫が頬を伝った。
            父上がお隠れになって以来であろうか? こうして涙を流したのは。
            いや、あの時でさえ、人目を偲んで泣いていたではないか。
             私は自身でも驚きであった。
            母上の前で、こんなに素直な感情を曝け出した事を。
            「しかし…!!」
             母上はゆっくりと首を左右に振った。
            「わたくしは神様のくださった、それ以上に幸せです。
             陛下に愛され、あなた達のような素晴らしい子供を授かったのですもの。
             これ以上何を望みましょう? 
             ただ、あなた達と共に喜び、悲しみ、一緒に苦しみを分ち合ってあげられない…」
             母上のオアシスが一層潤いを増す。か弱き少女のように語る母上。
            「それだけを悔います。許して下さいね」
             今の私には返す言葉がない。
            かわりに私自身の瞳も更なる雫が溢れ出でた。
            「ありがとうございます……母上。
             私は、そしてマシアスは、母上の子として生まれたのを誇りに思います」
             母上の笑みは、どの女神よりも美しいと思ったが、その姿が薄れゆく。
            「母上?」
            「帰り方はわかりますか? あなたの世界へ……一人で帰れますか?」
             母上の目にも私の姿が薄らいでいるのであろう。もう時間切れなのだ。
            「はい、大丈夫です。母上、またお会い致しましょう」

            −ええ…エドガー……−


            (はは……う…え……)
            「兄貴! 兄貴!!」
             聞き慣れた声。私の背中を少々乱暴に揺さぶる大きな手。
            「う…ん……」
             私が瞼を開けると果たしてそこには、母上と同じ色のオアシスがあった。
            「どうしたんだよ!! 心配したぜ。ずっと目覚めないからさ」
             マッシュの私を見る瞳が少しずつ安堵にかわる。
            「母上の夢を見ていたんだよ」
             私はゆっくりと顔をあげてそう言った。
            「全く心配させるよなぁ…また変な機械をつくっていたのかよ!」
            「変な機械とは何だ!! そのうち…レネーも連れて行ってやるさ」
             母上に会わせたい、この大切な弟、レネーを!
            「どこへだよ?」
             怪訝な顔を向けるマッシュ。
            「母上のところへ」
            「何を寝ぼけた事言っているんだよぉ〜。メシにしようぜ! ほら〜早く!」
             マッシュに腕を掴まれ私は機械室を後にした。
             母上はこんな元気で、私よりも一回りも大きいレネーを見たら驚くだろうな…と、
            そんな想像を膨らませながら、廊下を歩む。
             テラスの向こうは何時の間にか、黄金の地平線に陽が落ち始めていた。
            母上もきっと同じ空を見ていたのだろうと思うと、
            普段にも増してフィガロの空が美しく映えたのは言うまでもない。


             美しき永遠のレディ、クリステール。
             砂漠の泉……。
             私たちの母は人々にそう呼ばれていたのであった。

End


あとがき

久々に陛下の番外編を書きました。
けれど、これを書いたのは昨年の秋。
どうも納得できなくてずっと放置してました。
もう捨てようかな? と思っていたのですが、
どうしても母上の事を書いてみたかったので、
改めて書き直してやっと完成…でした。
この話は陛下が自分で語っているので、母上を美しいと
言っているのは、まるでナルシーのようですが(苦笑)
実際、裏設定にもあったように“砂漠の泉”と
呼ばれていたらしいので、本当に儚く可憐で美しい
少女のような人だったんだろうなぁ…と私は
そうイメージします。
だって陛下と殿下の母上ですもの、
それはそれは美しいレディだったのでしょうね。
2001.7.10 Louis

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