第四章 蒼き小フーガ



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 プラチナ色の三日月が、ほんの少し西へと傾きかけていた。
 バルトロメイはメイソンにいれてもらった、温かいお茶の香りにほっと息を抜き、大きな窓から見える月を眺めていた。
「そろそろ、お休みになられますか?」
 メイソンは書類から目を離して、バルトロメイに声をかけた。
「ん? いや、もう少し頑張るよ、爺こそ、もう寝た方が」
 重い扉の開く音。
 二人の静かな会話に新たな音をたてた、大きなドアが開く。あまりにもの静寂の空気に乾いた音が響いた。
「リクドウ殿。お帰りなさい」
 ヒュウガはここ何日も不在である時間が多かったが、久々に彼の姿を見ても驚きもせず、メイソンは相変わらず穏やかな声を崩さない。
「陛下、メイソン殿、暫くご迷惑おかけしました、ですが」
 ヒュウガはゆっくりと部屋へ入ってくるとメイソンに一瞥し、バルトロメイへと鳶色の瞳を向けた。
「陛下、どうしてもお話しておかねばならない事が。今お時間を取らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
 バルトロメイはゆっくりと頷いた。今日はいつも以上に左眼の疼きが激しかった。何か胸騒ぎがして仕方がない。
「あぁ、話してくれ、もう一つの碧玉か?」
 自身で傷つけてしまった碧玉が痛い。だがこの世で一つしか存在しなくなってしまったと思われる碧玉が、もう一つ存在する。バルトロメイはヒュウガが何かその情報を掴んだのだと知った。
「メイソン殿には既に、私の仮定をお話しましたが」
「確証を得られたのですな、リクドウ殿」
 メイソンは突っ立っているヒュウガに椅子へ座るよう促した。その行動が何とも優雅で、年老いた者の気品を感じさせる。相変わらずのヒュウガは落ち着き払って、メイソンがすすめた椅子へと腰を下ろした。
 二人の何気ない一連の行動にバルトロメイは、ぼんやりと眺めていた。左眼が多少疼くが、ヒュウガが話すのを待っていた。
「リクドウ家はファティマ王家に代々仕えておりましたが、私の祖父のある特殊な能力に目をつけられ、祖父はエカテリーナへと拉致されました。それ以来、私の代までエカテリーナで過ごしておりました。
 祖父からはファティマ王家に伝わる碧玉を護らねばならないという使命を、幼少の頃から聞かされていましてね。
 私は教皇、上層部の直轄機関であるガングラーズの士官養成学校へ入学し、更に幹部養成施設へと進みました。そこで私は同年代である片目の少年に出会いました。銀の髪に、褐色の肌、既に大人びた体躯をした不思議な少年でした。
彼はガングラーズ総司令官カーラン・ラムサス宅から通学し、特殊な容姿と共に大変目立ってはいたのですが、それよりも能力が突出しておりました。私も当時、相当努力しました。私達は異例の早さで卒業し、総司令官近衛隊としての任務につきました。
 シグルド。私の良き親友でもあり、良きライバルでもありました」
 ヒュウガはそこで一旦言葉を切った。
「良き親友で、良きライバル。そうか、お前とあいつは、そんな古い仲だったのだな。そして奴は、ノルンの首長の息子」
 バルトロメイはあからさまに眉間に皺を寄せた。ノルンでのシグルドとの会話が思い起こされる。
「何処よりも美しかったノルンが廃墟となったのは、俺の親父のせいだと、あいつは言っていた。だが、俺はそんな事信じねぇ!」
「陛下……」
 メイソンのバルトロメイを気遣う消え入りそうな声。ヒュウガのバルトロメイを穏やかに見つめる鳶色の瞳。
「陛下のおっしゃる通りです。それはデマです。エカテリーナの最高権力者カレルレンと、ミァンが仕組んだ」
「カレルレン? ミァンって、あの謎の女か?」
 バルトロメイはまたしても左眼が針で刺されたように痛んだ。
「とても卑劣な二人です。ですが、陛下、これから私がお話する事は貴方にとってとても辛い事かもしれません」
 常に穏やかで思慮深い感じのするヒュウガの瞳が微かに揺れたようにバルトロメイには映った。
「続けてくれ」
 痛みと、妙な胸騒ぎ。バルトロメイはどこかで覚悟をしていた。
「ある時、シグルドがたまたま右眼を隠している眼帯を取ったのを見ました。その目は醜く、周りの皮膚が中心に集まり黒い窪んだ凹み。眼球のないのに驚きました。左眼の吸い込まれる程に美しいトパーズブルーだけに、思わず目を逸らしてしまいましたね。
 そして、ちょうどその頃、上層部で碧玉を確保しているという情報を得ていたのです」
「ヒュウガ!!」
 恐れていた事がと、バルトロメイの背筋に戦慄が走った。
「そうです、貴方も、もう、どこかで気付いてらっしゃったのではないでしょうか?」
「どこかで…そうだったかもしれない。俺と同じ色の瞳は珍しいからな。それに、ノルンは親父と深い関係がある。あのシグルドの長く綺麗な色の銀の髪に、ふと親父をどことなく思い出していた、そう、ノルンで」
 バルトロメイは疼いている左眼を手で押さえた。
「私も、色々と独自で調べて、シグルドがもしかしたら、貴方のご兄弟ではないかと仮定をたてておりました。ただ、その確証がありませんでした。ですが、ようやくノルンで生き証人をみつけました」
「うっ!」
 バルトロメイは、左眼のあまりの痛さに小さな呻き声を発した。押さえていた掌に、薄く滲んだ血。
「陛下!」
 メイソンが驚く。バルトロメイの左頬に淡い色の紅い雫が、右頬に透明な雫が流れていた。
「悪い、ヒュウガ、爺……」
「すみません、陛下。かなりショックを与えてしまったようですね」
「い、いや。お前のせいじゃない、いずれわかる事だ。だが、今は俺の頭ん中混乱していて」
 バルトロメイの頬を流れる紅と、透明な雫はとめどなく溢れ出した。
「ごもっともです、陛下」
 メイソンも目頭を押さえる。
「ヒュウガ、少し頭冷やしてくる。その生き証人の話、また後でじっくり聞かせてくれ」
「わかりました、陛下。今日はゆっくりお休みください」
 バルトロメイは返事もそぞろに部屋を後にし、中庭が見渡せるテラスへと向かった。
 中庭の小さな泉に黄色い月が揺れていた。冷たい風が湖面を揺らし、月がゆっくりと形を崩しては戻る。
「くっ! そんな事って!! あいつが……あいつが俺の兄貴?」
 揺れる月は、更にバルトロメイの濡れた碧玉を通して揺れた。
「そんな! じゃ、親父は、親父は…自分の息子に!!」
 バルトロメイは声に出して誰にも邪魔されずに泣いた。この俺がこんなに泣いてるなんて、情けないなと思いながらも、それを抑える事はできなかった。



 悪魔のような美しい主旋律が悪戯に彼らを弄ぶ。
 新たな展開の小節を築かない限り彼らに未来はないのか?
 蒼き小フーガは静かにゆっくりと壊れ始めた。

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