覚えているのは一面の銀世界と冷たい月。そして切ないくらいの悲しさと、がらんどうのような虚しさ。
「ここは……? オレは……いったい……?」
たった今生まれてきたばかりのように、自分自身に関することで記憶にひっかかるものがまるでなかった。気がついたらここ――書物や木箱がばらまかれた広い部屋にいたのだ。その中央には、あきれるくらい大きな機械が我がもの顔で鎮座していた。
「流れに……とても大きな流れに飲み込まれて……それから……?」
当惑している男を見て、機工師ベスロディオが腕を組んでうなる。機工師とは、かつてこの地に栄えた古代文明の遺物を発掘しては、研究、実践、応用している者たち――機工士――の指導者を差す。奇妙な巨大遺物が発見されたというので機工士である息子とその友人とでいろいろ試していたら、突然男が現われた、というわけだ。
「むむ……。昔読んだ書物にあったな……。おそらくこれが転送機だろう」
「転送機?」
父親にして師匠であるベスロディオに、ムスタディオは怪訝な顔を向けた。
「ああ、次元を超えて異世界を旅するための機械、転送機だ」
「では、彼は次元を超えてこの世界に?」
「おそらくそうだろう。その証拠にあんな服、見たこともないぞ」
ラムザは、ベスロディオの言葉を聞きながら機械から離れて男に近づいた。何を隠そう、この機械のスイッチを入れたのは彼なのである。得体の知れないモノを起動させることに躊躇していた機工士たちにかわり、ごく軽い気持ちでボタンを押したのだ。
「オレは……オレの名はクラウド……。そう、クラウドだ」
男は、空白の記憶の中でそれだけを見つけてつぶやいた。
「僕はラムザ、そっちは仲間の……」
自己紹介しようとするラムザに、クラウドはぷいと背中を向けた。
「あんたたちの名前なんて興味ないね。オレに必要なのは、戦場だ。そう……そうなんだ。オレは戦士……ソルジャーだ」
「なんだよ、いけすかないヤツだな!」
ムスタディオが招かざる客の無愛想さにむっとする。と、そのクラウドが唐突に頭をかかえて屈みこんだ。
「う、何だ、この感じは……。指先がチリチリする……熱い、目の奥が熱い……。やめろ、やめてくれ……フィロス……」
「なんだよ、危ないヤツだな」
あまりに統一性のない闖入者の態度に、ムスタディオがお手上げといわんばかりに両手をあげたとき、クラウドがいきなり立ちあがった。
「行かなければ……そうだ、あの場所へ行かなければ……」
ラムザをベスロディオを押し退け、自分の身に何が起こったのか――自分が異世界に飛ばされたことも知らずに、クラウドは呆然とするラムザたちをあとに工房から飛び出した。
「な、なんだったんだ、アイツは?」
呆然として彼が出ていくのを見送っていた全員の思いを、ムスタディオが代弁する。ラムザは自分の好奇心から招いてしまった事態に少しばかり責任を感じていた。
何もわからなくても数日は過ごせるものだが、現状を把握しなければどの世界でも生き抜くことはできない。クラウドもこの世界のことを少しずつ理解していったが、そのたびに、ここには存在しないものを知っている自分に気づいて、徐々に異世界にいる自分を自覚していった。
自分がどんなところにいたのか覚えていないが、それでも何かにつけて不便さを感じた。当然あるはず、できて当たり前のものがほとんどないのだ。が、それを補うように魔法が非常に発達しているような気がした。誰にもそこそこの魔力が備わっており、鍛練を積めば非常に強力で広範囲に及ぶ魔法を使いこなすことができるのだ。クラウドは“マテリア”という言葉こそ思いだすには至らなかったが、何も持たずに魔法が使えることに軽い驚きを覚えた。
この世界のことを理解すると同時に、必然的に国や政治的背景も情報として入ってくる。この世界では王制がしかれており、王族、貴族、民衆の身分がはっきりと分けられていた。当然貧富の差も激しく、権力者と民衆の軋轢もひどい。
ここイヴァリース王国でも、二人の公爵が幼い国王の摂政の座をめぐって起こした戦争の真只中にあった。この国はその前にも隣国と五十年間にも及ぶ戦争に敗れ、多額の負債を負わされていた。経済的に疲弊しているところの内乱勃発で国土は荒れ、法は効力を失い、国内はほとんど無政府状態となっている。それを象徴するように街には盗賊やならず者があふれ、野山にはモンスターが跋扈(ばっこ)していた。
この世界では奇妙らしい服装のせいか、あるいはたった一人であてもなくさ迷っているせいか、クラウドはよく盗賊やモンスターたちに襲われた。そのたびに背中に手をのばし、空をつかむことを繰り返していた。そこに手に馴染んだ武器――大剣があるはずなのだ。盗賊でも二、三人が相手なら、モンスターでも群れないものなら素手で倒せなくもなく、クラウドはそうして得た金などで糧を得て、何かに引き寄せられるように北西に向かって歩き続けた。
そうしてザーギドスの街にたどり着いた彼は、そこで一人の女性と出会うことになる。彼女はこの戦時下で花を売り、病身の母親を助けながら細々と暮らしていた。
「ね、お花はいらない? たったの一ギルよ」
そう話しかけてきた彼女を見たとき、何かが胸の中で弾けた。やさしく、そして哀しいくらい切ないものが心を満たした。
「どうかしたの?……私、誰かに似てるの?」
はっとしたように自分を凝視するクラウドに、彼女はわずかに戸惑いをみせた。
知っている? 初めて会ったはずなのに?
そんなことがあるはずないのはクラウドが一番よく知っている。異世界で知りあいなどいるはずがない。それなのに、どうしようもなく悲しくて息がつまるほど苦しいのは、何故なのだろう?
「……いや、なんでもない」
クラウドは短く答えると、逃げるようにそこから立ち去った。
「なによ、もう……」
憮然とする彼女のまわりを、クラウドと入れ替わるようにいかにもガラの悪い男たちがさっと取り巻いた。
「な、なに……?」
「さがしたぜ、エアリス……。今日もオフクロさんのために花売りかい? ご苦労なこったぜ」
借金取りだ。
「お願い、あと十日……ううん、一週間でいいから待って」
消えいりそうな声で訴えるエアリスの襟首を、正面にいた男がつかむ。
「ふざけるな! 期限はとっくに過ぎているんだ! 貸した三万ギル、耳をそろえて返してもらおうか!」
「は、離して……!」
もがいたとき少し胸元が開いた。それを覗き込むように見て、男が卑下た声をだす。
「ほう……、よく見たら結構イイ女じゃねぇか!」
「こりゃ、花を売るより春を売ってたほうがいいかもなぁ」
男たちから悦に入ったくぐもった笑いがもれる。
「その手を離せッ!」
そんなならず者から彼女を守るように、ふいに奇妙な服に身を包んだ男が現われた。
「なんだとぉ……!」
「聞こえなかったのか。その汚い手を離せと言ったんだ!」
挑発的な言葉に、男はエアリスから手を離してクラウドに詰め寄った。
「なんだ、てめぇは? ヘンな格好をしやがって!」
クラウドは答えずに無造作に男を振り払い、男はふんばりきれずにどさっと地面に尻餅をついた。
「今のうちだ。さっさと逃げるんだ」
クラウドは、ならず者たちなど眼中にないようにエアリスをやさしく見つめた。突然出現した助け手に促されるまま、エアリスは素早く逃げだした。
「てめぇ、ナメたまねをしやがって!」
このご時勢に正義の味方ぶった男が現われた試しなどない。ならず者たちは半ば呆気にとられていたが、ようやくいろめきたった。
「オレとやるのか……?」
全部で五人。借金取りなどやっているせいか、全員腕に覚えがありそうだ。素手で渡りあうにはかなりきつい。いつもなら無謀な戦いはさけるのだが、クラウドは今回だけはその素振りも見せなかった。が、遅れじと身構えようとしたとき鋭い頭痛に襲われ、その場にうずくまってしまう。
「なんだ、てめぇは?」
ならず者たちが拍子抜けしてクラウドを見おろす。
「クラウド! 大丈夫か!」
そのとき、偶然か、彼を追ってきたのか、ラムザたちが現われた。
「くそッ! ええい、やっちまえ!!」
その言葉を合図に、路地裏でラムザたちを巻き込んだ乱闘が繰り広げられたが、軍配はクラウドに――というよりも、ラムザたちにあがった。
クラウドは勝利を喜ぶでもなく、さっきまで“戦場”だった路地を見つめた。ラムザたちの戦いを見ていて何かを思いだしかけた。自分にも確かに仲間がいたのだ。仲間として信頼できる者、友人として心を許せる者がいた。そして……。
クラウドは風に消えてしまいそうな声でぽつりと言った。
「なくしてしまったんだ……。大切な……とても大切なものを……」
「クラウド……?」
ラムザが気遣わしげな眼差を向ける。
「あの時からオレはオレでなくなった。今のオレは……誰なんだ? オレは……どうしたらいい? この痛みはどうしたらいい?」
誰にも、彼自身にもその言葉がどこからきているのかわからない。それでも痛烈な切なさだけは伝わってきた。
「クラウド……、きみの世界にきみを待っている人がいるんだね? 他の聖石の力を使えばきみを元いた世界へ戻すことができるかもしれない」
元の世界。自分がいるべき場所。
「行こう、ラムザ。ここにはいられない。行かなければ……、ここじゃない場所、約束の地へ……」
消え入りそうな声は風に飛ばされ、ちりぢりになった。
クラウドは戦士として申し分ない働きをしたが、みんなと打ち解けようとはしなかった。そんな無愛想な彼を気遣い、世話を焼きたがる人種がラムザのまわりにはたくさんいた。
だがそれは、彼らが必ずしも世話好きだったからではない。彼らもまた孤独だったのだ。社会から、家族から、仕えていた主人から裏切られ、引き裂かれ、それでも自分の信念を貫こうと暗闇の中を手探りで歩いている。彼らにとって、クラウドは極端な自己投影像でもあったのだ。
そのためか、あるいは異世界の人間である彼の孤独を思ってか、全員が彼がまれに姿を消していることに気づいていたが、あえて問い詰めようとする者はいなかった。だが、ついにそれを後悔するときがくる。ある夜、彼が血まみれになって帰ってきたのだ。
鮮血に染まったクラウドを見て動揺してしまった男たちの中で、女性ながら聖騎士として激戦をくぐりぬけてきたアグリアスが彼を運んだ。ベッドに寝かせようとしたとき、クラウドのベルトから何かががしゃりと音をたてて落ち、いやにきらきらしたものが散らばった。……金貨と宝石だ。
全員――アグリアスさえぎょっとして動きを止める。
「大丈夫だ。これはやましい物じゃない。彼は、僕らに迷惑をかけるようなことはしていないって言っていた」
誰もが黙認していた……いや聞けなかったことを、ラムザだけはちゃんと把握していたのだ。彼らは一見頼りなさそうに見えるラムザが、リーダーとしての役割をきちんと果たしていることに今さらながら感心し、クラウドに必要なものを探しに方々に散っていった。
クラウドが気づいたとき傍らにいたのはラムザだった。
「……すまない。迷惑はかけないって言ったのに」
「いいよ。うなされてたみたいだけど、調子はどうだい?」
「いいみたいだ」
「それはよかった。本当はケアルをかけてあげたいんだけど、他のみんなが承知しないんだ。君をすぐに元気にしたらまた無茶するに決まってるってね。ベッドで反省してろっていうのが、アグリアスの伝言」
「そうだ、金は?」
むりやり起きようとするクラウドを抑え、ラムザはそばのテーブルに置いた布袋を目で差した。
「そこにあるよ。宝石は、僕らがこの街にくる前に盗まれた物だってムスタディオが調べてくれたけど、どうしてこの世界にきたばかりのきみにそんなにお金が必要なんだい? 下手したらとんでもない誤解を受けるところだったんだぜ。いいかげん理由を聞かせてくれてもいいと思うけど」
穏やかに聞くラムザから、クラウドはぷいと顔をそむけた。
「オレの、個人的な理由だ。あんたたちには関係ない」
「ふーーん。血だらけになって戻ってきたと思ったら、盗品をぶちまけといて、関係ないって?」
予想通りの返事だっただけに気を悪くしたわけではないが、ちょっといじわるく言ってみる。
「……戻るつもりは、なかった。あれが盗品だってこともわかってた。ポーションを使い果たして一人で対処しきれなくなっても、絶対にここには戻らないって……思ってた」
「僕らに迷惑がかかると思ったからかい?」
クラウドは顔をそむけたまま小さく頷いた。
「――でも」
「いいよ」
あとを続けようとする彼をラムザはやはり穏やかに制した。
「仲間にとってこういうのは“迷惑”じゃないって、わかってたんだろ?……うれしいよ、きみが僕らを仲間だと思ってくれて。いずれ元の世界に戻ってしまうとしても、その間だけでも僕らは仲間だから」
このときはラムザの言葉がうれしかったが、あとになって別の意味でクラウドを困惑させることになる……
数日後には怪我はだいぶよくなっていたが、クラウドは誰にもそのことを気づかれないように振る舞い、性懲りもなくまた宿を抜けだして一人賞金稼ぎに繰りだした。
ターゲットはモンスターだが、わざわざ襲われるのを待ったりしない。どういうところにどういうモンスターが出るのかだいたい把握できるようになったので、獲物をおびき寄せることができるようになっていた……はずだった。
確かに狙い通りのモンスターを仕留めることはできたが、そのときの断末魔で仲間を呼ばれてしまった。しかも、やってきたのは一撃必殺の怪力を持つ牛鬼が二匹。一匹はかろうじて倒したが、それだけで限界だった。
走っても走っても、巨大で威圧的な影がクラウドを押しつぶそうと闇から迫る。逃げるのに精一杯で、攻撃する間も回復する間もない。
「くそ……!」
こんなところで死ぬわけにはいかない。それは使命でさえあった。何がなんでも元の世界に戻り、そこでしなければればならないことがある。
そのとき、いきなり体が地面に叩きつけられた。転んだのだ。
背中に牛鬼の――死の気配が迫る。
――だめか……!!
死に直面したからなのか、突然脳裏にいくつものイメージが閃いた。まるで、砕け散ったガラスのようなさまざまな記憶の断片。うまくつなぎあわせればひとつの形になるのだろうが、触れようとするだけで血が流れた。どの記憶も自分のもののはずなのに、それがざっくりと心を切り裂くのだ。
牛鬼の腕がクラウドを打ち殺す直前に銃声が轟いた。驚いて振り返ると、牛鬼に巨大な氷塊が落下するところだった。狙撃後に魔法を発動する銃はこの世界でも非常に珍しい。クラウドは、その一本を持つ男を知っていた。
「間一髪だったなぁ、クラウド」
男が崩折れる牛鬼の背後から現われるなり、にやりと笑う。
「……つけてたのか? ムスタディオ」
絶体絶命だったというのに安堵の素振りも見せず、クラウドは落ち着き払って男を見あげた。
「おいおい。助けてやったお礼もなくいきなりそれか?」
そう言いながらたいして気にしたふうもなく、ムスタディオはクラウドに手をさしのべた。
「頼んだ覚えはない」
素気なく言うと自力で起きあがる。
「……が、助かった。すまなかったな」
無視された手の分も文句をつけてやろうとしたムスタディオは、クラウドの言葉に逆に面食らってしまった。ものすごく無愛想なやつだが、無礼ではないようだ。
「――で、どうして酒場なんだ?」
街に着いた二人は、何故か宿屋ではなく酒場に姿を現した。
「またモンスター狩りに行ってたってのより、俺と酒飲んでたってほうがましだろ?」
ムスタディオは悪びれもせず答えると、マスターに無造作に指を二本立てて見せ、椅子にどっかりと座りこんだ。
「俺、昼も一戦交えたあとだったんだぜ。ラムザに言われて仕方なくお前を見張っててさ、まさかと思ったけどほんとに抜けだすなんて……お前、学習能力あんのかよ」
「やっぱりラムザか。でも、見張りをかってでたのはあんただろう」
これみよがしにテーブルに突っ伏したムスタディオは、素直に驚いた顔をあげた。
「あいつが、昼に戦った奴を夜も働かせるとは思えないからな」
「……どうしておまえらみたいな人種って、すぐに人のことがわかっちまうんだろうな」
クラウドが答えるかわりに軽く肩をすくめたとき、注文のジョッキがどんと二人の前に置かれた。
「ま、いいや。そのラムザがさ、お前のペースで金集めてたら何年かかるかわからないし、その前に絶対に死ぬからって、これ、預かってきたぜ」
片手でジョッキをあおり、片手で懐から布袋を放る。じゃりっと、聞く者をはっとさせる音がした。
「……なんだ、これは」
クラウドは剣呑(けんのん)な眼差を連れに向けた。
「三万ギルだよ。なんでその値段なのかは知らないけど、俺たちもいろんな思惑であっちこっち振りまわされて、結構金たまっちまってさ。どうにかしようってときに必要としてる奴が現われた、使わないものをもらってもらおうってんだ。構わないだろ」
クラウドは布袋にもジョッキにも手をのばさなかった。それを見て、ムスタディオが盛大なため息をつく。
「――なあお前さ、自分が他人からどんなふうに見られてるか、知ってるか?」
「さあ? 興味ないね」
突然変わった話題に、クラウドは再び肩をすくめた。
「あ〜あ〜、ないだろうよ。特別に教えてやるけど、お前ってなんか危なっかしいんだよ。俺は放っておきゃいいって思うさ、でも、ラムザやアグリアスみたいな人種はそうもいかないらしくてさ、こんな余計なことまでしちまうんだよ」
見ろといわんばかりに顎で布袋をしゃくる。
「とりあえず受け取れ。そのあとでラムザに返すなりなんなり好きにしろ」
クラウドはゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと開けた。
「たぶん、あんたたちほどばかなやつはいないな」
「認めるが、俺も一緒にすんな」
「しといてやる。いいじゃないか、それで」
そう言うと片手で金袋を取り、片手でジョッキを掲げる。
「ま、いいけどさ」
ムスタディオもジョッキを取り、意味もなく乾杯。……が、来た時間が来た時間だったのですぐに閉店になってしまった。
「なんだよ、せっかくこれから盛りあがろうってのに」
ぶちぶちと文句をたれるムスタディオとともに酒場を出ようとしたとき、クラウドが急に立ち止まった。
「どうしたんだ?」
ムスタディオが何気なくクラウドの視線を追うと、その先には品のある男の肖像画があった。
「こいつ、どこかで……?」
「ばか、シー!」
ほろ酔いをいっぺんに覚まし、クラウドの腕をつかんで酒場からひきずりだす。
「ありゃエルムドア侯爵だ。五十年戦争の英雄! 前から人気があったけど、この戦争で死んでまたぐんと人気があがったんだ。ついこの前戦ったなんて下手なこと言ってみろ、何が起こるかわかりゃしない」
「……銀の髪をしていた……」
「ああ? まあ、味方にとっては“銀の貴公子”敵にとっては“銀髪鬼”ってなくらいだからな。そのかつての英雄が、甦させられて世界の征服をもくろむやつの手先にされてるってことは、俺たちだけが知ってればいいんだよ」
「かつての英雄……。世界の支配をもくろむ、銀髪の……」
鋭利な記憶の断片がクラウドを傷つける。血を流しながら、クラウドは少しずつ記憶をたどっていった。
「血の跡が……ジェノバが逃げて、あいつが、あいつが現われた……」
ムスタディオは、ようやくクラウドの様子が普通でないことに気がついた。
「おい、大丈夫か?」
「ジェノバ……黒マテリア……神殿……セフィ……」
「お、おい、しっかりしろって」
「わかってたのに、追いかけなきゃならなかったのに……恐かった。オレが俺でなくなりそうで」
クラウドは支えを求めるように、苦痛に耐えようとするように、ムスタディオの腕を力任せにつかんだ。
クラウドが何を言っているのかよくわからないが、元の世界の自分のことを思い出しかけているのはわかった。ムスタディオは、生れつきあまり備わっていない落ち着きをかき集めて、クラウドの様子を注意深く見守ることにした。
「オレに微笑いかけようとしてた……。きれいな瞳(め)だった。でも、突然刃が――そうだ! あいつが彼女を……!」
声音が次第に絶叫に近い叫び声になっていく。
「しっかりしろ、クラウド!」
ムスタディオはやけになって平手打ちをあびせた。自分のことだ。思い出したほうがいいに決まっている。だが、彼の顔が苦痛に、悲哀に、絶望に彩られていくのを見ているのは耐えられなかった。
「助けられなかった! みすみす目の前であいつに……!!」
「む……夢邪睡符!」
それ以上思いださせないため、いや聞いていられなくて、とっさに眠りの呪文を唱える。
崩折れる彼を支え、ムスタディオは大きくため息をついた。
次の日、クラウドは酒を飲んだあとのことは何も覚えていないと言った。もしかしたら記憶が戻っているかもしれないと思っていたムスタディオは、それを聞いて安堵した。向こうの世界で何があったにせよ、クラウドにとってそのほうがいいように思えて仕方なかった。彼が抱えている孤独は、異邦人ゆえのものではなかったのだ。誰にも癒すことのできない深い傷を負って、悲しみを封印し全てを忘れた今も血を流し続けている。
昼前に、クラウドは、今度はきちんと出掛ける旨を伝えて宿屋から出ていった。向かった先はザーギドス。彼はそこで名前も知らない花売りの所在を聞いてまわった。
「エアリスをかぎまわってるっての、お前か?」
ある街角で、黒髪の男がそう言って姿を現した。
「エアリス……エアリスっていうのか」
その響きが何故かとても懐かしい。
「借金なら、そっちが一ヵ月待つって言ってきたはずだろう」
「オレは借金取りじゃない」
「ふん……。そんならそれで、悪いが、そんな怪しげな格好したやつとエアリスを会わせるわけにはいかないな」
「言っておくが、オレと彼女はなんでもない。ただ少し話したいだけだ」
「ダメだ!」
「やめて!」
押し問答に終止符を打つ声がした。
「エアリス……」
はからずも男とクラウドの声が重なる。
つかつかと歩み寄ってきたエアリスを前にしたとたん、男からさっきまでの気迫が消し飛んだ。困惑しながらエアリスとクラウドを交互に見る。
「まさか、こんなヘンチクリンなやつと知りあいなのか?」
「そうよ。この人のおかげで借金の返済がのびたの。恩人よ」
そう言うと、エアリスはクラウドを促して歩きだした。簡単な自己紹介をしただけでしばらく無言で歩き、二人はさわさわと心地よく流れる川の土手に座った。
「この前はお礼も言わずにごめんなさい、ありがとう」
「……いや」
エアリスの微笑みから、クラウドはふいと視線をそらした。ぽつん、と沈黙が降りる。
「母さんが病気で、薬代のためにお金を借りたの。悪い噂は聞いてたけど、わたしたちみたいなスラムの人間に、普通のところはお金、貸してくれないから。仕方なくて」
「……これ、使ってくれないか?」
そう言ってクラウドは布袋を取り出した。
「これ……なに?」
見当はついたが聞かずにはいられなかった。
「三万ギルと、少し。オレと仲間が稼いだ金だ。やましいもんじゃない」
「もらえないわ」
「気を悪くしないでくれ。これは施しじゃないんだ。どうしてかわからないけど、君を見たとたん力になりたいって思った。いや、力にならなきゃならないって」
「あなた異国の人でしょ? そこにやっぱりわたしに似た人がいたの? それで?」
クラウドはゆっくりと首を振った。
「覚えてないんだ……。どうやってここに来たのかもわからない。ただ、君を見た瞬間すごく悲しくて、それなのにやさしい気持ちになった。だから、どうしても君を助けたかった。残念ながらこの大半は仲間がだしてくれたものだけど、受け取ってくれないと全部無駄になってしまう」
「でも……」
額が額なだけに気軽に受け取ることはできない。
「お願いだ。そのかわりと言って君に何か要求するつもりはない。ただ使ってくれればいいんだ。それでオレの気がすむ」
「わたしの気がすまないわ」
「……それじゃ、幸せになってくれ。さっきの奴とでも誰とでもいい」
「ええ!? でも、あの、クラウドさん……」
唐突な申し出にエアリスは仰天して立ちあがった。
「ご、ごめんなさい。その、明日またここで。そのとき返事するから」
動揺を隠しきれずにそれだけを言うと、エアリスはぱっと身を翻して走り去ってしまった。
「エアリス……」
クラウドはその名前の響きをかみしめながら、いつまでも彼女の後姿を見送っていた。
その出来事をきっかけに、二人が土手で会うようになって一週間がすぎた。二人ともあえて金のことには触れずに、クラウドはこの世界に来た荒唐無稽な事実(こと)を、エアリスは自分のことを話すようになり、二人は少しずつ打ち解けていった。
その日もたわいないお喋りで終わるはずだった。日が傾きかけて、エアリスが立ちあがるまでは。
「明日こそ……返事、するから」
昨日も言った台詞だが、実感がこもっていた。ついにラムザたちが遠くの街に移動することになったのである。戦争もようやく先が見えるようになり、ラムザたちが本当に斃(たお)さなければならない敵の所在がはっきりしてきたのだ。
いつも別れ際になると寂しそうな切なげな眼差を向けるクラウドに、エアリスは元気づけるように、微笑みとともにかすかに首をかしげて片手をあげた。
「じゃ、もう行くね。明日になったらまた、ね」
……じゃ、わたし、行くね。全部終わったらまた、ね……
その瞬間、クラウドの悲しみの封印が解けた。記憶の断片がようやくそろい、ある光景に凝縮される。忘らるる都の、あの静謐(せいひつ)な祈りの間で一身に祈るエアリスに。
「エアリス――」
ささやきは聞こえず、彼女はいつものようにクラウドに見送られて小走りに駆けていこうとした。
クラウドはとっさに地面を蹴った。あのときは、どうしてもうまく走れなくて小さくなっていく彼女を見ているしかなかった。その夢であの男……セフィロスがエアリスを狙っていると知っていながら、実際に彼女を追うことをためらった。自分が自分でなくなることがどうしようもなく恐くて。
そして。目の前で彼女は死に。
「行くな! エアリス!」
今回はすぐに追いつくことができ、クラウドはがむしゃらになってエアリスを後から抱きしめた。
「ク……クラウド?」
エアリスが困惑の声をあげる。
「思い……だした……。オレ……俺がいた世界にも、君がいたんだ。守ると約束しながら守れなかった。何もできずに君は――君は、俺を置いて手の届かないところに……」
「……クラウド」
「君は俺にいろいろなものを与えてくれたのに、俺は何も返せなかった。それどころか守りきれなくて……謝りたかった、お礼を言いたかった。それから……」
「クラウド! しっかりして」
エアリスのぴしりとした声に、クラウドはようやく腕の力をゆるめた。
「わたし、あなたのエアリスじゃないわ」
必要以上に力を込めて彼から離れる。その瞳はとても厳しくて、寂しげだった。
「……エアリス」
「その名前で呼ばないで。まぎらわしいから」
「一緒に……行こう」
唐突な言葉にエアリスは目を見開いた。切なくて哀しい、とても真摯(しんし)な眼差が自分を見つめていた。
「聖石っていう特別な力を秘めた石を十二個集めれば、もとの世界に戻れるんだ。仲間がそれを集めていて、あとひとつで全部そろう。君もこの世界から逃げたがっていただろう、何があっても俺が守ってみせる。絶対に危険な目にあわせたりしない。だから……来てくれ。俺には君が必要なんだ」
「……だめなの、わかってるでしょ。母さんがいるし、それに、わたし、あなたのエアリスじゃないもの」
「でも、君は――」
「この世界のエアリスよ。……そんな顔、しないで。じゃ、逆に聞くけど、あなたにこの世界に残ること、できる?」
クラウドはためらったのち、黙って首を振った。
「でしょう。だから、ね?」
「だからって……それじゃ俺たちなんのために出会ったんだ? ラムザが言ってた、俺がこの世界にいる間は仲間だって。でも、それってなんだ? 俺は別れるためにこの世界に来たっていうのか!」
「そんなはずない。わたしもあなたも逃げ出したかった、そうでしょ? つらいことがありすぎて。あなたはエアリスさんに会いたくて、わたしはあなたみたいな人……わたしをこの世界から救いだしてくれる人を望んでた。その想いがあなたをこの世界に導いたのよ、きっと。難しいこと、よくわからないけど」
「そうして俺は君に出会った。俺なら君を救いだせる。それなのに……どうして来てくれないんだ」
「それは救いじゃないわ。わかってるでしょ、あなたにも」
エアリスはそう言って両腕を後にまわし、のぞきこむようにクラウドを見あげた。
「わたしたち、逃げ場がないところまで逃げてきちゃったのよ。でも、この出会いは無駄なんかじゃないわ。わたし、あなたのおかげでこの世界で自分らしく生きてくことができるようになったから。……そうしてみせるから。だから、だいじょぶよ。クラウドだって立ち直れる、絶対。だって、すごく悲しいことなのに、それから逃げていたのに、ちゃんと思いだしたでしょ。だから、自信持って」
そう言って微笑んだ顔には、ただやさしさだけがあふれていた。
それを見てはっとする。
そう……何よりも、もう一度この笑顔を見たかったのだ。忘らるる都でこの笑顔を浮かべる前に彼女は帰らぬ人となり、クラウドはずっとこの微笑みを求め続けていた。
もしかしたら、この一瞬のためだけにこの世界にきたのかもしれない。
「そう……なのか、エアリス?」
まぶしいもの、神聖なものを見るように、わずかに目を細める。
「……ありがとう……」
自然に口が開いた。このつぶやきは、彼の女性(かのひと)に向けた言葉。
「そして……さようなら、エアリス」
この言葉は、異世界の女性(ひと)に告げた別れ。
「さよなら。だいじょぶだからね、クラウド」
これは……二人のエアリスの言葉なのかもしれない。
クラウドはさり気なく布袋を彼女に手渡すと、初めて彼女に見送られて土手をあとにした。
クラウドはそれきりエアリスに会うことはなかった。
彼は、ラムザたちが追い続けていた真の敵と聖石の力によって異次元に飛ばされ、そこで決戦に臨み、勝利した。そしてそのあまりに強大な存在の消滅のあおりで、みな一様に元の世界に弾き返されたのである。ラムザたちはラムザたちの世界に。クラウドはクラウドの世界に。
強制的に平行世界を行き来したせいか、あの世界に飛ばされたときに自分の世界のことを何も覚えていなかったように、元の場所に戻ったときも、クラウドはあの世界のことは何ひとつ覚えていなかった。
「クラウド、クラウド! カゼひくよ?」
思いきり体を揺すられ、クラウドはうっすらと目を開けた。月明かりに見事なまでに赤い毛並みが映った。
「……ナナキ……?」
「よかった……。こんなところで寝てるんだもん、びっくりしちゃったよ」
言われて辺りを見まわしてみると、夜の夜中にアイシクルロッジのはずれの雪の上に大の字で寝ていた。
偶然見つけたビデオの、生後間もないエアリスを挟んだ、ガスト博士とイファルナのやりとりがひどく衝撃的で、とても寝ていられなかった。切なくて、悲しくて、そして……夢を見た……?
「ちょっと歩きたかったんだ。こんなところで寝るつもりはなかった。ナナキは、どうしてこんな時間に?」
言われて、ナナキは恥ずかしそうにうつむいた。
「オイラは、その、雪を見たらなんだか走りたくなって。昼間はずっと我慢してたんだけど……」
「そういえばコルタ・デル・ソルでもボールと遊んでたな」
半身起きたクラウドは、雪をはたくとやさしくナナキの鼻をなでた。
「クラウド……?」
気のせいかもしれないが、ちょっとだけ彼が笑ったように見えた。
「なんだ?」
「ううん、なんでもない! それよりもう戻ろう。明日はスノボで山越えだから、ちゃんと休んでおかないと」
「そうだな」
そう答えたクラウドはやっぱりいつも通りのクラウドだった。けれども、その“いつも通りの彼”がとても懐かしい。
なんだかすごくうれしくて、ナナキは思いきり雪を跳ねあげながら駆けだした。