赤い空がいつの間にか黒に変わっていた。
禍々しさが残るものの、さっきまで広がっていた赤い空はどこか切なげでやりきれない色だった。
それは決して不気味じゃない―――むしろ惜しむような赤だった。けれど俺はそんな空がずっと続いてほしいと思いながらも、心の底では早く夜になってほしいという気持ちもあったので複雑だった。
俺はちらと窓から空を見上げるのをやめて視線を部屋の中へ注いだ。
ソファーの上でセリスが今日買い物で買ってきたものの入った紙袋を顔を隠すように抱えている。
俺はその紙袋に目をやった―――中身は今日買った物が入っている。
―――その俺の視線に気がついたセリスはゆっくり顔を上げた。
「ねぇロック…本当に…」
躊躇いがちにセリスは訊いた。
セリスの顔にはまだ夕焼けが残っている。
「…いいだろ、別に。夜中だしきっと誰も見ないよ。」
「でも…やっぱり恥ずかしい…」
セリスは再び紙袋に一層赤味のかかった顔をうずめた。
普段のセリスからは考えられない可愛い仕草だ。
「なんだよ。それじゃ…わざわざ買った意味ないじゃん、それ。」
ちょっとだけ俺の声が固くなった。
加えて心臓の鼓動が少し早くなったのが分かった。
それに耐えられなくなったのか、俺は勢いで言ってしまった。
「俺の前なら…別にいいだろ!」
―――しまった!下心丸出しの言葉がそのまま出てしまった。
セリスは顔を上げて俺を指すように見つめる―――少し口が尖っているようだ。
そういえばセリスが拗ねるのを見るのは初めてだ。
罪悪感はセリスの拗ねる仕草を見た感動で、罪深いくらい消えてしまった。
でもすぐに「ハァ…」と溜め息をついて諦めるように言った。
「もう…分かったわよ………ロックのスケベ。」
俺は軽く笑って部屋を出た。
急ぐ必要もないのに、なぜか俺の足は速くなっていた。
エドガーの提案で、俺たちは三日ほど思い思いの場所で休暇をとる事となった。
俺たちは既にいつでもケフカを倒すための準備は整った。
あとはもう、瓦礫の塔へ乗り込むだけだ。
唯一問題があるとしたら、それはそれぞれの意志だけ。
それを確認するための時間を三日と定めた。
別に今生の別れを惜しむとか―――そんな消極的な考えでこんなことをするわけではない。
人にはそれぞれ帰るべき場所が必要で―――そこには必ず守りたい何かがある。
それは親だったり兄弟だったり親友だったり国だったりする。
それを確かめてかみしめて意志を固める。
相手は覚悟を決めなきゃ勝てない大きな敵だって事は分かっているからだった。
エドガーを除いて、他の皆はとっくにそれぞれの場所へと帰っていった。
けど俺は止まり木みたいなのはなくなったし、セリスもない。
「二人はどうするんだ?」
椅子に座りながらエドガーは尋ねた。
俺たちは何も答えられない。
エドガーもその理由はわかっているはずだが、あえて訊いてくるところをみると少し意地悪だった。
エドガーはそれでも構わず続けた。
「まぁ、お二人さんは帰る場所がすぐに出ないようだから、とりあえずこの部屋でじっくり考えてくれ。」
俺とセリスはエドガーにそう言われると、赤くなった。
でも考えようによってはこいつの僻みにも思えてならない。
ちょっとむかついたが、俺は成すがままにしていた。
「じゃあ俺はフィガロへ帰るよ。じっくり考えてくれ…おいロック。」
エドガーが部屋を去る間際に俺に振り返り、右手の親指を立ててそれを地面に指した。
俺はそれを見て苦笑いすると、エドガーも笑い返して部屋を出て行った。
もしかしてエドガーは『意志確認』と銘打って俺に気を遣わせてくれたのかもしれない。
そう考えると、三日という短いようで長い日数にも納得がいった。
俺もセリスのこと言えないけど…普段戦闘の生活に身を置いていたせいか、こういう平和な状況になるとむしろ何も話せなかったし、セリスも妙に緊張してた。
けどそれもすぐに終わった。
二日目は流石に緊張もほぐれ、一緒に町を歩いたりして何気ない話をしたりして…そういう意味で一日が随分濃密だった。レイチェルの時は随分間隔を置いたものの、それでも一回一回会う度になぜか違った雰囲気を感じたがセリスとは不思議なことに一秒一秒変わっていく感じがした。
今日はその三日目の夜。
明日は平和を勝ち取るための最後の戦いだ。
そして同時に夏も終わろうとしていた。
だから今日は一日中ショッピングセンターを歩き回っていた。
あるモノを買うためだった―――何って?
夏も終わろうとしてそのときにやりたいものといったら―――というものだ。
元来女性は季節モノとかそういうのに弱いのかよく分からないけど、その時はセリスの方がやや乗り気で、実際待ってる俺が恥ずかしかったくらいだ。
人こそいなかったものの、場所が場所なだけに、眼のやり場に困った。
けどよく考えれば、これからの方が更に眼のやり場に困るのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、俺はいつの間にか水着姿になって浜辺を歩いていた。
見上げると今日は満月だ。
それに空は妙に晴れ渡っている。
それに天空の空は宝石箱をひっくり返したような輝きを放っていた―――ミルキーウェイだ。絶え間ない輝きを放つ空の宝石を見上げながら、俺はここ数ヶ月の出来事を思い返した。
世界大崩壊から目覚めて、長い間探し求めていた不死鳥の秘宝の手がかりをようやく見つけ、洞窟を探索すること数十日―――見つけた直後洞窟内で偶然再会したセリスや皆。翌日のコーリンゲンでのレイチェルとの再会。そして別れ―――そしてそれから間もなくして、俺はリルムの悪戯ではめられた。リルムは特技である『スケッチ』能力を使ってレイチェルを描き出し、俺は描き出されたレイチェルを本物のレイチェルと間違えてしまい、昔の俺に戻ってしまった。
その中でセリスが言ってくれた真実―――四月一日だったが嘘ではない言霊。―――その場所がここだったんだよな。波の音が気持ちよく聞こえた―――そろそろ満潮を迎えるはずだ。そう思ったとき、浜辺特有の柔らかい砂を踏む音が後ろから聞こえた。
セリスだ。
「お……お待たせ…」
俺はゆっくり振り向くと…思わず目を見開いた。今日の昼買ったものが何であり、どういうものかはよく知っていたはずだったが―――実際見てみると随分印象が違うものだ。今俺の前にいるセリスは―――白のビキニ姿だ。
もともとセリスの肌は白いが、夜だからかセリスの肢体が妙に際立って見えた。
けれどいささか淡いピンクで肌が染まっていた。
右手で顔を抑えているものの、セリスが恥ずかしがっているのは明白だった。
指の間から覗けるセリスの眼と視線が絡み、セリスは目をそらす。
―――可愛い。同時に身体中の血が沸き立ち頭へ流れていくのが分かり、俺は思わず目元を抑えた。
「…う…」
「…もう…」
呆れる一方、セリスの顔はますます赤くなった。
「ところで…どう?」
ゆっくりセリスは手を顔から離し、おずおずと尋ねた。
俺は思わず我に返る。
「あ、ああ…似合うよ、とっても。ただ…」
「…ただ?」
セリスは怪訝そうに訊き返す。
「ただその…白の水着って…水の中だと透けるんじゃなかっ…!」
バチッ!!
言い終わる前に俺の頬にセリスの張り手が飛んだ。
「な!なんだよ!」
俺は叩かれた頬を抑えながら叫ぶ。
「『なんだよ!』じゃないわよ!もう………………あ!」
セリスが何か声をあげたと同時に、妙に上唇に生暖かい感触が走った。
―――えっ?!俺は慌てて口元を拭うと、拭った指先には血がついていた。
―――鼻血?
「…スケベ」
「ちっ…違う。今のはセリスが叩いたからだろ!」
「そんなに力強くやってないわよ。ロックが変なこと考えてるから悪いんじゃない。ロックのスケベ!」
そう言ってセリスは海へと走っていった。
「あっ!待てよ!」
俺も後を追って海へ入ろうとしたそのとき、
…ざばぁ…
「…」
セリスに思いっきり水をかけられた。
濡れた俺の様がよっぽど滑稽に見えたのか、セリスはおなかを抱えて笑ってる。
「…っんのぉ!」そう言って俺も海の中へ入っていった。
一段落ついて俺とセリスは浜辺に座っていた。
セリスは俺の胸を背もたれにして休んでいる。
今は夜だから昼と違って随分涼しい。
だからそんなに長く海で遊ぶことはできなかったけど…俺はかえってそれがよかった。
俺は上からセリスの顔を覗くと、セリスは目を閉じている―――寝てるのか?
俺は確認もせず、そのまま空を見上げて心地よい溜め息をついた―――正直、夜に泳いでよかったと思った。
いまなら人の目を気にせずに、普段は騒がしくて広い浜辺を独り占めできるし、いや、それ以前にセリスの水着姿を俺が独り占めできるし―――他人に拝ませるなんて事はなぜか許せなく思えた。実際俺の胸の中で休んでいるセリスは本当に綺麗なんだから尚更そう思う。
晒すのは丸い月だけで充分だ―――セリスにはなぜか月が似合う。
そう思うと、セリスが小さく呟いた。
「…怖い。」
俺は視線を落として見ると、セリスは潤んだ瞳で満月に眼を向けている。
「…そうだよな…明日が、最後の戦いだし、正直言って…」
「違う!」
セリスは強く否定した。
俺はてっきり明日の決戦の事が怖いと思っていたが、じゃあセリスは何が怖いんだろう?
そして俺の右手に手を添えて握ってきた。
「明日は…そんなに怖くない…むしろ『今』が怖い…」
「…どうして?」
セリスはさっきから満月から目を離さない。
その瞳には何か、怖いものに抗うような勇気の光があった。
「…ロック…『満月』って、何の象徴だか知ってる?」
セリスは息を呑んで一呼吸置き、ゆっくりと続けた。
「『満月』は…『狂気』を象徴してるの…」
「…………え?」
俺は意味が分からなかった。
けれどセリスの鼓動が早くなるのが俺の胸に伝わった。
「不思議ね…月ってあんなに綺麗だけど…あれが『狂気』の象徴だなんて…」
改めてセリスの濡れた髪が切なく注してくるように気持ちよく感じられた。
そして、俺はふとセリスが消えたような寂寥感に襲われた。
―――これか。俺はセリスの言う『怖さ』が分かった。
そして俺も怖くなり、慌てて左手でセリスを抱きしめた。
セリスの体温が俺を温めてくれる。
「…ロック!?」
セリスは初めて俺のほうへ視線を向けてくれた。
そしてセリスの鼓動が聞こえ始めると、寂寥感を覆っていた俺の心はセリスの鼓動で塗り替えられた。
「……それはきっと、綺麗過ぎるからだろ?」
俺は耳元で囁いた。
「『桜の木』の伝承でも同じようなのがある。―――桜の木は死んだ人の血を吸って綺麗な桃色の花を咲かせる―――って。でもそれは、あまりにも綺麗過ぎるからそういう狂気じみた言い伝えができるんだ。そんな言い伝え、誰も信じている奴いないのにな…だから満月も同じだよ。俺は…そんなの信じない。」
そう言いながらも、俺の左手に力が入った。
小波が響いた。
そして海風が俺たちの間を縫うように吹き抜ける。
しばらくしてセリスはゆっくりと、俺の左手にも手を添えた。
「…ロック………誓って。」
「ん?」
「…もう…二度と離れないで…」
毅然としていながら、それでいて柔らかい声が俺の心に染みた。
「…ああ。」
俺とセリスはそのまま月光浴を楽しんだ。
永遠に思える夜はとても静かだった。
俺たちは飛空艇へと全速力で走っていた。
瓦礫の塔の最深部からかろうじて開けてある道を何とか伝っていく。
「急げ!崩れるぞ!」
「分かってるよ!」
無事脱出できるかどうかなんて分からなかった。
それ以前にこの極限下で生き残ることさえできるのか分からない。
支えているフレームの限界点まで詰まれた瓦礫がケフカの消滅の影響で崩壊し始め、頭上からいろんなものが落ちてくる。
頭に落ちればそれこそ死だ。
文字通り、死と隣り合わせ。
その時、俺の頭をささくれた鉄パイプが掠めた。
「痛ッ!」
痛みが走るものの、俺は構わず走る。
するとその時、バンダナがするりと解けた。
さっきの鉄パイプでバンダナの布が破けたみたいだっだ。
長い旅を一緒に潜り抜けてきた俺のトレードマークだ。
多少痛んでいることは知っていたし、ケフカとの激戦もあったんだから別に不思議に思えなかった。
あのバンダナは大切な宝だが命には替えられない。
そう割り切って俺は振り返らず走った。
けど、そのバンダナからなぜか小さな宝石のような粒が零れていくように見えた。
俺はそれでも構わず走ろうとした―――しかし!
「んッ…セリス!」
後を追うように走っていたセリスは突然踵を返してバンダナを追った。
「おいやめろ!行くなよ!」
俺は叫んだがセリスは構わずバンダナを取りに行った。
「くそッ!」
今度は俺がセリスを追った。
バンダナを拾ったセリスが俺に向かって微笑む。
けど俺はなぜか叫ばずにいられなかった。
「バカ!なんでそんなの取りに戻るなよ!死んだらどうするんだよ!」
「…だって!」
微笑が次第に歪むと、俺の心は締め付けられるように思えた。
極限状態なのにも関わらずセリスの顔を見た途端、なぜか俺とセリスの間の時間が止まった。
けたたましく鳴り響いていた金属の軋む音はなぜか聞こえなかった。
いつもより早い呼吸と心臓の鼓動しか聞こえない。
頭の中が妙に涼しく静かになっていた。
―――セリス…?
けどそれも本当に一瞬―――突然セリスの周りが暗くなる。強引に動かされた時間により時計の軛が襲いかかってきた。
「!!」
「…ッ!」
上から落ちてきたフレームに潰されるより早く、俺はセリスを抱きかかえて跳んだ。
間一髪―――俺が着地して一呼吸置いた後にフレームの砕ける音が響いた。
けどそれで終わるほど安心できなかった―――むしろ最悪の事態へ放り込まれた。
足元に亀裂が走り、マンイーターのような大きな口が開かれる。
「なっ!」
「えっ?!」
俺とセリスはそのまま亀裂に飲まれるが、何とか奈落の底に落ちる前に亀裂の唇に右手を引っ掛けた。
「…くっ!」
セリスを放さないようしっかり抱え、抱えている左手に力を込めた。
「ロック!」
セリスが俺を見上げると、再び俺の頭が静かになった。
ふと視線が左手で抱えるセリスに向いた。
―――ん?いつものセリスには見られない神々しい雰囲気がそこにあった。
それは月焼けの跡だった。
妙に艶かしく、それでいていとおしい雰囲気が醸し出されている。
それに触発されて、俺は『生への執着』が強くなった
―――死ねない―――死なせない!すると身体から力が湧いた。
「…フンッ!」
ゆっくりと右手に力を込めて身体を持ち上げ、セリスを崖淵から押し上げた。
俺も続いて亀裂から脱出する。なぜか溜め息は出てこない。
立ち上がってセリスを見た。
極限下と分かってても、今がとても大事に思えて何も考えれらない。
「ロック…これ。」
そんな俺をセリスは拾ったバンダナを差し出し、一途で純粋な瞳で見ていた。
我に返って考えると、俺はなんだか呆れる一方、罪深くもなった。
バツが悪い気がしたけど―――でも現実を見てみればそん
なことはできなかったのでさっさと受け取った。
受け取ったバンダナを見るとしわくちゃになっていた。
奈落の底へ落ちかけても、俺がセリスを離さなかったように、セリスもバンダナを放さなかったんだ。
そう思うと、俺の胸に言いようもない想いが込み上げた。
何と礼を言っていいのか分からない。詩人が羨ましく思えてきた。
「……………ありがとよ。」
ただそれだけしか言えなかったのが、妙に心苦しく思えた。
俺は月焼けの跡を隠すようにバンダナを額に巻き、セリスの手を取って走っていった。
「…セリス…」
走りながら、轟音の鳴り響く中で俺は囁いた。
聞こえたのか聞こえてないのか確認なんてしないで、構わず俺は続けた。
「…ここを出たら…もう一回海に行こう。」
そう言うと、セリスの手が俺の手を力を込めて握り返してきた。
そして月はケフカの消滅と共に『狂気』の存在は消滅し、人々の心の中から忘れ去られていった。
ロック・コールとセリス・シェール。
二人にとってそれは『始まり』の象徴となった。
その象徴は二人の身体に、月焼けの跡として永遠に消えることはなかった。
THE END