オーランス人の婚姻と相続Marriage Bond and Legacy of Orlanthi



以下は原著者(?)の許可によりEnclosure誌から翻訳した記事です。たぶんRQの《雄弁》技能は適当なHWの能力で代用できるでしょう。宴会で法螺を吹くのが彼らの習慣らしい(笑)。法螺から流血沙汰に陥るのがパターン。

チャンピオンの肉の取り分
David Hall著


チャンピオンの肉の取り分とは、オーランス人の氏族あるいは部族の宴会で、最初に供される焼き肉の切り身が選ばれた者に名誉として与えられることで、この切り身はたいていの場合、レバーか心臓である。この名誉は常に宴会に出ている最高の戦士に与えられ、たいていの場合、氏族もしくは部族の代表戦士(チャンピオン)がそれにあてはまる。


伝統的に、この名誉を得る者は他の戦士に挑戦される可能性がある。もし挑戦者が同じ氏族(もしくは部族の宴会での同じ部族)の者ならば、この挑戦の最初の段階は、自慢話の勝負である。宴会ではほら話の勝負はよくあることで、普通気楽なものであり、誰かがそれを真剣な挑戦だと見なすことは滅多にない。

自慢話の挑戦はチャンピオンを続けて三回ほらの大きさで「上回らなければ」いけない。このたぐいの自慢はたいていの場合、戦士の経歴について語るもので、その戦士の卓越した腕前や、過去の偉業や、武器や馬や、魔法の宝物、恋人としての手管や、飲みっぷりや食いっぷり、などなど仲間の戦士が驚き入ってしまうと思うことならなんでもよい!ほら話の成功ごとに、聴き手の賞賛として足が踏み鳴らされたり、テーブルが打たれたり、喝采や笑い声が出ることになる。

ゲームの形では、《雄弁》技能を用いることでこれは表現される。理想的には、プレイヤーたちが自分の面白い自慢話をこしらえるべきだが、それをパーティーとゲームマスターがどの程度のものと見なすかによってゲームマスターがつける成功の度合いが変わってくる。自慢話のラウンドに勝利するごとに、競争者の一方または他方が対抗する《雄弁》技能を打ち破ることになる。自慢話の勝負が五ラウンド以上続くことはまれである。

たいていの場合、自慢話がうまい者は、もしチャンピオンと決闘したくないのなら、わざと最後のほら話の勝負で負けてしまう。しかし、もし挑戦者が最後にそうなることを望み、自慢話の勝負で勝ったら、チャンピオンは名誉を保ったまま役から退き、挑戦者が肉の取り分を得るのを認めることも可能である。そういうことになれば、挑戦者が氏族もしくは部族の新しいチャンピオン(代表戦士)になる。しばしばチャンピオンたちは、この習慣を利用して、自分で選んだあと継ぎに位を譲ろうとする。


もしチャンピオンが役から退かないのなら、その時はどちらか死ぬまでの一騎討ちの決闘が続くことになる。この決闘の勝者がチャンピオンとなる。


よそ者の挑戦者
もしチャンピオンが氏族(もしくは部族の宴会で部族)の外の者に挑戦されたのなら、このことはつまりより深刻な問題で、チャンピオンはよそ者に対して氏族の名誉を代表することになる。

このような深刻な名誉の問題となる場合、自慢話の勝負は、挑戦者が勝敗に関わらず依然として決闘を挑むことも可能なのだから省かれることもありうる。しかし、たいていの場合、自慢話の応酬はそれでも試みられ、敵を怖気づかせて心理的に優位を得るために、あるいは勝負から退いて、相手がより優れた戦士で、肉の取り分は正当に相手方のものであるということを認めるときのために行われる。(後者の場合は、部族のチャンピオンが地元の氏族を訪れて、その氏族のチャンピオンに対して自慢話を行うときの場合などに当てはまる。)

もし双方の側とも降りないのなら、死ぬまで一騎討ちの決闘が行われることになる。もし氏族のその場でのチャンピオンが勝ったならばその氏族の名誉は損なわれないが、もちろん血の復讐が殺された者の一族によって始められることになる。もし挑戦者が勝ったのなら、チャンピオンの取り分をその者が得ることになり、その氏族は卑しめられる。そして新しいチャンピオンが選ばれなければならない。(このことの世俗的な、あるいは魔術的な影響はゲームマスターに委ねられるが、おそらくその氏族の戦士全員の力は氏族の名誉が回復されるまで魔術的に損なわれることになる。

自慢話の勝負の例
「死を運ぶ者」コルナルドは挑戦者との勝負でこれらの自慢話を用いる。(訳注:彼についてはTales of the Reaching Moon #18に載っています。)

(1)「我こそは「死を運ぶ者」コルナルド。「灰色犬の氏族」のチャンピオンにして、オスゴシ家のマグダが父であり、その父は「強力の一撃」トルケル、その父は「内臓を撒き散らす者」ゴルドレッド。彼こそはかつて全サーターのチャンピオンにして一本の指だけで2ダースの男を殺した者である。我が持つのは人を真っ二つに切り裂く黒きオスゴシ家の強き斧。その刃は鋭さに一本の髪を縦に裂き、その強さは鉄にすら損なわれない。そしてその魔力はオーランスの吐息を内に秘めており、我に抗おうとするあらゆる者を打ち倒す!」(決定的成功ロール)

(2)「我が拳をもってお前を叩きのめしてみせよう。お前が小人ドワーフのように小さい背丈になるように!この拳の内にはストーム・ブルの怒りが込められている。砂漠の嵐のように鋭く身を切り裂き、そして恐怖の雄牛のごとき激しく重い拳!ウロックスおん自ら立ち向かおうとするいかなる敵に対しても我に加護を与える!」(通常の成功)

(3)「これらのブーツで、我は一日に百リーグを踏破する。谷間を駆ける野ウサギよりも速く、アーナールディ氏族の銅の鹿よりも遠くまで。そしてこのブーツでもって我は鮭が跳ねるよりも高く跳ぶことができる。このブーツをよく敬え、なぜならマスターコス神自身の贈り物なのだから。そして神は我に敵対する者全てに対して我に加護を与える!」(決定的成功)

(4)「この槍のひと投げでもって、我は十リーグもの離れたところより人の心臓を貫ける。この槍は魔法の炎の槍で、黄金の丘にて「裏切り者」イェルマリオと組み合って奪ったもの。この槍の炎はお前を焼き、お前の魂そのものまでしなびさせる。この槍を恐れよ!槍は我に敵対する者全てに対して我に加護を与える!」(通常の成功)




以下の記事は過去のherowars-jp mailing listの再録です。


自我と私有財産の観念
ヒョルト人の間では一般に犯罪が起きた時には起こした当人だけでなく、 彼の一族、(つまり氏族全体)がそのペナルティを法律、宗教の両面で 負うことになるようです。(たとえば守護神霊(ワイター)や祖霊は なんらかの穢れが自分の氏族に現れたことは感知できますが、 あるカルトにその者が帰依していないかぎり、特定はできないようです。)

Thunder Rebelsの記述には自分の属する共同体に呪いがふりかからない ように、自分ひとりで罪や罰を背負う儀式が記述されています。 また、私有財産というものの概念も希薄です。例えば他の氏族に対して 補償する場合、補償がなされるのは氏族の共有の牛の群れからであって、 犯罪あるいは抗争の当事者からではありません。(もちろん当事者が優先して 利用・耕作している牛や土地のあがりが標的になりますが、はっきりとした 個人の財産というものはありません。)

こういう原始的な共同社会の平等の原則は、現代人(やルナー?)の所有が 原則としてある上での平等の概念からすると矛盾して見えるのかもしれませんが、 それはオーランス人の神話を理解すれば理解する助けになるかもしれません。 オーランスは最初「枝拾い」の無法者でしたが、後に自分の部族/王国の 主となりました。

(そういえば「革命の限定相続人」ナポレオンが言ったことが思い 出されます。「自由、平等、博愛」ではなく、「所有、平等、自由」。)

「無法者であることは枝拾いやトリックスターであることよりも不幸なことだ。」 オーランス人の価値観によると、彼らも個人の意志の自由は認めていますが、 個人が幸福であるには、ある共同体に属することが不可欠であると考えるようです。


ヒョルト人の婚姻
 いわゆる「原始的」な文化と母権制、父権というものの曖昧さ(本当に彼が私の父親なのか?)と文明の「発達」の相関関係については常に指摘されることですが、現実において、男性優位の社会が成立している以上、無視は出来ないでしょう。

 たとえば、グローランサで言えば、最小限の社会的単位、家系bloodlineがトロウルやスンチェン人など、組織化されていない民で重要視され、このような小規模の単位の中では、実質的な母権の方が曖昧な父権より重視される傾向があります。逆のことはダラ・ハッパとマルキオンの完全な父権制の前でも言えるでしょう。

 オーランス人はちょうど彼らの中間を行くと言って良いかもしれません。遺伝学的に考えると、遺伝子はなるべく多くの系統と混ざり合う方が環境への適応、遺伝子そのものの存続という観点からして良いのでしょうが、財産の相続という観点からすると少数の「優秀な」(もちろんこれは非常に主観的な判断ですが)グループの間で守られた方が良いということになり、この観念の間で対立が生まれることになります。

 たとえば現実世界でも、イスラム教徒の間では事実従兄弟間の婚姻が望ましいものと見なされていますし、中国ではいまだに同姓同士の結婚は好ましくないものとみなされています。

以下はJohn Hughes氏作のヒョルト人の婚姻の慣習です。
http://www.glorantha.com/new/courtship.html

 オーランス人の間には多くの婚姻の慣習(年代記によると七種類)があり、いくつかは外国、たとえば近縁であるエスロリア人との関わりにおいて、母権が父権に優先されることが記されています。しかし原則的には父権が優先され、原則的には他の氏族から妻を迎えることが行われています。(自分の氏族のものと結婚するのは近親相姦と見なされることが多いようです。)

「三が一」と呼ばれるよく行き渡っているヒョルト人の慣習では、(同じ部族内の)三つの氏族間でのみ、婚姻が行われるという形をとり、他の氏族あるいは他の部族から妻を迎えることは稀です。妻は夫の氏族で信頼を勝ち取るべく努力しなければならず、ここからオーランス人の女は「男に比べて冷たく、計算高い」属性が生まれることになります。夫は慎重に選ばなければならないからです。




以下はThe Tales of the Reaching Moon #18の小さなコラムを翻訳したものです。

オーランス人社会におけるトリックスターたち  

大部分のオーランス人は自分たちの文化でトリックスターが重要な役割を担っていることは認識している。しかしこの者たちにはなぜトリックスターが重要なのかははっきりとは理解できない。確信の上で彼らみんなが知っているのは、しばしば、 ユールマルがなぜか自分が存在することが変化を、それもものごとを「正す」ために必要な変化を引き起こすのに必要なのだということを明らかにしたということなのである。

(光持ち帰りし者の探索行の一員であった)オーランスや、チャラーナ・アローイや、イサリーズや、ランカー・マイにとって重要な儀式のいくつかは、トリックスターが存在しなければ、いいところうまく行かないし、最悪の場合、災いを引き起こす。(たとえば、「癒し手」が死者を蘇生させるのに必要な教えを請う儀式の一画はユールマル信者がになうようになっている。)

神知者の賢人ウラスムスは、「太陽停止」がトリックスター抜きで「光持ち帰りし者たちの探索行」が「成功」した結果であると主張していた。 実のところユールマルの重要性はオーランス人の神話における彼の役割に関わっている。彼はいたずら小鬼でスケープゴートであり、他の人を騙したり利用する人々が結局、自分自身が騙されたり利用されたりすることで終わるということを体現する者なのだ。彼は道化であり、人々にユーモアが緊張を和らげるということと、物理的な暴力のみが唯一の選択肢でないことを教えてくれる。  

彼は無法者であり、オーランス人に危険というものは外から来るものだけでなく、 中からも生まれるものだということを思い出させる。そして彼は「光持ち帰りし者たちの輪」の欠かせない一部でもある。「光持ち帰りし者たちの探索行」の彼の出てくる部分が教えることは、欠点のない者はないということであり、生きていくためには自分や人の欠点や限界を受け入れなければならないということである。「光持ち帰りし者」ユールマルは、最悪の人間ですら使い道があるということを思い出させてくれる者であり、人は変わることが出来るのだということを教えてくれる者でもある。  おそらくもっとも重要なことは、ユールマルはオーランス人社会の根幹の、[ウーマスの]最初の法の生きた体現者である。―「誰もお前に命令することはできない!No one can Make you do anything!」を極端まで推し進めた者なのである。


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