ベオルガンの輪 Beorgan's Ring

Roderick Robertson著



以下の小品はHeroes of the Kingという公式グローランサ小説の小品集の一部になるはずでしたが、この企画は成功せず、後にYe Booke of Tentacles #3という同人誌に掲載されました。http://www.geocities.com/TimesSquare/Ring/1722/Heroes.html

内容について:この話が2000年のグローランサ小説の優秀賞に挙げられている事で十分だと思いますが。http://www.glorantha.com/tribes/best2000.html
「アーグラス」が英雄戦争においてどのような存在か、ひとつの答えを出しているとも言えます。

(各章の副題は完全に翻訳者の独断で、原文には存在しません。悪しからず。)



登場人物

ベオルガン「月の災い」(Beorgan Moonbane "Argrath"):主人公、元カリル女王の親衛隊長
ケリッサ(Kerissa): ベオルガンの妻
ハヴスタッド(Havstad):ベオルガンの義兄
タラロン(Taralon):フマクトの「剣」
グスリード(Guthled):夭折したベオルガンの息子
カーロール「折れ鼻の」(Karlor Broken Nose):ハヴスタッドの部下のひとり
ケルサン(Celsan):農夫、後「輪」のエルマル
カルーム「大」("Big" Kallum):大柄な羊飼いの少年
カルーム「小」("Small" Kallum):ウロックスのカーン、ベオルガンの右腕
ソルヤ(Solya):滅びた氏族長の娘
ジャルコン(Jalkon):農夫、フローダーの父
フローダー(Froadar): 少年、のち伝令
ファウチェット「影なしの」(Fauchet Non-shadow):トリックスター
ベルラ「黒石の」(Berla Blackstone):アーナールダの女祭、寡婦
エフィオクス(Ephiocus):ルナー、ラウンドストーン砦の代官
ヴァーケロール「鷲の」(Varkelor Eagle): サイランギ部族のフマクトの「剣」



[愚者]

ベオルガンは眉毛を撫で、ごま塩の頭を指ですきながらため息をついた。彼は横目で太陽を眺めつつ、まだ耕し終えていない畑を見た。

「くそ、イェルムとのもう一度の競争だ」

彼は考え、そして自分をたしなめた。
「お前は引退した時に、なにもかもを神学的な言葉に例えることをやめたはずだぞ。」

彼はこそりとつぶやいた。それでも、今日のうちに畑を耕さなければならない。明日は牛の群れをろくでなしの義兄のステッドまで追わなければならない。そして次の反乱の話題にうんざりしなければならないのだ。五十三歳にもなって分別があるはずの男がいまだに赤の月の兵隊をサーターから追い出せると信じている!ベオルガンはいぶかった。

ベオルガンは引き綱を諦めたように振り、もう一度先に進めようとした。鋤の青銅の刃が畝をつけるのはこれで三度目になる。最後に耕すところは、オート麦に必要なだけ畝を深くしなければ。ベオルガンは長いこと畑仕事を続けても、まだ畑の石をひっくり返してとがった方を立てていたし、敷地の周りの囲いは腰の高さ、手を広げた厚さがあった。

牛の群れを納屋に戻したからには、今一度太陽神を打ち負かしたことになる。

「また今度だ、伯父上。」

司祭であったころの名残り、個人的な儀式の言葉を口にした。世界に平安を覚えて、彼は満足げにため息を洩らした。思考で安らぎが再び乱されるまでは。ハヴスタッドは馬鹿だ。アーグラスの部下たちも似たりよったりだ。ベオルガンはずっと前、大義のためみずからの血を捧げた。クリムゾン・バットがルーンゲートを呑み込むのを目の当たりにした。そしてボールドホームを最後まで守った者のひとりだった。ずいぶん昔の話で、ベオルガンは流血にうんざりしていた。いくつもの戦いに敗れ、傷を負い、友人をなくしていた。彼の冒険の日々は終わったのであり、もう一度不毛な反乱に飛び込むつもりはなかった。

ルナーがヨーランでアーグラス軍を撃破してから、一度も組織的な抵抗はルナーの陣営に対して見られなかった。ルナーは農場やステッドを焼き討ちし、駐留軍は全ての主な都市や町を占領していた。騎兵のパトロールが田舎を回り、既知の叛徒や疑わしい者をしばしば狩り立てていた。徴税人たちが町やステッドを巡回し、来るたびに新しい形の税を徴収するかのようだった。一番の問題は、戦いのあとアーグラス皇子を見た者は誰もいないということだった。少数の生き残りのサーター人戦士たちはブルーどもの突撃が軍の右翼をばらばらにしたことについて話し、わずかな者はアーグラス大王と仲間たちが地獄の猟犬どもにかかとを噛みつかれながら逃れていくのを見たと主張した。 

それ以来、噂話にドラストールのアーグラスや、プラックスのアーグラスや、ヴォルサクシの地のアーグラスについて流れたが、サーターのアーグラスについては聞こえてこなかった。それでも反抗の精神はハヴスタッドのような馬鹿の心にはまだ燃え盛っていた。ベオルガンはハヴスタッドが人を募っていると耳にしていた。畑仕事のためというのは見せかけで、ルナーを襲うためという方がずっとありそうなことだ。ハヴスタッドのステッドが襲撃の拠点になるのではないか。彼は恐れた。そうなればルナーの注意をこの辺に引きつけることになるだろう。ベオルガンには隠すことはなにもないが、兵隊たちが自分の畑を毎週踏みつけることになることを思うとたまらなかった。

ベオルガンがステッドに近づくと角笛が三回鳴った。客が訪れたことを自ら伝えている。ベオルガンが夜に備えて牛を囲いに収め、手や顔についた土を洗い流すと、イェルムが沈んだ。彼はケリッサが客をふさわしくもてなしていると信じ、時間をかけた。畑仕事の泥にまみれて夕食に行くと彼女はがみがみ言うことについては彼は疑っていなかった。囲いを通りながら、中が空であることに気付いた。客はひとりも召使いを連れて来なかったのか? ベオルガンはまぐさの下をかがんで通り、ケリッサに客について尋ねようとしたちょうどその時に、その見知らぬ男を見た。

男は上等な羊毛と亜麻布を着ていた。剣帯が重々しく胴着の上に巻かれていて、上等な短剣は腰に下がったままだった。しかし彼はひとりだった。ベオルガンは周りを見回し、明らかに裕福なこの男が旅路の危険から守ってくれる近侍も連れずに来たことに驚いていた。

その時客が振り向いて、顔中に入れ墨された巨大な死のルーンを明らかにした。それはそうだ、ベオルガンは思った。フマクトのルーン王を煩わす野盗などいない。


「「風歩みの」ベオルガン殿か?私はタラロン、以前はシンシナ部族の岩牛の氏族で、今ではフマクトの「剣」だ。」

ベオルガンはタラロンの話の腰を折った。

「殿よ、貴方が自己紹介の武勇伝を始める前に、私のステッドの歓待をまず受け入れられるよう申し出たい。」

ベオルガンは言った。ひとりの召使いが蜂蜜酒の杯、牛肉ひときれ、塩の塊の載った盆を差し出した。

「こちらには貴方の喉の埃を洗う飲物、空腹を癒やす肉、われらの友情を味わい豊かにする塩がある。座りたまえ。貴方の目的についてお話しなさい。しかし、まことを申せば、私は貴方が語らねばならないことにおそらく関心がない。私はもはや戦士ではない。今では麦の収穫のため人の骨よりも畑を耕す身だ。」

「決心する前に私の話を聞きたまえ。」タラロンは言った。

「貴方がルナーと戦ってきたことは遠くの地までよく知られている。貴方はボールドホームの陥落のさいに戦われた。スターブロウが蜂起したとき、貴方は彼女とともにおられた。のち彼女が女王であったとき、貴方は近侍の頭として仕えていた。常に貴方は帝国の軍に立ち向かった。それなのに私は貴方をここで見つけた。地面をひっかいて食べていくためだけのものを引き出している。奴隷のように土くれを掘り返している。かつては「月の災い」 とまで呼ばれた貴方が。吟遊詩人たちは貴方の歌を語るが、彼等の栄光の賛歌は貴方の引退とともに哀歌に変わってしまう。これが戦士が人生を終える道だろうか?貴方は戦の感覚を思いだし、それを切望しないのか?」

ベオルガンは怒って話をさえぎった。「お前が求めているのは栄光、それなのか?」

ベオルガンは吠え、ケリッサの夫の腕をつかんだ手は止めようとしてしくじった。

「眼前に死を見てそれを笑い飛ばす機会が?剣とともに心を殺すことがフマクト信徒の主義であったはずだが!そういうのはウロックス信徒の主義のはず。お前の大事なアーグラスのところに戻れ!戻って反乱は終わったのだと告げよ!もう何年も前に終わってしまった。変えようとしても彼にできることはなにもないとな。彼にそう言え、小僧!」

そうすべきでないと分かっているのに彼は続け、言葉はあふれ出し、彼の魂の奥底から引き出された。

「私の息子、グスリードとともに反乱は終わった。お前は呪われろ!たった17歳で、栄光の話でいっぱいだった。英雄になりたい、栄光と富を得たい。そして墓標のない墓に、ほかの若い愚か者どもとともにルナーに奪われ、「三本樹の農場」で埋められた。あいつの体を人でなしのドラゴニュートの棍棒が砕いてしまった。お前は栄光について話すだろうさ。でも家族や虚しさについてはどうなんだ?」

突然の慟哭がベオルガンを襲い、ケリッサとタラロンの顔は愕然として固まった。二人がなにか話せるようになる前に、屋敷をよろめき出て、めくらめっぽうに門の方に向かい、夜の闇に出ていった。 


北には赤の月がかかり、女神の地上の帝国を表しているかのように深紅に膨れあがっていた。

「呪われろ、呪われてしまえ。」

ベオルガンはすすり泣いた。グスリードの記憶が戻ってきた、父親の進んできた道をたどろうととても熱心だった。ベオルガンはグスリードを最後に見た時のことを思い出した。二頭の乳牛と引き替えた革の鎧を着て、あたらしく塗られた輝く盾と、剣と槍は鋭く磨かれていた。それら全てが砕かれ、葬送の歌は遺体に歌われることなく、火葬の火は用意されなかった。グスリードの命日がベオルガンのオーランス司祭である最後の日、戦いと反乱の日々の最後だった。まだ「中空の王」を信仰してはいたが、もはや神聖な勤めをおこなうことは自分の身には余った。自分のために戦うつもりもなかった。全ての吟遊詩人の栄光の歌が彼にもたらしたものはただ、ひとり息子の死だった。栄光も、賞賛をたたえた目もなく、ただ死だけだった。




翌朝、ベオルガンはいつも通り日の昇る前に起きた。外の便所穴の前でよろめき、水おけのある所に行って頭を突っ込み、薄く張っていた氷を破る。朝食をとるため屋敷に戻り、タラロンがまだ隅っこでいびきをかいて寝ているのを軽蔑する風に心にとどめた。召使いたちが食事を持ってきた。山羊のぶつ切り肉の入ったお椀いっぱいの粥にとエール酒の角杯。過去を振り返るのは止めだ。彼は最後の警告の目を客に向け、納屋に向かった。ハヴスタッドのステッドまで導くために牛の群れをつなぐのはほとんど時間がかからなかった。ベオルガンは牛の突き棒と短剣だけを持って歩きはじめ、牛を追っていった。

歩くのはほんの5マイルだったが、牛の歩みに合わせて義兄のステッドに着いたのは昼過ぎになっていた。昨夜の出来事を考える時間はたっぷりあった。感情を激しくあらわにしたことを恥ずかしく思っていた。自分の振る舞いは無礼を越えていた。しかしタラロンの栄光についての挑発は心にまだ潜んでいた記憶を呼び起こしてしまった。6年間、ベオルガンは息子の夢の記憶と、死とともに生きてきた。これからも自分を戦いに引き入れようとする者が来るかもしれないが、次からは感情をおさえるように努めるつもりだった。ハヴスタッドのところにいる時も自分を抑えなければならないと分かっていた。また反乱に加わるように求められることがわかっているのは頭痛を引き出すだけだった。

ハヴスタッドの屋敷でべオルガンは昼食をいっしょにとったが、肉はすじだらけでエールは気が抜けていた。ほったらかしのステッドの周りを見た。雑草が家の土台の周りじゅうに伸びていて、壁の中の隅には小さな茂みすらはびこっていた。見る家畜はみな世話をちゃんとされていないし、ハヴスタッドが種まきに牛を借りなければならないのも当たり前に思えた。みんなハヴスタッドが「反乱」に夢中なせいだと分かっていた。

ハヴスタッドは必要よりずっと多くの男をステッドの周りで使っていたし、彼らは畑を耕す仕事はしていない方が多かった。実のところ彼らの多くがあからさまに武器を携えていて、べオルガンが男たちが戦士で、農民ではないことを確かめることになっただけだった。べオルガンはこっそり冷笑した。畑を耕し、種まきするのが必要なときに、役立たずの取り巻きを抱え込んでいるハヴスタッドを信頼しているというわけだ!

「あんたはこいつらごろつきや無頼漢よりも、鋤のどっち側を持つべきか知っている者を必要としているよ、義兄さん。あんたの畑は雑草だらけだし、俺が気づくようにはリドニウスが気づかないなんて思わないことだ。彼は一週間かそこらで「炉床税」を取るためにここに来るだろうし、そうしたらあんたがやってるいかさまのためにあまりにも多くの男を抱えていること以外のなにも見ないだろうさ。リドニウスがこの話を「青イノシシの砦」の軍営に持ち帰ったら、たちどころに兵隊がここに来るだろうし、あんたの頭は飛んでしまうよ。」

そこにいる戦士たちはハヴスタッドがしっと言って黙らせるまでぶつぶつ言っていた。

「義弟よ。俺はもう一度アーグラスさまにある機会に自分の立場を考え直すことを勧めるよ。女王親衛隊から抜けてから、お前はただ自分がそのことでなにも失うものはないと示してきただけのことだ。それに我々は戦士だけでなく、指導者も必要としている。それにだ、砦にどれだけのものが納められているか考えてもみろ、この地域全体の税金だぞ!」

ハヴスタッドの目は貪欲と期待に輝いた。嫌悪を覚えて、べオルガンは頭を振り、いっさいのことにうんざりして門の外に出て行った。もしハヴスタッドが「反乱」に加わる者たちの見本なら、自分が反乱に期待できるものは、以前よりさらにわずかに過ぎないだろう。

歩きを遅らせる牛の群れがないので、べオルガンの帰宅の行程ははるかに時間が少なく済んだ。しかし、自分のとハヴスタッドのステッドの間にある尾根に登ると、木の焦げる臭いを空気の中に嗅ぎつけた。頂上まで駆け上がり、谷からひと筋の煙が上がっているのを目にした。心に恐怖を覚えて彼は走り始めたが、もう遅すぎると分かっていた。

自分のステッドを取り巻く林を抜けたちょうどその時に、長屋の屋根が建物の上で崩壊するのを見た。15フィートの高さまで炎は立ち上がっていて、空気中にはさらに熱気が広がっていた。べオルガンは建物までの最後の空間を縮めようと走り、手で顔を覆って強烈な熱から守ろうとした。熱はその大きさの火が生むはず以上に激しかった。

囲いの中に入ると、長屋の窓の近くに赤く塗られた矢に射抜かれた二人の召使の死体があるのに気づいた。全てのほかの入り口はバリケードで外からふさがれていて、つまり生き残りの召使たちとケリッサは中に閉じ込められていた。熱気のあまりべオルガンは後じさりし、また後じさりした。建物の中にいる人々の悲鳴を聞き取れたし、何度もたるの水を服にかけて努力してみたが、近づくことはできなかった。

壁が倒壊したとき、べオルガンはケリッサの姿を火の中に見たような気がした。妻に近づこうとする最後の絶望的な試みは何本も強い腕が彼を押さえたときに終わった。周りを見ると、ハヴスタッドと配下の者たちが囲いの中に入っていた。何人かは無駄に小さい方の建物に水をかけて消そうとしていたし、他の連中はべオルガンの家であった火葬の場に、二人の召使の遺体を運んでいた。

火が消えると、ハヴスタッドとその配下は去ろうとした。言葉もなく、べオルガンは彼らに加わった。ステッドの外の十字路に、べオルガンは急いで帰ってきた時には見なかったぞっとする目印を見た。十字架が立てられていて、磔にされているのはタラロンだった。首には札が下げられていて、「月に逆らいし叛逆者。心にとどめ、同じ間違いを犯すな。」と書いてあった。ハヴスタッド達はタラロンを下ろしたが、彼の数知れない傷を癒す強力な魔術は誰も知らず、その夜しばらくして亡くなった。


[盗賊]

ベオルガンのステッドが焼き討ちにあってからひと季節過ぎた。道を注意しながら嫌気がさしてため息をついた。これまでにハヴスタッド一味は二回ルナーの商隊を襲い、ヘロングリーンの赤月の宿屋を焼いていた。今では彼等は白鹿の森に潜み、曲がり角に来るはずの牛の群れを守るルナー騎兵パトロールを待ち伏せしていた。

「牛泥棒」さげすみながら思う。

「次はなんだ?赤ん坊からリンゴ飴でも盗むのか?」

こっそりのどを鳴らしてつばを吐く。道の曲がり角の近くで、クロドリが三回クーと鳴いた。ハヴスタッドの合図だ。

持っている二本の投槍を見やり、剣の鯉口を切る。騎兵は罠を仕掛けた道ばたに現れるはずなのにまだだ。おかしい。ベオルガンは最悪を恐れてあたりを見回した。誰も見えなかったが、首のうしろの毛が悪寒で逆立った。「鼻折れの」カーロールが位置についているはずの左に、ベオルガンはため息のような、僅かな音を聞きつけた。突然、ベオルガンは少なくとも一ダースの馬の蹄を鳴らす音を聞いた。振り向いて、ちょうどその時ランスの突撃に間に合い、よけたが投げ槍から手を離してしまった。

呪いの声とともに体勢を立て直し、さらに多くの騎兵がハヴスタッド一党を待ち伏せ場から追い出そうとしているのに気付いた。ベオルガンの視界はひとりのランスを構えた騎兵に集中した。その男は馬の脇を蹴ってベオルガンの方に早足をはじめ、木の幹の間を抜けた。ベオルガンは背伸びして頭の高さにある枝をつかんでしならせた。騎兵がベオルガンのところに達するやいなや、枝を離し、槍の穂先を避ける。その瞬間を捉えて一回転し、体勢を戻しながら剣鞘を払った。枝がひどく騎手の胸を打ち、衝撃で危うく鞍から落ちそうになる。騎兵が落馬しまいとがんばっている間に、ベオルガンは剣を振り抜き、刃は鎖かたびらの隙間と臑当てを切り裂いてわき腹まで届いた。

ベオルガンは馬の手綱をつかもうとしたが、手の中をすり抜けて、ゆっくりとした足どりで森の奥に逃げていった。その兵士は何歩か歩いていたが、地面に重い音を立てて倒れこんだ。彼はまた立ち上がろうとしたが、シミターの鞘が脚に絡まって、よろめいた。ベオルガンはもう一度斬りつけて、その男の首をほとんど落としてしまった。

まわりを見回し、ハヴスタッドの足をほかの騎兵の槍が貫いたところを見た。その槍騎兵はハヴスタッドを槍から蹴り落とし、ほかの相手を探して周りを見回した。騎兵たちは待ち伏せの一味をなんなく取り囲んでしまった。ベオルガンは死んだ兵士の方を向き、男の鎧と腰帯のポーチを取ろうとした。そのせいで二人の槍騎兵が道から拍車をかけて突進してくるのを見なかった。騎兵二人のうちひとりは大きく回りこんでベオルガンを逃がさない態勢にはいった。

ハヴスタッドの警告の叫びで、兵士が襲ってくる数瞬前に気付いた。ベオルガンは兵士に斬り殺されたハヴスタッドを見なかった。世界は森の木々と近づいてくる槍騎兵に収斂した。ベオルガンは木の幹の後ろにかがんだが耳に2頭目の馬の蹄の音が入るやいなや、さらに横に回りこんだ。呪いの言葉を吐きながら、たいした効果はないにしても、いちかばちか賭けることにした。ベオルガンは7フィート長さがあるしっかりした枝を見つけた。

最初の槍騎兵が彼の方に馬を向けようとすると同時に、大枝を振り回して、槍騎兵の頭をとらえた。その一撃で兵隊の兜はゆがんでしまい、視界を奪ってベオルガンがもう一回剣を振る機会を与えた。そのひと振りで馬の鼻面を斬った。頭を後ろに倒して、馬は森の枝の間に逃げこんだ。馬は低く張った枝の下に走り込み、まだ目の見えない騎兵は戦わずして敗れた。 

二人目の兵士は歩くまで馬を遅らせて、近づくやいなや慎重に、ランスを歩兵槍のように突き出した。ベオルガンは木の枝を投げ槍のように投げ、兵隊が盾で脇に叩き落とすと呪いの声を上げた。騎兵がランスで何度も突くたびにベオルガンはかわし、逃げ出す機会をつかもうとした。しまいには槍騎兵は槍を突き出しすぎて、ベオルガンがランスを捕らえるチャンスを与えてしまった。力一杯引いたので、馬から騎兵は落ちてしまい、ランスの柄から手を離してしまった。ベオルガンはランスをひっくり返して兵隊の胴を青銅の穂先で打った。兵隊の生死も確かめず、森に飛び込む。運があればうっそうと茂った森で、騎兵たちをまくこともできるだろう。

ベオルガンが木々の間に逃れるに従い、しくじった待ち伏せの連中の立てる音は背後に消えていった。逃亡は苦々しいが、残って皆殺しにされても得なことはなにもなかった。すぐに一番目の槍騎兵の馬の足跡にぶつかった。後をつけると、馬が手綱を木の枝に取られて動けなくなっているところを見つけた。優しい言葉をささやきながら獣に近づく。ベオルガンがそばにいることを受け入れるだけ、なだめることに成功した。

木から手綱をほどいてやり、馬をさらに森の奥の、泉の流れに連れていった。泉のそばで馬をつないでやり、馬具を外してやった。ベオルガンは鞍袋のひとつの中に乾パンとソーセージ、もうひとつに汚れた胴着と林檎を少々みつけた。汚れた胴着を使って馬の横腹の血を拭き取り、短剣で穴を掘って服を埋めた。馬が柔らかく鼻を鳴らし、暗くなってきていることを思い出させた。オート麦のない埋め合わせに林檎のひとつを馬にやった。残りのふたつは自分の夕飯に取っておいた。

座って持ち物をあらためる。馬と積み荷のほかにはナイフと剣、ベルトのポーチに入っている道具、火打ち石に硬貨数枚、塩の入った小袋。投げ槍も、鎧も、弓矢も、歩兵槍もない。

「まあいい、前よりはましだ。」ベオルガンは思った。

「連中ぬきで森の奥深くにいることを考えたら。」

炊き木のため乾いた枝と燃え木を集めて、火を起こす道具を取り出す。働いている間に、心は前の人生の最後の日々に戻っていった。




火から離れて、ベオルガンはハヴスタッドにどうやってそんなに速く来れたのか尋ねた。

「部下の見張りがお前が離れて程なく、丘の上に煙が上がっているのを見つけた。」説明して、

「森の木はまだ煙を上げるだけ乾いていないから、お前のステッドだと気づいた。我々はできるだけ早く来たが、遅すぎた。」

続く数週間はベオルガンにとって空白のまま過ぎた。ほとんどなにも言わないでハヴスタッドの仲間に受け入れられたし、しぶしぶながらにせよ、カーロールも彼を認めた。カーロールは気むずかしく冷笑的だったが、命令に従うことは知っていた。ベオルガンがハヴスタッド一党が盗賊と大して変わらないということに気づくのに大してかからなかった。状況に応じて軍事的な作戦をすることについてはなにも知らなかった。

ハヴスタッド配下の者たちは士気は高かったが、税吏のキャラバンに対する最初の襲撃は完全に破滅的だった。一党の者同士の連携がとれていなかったからだけでなく、ハヴスタッド自身の愚かな陣取りに多くの理由があった。ベオルガンが次からの襲撃で計画を練るようになり、それはうまくいった。すぐにベオルガンは指導者としてではなくても、すくなくとも戦術家として仲間に受け入れられた。何度かベオルガンはハヴスタッドの思いつきをひっくり返す必要があったが、この最後の場合、不幸なことに、ベオルガンはハヴスタッドの思うようにさせてしまったのである。




燃え木から煙が立ち昇り始めるにしたがい、回想から戻ってきた。ゆっくりあおいで火の粉に空気を送ってやり、すぐに心の浮き立つ焚き火を起こした。火のそばで林檎を炙りながら座り、これからのことについて考えた。ケリッサをそばに置かずに生きることに大して意味はないと認めざるを得ないとしても、死のカルトを受け入れる気にはならなかった。それにそうすることでタラロンに大して良いことはなかった。

進む方向を南や、あるいは東や西に変えることもできるが、そうしてどんな良いことがある?ルナー帝国は大きすぎて、逃れるにはあまりにも多くの土地を支配している。暗澹たる気持ちになって、結局唯一の取るべき道はアーグラスの反乱に加わることしかないように思える。耳にした最後の噂ではアーグラスは南のどこかにいることになっていて、カリルがずいぶん昔したようにヒョルトランド人たちから助けを求めているとか。ため息をついて、朝アーグラスを探すことを決める。少なくとも馬ならあることだし。

南に旅するに従い、ベオルガンはルナーの生んだ破壊の跡を目にした。町やステッドは沈黙のうちにあり、しばしば燃え殻だけが家の残骸として残っていた。入った村それぞれを服や武器や食糧、あれば生きていくのが楽になるもの全てを探してみた。ひとつの村で、死体が鎖かたびらの鎧を身につけていた。

明らかに致命傷を負って死にそうになりながら這いまわり、略奪者に見つからなかった男の死体だった。ベオルガンは自分の行くところに死体の悪臭がしないように、鎖かたびらを徹底的に洗ったが、この男がブルーに殺されたのでないことについては、ただ祈るだけだった。彼には疫病の汚染を浄化する術はなかったからである。




こうして鎧をまとったベオルガンは占領された町は避けながら、さらに南へと向かった。ある焼かれた村を通ろうとしたとき、家の残骸の中に気配を感じた。だから飢えた男が突然現れて馬からベオルガンを引きずり下ろそうとしたとき、彼には備えができていた。蹴り飛ばし、胸ぐらを捕まえて地面に叩き落した。男はどっと涙を流して地面に丸まってしまった。ベオルガンは下馬して男の方に歩み寄った。

「なぜ泣く?恥のためか、それとも怒りのためか?」荒々しく尋ねた。

 男はあまりにも痩せていたのでシャツの切れ端の上からあばら骨を見ることができた。
「俺も、女房も子供たちも何日かなにも食べていない。ただ生きるためだけに泥棒せざるをえなくなったのに、俺の体はそうすることすら許してくれない。」

ベオルガンは馬の方に行った。その日の朝、兎を二羽、即席のスリングで獲っていた。鞍袋から取り出して男のところに戻る。

「君の妻と子供の場所を教えてくれれば一緒に食べよう。」

男は掘っ立て小屋のほうに導いて、

「こちらです、殿。あなた様に祝福がありますように。」男は感謝して告げた。

「私の名前はケルサンといいます。こちらは私の妻のイリーンです。ルナーが来る前から我々は知り合いでしたが、結婚はしていませんでした。私はルナーが来たときに高い牧草地でこの男の子とともに、羊番をしていました。イリーンは祖母を訪ねていました。我々はおなじころ戻ってきて、村がこうなっているのを見ました。もうひとりの生き残りを母親の遺体の下に見つけました。小さなソルヤは族長の五歳になる娘でした。この娘は虐殺のあと、ひとことも話していません。」

男の子のカルームはまだ十二歳で、将来体格の良い男になることを骨格が示しているにしても、人生のこの段階では筋肉よりも骨格の方がよく成長していた。ソルヤは金色の前髪の下からベオルガンを黙って見つめているだけだったが、彼女の瞳は希望で明るく輝いていた。




ベオルガンはこの家族とともに留まったが、彼らが自分たちでうまくやっていけるようになるまで、彼らを見捨ててアーグラス探しを続ける気にはなれなかったからだった。その週のうちにもうふたりの男とひとりの男の子がこの小さな集団に加わった。中のひとりは、またカルームという名前で、すさまじい力を持ったウロックスの狂戦士だったが、小柄だった。彼はすぐに「小さい」カルームと呼ばれるようになり、それに対して男の子は「大きい」カルームと呼ばれるようになった。他は近くの村から来た農夫のジャルコンと、その7歳の息子のフローダーだった。

一緒に働いて、この集団はよりうまく自分たちを養っていけるようになったし、ベオルガンは彼らと別れることを考え始めた。しかしすぐに彼らは自分たちを「ベオルガンの輪」と呼び始めた。ベオルガンは指導者の責任を負うことについて自分が望んでいるか確信が持てなかったが、そこまで明らかに自分を頼っているときに、彼らを置き去りにするなど考えられなかった。

ある夜、火を見つめながら座って、ある考えが育つのを感じた。

「もしかすると、もしかするとだが、私は戦士団や盗賊団よりもましなものを作り出せるかもしれない。ルナーや反乱軍から離れたところに、我々が平和のうちに耕すことのできる土地を見つけることができるならば。そうすれば私はふたりのために、死ぬことでなく生きることで、復讐をすることができるだろう。」

その夜、集団の者たちに演説し、より良く自分たちを養える場所まで彼らを導く自分の計画について話した。

次の日は「移動の週」の「風の日」でオーランスの聖日だった。その夕暮れに仲間たちはおずおずとベオルガンに近づいた。ケルサンが口火を切った。

「ベオルガン殿、ジャルコンが言うには貴方はかつてオーランス神の「声」であったとか。我々は貴方がなぜその仕事を辞めたのか知らないが。もしそうすることが「中空の王」に対して不敬にあたらなければ、明日の祈りで我々を導いていただけないだろうか?」

最初のうちベオルガンは自分が大昔に司祭の職を辞したことを考えてぎょっとした。しかし須臾のあと、心の中にかたちのない感情が生まれ、ベオルガンにもしかすると、昔の勤めを再び始めることはオーランス神を喜ばせるのではないかと思わせるに至った。それにもしオーランスがベオルガンに、「嵐の声」の職に再び就くように求めているのなら、それに逆らおうとする自分は何者だろうか?神はお望みのままになさるだろう。たとえそのことが司祭の辞職を取り消すことになるにしても。

ベオルガンは悩ましい眠りについたが、強い意志を自らの内に感じ、夜明けには自分がオーランスの意図を正しく汲み取ることができると納得した。そして太陽が昇るうちに、また七年の月日をおいて、ベオルガンは嵐の王に捧げる少人数の会衆の祈りを導いた。儀式が頂点に進むにつれ、大いなる風が北方から吹き降りて、木の葉と塵を南へと舞い散らした。ベオルガンは自ら期することあってうなずいた。明日彼らは進路を南にとり、そこで新たな土地を見つけるだろう。


[酔いどれ]

礼拝のあと、仲間たちは廃墟の村を後にした。集まりの中央にわずかな数の羊を囲み、背中に持ち物を負っていた。ベオルガンが唯一の馬を持っていたが、乗っていなかった。ベオルガンより重い荷物を運んでいたからだ。料理の鍋や道具、そしてベオルガンが見つけた鎖かたびら、今ではくだらない衣装だと思っている代物だった。仲間たちは南に向かい、ルナーが治めていようといまいと、町を避けた。ベオルガンはルナー軍に会いたいと思わないのと同じく、もうアーグラス軍に加わりたいと思っていなかった。仲間たちは父親と旅の案内を必要としていたし、自分が選ばれた。妻の死に対する復讐の欲求すら、新たな責任とともに薄れていた。半年の間失われていた平和な気持ちを感じ始めていた。

見捨てられたステッドを通るたびに、仲間たちは取れるだけのものをあさった。さらに多くの者が三々五々、参加するため来た。仲間たちが焼かれた家を通るたびに生活用品や少しずつ家畜を増やしていった。ベオルガンはクルブレア部族やサムバリ部族の土地を通っていき、嵐の丘陵についには避難所を見つけた。仲間たちは山あい深くの隠れたところに自分の土地を見いだした。

いかなる氏族にも部族にも主張されていない広大な峡谷で、世間の残りとはひとつの山道でだけつながっていた。ベオルガンは館のいくつかと家畜の囲いの建設を監督した。清流からは新鮮な水がとれたし、魚影で水底は輝いていた。ステッドがゆっくり大きくなるにしたがって、ベオルガンの唯一の大きな懸念はアーナールダの女祭が仲間にいないことであり、女衆の心配のもとでもあった。




ひと季節の後、ステッドは六つの館と四十人以上の所帯にまで大きくなっていた。家畜も同じように増えていて、牛乳とバターを毎週作れるようになった。移ってきた季節は遅すぎて、青い野菜少々をのぞいて穀物を育てることはできなかった。ベオルガンはステッドに種もみがないことを心配していたが、一番近くの大きな町、ラウンドストーン砦に誰か送るのは望まなかった。強力なルナーの駐留軍が詰めていたからだ。しかし穀物がなければステッドが来年まで生き延びることはできないだろう。家畜はこの冬は草でまかなえるが、来年には草地を一年中食いつづけるだろうし、冬には穀物を必要とするだろう。選択肢がそれ以外なく、諦めてベオルガンはジャルコンをお伴に連れて、ラウンドストーン砦に向かった。

ベオルガンとジャルコンは牛の秋市にラウンドストーン砦に入ったので、よそ者たちにまぎれて目立たないことができた。それでも万が一にもルナー軍に見つからないように用心深くしていた。ベオルガンとジャルコンは穀物商を見つけて、商人が荷馬車いっぱいの穀物を車と一緒に売ることに同意するまで取引した。ひと仕事終わったので、ベオルガンとジャルコンは近くのエール売りの天幕に入ってひと息つき、最近の話題を集めようとした。

いつも通り、多くの者がルナーの税に不満をもらしていた。一番最近のものは、三歳以下の家畜の5分の1をルナー軍に納めるというものだった。政治のニュースは実のところなかった。アーグラス皇子の所在は杳として知れず、ルナーはグレイズランド人の王をまだ解放していなかった。ヴォルサクシはルナーを撃破しようと北に向かっているとのことだった。最後のうわさ話をベオルガンは願望に過ぎないとして退けた。ルナーの邪悪とコリマー、バルミール部族の地を徘徊する混沌についての話があった。ふとした拍子にベオルガンはアーグラスの名を耳にして、注意して聞いた。その語り部はアーグラスがどのように単身ルナーの槍騎兵全部隊を打ち負かし、マラニ部族の王女を救出して双つ峰の砦を焼き討ちしたか語っていた。

語り部のいつもながらの誇張の向こうに、ベオルガンは話の中に自分のしてきたことが入っているのに気付いた。

「なんてことだ。」ベオルガンは密かにうめいた。

「連中ときたら今では俺をアーグラスだと考えている!探すのを止めても彼は俺の人生に関わってくるようだ!」

ベオルガンにとって一日の素晴らしいすべり出しも台無しにされてしまった。彼はジャルコンの腕を叩いて言った。

「行こう、ここから出る潮時だ。」

彼がベンチから立ち上がったちょうどその時、若くて着飾ったルナーの指揮官が倒れかかった。

「間抜けめ!」その指揮官は怒鳴った。

「呪われた蛮族め!貴様を鞭打つべきだな。わが輩を誰だと思っておる、わが輩こそエフィオクス、アップランド連隊の指揮官にしてこの町の代官であるぞ!」

ベオルガンはかんしゃくを抑えようとした。

「無礼をつつしんでお詫びします。」

と言ったが、エフィオクスはなだめられなかった。職杖を取り出して前に進み、打とうとして手を上げた。ベオルガンのかんしゃくが爆発した。最初がアーグラスの話で、次がこれだ!杖をよけて、エールの満たされたマグがいくつものっているテーブルの方にこのルナー指揮官を押しやり、エフィオクスは大の字になって倒れた。激突は人目を引いたし、多くのテントの周囲にいた男たちがエフィオクスの間抜けさをげらげら笑った。エフィオクスはさらに激怒した。大きな呼び声で、数人のルナーの重装歩兵がテントに入ってきた。エールと泥の水たまりの中に座り、ベオルガンを指差した。

「奴を捕まえろ!奴は帝国軍の指揮官を襲ったぞ!」

重装歩兵たちは人ごみを押しのけてベオルガンの腕を捕まえ、テントの外に連れ出そうとした。怒りの声が群集の中から上がった。人ごみは外の物見高い者が中に入ろうとして増えていった。それで歩兵たちはベオルガンを外に連れ出せなかった。重装歩兵たちはその代わりベオルガンをエフィオクスの傍にやり、号令の元に二人の周りに円陣を組んだ。

しかし群集が暴徒となる前に、一人の男が千鳥足で人ごみの中から抜け出た。男が兵士たちのところまで来ると、音を立ててサンダルを一番近くの兵隊に投げつけた。次に前のめりに倒れたのでその兵隊が仲間と一緒に将棋倒しになったし、男は床を滑って逃げ出した。男は起き上がろうとして兵隊のひとり目、続いてふたり目にへどを吐きかけた。エフィオクスのところまで来るとまた吐いて、へどは指揮官のチュニック全体を流れていった。おぞましさにひるんで、指揮官はテントから逃げ出し、兵隊たちは後に続いた。大笑いが群衆の中から上がった。

「急ごう。ここから出なければ。」突然しらふに戻った酔っ払いが言った。ベオルガンにウインクして、

「ユールマル信者の酔っ払いに友人だって、かね?来いよ。」

ベオルガンとジャルコン、そして救い主はテントの後ろのはねぶたから抜け出し、町境にむかって走った。

「おいらの名前は「影なしの」ファウチェット。」

そのトリックスターは名乗り、地面を指差した。名前のとおり、太陽が空高くから照っているのに、彼に影はさしていなかった。

「おいらはちょっと前になくしてしまったんだが、大してさびしいと思っていない。今ではあんたは良く知った顔だ、お友達。あんたはマラニ部族のところとか、北から来たんじゃないだろう?」べオルガンはびくっとして短剣に手を伸ばした。

「必要ない、ない。」

驚いて言う。

「あんたを結構前から知っているんだ。数年前から。おいらがここらを通りかかった時、あんたはおいらが殴られるのを止めてくれた。それから、数週間前においらは人目を避けて、いくつかの氏族の土地を通過していく集団について聞いた。今日この頃、こういう連中がなにを求めるか?、おいらは自問した。

もしこの連中がだれか襲うなら、噂を聞くはずだ。だけど噂はない。それなら連中は誰も襲っていないということになる。だからおいらはあんたの後をつけることにした。そしたら何を見つけた?新しくできたステッドに、流血でなく平和を求めている男ときた。こんなご時世にそんなことがあるとしたら、明らかにトリックスターの力が関わっているということだ。だからおいらは未来をあんたとともにすると決めた。誰も実のところ、トリックスターがそばにいて欲しいとは思わないがね。だからあんたもそうは思わないだろうさ。」

悲しみの声を上げて、いきなり両目にそっくり同じように浮かんだ涙をぬぐう。

「それでも。」涙をふり払って笑みを浮かべる。

「あんたも分かっただろうが、誰にでも使い道があるものさ!」

「うむ、そうだな。今ではあんたを思い出した。そして俺の記憶が正しければ、あんたは新しくあけたエールの樽を、腐った魚のような臭いに変えてしまった。あんたに言っておくがね。臭いや怒りが薄れるのは時間がかかるんだ。俺のまわりで似たようなトリックをもう一度仕掛けることがないようにして欲しいな。次は俺も物わかりが良いとは限らないからな。それでも、町中でちょうど良く手を出してくれたことには感謝しているよ。」




彼等はラウンドストーン砦近くの丘に一週間野営したが、その間ルナー軍は彼等を探して辺境地帯を回っていた。なにかの理由でルナーはもう少しで捕らえるところだった男がアーグラスだったと決めつけたようだった。ファウチェットは(望めば自分を誰の姿にも見せかけることができるようだったが)町から戻ってきて伝えることには、アーグラスの頭の懸賞金は一万ルナーと1年間の税の免除だそうだ。

しかしファウチェットが口はやく付け加えるには、町にいる誰もルナーの提案にしたがおうとはしないようだった。酒場の話では「アーグラス」は完全武装した重装歩兵の全部隊を後手に縛られたまま、蹴りだけでひとりずつ皆殺しにしたことになっているようだ。




三人は隠れステッドに戻った。谷に帰った頃には、ベオルガンは新しい仲間を殺すべきか受け入れるべきか確信がなくなっていた。ファウチェットは自分自身が苦境に遭ってさえなにも真面目に受け取らなかった。彼は冗談を口だけでなく行動に移したが、冗談は面白くないことの方が多かった。ベオルガンはいまだにファウチェットの「縞スカンクのシチュー」を作る試みの結果を嗅ぎ分けることができた。それにしても、たとえ冗談がうまくいかなかった時にいつもベオルガンを助けたことを口にするにしても、ファウチェットは良い道連れだった。彼は傑出した偵察者でもあり、一度ならず仲間が危険を知るのに力になった。三人は帰途で穀物商人をつかまえて、穀物の荷馬車を手に入れた。ファウチェットが商人の財布をすったせいで危うく取引が台無しになるところだったが。

野営地に戻ると、二十人の強壮な新たな難民の一団がベオルガンの不在の間にたどり着いていた。彼等は丘陵地帯をさまよい、かつてのベオルガンと同じように定住するところを探していた。小さいカルームは丘めぐりの日常のパトロールで彼等をみつけ、中に受け入れた。カルームは余った家が建てられるまで、彼等に一時的にステッドの一画を割り当てていた。ベオルガンはカルームの先見の明と手ぎわの良さを褒めたたえた。そして聴衆に向かって演説した。

「我々は長いこといかなる組織も作らないできたし、生活を秩序づけるための、一日が過ぎるのや季節のめぐりを数える術も持たないできた。私は真の氏族の輪を持たないできたために苦労してきたことが分かっている。私は我々が家族としてまとまる時が来たのだと思う。不幸にも、アーナールダの座に座るべき女性を欠いていたのでそうできなかったのだ。母のない家族が考えられるだろうか?私は我々が神に祝福されていることを願っているし、それは氏族の輪のためでもある、母を持つまで我々は先に進めないのだ。」

群衆はざわめいて、その後新しく加わった避難民のひとりの、腰に赤子を抱いた若い女性が前に進み出るにしたがいふたつに分かれた。

「私の名は「黒石の」ベルラと申します。そして我々全ての母なる女神の司祭でもあります。息子と私は我が氏族の最後の生き残りです。我らの部族の残りが裏切ってルナーにくみしたとき氏族の者は殺されました。もしあなた様が私にふさわしい適性を見つけられましたら、あなたが御自分の「輪」の「父」となるにしても、私は「輪」の「母」を代表する名誉をいただく意志があります。」

ベオルガンはベルラと一刻ばかり話をして、彼女の信仰心と「輪」の「母」となる意志を試して質問した。その後ベオルガンは群集の方に戻り、宣言した。

「ベルラを「母」に迎えて、我々はついに家族となった。明日の「太陽」が最高天にかかるとき、大カルームが古の石を見つけた裸の丘で、氏族結成の儀式を行うことにしよう。」

その晩、ベオルガンとベルラは多くの者と語り合った。輪における役を務める者のうち、ファウチェットとトリックスターの座のように明らかな適任があるのもあったが、他の座を埋めるのは難しかった。しかししまいには全ての役が満たされた。選ばれた仲間たちとともに、氏族結成の儀式の準備を終えた。




次の日は裸の丘に村人全員が集まって、即席の石でできた祭壇がオーランスとアーナールダ、オーランス人の「父」と「母」に捧げられた。風が優しく吹いた。ベオルガンとベルラは丘の定められた場に立ち、いかにオーランスとアーナールダが暗黒の時代に避難民を助けるため最初の氏族を結成したか、詩歌を吟じた。ベオルガンがオーランスの兄弟たちや息子たちとして男衆の名を読み上げる一方で、ベルラは女神の役を務める女衆の名を呼んだ。

それぞれが前に呼ばれる間に群衆は自分たちの反応を歌い、輪の者を承認し、適切な神々に祈りの言葉を吟じた。ベオルガンは小カルームを「嵐の雄牛」ウロックスとして前に呼び、ファウチェットはトリックスター、ユールマルと化した。ジャルコンは「農夫」バーンターの役を務め、その一方でベルラの姉妹であるキャンドラは「かまどの女神」バーンターの妻マホーメイと名指された。他にもベオルガンとベルラが神々、女神達それぞれの徳性を一番代表していて、さらに傲慢さや貪欲さで輪を動かすことのないと考えた者たちが指名された。ないのが目立った役は「死の支配者」フマクトだったが、そのことについてはベオルガンが説明した。

「我々は平和の輪であり、戦争の輪ではない。より重要なことは輪の中に我らに食べ物を恵み給うヴォーリオフ、バーンター、オデイラ、ペラスコスの四方がいることだ。そして四方の妃たちは我らを慰めてくれる。我々に死は必要ない。」

男衆と女衆が世界の創造の歌を歌った後、ベオルガンとベルラは向かって見つめあった。ちょうどオーランスがアーナールダにしたように、ベオルガンはベルラの手を取って歌いかけ、「母」として氏族に情けをかけ、恵みを与えるか問いかけた。ベルラはそうしますと応えた。次はベルラがアーナールダがオーランスにしたようにベオルガンに歌いかけた。「父」として氏族を養い、守る意志があるかと尋ねた。ベオルガンも然りと応えた。集まった群衆は自分たちの返歌を喜ばしげに歌い、ふたりを自分たちの父と母として受け入れて、子供が両親を支え、従うようにふたりを支え、命に従うことを認めた。

ベオルガンとベルラは群集の方を向いて、はじめて氏族として集まった支持者たちに話しかけた。

「私の家族たちよ。君たちがベルラと私を選んだことは名誉とするところだ。全ての神々に君たちを私が正しく指導できるよう祈りたい。今や我々は真の氏族であり、我らが氏族の名をオーランスとアーナールダの前で呼ぶように君達に命ずる。お二方のことを我ら、彼らの子供が忘れていないと証し立てるために!われらの秘かな祈りにこたえて女神が送り出して下さったベルラの名誉のため、君たちに、我らの名は「黒岩の氏族」であると告げよう。我々はオーランスの民として生きるのだから!」

氏族の喜びの叫びが谷全てに響きわたり、信ずる神々に「黒岩の氏族」が生まれ変わったことを示した。

喜びの声の最後のこだまが風に吹き去られたあと、ベオルガンは氏族のある一員が彼に贈った銀の腕輪を取り出した。

「家族たちよ。この輪こそ我々の氏族の核心となるだろう。輪のかたちは我々の結束の象徴であり、銀は我々の力の象徴なのだ。私はこの輪をウロックス神のカーン、カルームに授け、カルームを我らの輪の守護者(チャンピオン)であり、この氏族の指導において私に次ぐことを宣言する。彼が誇りと名誉をもって輪を身につけることを認めよう!」

氏族は賞賛の声をカルームに叫び、勇気をたたえた。

そしてベオルガンはファウチェットを前に呼んだ。

「口にしがたい神聖なるその気質の証しとして、この輪を我らのトリックスターに授けよう。彼のラウンドストーン砦におけるエール売りの天幕での助けを認める証しとして。」

言いながら、ベオルガンはスカンクウォート、アサフェティーダその他の嫌な匂いのする草で作った輪を持ち出した。ベオルガンは輪をファウチェットの頭の上に投げ、道化者は恍惚としてつまずいた。ファウチェットが明らかに花輪がからまって地面にもがいているさまを見て群集は笑い、囃し声を上げた。するとファウチェットは跳び上がって、宙返りしているかのように低くまでお辞儀をしながら倒れた。

地面からベオルガンの知恵と美的センスをベオルガンが川に蹴り落とすと脅すまで、限度を越えて褒めちぎった。群衆が解散し始めると、ファウチェットは色のついた石のいくつかでお手玉を始めた。彼は丘を離れた最後のうちのひとりだったが、なんらかのすべで祝宴にはいちばんがっついた子供よりも早く席についていた。



[偽りの名]

冬の穀物の蓄えは特別に掘られて焼きを入れられた穴に念入りに貯蔵されていたので、ベオルガンの輪は秋の決まった仕事に精を出した。冬を乗り切れそうにない家畜を屠って、塩漬けにするか燻製にした。さらに多くの家が完成したので、氏族全員が屋根の下で眠ることができるようになった。ベオルガンと小カルームは村の周辺を巡って、防御柵を作る計画のための線を引いた。それは翌年の春に作る予定だった。材木の丸太は切られて目的に合わせて削られ、屋根の下に積み重ねられて冬の間寝かせられていた。

ベオルガンとベルラは共同体の精神的な必要について考えていた。そこで二人一緒に家とかまど、畑と家族の聖なる誓いについて祝った。ともにいくつかの婚礼を司り、ベルラは出産の助産婦として何度か働いた。二人は結婚したいという意志を見せなかったが、そのことは春の種蒔きまで実のところ大事なことではなかった。氏族の大多数は少なくとも冬の長いのを待つことで満足していたし、最近配偶者やつれ合いをなくした者ばかりとなればなおさらだった。

冬は大きな問題もなく過ぎ去っていった。狼が村を取り巻く丘で吠え声を上げていたし、テルモリの無法者に対する恐れがほとんど毎日はびこっていたが氏族を煩わすことはなかった。一度はよそ者が奇怪な跡をのこして境界を通過したし、小カルームはなんらかの混沌の生物のものであることを請け合った。カルームは奇怪な跡を追って南の丘陵に分け行ったが、吹雪で見失ってしまった。

谷を見いだした難民は数少なかったが、その少数は蔓延しているアーグラスの噂について報じた。英雄的な戦士の一団を率いてルナーを見つけ次第、攻撃しているのだとか。アルダチュールとボールドホームで目撃されたとか言われているし、ファーゼストを襲撃したという噂さえあるそうだ!さらにこじつけめいた話のなかで、「ラウンドストーン砦」付近にいる「アーグラスの仲間たち」と自称する略奪者の一団について、確かな報告があった。ベオルガンは自分の成し遂げた冒険が彼等に力を与えることになっているのに困惑した。時にはいったい何人アーグラスがいるのか疑問を持ったし、本当のアーグラスがまだ生きているのかについてもいぶかしんだ。




闇の季と嵐の季が過ぎて、春の到来とともに輪の者の多くも畑の種蒔きの用意に外出した。ある日のこと、畑の一画から石を取り除く労働を皆が続けていると、大カルームが走って来て、声の限りに叫んだ。男たちは農作業具をとり落として槍の置いてあるところに走ったが、カルームは息継ぎが十分できるまで止まり、それからはっきり言葉を叫んだ。

「わが君ベオルガン、あなたに会いに一団が来ています。武装していますが、充分平和的に見えます。」ベオルガンはカルームが近づくのにつれて怒鳴り返した。

「この小僧め。お前はみんなの仕事を邪魔する前にそう言えたはずだぞ!よろしい、皆の衆。仕事を続けたまえ。私は訪問者と会うのにケルサンと小カルームを連れて行く。残りの君たちはこの畑を均して、続く畑にかかってくれ。」

三人の男と一人の男の子は村に駆け足で戻った。そこでは少数の男手が柵を立てる溝を掘り始めていた。堀には四十人程度の騎乗した者がいて、見かけからするとサイランギ部族だった。一団の長は鉄の鎧を着て、白馬の毛飾りを頂いた高い兜をかぶっていたので実際よりもいっそう背が高く見えていた。

彼の鎧具足は着古したもののようだったが、きちんと修繕が施されていた。彼の盾には巨大な死のルーンが描かれていたし、配下の多くの者が死のルーンで飾られた品物を身につけていた。ベオルガンは歩くのをやめて、ほとんど来た道を戻りそうになった。戦士である彼ら、死に身を捧げた者たちがなぜ敢えて自分の平和の輪のもとにやってきたのだろうか?

長がベオルガンに呼びかけるには、「貴方様が「月の災い」アーグラスと呼ばれている方でしょうか?」

ベオルガンの答えはそっけなかった。「違う。貴方はここになんの用もない。私はベオルガンだ。アーグラスではない。」

長は一瞬驚いたようだったが、すぐに表情を明るくして片目をつぶってみせた。「左様ですか。わが君、アーグ、いや、ベオルガン。貴方様こそ我らが従いたく思われる方です。私は「鷲の」ヴァーケロールと申すフマクトの剣であります。単身、私は三つの頭を持ったスコーピオンマンを殺しました。ただひとりの供を連れて、「嵐歩みの山脈」の頂まで登り、大気の精霊達と話したこともあります。

私は「強壮なる」タスガット、長岩の氏族の族長の息子でもあります。サイランギ部族のチャンピオンたちと取っ組み合って全てに勝ちました。私にしたがう者たちもまたサイランギ部族、長岩の氏族の者であります。ルナーの連中は我々が自分の家を守ったかどで法のもとから我らを追放しました。貴方様は人の中の頭領として名前があり、もし貴方様が我々をステッドに受け入れてくださるなら我々にとって名誉であります。」

ベオルガンはさえぎった。「我々が求めているのは農夫で、戦士ではない。貴方の配下が戦場より麦畑でもっと活躍できないのなら、我々には貴方がたの使い道もあるまい。」

ヴァーケロールは建て始められたばかりの柵に目をやった。「私の配下は農夫ではありませんが、貴方が建てている柵の工事を手伝うことはできます。」

ベオルガンは考えて、そして答えた。

「もし貴方がたが我々に加わるのなら、貴方は私の命に従わなくてはならない。質問もなく、怠ることもなしにだ。「小さい」カルームは我々のチャンピオンで、私の右腕であり、私に従うように彼にも従わなくてはならない。もし貴方がたの連れに女子供がいるのなら、男よりも歓迎され、受け入れられるだろう。

もし貴方がたの中に結婚していない者がいるのならば、未婚の娘にだけ言い寄るように気をつけることだ。恋わずらいにかかった男が女の好意をめぐって口争うところなど見たくはない。もしこれらの掟が公平に見えるのなら、しばらくなりとも滞在したまえ。もう一つ。私は貴方がこのステッドを襲撃の拠点に使うことは許さない。我々は護衛として貴方がたが留まることを許すので、強盗としてではない。」




ヴァーケロールとその部下は谷に住み着き、すぐに柵を建ててしまった。彼の部下は馬に乗って付近の丘陵地帯の見回りをおこない、何度か襲撃するブルーの群れやその他の混沌の怪物を追い払ったり、退治したりした。時が経つにつれて、ヴァーケロール一党は輪の真の一部として受け入れられていった。

村は日常の決まりごとに戻ったが、ヴァーケロールたちはともかく、ますます氏族の他の者もベオルガンに「アーグラス」と面とむかって言いそうになることが多くなった。住民の多くがそれが本当だと信じているようだったし、特に輪の者達が谷に入った後、来た者たちが目立って信じていた。しかし谷の生活は幸せで、ルナーもその徴税もないので居留地は繁栄した。若いソルヤとフローダーはまたたく間に仲良くなって、ベオルガンが彼女に会ってから初めて、喋ったり笑ったりするようになった。誰もがソルヤの変化を喜んだ。




時が過ぎるごとに、他の難民たちが谷を捜し当てていった。二年後にはこの居留地には数百の男女と子供を数えるようになった。柵で守られたステッドがもうふたつ建てられたのだが、ひとつは丘の高いところにあり、もう一方は谷の口の近くに隠されていて、住んでいるのはほとんど詰めているヴァーケロール指揮下の戦士たちだった。全ての谷の低い地帯は耕作され、丘の草地は羊や牛や山羊で満ちていた。

ヴァーケロールは谷の平和さそのものが氏族にとって危険になりうるし、ルナーとか強盗団などがステッドを発見した時に備えて、民人が武器の使い方を学ぶ必要があることをベオルガンに納得させた。その後、武器を持つことができる者全てがヴァーケロールや小カルーム、ベオルガンの指導の下に訓練をおこなうようになった。槍を練習する者もあれば、投げ槍か、剣や斧を練習する者もいた。子供ですらスリング(投石器)を練習した。氏族が襲撃されたとき、非戦闘員を上のステッドに避難させる作戦も立てた。誰もが自分の持ち場を占めるようになり、何度かベオルガンは「輪」の備えを試すために「襲撃」の訓練を行った。

ジャルコンとファウチェットはこの時期には外部の世界との主なつながりとなっていた。荷馬車でラウンドストーン砦もしくはウィルムズ・チャーチと行き来して羊毛や革を金属の品や塩と交換していた。ルナーを悩ます「アーグラス」の襲撃が続いていることを報告し、その首に対する懸賞金は3万ルナーにまで跳ね上がっていた。ルナーは何度もアーグラスと「その一党の野盗ども」を倒したと言いのけたが、そのたびに新しい襲撃が起きて間違いを証明した。ベオルガンはしまいにはルナーの調査が谷にまで伸びてくることを心配した。しかしそのことに備えてできるかぎり準備しておく以外には何もできないとも思った。




ヴァーケロールたちが谷に着いてから二年目の「海の季」の終わり、ファウチェットはウィルムズ・チャーチからひとりで戻ってきた。

「ジャルコンになにをしたんだ?ついにお前の料理で殺してしまったのか?それともついうっかり木の枝でも頭の上に落としてしまったのかね?」ベオルガンは尋ねた。

「違う、奴はおいら達の品物と一緒に後から戻ってくる。でもおいらはあんたが知らせを必要としていると思ったんでね。」ファウチェットは落ち着いていてまじめだったので、知らせが極めて重大であることをベオルガンは察した。

「街にいたとき、おいら達は二人のルナーの兵隊が近々おこなう作戦について話しているのを耳にはさんだんだ。やつら、最新のアーグラスを目当てにここらの丘を徹底的に探し回るつもりだ。襲撃団の新手が「嵐の丘陵」を根城に仕事をはじめたみたいだ。ルナーはアップランド連隊とムーンアロー騎兵隊、それにターシュにある太陽の神殿からの特別な弓兵隊を加えて遣わすつもりらしい。それと一緒にターシュ軍からも来るらしいが、部隊の名前は聞き出せなかった。ターシュ軍からは熟練兵は来ない、これは確かだ。」

ベオルガンはケルサンと「小さい」カルームを呼び出して、カルームは武器と鎧を取りに行った。その後、ベオルガンはヴァーケロールを呼び出した。

「貴方が私たちのところに来たとき、私はこのステッドから襲撃に出ることは許さないと言った。貴方が襲撃をしていないということを剣にかけて誓って欲しい。そしてフマクトが死だけでなく名誉をも奉じている事を思い出して欲しいのだ。貴方の生命はこのことにかかっているのだから。」

ヴァーケロールは剣を抜いて小カルームは緊張した。しかしヴァーケロールは剣先を地面に降ろして十字型の鍔を握った。

「わが君、わが剣にかけて誓おう。私が嘘をつくことがあればこの剣が生死の境に砕け散るだろう。ここに来て以来、一度たりとも襲撃に出たことはありませんし、私の配下もそうです。私の生命を守る剣にかけて、誓います。」

「輪を集めよ。」ベオルガンは声を上げた。

「ヴァーケロール、貴方はラウンドストーンに向かうふもとの丘の哨戒に人を出せ。そして偵察に鋭い注意を払うように命ずるのだ。家畜はすでに上の草地に入れている。ケルサン、お前は十人の護衛とともに、弱い者や年寄りを連れて行け。武器を使える者は全員、常に武装するようにせよ。この夏に入信した男の子もそうだ。私は次の「風の日」に「オーランスの戦支度」の儀式を行おう。」




使者たちはあちらこちらに走った。男たちは武器を用意するか、妻と子供を安全なところに送れるように荷造りをした。ベルラは女衆を組織した。丘へと避難する女たちはまだ村にいる子供たちを集めたし、残って戦おうとする女たちは自分の武器に注意した。少数は「傷縛り」や「チャラーナの涙」、フィンガースティックや「矢の花」など薬草を求めて、村境を回った。

ベルラはルナーに陵辱された、ある女性のグループについての助言を求めてベオルガンのところに来た。彼らは女性そのものを捨てて、マーラン・ゴアやバービスター・ゴア、「大地」と女性の守護神たちを信仰することを望んでいた。ベルラは女たちに嘆願して、これら暗黒の女神たちを崇めることは彼らを永遠に変えてしまうと叫んだ。しかし女たちの決心は固かった。ベオルガンはベルラを落ち着かせて、そうなるのも人生の道であり、暗黒はいつも否定できるものではないと言った。ベルラはこの悲劇を食い止めるために自分ができることは何もないということを悟ったが、このことに祝福を与えることは拒否した。その晩、この女衆は自分で儀式を行い、自分たちを穢した男性そのものに対する復讐のため、自らの豊穣さを捨て去った。


「風の日」に、「オーランスの戦支度」の儀式を務めるためにはだかの丘に集まった者たちをベオルガンは導いた。大カルームはヘラーの役を務めるため、ベオルガンの武具を抱えて前に進み出た。ベオルガンは自分の武装が整うと、ケルサンの方を向いた。

「われらの王オーランスが皇帝を救って世界を正すために出発したときに、オーランスは残る全ての者から、ひとりの近侍の貴族(セイン)を名指して、ステッドを守るようにした。忠実なるエルマルよ。暗闇の間、世界を照らし続けた。ケルサン、お前は輪に長く忠実に仕えた。我々はお前に最も重大な責任を担ってもらう。ステッドの大部分の守り手がいない間、ステッドを守ってくれ。

私は三十人の男しかお前に任せられない。そこまでしか我々には余裕がないからだ。もし我らが負ければ、輪が滅びることのないように気をつけなければならない。もしそうしなければならないと思うのなら、民を丘陵地帯、あるいは南のヴォルサクシの地へと連れて行け。しかし輪を存続させることだ。お前の手に預けるのは我々の家族の生命以上のもの、我々の未来を託すのだ。」

小カルームは腕から氏族の輪を外すと、厳かにケルサンに手渡した。それからベオルガンは七つの風と四つの神聖な武具に祈願した。ベオルガンは神の力で満たされるのを感じたし、儀式に参加した者の多くも神力を感じた。彼らは敵に立ち向かう勇気と、敵を倒す力を願った。小カルームはウロックス神の激怒を祈り、ルナーが連れてくるであろういかなる怪物に対しても立ち向かうことを誓った。他のウロックス信者たちもその誓いに加わった。大カルームはいまや成人に達して名前にふさわしく、ウロックス信徒たちに立ち混じり、狂戦士たちと肩を並べて戦うことを誓っていた。

次にヴァーケロールが立ち上がり「近侍」フマクトの神力を祈願し、名誉と勇気のために祈った。彼の横には一ダースの人数の誓いを立てたフマクト信徒が立ち、死ぬか、死を与える覚悟をしていた。ファウチェットすら前に進み出たし、千鳥足でよろめいてはいたが、そこにはいた。彼はちょっとの間は決心を固めているようだったが、その後、笑いでうずくまりながら、指導者たちの後ろに並んでいる深刻な顔ぶれを指さした。

ベオルガンが儀式を終わりにすると、多くの者がそれぞれのグループの戦士達が自分の神の属性をまとっているのを目にした。ウロックス信徒は角を生やしているように見えたし、フマクト信徒は暗く、超然としていた。ベオルガン自身は丈高く灰色で、彼の体から強力な風が吹き荒れて、丘を回って集まった群衆の列に当たった。それぞれの男衆、女衆が内側に神々の力を感じて、いかなる犠牲を払おうとも輪を守る決意に満たされた。


[アーグラス]

輪の軍勢は、できるかぎり谷から遠く離れたところでルナーとぶつかることを願って、翌日に出発した。大部分の軍勢は歩いていたが、ヴァーケロールはフマクト信徒の騎兵を連れていたし、ベオルガンも数人の馬に乗った伝令と1ダースの騎乗した偵察兵を連れていた。二十人の戦う女たちも進軍した。幾人かは「赤髪の」ヴィンガを信仰し、ヴォルサクシの地でカリルとともに戦った古強者たちで、軍隊の規律を持っていた。他の女性たちは未経験だったが血を流したいという狂信的な欲望で埋め合わせていた。

1ダースの祈祷師や神官、まじない女なども軍に参加していたが、年が過ぎるごとにひとりひとり、輪に加わった者たちだった。輪の残りの者が武器の訓練を続けている間、魔術の研鑽をして、魔力を結合させて、ばらばらでいるよりも強力な精霊を生み出す方法を身につけていた。いまや彼らは癒しの術を行い、ルナーの魔術を食い止めるために軍と一緒に進んでいた。

凍の日に今や偵察兵となっているフローダーが軍に戻ってきて、ルナー軍を見つけたと報告した。「わが君、やつらは数百人います。」彼はあえいで続けた。

「数千人かもしれない!」

ベオルガンのまわりの者たちは首を振って、フローダーの恐慌を追い払った。彼らはこの男の子を小柄なことやすぐれた馬乗りであることを理由に選んだのであり、数を数える能力ではなかった。そしてフローダーの持ち場は軍隊のもっとも前方だったのである。ベオルガンの取り巻きの者たちは、もしジャルコンとファウチェットが聞いていたことが正しかったら、ルナー軍が全体で四百人以上になる可能性はないということを知っていた。二番目の偵察兵はもっと良い報告をした。ベオルガンは指揮官たちを集めて、報告を聞くようにした。

「私は敵全軍がこの谷の口を抜けた、だいたい半日の距離のところを通過するところを見ました。彼等は戦場に出ているというよりはパレードに出ているように行進しています。我々がここにいるのを知らないことは請け合えます。私が見た限りでは、ルナー軍は騎兵隊の列を前方に出していて、側面には配置していません。全体を観察しましても、五つの旗印しか見ませんでした。五十騎ずつの騎兵隊が二個、歩兵槍とランスで武装しています。

槍で武装している歩兵隊が二個、ひとつは二百人程度、もうひとつは百人程度です。弓兵の分遣隊もいて、私の見積もりでは五十人。全身銀の鎧をまとっている男が率いる一団がいますが、将軍に違いありません。ルナー魔術学院の者のように見える者は見かけませんでした。このささやかな恵みを、オーランス神に感謝せねばなりますまい。」

「思うに、オーランスはもうひとつ恵みを与え給うた。」

ベオルガンは言った。

「私は雨を祈ったし、明日、嵐の王は与えたもう。我々は丘を今ここで越えて、明日の朝、太陽の昇る前にルナーを攻撃する。彼等のなかに太陽神の司祭がいるにしても一番弱くなっている。イェルムが昇るにつれて力が増していくにしてもだ。願わくば、オーランスの雲がその太陽の魔術を遮ることを祈ろう。

そして雨は確かに弓弦を濡らし、役立たずにするだろう。月の弧は極端に細い角を描くだろうし、ルナーが放ついかなる魔術も弱まる。明後日の方が彼らの力は奪われるから、良い日だろうが、それは休日に突然ドラゴンが戻ってきて連中を呑み込んでくれるのを期待するようなものだ。」




その夜、軍は丘を越えて、影のように敵の野営地に這い寄った。ベオルガンは偵察を敵のキャンプの周りに配備して、眠っている兵士たちに注意し、またベオルガン達自身の軍勢があまり近づき過ぎないようにした。魔術師たちに、敵軍が自軍を気付くことを防ぐよう任務を与えた。ルナー軍につきものの妖術師の部隊がいなかったので、その任務は楽なものであり、人間の番兵の感覚を鈍らせれば良いだけだった。ベオルガン配下の祈祷師達は少数の精霊を捕まえたり、追い払ったりしたが、強力な精霊はいなかった。早朝には、輪の全軍が察知されることなしに位置についていた。雲が空を覆い、曙の輝きが曇り空に取って代わられた。 

ルナーの野営の一部はきちんとした縦列をとっていて、明らかにルナーの正規軍だった。しかしその兵隊たちは結構いい加減で、そのテントがどこで張っているのであれ、装備を外してしまっていた。軍営の周囲に柵はなく、溝すら掘られていなかった。少数の夜番が夜営地のまわりに配された松明のあいだをまわっていたが、大部分の兵士は眠っていて、外套にくるまって丸くなっていた。料理夫たちが朝飯の用意に火をおこし始めたところで、何人かの早起きが便所穴にむかって歩いていた。ベオルガンは敵の不注意に首を振った。そして物の具を空に掲げて静かにオーランスへの祈りを始めた。頭上の雲が願いに応えるとともに、声の大きさとテンポは増していった。

稲妻がいく筋かキャンプに走り、閃光とともに戦闘は始まった。各部隊が正しく目標を目指しているようだった。すなわち敵の隊旗と将軍の天幕だった。ルナーの軍旗に住みついている精霊たちは柄が折れ、金属の頭部が溶けるのと同時に、悲鳴を上げて死んだ。将軍の天幕にも稲妻が当たって照らし出されたが、無傷に見えた。雷鳴の轟いたのち、雨が滝のように降ってきて、松明や料理の火を落とし、ルナーのキャンプを沼地のようにしてしまった。

ルナー軍が眠りから覚めるとともに、ベオルガンは配下の者に攻撃の合図を出した。

「アーグラスのために!」

大音声とともに、ヴァーケロールはルナー騎兵隊の馬の繋いである柵の方に配下を率いて向かい、剣は刃を鋭くする魔術で輝いた。彼らは馬番たちを斬り、先頭に立つ者は馬をいましめから解いて、キャンプの外に追いやった。それと同時に女達も群がって前進し、寝床から起き出そうと苦闘している男達を嬉しそうに斬り殺した。彼等が入っていったテントから男の悲鳴が響き渡り、ベオルガンは起こっていることを見ないで済んで喜んだ。

カルームとウロックスの信者たちは将校のテントに突如、混沌の汚点を感知し、途中にいる人間にはまったく気を留めずに、一撃で倒されない限りは全く止まらずにキャンプの中を突進していった。ベオルガンはウロックスの信者のひとりが槍で胸を串刺しにされても走るのを止めず、慌ただしく作られた盾の壁を突撃で破って、仲間に道を開いてから倒れるのを見た。

ベオルガンはファウチェットの方を見て、肩をすくめた。自分自身のかけ声、

「アーグラスとサーターのために!」

とともにベオルガンは輪の主力をキャンプに乗り込ませた。多くの月日を個人ばらばらでなく、一緒に戦うように部下達を訓練してきたが、そうであってさえベオルガンは少数の者が孤立して戦って、その結果、よく訓練されたルナー兵たちと戦って死ぬのを見た。ベオルガンも軍勢の先頭に立って突撃したいという、恐怖と興奮の瞬間に現れる、昔ながらの本能を抑えなければならなかった。その代わり、配下の全軍が参戦して、ルナー軍のどの隊も戦いを逃れていないようになるまで待機した。

そしてベオルガンは選り抜きの親衛隊を連れて戦いが一番激しいところに向かった。周りじゅうの敵を剣で打ち、片方の目で近くを見ながら、もう片方の目で戦場全体を注意しようと試みた。彼はひとつの戦闘からもうひとつの戦闘へと拍車をかけて動き回り、部下たちを勇気づけつつ、逃げようとするルナーの一団を斬り倒していった。

戦いはしまいには指揮官のテントが中心になって行われた。そしてベオルガンは馬を接近戦の距離まで進めた。大カルームが地面に倒れ、脚が剣の一撃で切り落とされていた。血とともに命を落としかけていても、少年は戦い続け、不用意なルナーの足をすくい、刺し殺していた。小カルームは鍛冶屋の筋肉を持った巨漢、指揮官の護衛と渡り合っていた。この二人は作戦もなにもなく、傷つくのを全くいとわずに互いに斬り合っていた。双方ともひどく血を流し、ベオルガンがたどりついた時には、二人は取っ組み合い、相手をさば折りにしようと死の抱擁にまで及んでいた。武器は狂戦士の激怒により忘れられていた。
残りのウロックス信者は犠牲を出さないわけではなかったが、指揮官の親衛隊を皆殺しにかかっていた。ベオルガンは指揮官がテントの中にいて、明らかになんらかの邪悪な儀式の準備をしていることを見極めた。拍車をかけて馬を短距離の全力疾走に切り換えて、ルナーの戦列を破り、二人の兵士を打ち倒した。

すると馬が首に槍のひと突きを受けて倒れはじめているところを感じ取った。足からあぶみを蹴り落とし、打ち倒した兵士たちの体を跳び越えた。テントの入り口を剣で払う。テントの中の男は銀の浮き彫りの施された鎧を着ていたが、兜はテーブルの上に置いていた。男は燃え盛る火鉢の前に立ち、火鉢から立ち昇る忌まわしい煙を吸いこんでいた。ベオルガンが男に剣を投げたのは、ちょうど呪文の詠唱を終える用意をしているところだった。剣の刃は長い距離を飛んだが、男はそれを叩き落し、儀式を中断させてしまった。

二人の男はにらみ合った。ベオルガンは男がエフィオクス、ラウンドストーン砦の代官であると分かった。指揮官の目が大きく広がった。「アーグラス。」

うなりながらシミターを抜く。「貴様を機会があったときに殺しておくべきだった。嵐の屑め、今こそ死ね。そして我輩は貴様の首にかかっている賞金をいただくことにしよう。」

エフィオクスは突進し、シミターを振るった。シミターが通り過ぎたところはベオルガンの胸のあったところで、ベオルガンは転がってよけた。ベオルガンはテントの仕切りのほうに転がり、シミターを首を刎ねようと振るとさらに転がった。ベオルガンはなめらかな動きで、短剣を引き抜いて投げ、エフィオクスがよけると呪いの声を上げた。しかし少なくともその隙に立ち上がるひまができた。

エフィオクスは戦う構えをとり、ベオルガンの方に突っ込んだ。ベオルガンをふるう刃で脅かして後退させた。ベオルガンは背中に熱気を感じ、敵が自分を火鉢の方向に追い込もうとしているのに気づいた。一突きで、指揮官はベオルガンをさらに退かせようとした。しかしベオルガンはそれを予測していた。一突きをかわし、回転して動いた先で火鉢の脚のひとつをつかんだ。火壷のなかの石炭が飛び散り、焼けた皿が指揮官の手首に当たって、剣を取り落とさせた。次の一撃はエフィオクスのこめかみに命中し、床に倒れて絶命した。




ベオルガンは自分の武器を取り戻して、テントの外に歩み出た。死体の山でできた壁に守られた一団を除いて、至るところでルナーが降伏しているのを見ることができた。ベオルガンの部下が彼らを囲み、攻撃したくはないが、敵を逃がしてやるにはさらに気が進まない様子だった。ベオルガンはテントの中に戻り、エフィオクスの首を落とした。ルナーの囲みの方に登り、首をかざして示した。

「月の僕たちよ。お前たちの指導者を見るがいい!この者は野盗に罰を与えるためにお前たちをここに導いたが、そのかわりこの者が見い出したのは自由を愛する心になにができるかだった。今降伏せよ、そうすれば私はお前たちが生きたまま、五体満足で皇帝のもとに戻れることを約束しよう。拒否するのなら、私はこの者たちをお前たちのほうに解き放とう。」

腕を大きく掲げて、ベオルガンは男たちの列をわきにやり、血にまみれ、斧を手に持ったバービスター・ゴアの信者たちを見せてやった。輪の男の者は首が総毛立つのを感じた。

「お前たちにはふたつの選択しか与えられない。私の手からの生命か、彼らの手による死か。お前たちがこの谷から出る方法は他にはない。」

ひとりずつ、ルナー兵たちは女たちの顔に浮かぶ残忍さに肝を冷やして、武器を捨てていった。ひとりの将校が部下たちを戦わせようと試みたが、部下の兵隊のひとりが槍で将校を殺し、そのあとその槍とそれにまつわる忌まわしい重荷をほうり捨てた。ベオルガンは手を振って女たちを退かせ、そのあと部下たちを前に進めて敵の武器を集め、捕虜を縛らせた。

ベオルガンは大カルームのなきがらが最期に殺した敵ともつれ合って横たわっているところに行った。小カルームがその前にいて、顔から涙がこぼれていた。

「こいつはまことのウロックスの心をもって戦ったのだから、もし貴方が構わなければ、俺はこいつをオーランスの元よりも、我々の流儀をもって神々のところに送ってやりたいのだ。」

ベオルガンは友人を慰めた。

「もちろん、私は彼が来世に「嵐の雄牛」の大広間で過ごす権利を奪うことなど考えていない。しかし君は自分の怪我を手当てすることを第一に考えることだ、さもなくば君も後を追うことになってしまう。君に必要なのは休みだ。私は我々が涙を流す時間だけでなく、癒しを求める猶予があたえられたと思う。」

ひとりひとり、しばらくすると集まりでもって、輪の者たちがベオルガンの指揮をほめたたえるためにやってきた。輪の集まりの前に、一つのかけ声が始まった。

「アーグラス!アーグラス!」

輪の者たちは叫んだ。そして二人の男が盾を捧げもって前に進み出た。二人の後ろに小カルームとヴァーケロールが期待する笑顔を浮かべて立った。二人の男はベオルガンの正面の地面に盾を置いた。

「なにとぞ、ベオルガン殿、このことに同意していただけないでしょうか?」カルームは懇願した。

ベオルガンは輪の軍勢を見回した。皆の顔に同じものを認めた。血に汚れ、涙の痕があり、勝利に輝き、痛みに顔をしかめている。ベオルガンは皆の目に同じものを認めた。希望。その希望がベオルガンに、追放者や難民を集めて、自由な氏族、彼らに誇りに思えるなんらかのものを作り上げさせた。オーランスに導きと幸運を祈って、ベオルガンは前に出て盾の上に立った。二人の男が盾を担ぎ上げ、ヴァーケロールは叫んだ。

「アーグラス、輪の長を見よ!」

軍勢はひとりの男のために武器を打ち鳴らし、声をからすまで歓呼の声をあげた。ベオルガンは心の中でその名に向かって顔をしかめたが、それを顔に出すことはなかった。ルナーが彼のステッドを焼いて以来はじめて、家族の一部であることを実感した。それが偽りの名のもとにあってでもである。

ベオルガンは勝ち誇る氏族をステッドに戻らせ、戦場で討ち死にした者のために葬儀を司った。すぐその後、ベオルガンはベルラとともに感謝の祈りを捧げ、また、輪の者たちの喜び(と安心)となったが、ベルラに妻になって欲しいと頼んだ。この結婚はベオルガンの心の苦痛を和らげたし、ついにはベオルガンはくつろいで人生を楽しむことを始めた。




その年も過ぎたころ、王侯にふさわしい服装をまとった男が、山のあまりにも奥深くに隠されたそのステッドまでやってきた。谷の入り口で彼は槍を持って鎧を着た若者に迎えられた。

「私はアーグラスと呼ばれる、偉大なる戦の指導者に会いに来ました。どうしたら彼に会えるか教えてくれませんか?」

「まことに、殿。」フローダーは笑った。

「今ですら、私の父に戦術に関する助言を与えてくださっています。谷の向こうの方です。しかし貴方様が知っておくべきことは、たいていの場合、彼がその名前でいることはないということです。」

遠くからでも、彼はひとつのグループがなにか、おそらく地図か、戦法を書いたものの周りに集まっているのを見分けた。近づくにつれて、なにかの冗談でその一団が笑っているのを聞きつけた。彼は馬の手綱を引き、輪の者たちが彼に会うために散開すると男たちの中央にあったものが見て取れた。鋤だった。彼は自分の先入観に顔をしかめた。

「私はこのステッドの族長であり、「月の災い」であるアーグラス殿を探しています。」

ひとりの銀髪の男が彼に答えるため立ち上がった。その男は爪のあいだが土で汚れ、胴着は汗にまみれて汚れていたが、泥にまみれていても誇り高く立っていた。男の顔は努力を尽くしてきたことから輝いていたが、また自分の好きなことをしている男につきものの満足した様子を見せていた。

「私はアーグラスと呼ばれていますが、それは私の名前ではありません。私の名はベオルガンと言います。わが君、どのようにお仕えすればよろしいのでしょうか?」

「私は自分の名前を盗んだ男と会うために旅してきた。その男を殺すか、もしくはその男の勇気と忠誠心を認め、私の宮廷に迎えるために。私がいないあいだに多くの行為が私がやったことと見なされた。いやしいことも高貴なことも。そして私の名を持っている男に褒美を与えるか、罰するかするために来たのだ。

貴方について言えば、私は良いことしか聞いていない。貴方に私の宮廷に伯爵として、また貴方が女王に仕えていたときのように親衛隊の長として仕える機会を与えたい。私のところに来るか?」

ベオルガンはゆっくりと答えた。「私はアーグラス様の名前を求めたことはありません。それは他人の口から私にもたらされたものです。貴方様にそれを喜んでお返しします。私がサーターの王冠に忠実であることはご存知であって欲しい。しかし再びそのために戦うことはありません。たとえ良き女王の追憶のためであってさえです。

このことがお気に召さなければ、わが君、どうぞ私の首をお取り下さい。しかしこの氏族は私なしでは苦しむことになるでしょうが。」

「貴方を殺すことはまことにこの世界をより価値の劣るものにしてしまうだろう。それに貴方はもうすでに私に対する奉公は十分に、十分すぎるくらいすませている。私が統治しているあいだ、貴方は私の援助をいつなりとも求めてよい。しかし私が思うに、貴方がすでに持っている以上のものを与えることはできないようだ。貴方と貴方の氏族がいつまでも繁栄しますように。」

アーグラス王はベオルガンに敬礼し、馬を進めて去った。ひとりの将は失ったが、ひとりの農夫を得たのであった。


ベオルガンの輪  終わり



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