八 方 美 人 宣 言
−あいさつに代えて−

 はじめてこのサイトにお立ち寄りいただいた方も、以前から贔屓にしていただいた方も、あらためてはじめまして。私が八方美人男@八方美人な書評ページです。「読んだ本は意地でも褒める」書評サイトということで、このサイトを開設した当初から「八方美人男」というハンドルネームを使いつづけているわけですが、自分がどうしてこのような趣旨のサイトをつくろうと思い、またそのために本を読み、書評を書くという行為をどうしてこんなに長く――それこそ十年以上も長く続けていくことができているのか、ということに目を向けたときに、かつて私が目指していた夢が大きく関係していることを、やはり意識しないわけにはいきません。

 かつて私は、小説家になることを志していたことがありました。それも、わりとガチで。

 そのためにガンガン創作していたし、賞への応募もしていました。大学もほとんど小説を書くための名目で行っていたようなものです。当時の私は、自分にその手の才能があるはずだと頑なに信じていたところがありました。私もまだ若かったということですね。

 しかし、そのうちどうしても気づかざるを得なくなる時がやってきます。「ああ、私には才能がないんだ」ということに。面白い物語を書くための才能が、自分には絶望的なまでに欠けている――べつにある日、決定的な何かがあってそんなふうに思ったというわけではなく、いろいろなことが少しずつ重なって、どうしてもそんなふうに思わずにはいられなくなったというのが本当のところだと思うのですが、この挫折感は私が考えている以上に大きな劣等感となって、私の言動を長く左右していたところがあります。

 こうした夢の挫折については、これまであまり意識しないようにしてきたし、このサイトを立ち上げて、本を読む、書評を書くという行為に没頭することも、そうした助けになったところがありました。ですがある日、ふと気づいたことがあります。

 ある小説を読んでいて、「この続きはどうなるのだろう」と考えることがよくあります。もしかしたら他の読書家の方もそうした体験をしたことがあるかもしれませんが、そのとき私が想像する物語の続きは、いつもどうしようもなく陳腐で独りよがりな内容です。

 じっさいの小説の続きは、そんなことはありません。常に私の想像をはるかに超える展開と意外さを秘めていて、私はいつも良い意味で裏切られるのです。私はこのサイトを立ち上げてからそれなりの数の小説を読んできましたが、私の想像どおりの展開となったものは、ただのひとつもありません。ミステリーの謎は常に私の推理の上を行くものでしたし、物語のラストは常に予想もしなかった形をしていました。繰り返しますが、私の想像どおりに展開した小説は、これまで皆無です。そしておそらく今後も、そんな小説は皆無だろうと思っています。

 理由はきわめて簡単です。私には「面白い物語を書く才能がない」からです。

 小説家になることを諦めて久しい私ですが、最近になって、自分にそんな才能がなくて本当に良かったなあ、とわりと素直に思えるようになってきています。なぜなら、もしそんな才能があったら、今みたいに読書を楽しむことなどできなかっただろうし、容易に予想のついてしまう物語を書く小説家たちに、尊敬の念など抱くこともなかったに違いないからです。

 以前の「八方美人宣言」には、本を書評するのにこんな理想があるべきだ! という文字どおりの「宣言」が書かれていたのですが、そんな肩肘を張るまでもなく、私のサイトが「八方美人な書評ページ」であり、私のハンドルネームが「八方美人男」であるのは、今にして思えば必然だったということにようやく思いいたりました。それにしても、才能がないということが、べつの側面においてべつの才能として生かされることになろうとは、まったくもって不思議なことだと言うほかにありません。そのことに気づくことができただけでも、これまでの人生は無駄でなかったと思うことができそうです。

 あとは、こうした心境の変化が私の人生における死亡フラグとならないことを祈るばかりです(笑)。(2012.08.08)


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