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40 8/26(月)
22:35:15
 訃報・ホイト・ウィルヘルム  メール転送 古老  569 

 
ホイト・ウィルヘルム氏が亡くなりました。1923年7月26日生まれのはずなので、79歳ということになりますが、新聞報道では80歳かもしれないと報じられており、そのあたりの事情は不明です。

実は、かつてウィルヘルムのことを詳しく書いた本を所持していたのですが、ちょっとしたことでその本を紛失してしまいました。よって、以下は「オールタイム大リーグ名選手101人」(日本スポーツ出版社・1997年発行)を中心に記すこととします。

ウィルヘルムのデビューは遅く、29歳になる1952年にジャイアンツの投手としてスタートしました。新人でいきなり71試合に登板し(すべてリリーフ)、15勝3敗11S、防御率2.43という見事な成績を収めます(この成績で新人王になれないのは不思議ですが)。翌年も7勝8敗15Sとまずまずで、その年のオフには日本にもやってきます。ウィルヘルムは第7戦で名古屋ドラゴンズ(中日ドラゴンズはこの年まで3年間だけ名古屋ドラゴンズと名乗っていました)を相手の試合で勝ち投手になっています。しかし、その6日後に、彼は巨人軍との試合で負け投手となり、来日したニューヨーク・ジャイアンツで唯一の敗戦を喫してしまったのでした。

その後成績は下降の一途をたどり、1957年にインディアンスに移籍したものの、翌年シーズン中途に解雇されてしまいます。35歳の二流ピッチャーを再度メジャーに誘ったのはオリオールズでした。オリオールズはウィルヘルムを先発で起用しました。そして、1958年9月20日のヤンキース戦で、何と彼はノーヒットノーランを達成するのです。ベラ、マントルの居た当時のヤンキースの打線を沈黙させたのですから価値があります。彼はオリオールズで先発投手として復活し、翌1959年には226イニングを投げて、15勝11敗、防御率2.19という大活躍をしました。その翌年にはリリーフも同時にこなし、1962年までオリオールズに在籍。1963年にはホワイトソックスに移り、今度はリリーフに専念します。そして、40歳を超えたこの老投手は、いまや名物となったナックルボールを駆使して、60年代の投手王国ホワイトソックスの不動のリリーバーとして名声を博すのです。1964年から1968年まで5年連続防御率1点台という、リリーフ投手ではまずあり得ない記録を樹立。ホワイトソックス在籍の6年間で、41勝98Sという貢献をします。1969年にはエンゼルスに移籍し、その後ブレーブス、カブス、ブレーブス、ドジャースと球団を転々として、1972年に選手生活を終えます。最後は49歳という超高齢投手となっていました。

その長い経歴で実に1070試合に登板し、引退時には不滅の大記録と言われました。その後、投手の分業制が進み、ウィルヘルムの記録は破られましたが、それでも2002年4月現在でメジャー歴代3位の登板試合数です。ナックル・ボールを投げる大投手としては、あのブラックソックス事件の主役の一人エディー・サイコット(1910年代に活躍)以来で、野球殿堂入りした最初のナックルボーラーとなりました。リリーフ投手として殿堂入りするのも1985年当時では珍しく、恐らくウィルヘルムが最初でしょう。

彼の引退後、ジョー・ニークロ、チャーリー・ハフなど40歳を超えたナックルボーラーが出現しますが、その原型はウィルヘルムにあるといえるでしょう。ナックルという魔球をメジャーにした最大の功労者、それがウィルヘ


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