凍れる暗黒


 ミッドガル市へ降り立った一同を出迎えたのは、まるでウエハースのようにボロボロになった上部プレートの残骸と、不安でざわめいている下部スラムだった。
「あかんわ。こら急いで、残りのエネルギー、みぃんなかき集めて、はよあれ撤去せんと。でないとその内崩れますよって。」
 そう言ったケット・シーの言葉通り、間もなく神羅カンパニーの臨時代表に就任した、元都市計画部部長リーブは、就任と同時にいくつかの声明を発表した。
現存している魔晄炉の運転再開は当面見合わせること。
被害を受けた人々への救済を優先すること。
ミッドガルの上部プレート及びジュノンの上部装甲を順次撤去すること。
しかし、中でも人々を驚かせたのは、この発表の最後が、「今回の件の事態収拾にあたり、多大な尽力をいただいた「アバランチ」メンバーに深く感謝の意を表する」と締めくくられていたことだった。
「神羅が、アバランチにどうして!?」
 数々の魔晄炉を爆破し、前々社長のプレジデントを殺害したといわれ、つい先日にはメテオ事件の張本人として公開処刑されようとしていた「アバランチ」と、神羅との間に一体何があったのか。
 だが、リーブは一切の質問をこんな言葉で断ち切った。
「今後、彼らがそのような冤罪を背負わされることがあってはなりません。メテオ事件を解決したのは彼らなのです。またいずれ、みなさんには納得いただけるようにご説明申し上げますが、さし当たって我々が今すべきことは、何よりも今回のことで傷ついた方々の救済です。その旨、ご理解下さい。」
 このリーブの沈黙によって、神羅の内外では様々な憶測が流れたが、中でも大剣を手に、黄金の髪を怒りに逆立て、青く輝く魔晄の瞳を燃え立たせながら、なみいる神羅軍をものともせずに突進してきた若者の姿は、最初神羅軍の兵士達によって恐怖と共に語られ、後に一つの英雄伝説にまで発展する。
「真相は、まあ落ち着いてから公表した方がええですやろ。みんな、ホンマのことしりたがっているさかいに。」
ケット・シーは言った。
「しかし、真相ったって、一体どっからどこまで説明するつもりなんでい?オレ様も混乱しちまって、ワケわかんねーぞ。」
 死んだはずの英雄セフィロス、メテオ、ジェノバ、そして古代種。どれ一つをとっても、公表すればパニックは間違いない。
 シドの言葉に一同は大きく頷き、ケット・シーも困ったというように飛び跳ねてみせた。
「その通りですわ。けど、黙っているわけにはいきまへん。世間では魔晄炉の運転再開を望む声が大きいさかい、ホンマのことを公表してはようストップかけんと、また同じコト繰り返しますやろ?」
「かーっ、頭に来るぜ!」
 バレットが吐き捨てた。
「それですわ。そん時、みなさんにも過去の神羅のこと、話してもらいたいんですわ。そうしたら、きっと同じような声がどっかで上がるはずです。魔晄廃止のいいキッカケになりますやろ。」
「でも、そうしたらあなたは大変なことになるんじゃないの?」
 ティファの問いに、ケット・シーはしんみりとした調子で言った。
「クラウドさんが自分で自分のケリつけはったように、神羅も自分で自分のケリつけな、あきまへん。神羅はええこともしましたけど、悪いこともしました。きちっとけじめつけるのが、ボクの役目や思うとります。それに、良くも悪くも、神羅は力持っとりましたから、ここでボクが頑張らんと、世の中どうなることやら。何しろ、発電設備からおたまいっこに至るまで、みぃんな神羅が作っとったさかい。」
 その言葉に、一同の沈黙は更に深くなった。
「復旧作業も、魔晄に頼るしかないからなあ。」
 シドが唸るように言った。
 もはや、人の暮らしは魔晄と神羅無しには成り立たなくなっている。今から、急に魔晄が無くなれば、混乱するばかりではなく、やるべきことすらままならないのだ。
 だが、そうすれば星の命はまた確実に短くなるだろう。
 無論、彼らにとって歓迎出来ることではない。
「おう!俺はやるぜ!世間の連中の腐りきった連中のアタマに、神羅の連中がやったことを叩き込んでやらあ!リーブさんの情報公開とやら、乗ろうじゃねえか!」
 ティファも力強く頷いた。
「守らなければいけないわ。エアリスが自分の命と引き替えにして守った星だもの……。」
「エアリス……。」
 ティファの言葉に、ナナキが悲しげに呟いた。
「本当にエアリスは死んでしまったのかい?まだ信じられないよ。なんだか、『みんな、ただいま』なんて言って帰って来るんじゃないかって気がして仕方ないよ。」
 それは、全員がそうだった。
 それほど、彼女の死は唐突だった。エアリスはそれが当然と言うように、あっさりと自分の命を投げ出してしまったのだった。
 エアリスの養母・エルミナは、マリンをバレットに返した後、また五番街のスラムの自宅へと戻って行った。
「あそこの……あの子が育てていた花の世話をしないといけないからね。あそこにはあの子の心が宿っている。それも無くなってしまったら、あの子が本当に消えてしまうような気がするのさ。」
 そう言って、夫も養い子も失った孤独な女性は、1人ミッドガルへと戻って行った。永い、孤独な時間を過ごすために……。
(孤独な時間、か。)
 だが、とクラウドは考えた。
 エルミナの孤独はいつかは終わる。彼女自身の死によって、愛も孤独も哀しみも、全てはライフストリームの中に還っていくのだ。
(だが俺は……。)
 騒然としたまま、とにかく世の中が復旧の方向へ向かいつつある中、クラウドは「すぐ戻る」との言葉を残して姿を消した。
 そしてその言葉通り、10日後には戻ってきたが、その間どこで何をしていたかについては、全く口を閉ざして語ろうとしなかった。ただ、口数は以前にも増して少なくなり、1人何やら考え込んでいる時間が多くなった。
 そんな彼の様子を心配したのは無論ティファだった。
「ニブルヘイムの事件も、その内に公表するんだって。」
 ある日、彼らが当面の根城にしている、かつての神羅の持ち物だったスラム街のビルの屋上で、また1人考え込んでいるクラウドにティファは言った。
「その時、私達にも証人になってくれって。もちろんやるよね、クラウド。」
「そうだな……」
 クラウドは腕を組んだ。
「しかし、ジェノバ・プロジェクトやメテオ事件について、一体何をどこまでどの程度説明するのやら……リーブも辛いところだな。」
 不死身のジェノバに、神羅の作ったモンスター達、ホーリーやメテオを生み出した『古代種』と『約束の地』。このにわかには信じられない話を、一体どうやって人々に理解させるのか。
(いや、いやでも理解することになるさ。その内……。)
 そして、その時世界は新たな恐怖に包まれる。
(そして俺も……。)
 だが、そんな彼の心中を知らないティファは、また沈んだ瞳になるクラウドを励ますように笑って言った。
「だから、私達ががんばろうよ。そうしてそれが終わったら、私達、静かに暮らせるわ。そしたら……」
 そう言って照れたように目を伏せてしまったティファの笑顔を微笑して眺めつつ、だがクラウドは内心では切り裂かれるような思いだった。
 答える代わりに腕を伸ばし、そっと抱き締めるとティファは一瞬だけ驚き、だがすぐに彼の肩に顔を埋めた。
「そろそろお夕飯にしなくちゃ。」
 離れたところで照れ隠しのように笑ってそう言ったティファを無理に作った笑顔で見送ったところで、ティファと入れ替わりに現れた人物がいた。
 ヴィンセントだった。
 ヴィンセントはクラウドのそばに歩み寄ると、前置きなしに問うた。
「ルクレツィアのところへ行っていたのか?」
「……ああ。」
 クラウドは頷いた。ガスト博士の元助手にして、セフィロスの母。魔晄とジェノバ細胞の恐ろしさを、誰よりも知っている女性である。
「話したのか?」
「……ああ。」
 クラウドの視線の先には、地平線を赤くそめて次第に周囲を暗黒に変えながら闇に沈んでいく、壮大な落日の光景があった。死そのもののような陰鬱な眺めを、何故かうらやましいな、と彼が呟いたその理由を、ヴィンセントは知っていた。
「俺も、なんだな。」
 クラウドの問いに、ヴィンセントはあっさりと答えた。
「そうだ。」
 その飾り気の無い答えを聞いて、クラウドは頬にそっと微笑を刻んだ。  実は、既に知っていた。彼女に出会い、彼女やその子や、そしてヴィンセントの身に起こった悲劇について聞いた時から、もしやという予感はしていたのである。
 そしてセフィロスを倒してから、その予感は確信へと変わり始めた。ルクレツィアとヴィンセントの運命を変え、彼の中にも潜んでいた悪魔が、密かに勢力を伸ばしつつあることを。今回、ルクレツィアのもとを訪れたのは、彼女にいくつかのことを知らせておきたかったのと、それについての確認をしたかったからである。
 自分の身の上を、だがクラウドは悲しいとは思わなかった。
(俺の悲しみなんか、もうあの忘らるる都で尽きてしまったのだから。)
 もしも今の自分に悲しむことがあるとすれば、あとはただ一つしかない。
 だが、ヴィンセントはそんなクラウドの思いを既に読みとっていたらしく、そのただ一つの思いを断ち切らせるように言った。
「あの娘を……第二のルクレツィアにしてはならない、な。」
「そうだな……。」
 クラウドはきっぱりと答えると、空を仰ぎ、そして瞑目した。
 悲劇は、いずれどこかで起こる。
 だが、それが愛する人間の身に起こるのは耐え難い。
 そんな身勝手さだけが、今の自分を支えてくれている気がした。そしてこれからも。
(でも、ティファを泣かせてしまうことになるな……。)
「行くか。」
「ああ。」
 クラウドは答えた。
 終わり無い黄泉路への旅が、今、始まる。



『みんなごめん。今まで有り難う。さようなら』
 そんな簡単過ぎる置き手紙を残してクラウドが姿を消したのは、その翌日のことだった。
 事の次第を知ったティファは茫然自失し、そして半狂乱になり、涙が乾くと決然として彼を捜す旅に出る旨を宣言した。
「ボーンビレッジに行くわ。クラウドはあそこに寄ったはずだもの。」
「忘らるる都か?」
 ティファは頷いた。
「多分……。」
 ティファは唇を噛んだ。何故そこまで思い詰めたのか。どうして何も言ってくれなかったのか。ティファには悔しくてならなかった。そして、もしもクラウドがひた隠しにしていた心の内の懊悩をうち明ける者がいるとすれば、ティファには1人しか思い浮かばなかった。
 となると、自分には何も言ってくれなかったクラウドが一層恨めしい。
 だが、そんな思いはヴィンセントの静かな、だがきっぱりとした言葉で中断した。
「間違えるな。」
 穏やかだが厳しいその語調に、ティファははっと顔を上げた。喋る事自体がまれなヴィンセントが、他人を叱責するということに、ただならぬものを感じたのである。
「彼は私よりも勇気があっただけだ。愛する者の望みと愛する者の幸福……それが必ずしも同じではないことを悟った上で、会えて愛する者の……お前の望みよりもお前の幸福を第一に考えた。ただそれだけだ。」
「私の……幸せ?」
 ティファは首を振った。大粒の涙が自然にぽろぽろとこぼれてくる。ヴィンセントの赤い瞳が、視界を覆った水面の向こうに揺らめいてただの赤い光に変わり、目に滲む。ティファには分からなかった。自分をこんなに悲しませることが、どうして自分の幸福なのか。
 だが、ヴィンセントの次の言葉はティファだけではなく、その場にいた全員の心臓を衝撃で撃ち抜いた。
「彼はもはや人間ではないのだ。私と同じように。」
「!!」
「過去に植え付けられたジェノバ細胞のせいで、もう我々は人ではなくなっているのだ。時の神からも死の神からも見放され、永遠の苦しみしか残されていない運命……そんな我々の側にいたところで、人が得るのはただ苦しみと悲しみだけだ。これ以上、人ならざる者の運命に、巻き込まれる犠牲者はいらない。彼はお前をそんな惨めな犠牲者にしたくなかっただけだ。」
 ティファは痴呆のような表情でヴィンセントの言葉を聞いていたが、やがてロウのように青ざめた顔を、しびれて感覚の無くなった手で覆った。泣きたかったのではない。痛いほどに張りつめた空気から逃げてしまいたかったのである。そのままがっくりと床に膝から崩れ落ちたティファを、バレットが静かに支えてやった。
「馬鹿野郎が……。」
 乾いた唇から漏れたののしり文句が、クラウドに向けられたものなのか、それともクラウドをそのようにしてしまったものに向けられたのかは分からない。
 ナナキは一同に背を向け、開け放たれた窓から廃墟となった夜のミッドガルの暗黒に向けて遠吠えの声を放った。まるで鎮魂歌のような哀しい響きを聞きながら、シドもユフィも呆然としている。ケット・シーはまるで動かなくなっていた。きっと、離れたところでリーブも魂を抜き取られてしまったのだろう。
 そんな一同に、ヴィンセントはゆっくりと背を向けた。
 まだ、彼らは本当の恐怖を知らない。ジェノバ細胞は、植え付けられた者の細胞レベル、そして遺伝子レベルにまで働きかける。本当の恐怖は、これからやってくるのだ。そしてその時、彼らはどうするのだろうか。
(恐怖が、始まる……。)
 恐らく、この凍り付いた夜を覆っている闇のどこかで、クラウドは1人、全ての勇気を振り絞って歩き続けているのだろう。途方も無い、終わり無き運命の旅路を。
 だがもしも、とヴィンセントは考えた。
 もしも、古代種達のように、彼や自分も『約束の地』を見いだすことができれば。
(或いは、我々の旅も終わるか……?)
 それを自分達が見いだせれば、だが。
 ヴィンセントは今はもういなくなってしまった、それを見いだす力を持っていた美しい娘の面影にそっと瞑目し、クラウドが消えた同じ闇へと足を踏み出した。
 その背中に、ようやく呪縛の解けたティファの放った号泣の声が突き刺さった。号泣はやがて嗚咽へと変わり、それもやがて闇に呑み込まれた。

Fin

えま様FF8のスコールとリノア中心の素晴らしい小説が
『月の庭』でご覧になれます。
是非、伺ってみてください→GO!