「ぃやっほーー! 俺の勝ち!」
ロックは子供のようにテーブルの周りをはしゃぎ回った。
「ちっ、俺の腕も落ちたな」
セッツァーはカードをテーブルに投げ捨てた。
「今のはまぐれだろう」と言ったエドガーは、二人のカード勝負を優雅に椅子に座って見ていた。
「まぁ、俺様がこんな奴にあっさり負けるなんてさ…。ダリルが見てたらびっくりするだろうな」
と言いながらセッツァーはカードを片付けだした。
「……ダリルって、これもダリルの物なのか?」とロック。
「まぁな……。ここは、ダリルの思い出で一杯さ」
セッツァーは賭けで負けたコインをロックに投げた。
「お前はいつもダリルの思い出から離れられないな……」
「そういうお前こそ、レイチェルに似た……」
「セッツァー、レイチェルはもう思い出の人だ」
ロックは近くにあったコップ一杯のウィスキーを一気に飲み干した。
「そりゃ、レイチェルは俺にとっては最高の女(ひと)だった。いや、こんな俺には本当にもったいないくらいだったぜ。けど、俺は彼女の最後の言葉を聞いて、もう吹っ切れたよ。俺達は愛し合っていたけど、運命が俺達を一緒にはさせてくれなかったんだもんな。仕方ないさ。それに今はもう亡き人だ」
「……ダリルのことが吹っ切れないのか?」
とエドガーは、ブランデーを一口含んで言った。
セッツァーはエドガーの横に座って
「吹っ切れないも、何も……アイツは俺の親友だし」と言った。
「親友だったが、お前はダリルに恋してたんだよ」
ロックは図星ではないか、と言わんばかりの表情で、セッツァーに向かってウィンクした。
「……そうかもしれないな……。俺も若かったから気付かなかったのかもな」
セッツァーは銀色の髪を前から後ろに掻きあげた。
「アイツは何と言ってもお尻が魅力的だったぜ……。ふっ、それはともかく、あの頃の俺にはいつもアイツに先を越されている気がしてさ…。自由奔放でいつも夢を持っていたよ…。いつしか、俺もそんなアイツの影響を受けていたのかもなぁ」
「それって、知らぬうちの初恋ってやつじゃねぇのか?」とロック。
「ああ、お前がそう言うなら、そうかもな…」とあっさり認めるセッツァー。
二人のやり取りを蚊帳の外と言わんばかりの表情で、エドガーはグラスを傾けていた。そんなエドガーに気付いた二人の目線は彼を捉えた。
「そういえば、エドガーはいつも巧みに女性を口説いてはいるが、お前の話は聞いたことがないな」
ロックは興味津々にエドガーに近づき、グラスにブランデーを注いだ。
「そういえば…だな。そこんとこは、さすがは王様、うまくやってらっしゃるのかねぇ」
と意地悪なセッツァー。
「俺は、いつだったか、マッシュから少し聞いたことがあるぞ」とロック。
エドガーは、小さな溜息をついてロックに注がれたグラスをまた一口飲んだ。
「エドガーはいつも女性を口説いているけど、それはある意味の社交事例で、本当の心は何処にあるのかなぁ…って、マッシュが心配していたぞ。そろそろ妃を取って後継ぎの事など、ばあやが心配していると」
「全く、マッシュもお節介だな」
「実の弟で、フィガロ王家の息子だろ? そらぁ、マッシュだって心配するさ」
セッツァーは平静を装ってグラスを手にしたが、この話には興味があるという表情である。
「俺のは愚かな話だよ……情けないが、俺の一方的な想いだったよ」
仕方がないといったように話し始めたエドガーは、足を組替えて恥ずかしそうに笑った。
「お前にもそんな事があったんだ」とセッツァーは、そんなエドガーを初めて見て少し驚き、身を乗り出した。
「公爵夫人だったその人は未亡人だった。俺が初めて彼女と知り合ったのは、コーリンゲンの森だった。彼女は父上が最も信頼をおいていた家臣、ジェフリーの親友だった。俺はジェフリーとよく狩りをしていたのだが俺はジェフリーを父上の家臣ながら、彼を尊敬していたのだ」
ロックとセッツァーは、エドガーの話に出てくる二人が、彼の話口調からすでに過去の人だと悟った。
「その日ジェフリーは俺に、レディながらなかなかの腕の持ち主を紹介してくれた。……グウィネヴィア。彼女は父の従妹で若い頃に嫁がれたが、少し前に夫が他界して未亡人になっていた。自由になった男勝りな彼女はジェフリーとよく狩りをしていたようだった」
ロックがエドガーのグラスにブランデーを注ぎ足した。
エドガーはふっと笑って、「当時俺は15歳、グウィネヴィアは11歳も年上の人だったよ」
と言った。
「エドガーが年齢構わず口説くクセはそんな昔からあったんだな」と茶化すセッツァー。
「さぁ、それはどうかな? 俺は口説けなかったよ……彼女のことは」
「ほう…、エドガーにもそんな時があったんだな。俺はてっきり生まれながらにして、女性を口説くテクニックを持っている奴かと思ったぜ」
とロック。
「俺にだって口説けないレディはいるものだよ、ロック」
エドガーもロックの空のグラスにウィスキーを注いでやった。エドガーは掌でグラスをそっと回した。
「ジェフリーの紹介するだけあって彼女の腕はなかなかのものであった。レディがあれだけの腕を持っていたとは、当時の俺もビックリだよ。そうだな……セリスくらいの男勝りな夫人だったよ」
「セリスの男勝りにもビックリだけどな! 俺が尻に敷かれそうだよ」
と、ロックは短い髪の毛の中に手を入れて頭を掻いた。
「それから俺は、三人、もしくは夫人と二人で狩りに出かける事が多くなった。どっちが先にあのモンスターを射止めるかなど、よく勝負をしたものだ。俺が彼女に負けると悔しくてね。彼女もまだ少年だった俺に負けると悔しがっていたよ。負けるとお互いに嫌味の言い合いもしたなぁ。そんな彼女に自分が惹かれている事に初めて気付いたのが、父の誕生日を祝う宴の時だった」
ロックは更に興味津々といった表情でさらに身を乗り出してきた。
「ジェフリーと同伴の貴婦人はどこか懐かしい感じがした。肩の上で揺れている金色の巻き髪が妙に気になってね…。デコルテ調のドレスから伸びた白くてすらっとした腕。しばらく遠くから眺めていたいという感情にかられたのを今でも鮮明に思い出すよ。それから暫くして思いきって近づいてみると、何と懐かしい気持ちがこみ上げてくるのと同時に自分自身にも理解できないほどの嫉妬が生まれたんだ。そう、近づいてみて初めて気付いた。その夫人はグウィネヴィアだったと。狩りに行く時の男勝りな姿しか知らなかった俺は、レディらしく正装して今まさにそこに立っている夫人、いやその男勝りなのを含めてグウィネヴィアに恋していた事を気付かされた! そして恋とはこういうものなのか? と疑いもしたが……。
あの当時の俺はいてもたってもいられなく、ジェフリーに『すまないが、こちらのレディとほんの少しの時間をいただけるかな』と言ってダンスの相手をしてもらった。
あぁ、今でもあの香りを思い出すよ! 彼女の新緑の香り……。肩の上で揺れ動く巻き髪。狩りをしていた時とは想像もつかぬほどの気品あるステップに眩暈がしそうだった。その端正な髪にくちづけをしたくなりそうな感情を抑えきれそうになくってね、途中でレディを放って逃げ出してしまったんだ」
エドガーは話し出すとどんどん興奮していくのを抑えようと自嘲した。
セッツァーもロックもこれほど情熱的なエドガーに驚きを隠せなかった。
「冷静になって考えてみた。……今まで狩りをしていた時のジェフリーと彼女の事を思い出すと、二人が愛し合っていた事に直面した。
自分がグウィネヴィアに恋していた事に気付いて恥ずかしくなったよ。彼女にとって、あの当時の俺はただの少年に過ぎなかったと。俺はジェフリーの足元にも及ばなかったからね。俺とマッシュはジェフリーに憧れていたんだ、ジェフリーのようになりたくてね。
そして彼女を紹介されて、新しくライバルができて……楽しかったよ、俺のその想いが恋だったと気がつくまでは……。二人に及びもしない自分自身に口惜しさを感じてその日以来、あの二人とは狩りに行けなくなった。
急に狩りに行かなくなった俺の事をマッシュはすぐに気付いたんだ。優しいマッシュはいろいろ慰めにも似た態度で、何も言わずに見ていてくれたなぁ…。あいつはあいつなりに、どうにでもなる問題でもなかったことを知っていて、気を使ってくれていたよ。
それから俺は一人で狩りに行ってみたり、機械を触ってみたり、楽器を弾いてみたりと気を紛らわせようとすればするほど、あの日の噎せ返るような香りと、デコルテ調のドレスのため、ほんの少し露になった白い肩の上で揺れる巻き髪が、ますます俺の心を苛立たせた。
いっそうのこと彼女に会わなければ良かったと思い、さらに彼女の存在など最初からなければいいのにとまで、女々しいくらいの思いをしたくらいだ……。そしてそんな考えをしてしまう己にまで、情けなくて思い悩んで……。
おかしいだろう? 俺にもそんな時があったんだよ」
「自分が思い悩むほど現実とはうまくいかないもんなんだよな…」とロック。
「思い悩む事があるだけ、まだましだぜ! そんな悩みさえも味わうことなく通りすぎていったからな…俺の場合は」
そう言ってセッツァーはグラスを空にした。
エドガーはセッツァーの空のグラスに自分と同じブランデーを注いでやった。
エドガーはセッツァーから目を離して、窓の外の流れる白い雲を見た。
「人は思い悩んだり傷ついたりするが、それをどうする事もできない時間の流れに比べれば、大したことはないものだ。そして、無理やり終止符を打たなければならない運命が訪れたとしたら、そんな小さな悩みなどはどんな意味を持つのだろうか? 誰も時間には逆らえないんだね」
ロックは窓の外を見ながらそう語るエドガーの声が、こんなにも切なく聞こえたのに自分の耳を疑った。
セッツァーは初めて名君な王であるエドガーの彼自身の素顔を垣間見たような気がした。
生まれながらの王としての生き方を真っ当するエドガーが好きだったが、彼の奥に秘めていた別の顔にも共感が持てたロックとセッツァーであった。
「突然、予告もなしに来たものだ、運命とは! 俺が悩んでいた事など小さなものだった。それより、王家に襲いかかった災難の歯車に二人は巻き込まれてしまってね……。
俺とマッシュの叔父にあたる、枢機卿のフランシス殿が、彼にとって兄である俺らの父上の暗殺計画を企てた。こういったことはお家騒動によくある話らしいが、俺は兄弟である父とその弟である叔父との争いは信じたくはなかった。しかし、どこかでそれを感じていてね……」
「お前とマッシュじゃ考えられない事だな……」
とロックはエドガーとマッシュの肉親以上の仲の良さを知っているだけに、フィガロでの骨肉の争いは信じられなかったようだ。
「父上に忠誠を誓っていたジェフリーは最も早くその事実を知っていたようだった。ちょうど俺がグウィネヴィアと会わなくなった日の父上の誕生日から、一年後の誕生日の前日だった。例年のように枢機卿も次の日の宴に来る予定だったが、ジェフリーの探りに気付き急遽、前日の家族だけの祝いの日にフィガロへ来ることになった。
枢機卿は父上の為にと、外国から取り寄せたそれは珍しいワインを持参しようとした。それは珍しい……ふっ、毒入りのワインだ!
父上暗殺計画を阻止しようとジェフリーは枢機卿がフィガロへ来るのを食い止めようとしたが、ふいに鉄砲を持っていた枢機卿の返り討ちにあい、フィガロへ向かう途中で最期を迎えた」
エドガーはもう一度窓の外を見た。すでに流れる白い雲はほんのり赤く染まっていた。夕日がエドガーの腰まである長い金の髪に反射し、一層その髪を黄金色に輝かせた。
「ジェフリーは本当に前王に忠誠を貫き通した立派な騎士だった」
エドガーは掌でグラスをまわしていたことを思い出したように口元に持ってゆき、もう充分空気に触れたであろう適温なブランデーを一口含んだ。
「俺たち家族はそんな事も知らず、久しぶりに訪れた父上の弟でもある枢機卿を加えての晩餐を始めようとしていたその矢先だった。グウィネヴィアがレディとは思えぬほど髪を振り乱して、その場の雰囲気を壊すかのごとく現れたのは!
グウィネヴィアの只ならぬ様子に俺は高鳴りを抑えきれなかった。そして彼女はすぐに枢機卿の暗殺計画と、たった今彼によってジェフリーが他界した事を告げた。父上は半信半疑だったよ。父にしてみれば、枢機卿もグウィネヴィアも血の繋がった大切な人だからね。
枢機卿は落ち着き払って『兄上と私の従妹殿だから無礼は許すが、貴方は未亡人になった心の虚しさから乱心したのではないか?』と言い放って、
父上と乾杯をしようとしたのだ。俺の胸騒ぎは抑えきれ無かったよ! その時の俺にはどうする事もできなかったからな!」
エドガーはセッツァーにまた注ぎ足されたブランデーを目の前で窓の外の光に当て、揺らしてみた。
ロックもセッツァーも暫くの沈黙を保とうとした。
エドガーが回しているグラスのブランデーは外の赤橙の光線と混じり、深い光を放っていた。
エドガーは落ち着きを取り戻そうとしていた。そしてゆっくりと低い声で
「目にも止まらぬ速さだったんだ……。彼女が父上のグラスを奪って飲み干したのは!」
と言った。
「……あの頃の俺は……今の俺より、情熱的だったよ」とエドガーは苦笑した。
「今だって充分情熱的だよ、ただ意図的に抑えこんではいるけどな!」とセッツァー。
「……お前はいつだって、きっと子供の頃から王位継承者として、そして今は国王である事を忘れないが、お前の瞳を見るたびに、何だろうな……その奥に秘めた何かに圧倒されてたのかもな! ……まぁ、俺にはわかんねぇけどな、そんなお前に興味を抱いて俺は生まれも身分も違うが付き合っていけるのかもな!」
ロックはグラスを手に握り締め、ぐいっと飲み干した。すでにほんのりと、色付いてきたようだ。
「……そんな恋する人だったのかな? うん、そうとも言うな……。その人が俺の目の前で一瞬にして消えた! しかもそれを判っていたのに、どうする事もできなかったよ。
しかしそれは用意されていたかのように起きた事だった、ロックやセッツァーもそうじゃないか?」
「俺はダリルがいつか俺の前から消えてしまうんじゃないかと、いつも思っていたよ! そうだな、エドガーが言うように用意されていたのかもな」
セッツァーはエドガーの目を捉えながら、その心は自分自身にも問い掛けていた。
「俺は違うよ! レイチェルを失う原因は俺にあったからな! だが、俺にもどうする事もできなかったんだよ! エドガーお前が言うように! でも俺はもう今は穏やかだよ…。レイチェルが俺の心を彼女の優しさで解放してくれたからな……」
ロックは二人に悟られぬように目頭を押さえた。
「グウィネヴィアにはすでに俺の声など届いてはいなかった。倒れている彼女の肩を抱いた時、唇は真っ赤な血で染まり、青い瞳は遠くを見ていた。俺の目を捉えてはいたが、すでに彼女の瞳にはもう何も映ってなかったよ。
うわ言のように呟いた『これで………あの方と……』と言ったことが今でも耳から離れないよ。
俺はなりふりかまわず、彼女を抱きしめた! 自分の髪の毛が彼女の血で真っ赤に染まっていたことも知らずに……。そんな俺の姿に家族や女官達が驚いていたことも全く知らなかったよ!」
エドガーはまた、自嘲した。
「俺は初めて、あの二人の情熱を知ったんだよ。俺が足元にも及ばない事もね。そして、やはりあの二人を超えられなかった事の口惜しさかな…今でも残る記憶は……」
窓の外の流れる雲は淡い紫色に変化していた。
その雲はダリルの情熱が染付いたファルコンの流れよりも、まるで早過ぎる時間の流れを逆流するかのようにゆったりと三人の前を通りすぎていった。