八 方 美 人 宣 言
−あいさつに代えて−


 私がこの「八方美人な書評ページ」を作りはじめたのは、1998年10月のとき。正式公開が1999年の1月。それから2年余の時が流れ、このホームページそのもののあり方、そして八方美人たらんとする自分自身について、あらためて問いなおす時期が来たように思う。

 はじめてこのサイトにお立ち寄りいただいた方も、以前から贔屓にしていただいた方も、あらためてはじめまして。私が八方美人男@八方美人な書評ページです。

 本に接する読者の思いは人それぞれだ。だから、ある本を読んで、どのような感想を抱くかは、まさに人の数だけ存在すると言ってもいいだろう。そして、インターネットという場で、種々雑多な読書系サイトが乱立するようになった時代において、あるサイトでは絶賛されている本が、別のサイトではあまり良い評価を得ていない、という事態は、すでにあたり前の事実としてサイト訪問者たちには認識されていることと思う。また、多くの読書系サイトで取り上げられている本が、たしかに注目されてはいるのだろうが、それが良い本である目安にはならず、逆に読書系サイトがほとんど見向きもしない本のなかに、キラリと光るものを発見することもある、ということも。
 おそらく、このサイトに来る人は、少なからず読書が好き、という方ばかりだろう。そして、できるだけ良い本、読んでよかったと思えるような本と出会いたい、とも思っているはず。ひとりの人間に与えられた時間は限られている。できることなら、駄作を読んで時間を無駄にしたくない、というのが読書家の本音ではないだろうか。

 だが、はっきり宣言してしまおう。その本が本当に面白いのか、それとも駄作なのかは、実際にその本を手にとって、最後まで読んでみなければ絶対にわからない、と。そして、読んだ本を名作とするか駄作とするかは、それぞれの人の心のありようなのだ、と。

 この「八方美人な書評ページ」が生まれた背景には、そのような思考の末の、ひとつの読書へのあり方がある。けっきょくのところ、最後まで読まなければその本を真に評価することはできないのだから、少しでもその本の良いところを見つけ、少なくとも「読んで損した」と思いたくない、思わせたくない、という気持ちに嘘はない。嘘はないのだが、これまでの私は、そんな自分の考え方、「読んだ本は意地でも褒める」という読書のあり方に、もうひとつ自信が持てずにいたのも事実である。あるいは、私の書評は、たんに読者を騙して駄作を読ませる行為にすぎないのではないか――そんな自信のなさが、私をして自らのサイトを「邪道なページ」と称させ、予防線を張らせようとしていたことを、私は認める。

 だが、それでもあくまで褒める書評を自らに課し、さらにサイト訪問者からのリクエスト書評に答えるようになって、ようやくその予防線を捨てるふんぎりがついた。すべてを褒める書評――それは、あるいは私のひとりよがりなものでしかないのかもしれないし、あるいは結果として読者を騙すことにつながってしまうのかもしれない。しかし、読者に対してでもなく、また作者に対してでもなく、ひたすら書かれた本に対して八方美人たらんとするこの姿勢は、けっして間違ってはいないはずだ。書かれた本に罪はない。人が何かを思考することを、罪に問うことができないのと同じように……。

 このサイトの書評には、良いところしか書かれていない。また、点数評価もない。ゆえに、てっとり早く面白そうな本を探したいと思っている人や、「よし、ひとつ騙されてみようか」と思えるだけの心の余裕のない人にとっては、残念ながら力になることができない、と断っておく。ただ、書評の数も分量もけっして少なくないので、はじめて訪問してくださった方は、とりあえず「超・八方美人なベスト」に載っている書評から読んでみることをお勧めする。

 最後に、「八方美人な書評」という、ひとつの読書のあり方に共感していただければ、サイト管理者としては望外の喜びである。そして、たとえ共感しなかったとしても、自分が読んだ本で、どうしても褒められなかった本や、凄く感動した隠れた名作などがあったとき、ふとこのページの存在を思い出していただければ、と思う。(2001.01.26)



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