『谷川俊太郎の33の質問』への回答

詩人である谷川俊太郎さんが考えた33の質問。その質問に対する回答を対談形式でまとめた『谷川俊太郎の33の質問』という本があるのだが、その質問に私こと八方美人男も答えてみることにしました。

1.金、銀、鉄、アルミニウムのうち、もっとも好きなのは何ですか?
 魔物よけとなり、また月の光を象徴する銀も捨てがたいが、やはり太陽を象徴する金がいい。その金銭的な価値ももちろんだが、やわらかくて加工しやすいという柔軟性、またその伝導率の高さから電子部品といったミクロの部分で使われていたりする「縁の下の力持ち」的な役割もできるところに魅力を感じる。

2.自信をもって扱える道具をひとつあげて下さい。
 私は自分の体や思考、価値観といったものが、容易に自分自身を裏切ることがあることを知っている。自分が生まれつき持っているもの、その人生において常に積み重ねてきたものでさえ、私はうまく扱えないし、思い通りに動かせるという自信もない。もし私が「自信をもって扱える道具」を獲得できることがあるとすれば、それはおそらくこれから何十年も先のことではないかと思っている。

3.女の顔と乳房のどちらにより強くエロチシズムを感じますか?
 難しい質問だ。たとえば女の顔だけ、あるいは乳房だけがドンと目の前にあったとして、それはただの部品でしかないし、その部品にエロチシズムを感じるようなことはとくにない。だが、しいて答えるならば、ふだんからその人の表向きの個性を象徴する、外に剥き出されることが前提となっている顔よりも、常に服の内側に秘められている乳房のほうが、エロチシズムを感じるといえば感じるだろう。

4.アイウエオといろはの、どちらが好きですか?
 非常に機能的な感じのする「アイウエオ」よりは、日本的なリズムを持ち、それ自体にいろいろな秘密が隠されていそうな「いろは」の、その謎めいたところが好きだ。もっとも、最後まで覚えていないのだが(笑)。

5.いま一番自分に問うてみたい問いは、どんな問ですか?
 何かに対して問いを発したとして、常に明確な答えが返ってくるわけではない。自分に何かを問うという行為は、おそらく自分が今、何を問題視しているのかを確認する作業でもあるのだろう。問いかけたい事柄はたくさんある。だが、答えの返ってこない問いかけをあえて自分に問いかけるのは、私には一種の苦痛でもある。

6.酔いざめの水以上に美味な酒を飲んだことがありますか?
 酔いざめの水は過去に何度か飲んだが、それは決まって私が悪酔いしたときのことだ。そもそも私はあまり酒が飲めるわけではなく、それゆえに酔いざめの水というものを、とくに味わって飲んだという記憶もない。ただ、私にとって美味な酒は何かと問われれば、私は迷うことなく「真夏のビールの一杯目」と答えるし、それはたしかに酔いざめの水よりははるかに美味だと少なくとも私は感じる。

7.前世があるとしたら、自分は何だったと思いますか?
 何だろう? べつに何であってもおかしくないとは思うが、できれば前世も人間だったと思いたいものだ。頭の中でいろいろと妄想したり思い悩みながら、それでも日々の生活に追われていた、しがない人間でかまわないと思う。もっとも、こうした質問への答えには、多分にその人の願望が混じってしまうものではないだろうか。私の場合、たとえば猛禽類であるとか、鯨やイルカといった動物であったらいいな、という願望があるが、それは前世というよりも、生まれ変わったら何になりたい、という質問への回答だと思う。

8.草原、砂漠、岬、広場、洞窟、川岸、海辺、森、氷河、沼、村はずれ、島―どこが一番落ち着きそうですか?
 天候の変化というものを念頭に入れるのであれば、もっともその影響を受けそうにない「洞窟」が一番落ち着きそうではある。おそらく、こうした心理の裏には、落ち着いて「本が読める」という思考の飛躍があるのだろう。もちろん、晴れた日であれば「広場」とかもいい。

9.白という言葉からの連想をいくつか話して下さいませんか?
 白=純粋=パンティーという結びつきは、いったいどこから生まれたのだろう? 清純な乙女の身につけている下着が「白」である、という認識は、多分に男の子っぽい願望であり、理想でしかないのだが、わかっていてもなおかつ、好きな女の子のパンティーは穢れなき白であってほしいと思うのが、男の悲しい性である。

10.好きな匂いを一つ二つあげて下さい。
 カレーの匂いはいい。それも、自分がつくるときの匂いではなく、ある夕暮れに、ある一軒家を通り過ぎるときにふとその台所から薫ってくるカレーの匂いは、とても家庭的で、どこか懐かしい感じがする。真新しい本を開いたときに漂ってくる、刷り立てのインクの匂いもいい。そして、古い本に囲まれた図書館の匂い。これは、人が大勢いるところでは感じないのだが、わりと広い場所にずらっと本が並んでいるような場所にいくと薫ってくる。それは一種の孤独の匂いとも似ている。

11.もしできたら「やさしさ」を定義してみて下さい。
 やさしさとは何だろう。たとえば、友人が金を貸してくれとか、事業の資金を援助してくれとか頼まれたときに、その友人の願いを叶えてやることが「やさしさ」なのだろうか。人間はひとりひとりでは弱い生き物であるし、だからこそお互いに助け合って生きるべきであるのはたしかだが、だからといって「助け合う」ことと「一方的に寄りかかる」ことを混同している人が多いのはどういうことだろう。
「やさしさ」とは、たとえその時は嫌われたとしても、真にその人のためになることを忠告し、そのための手助けをしてやれる「強さ」ではないかと思う。安易なやさしさは、たんなる甘えの放置でしかないし、それはときに周囲の人たちや、めぐりめぐって相手自身をも不幸にするものだ。


12.1日が25時間だったら、余った一時間を何に使いますか?
 できれば会社とかで「お昼寝タイム」にしてほしいと最近強く思う。昼ごはんを食べたあとというのは、本当に眠くて、睡魔との闘いでもあるのだ。私自身、休日の午後は、家にいるときは間違いなく昼寝をする。それはとても贅沢な時間の使い方だとも思うし、そんなことをする暇があるなら、もっとやるべきことがあるだろう、とも思うのだが、どうにもやめられない(笑)。

13.現在の仕事以外に、以下の仕事のうちどれがもっとも自分に向いていると思いますか? 指揮者、バーテンダー、表具師、テニスコーチ、殺し屋、乞食。
 人との付き合いというものが基本的に苦手である、ということを考えれば、表具師か殺し屋が一番可能性が高いのだが、人殺しを職業にできるようになってしまったら最後、もはや以前の自分ではなくなっているとも思うので、表具師だろう。もっとも、自己陶酔に浸りたい、というのであれば、指揮者やバーテンダーというのにも興味はある。

14.どんな状況の下で、もっとも強い恐怖を味わうと思いますか?
 たとえば、「死ぬ」という状態そのものに対しては、さほど恐怖があるわけではない。人は死のうと思えばいつでも死ねる。それは事実だろうと思うが、理屈と現実とのあいだに大きな差があることくらい、私もよく知っている。それでもなお、もし自分が「死のうと思えばいつでも死ねる」と本気で信じるようになったとしたら、そんな自分自身の存在こそが「もっとも強い恐怖」だろう。

15.何故結婚したのですか?
 私ははたして結婚したいのだろうか。もし本当に結婚したいと願っているのなら、恥も外聞もなく結婚相談所なりお見合いパーティーなりへ行っているはずなのだ。なのにそれをしようとしないのは、自身が怠惰なこともあるのだろうが、現時点でとくに結婚のことなどどうでもいい、と考えている自分がいるのだろう。あるいは14の質問とからめるならば、結婚という未知の領域こそが、私にとっての「恐怖」ということか? 両親にはちょっと申し訳ないとは思っている。思ってはいるが、しかし両親や親戚のために結婚するわけでもないのだ。

16.きらいな諺をひとつあげて下さい。
諺じゃないけど「渡る世間は鬼ばかり」。真実であるが、真実であるがゆえに歯がゆい思いがする。しかも「渡る世間に鬼はなし」よりも真実に近いというのはどういうことなのか。

17.あなたにとって理想的な朝の様子を描写してみて下さい。
 たとえ、その日のうちに世界が滅びるとしても、それでも、少なくともその日の朝はやってくるものだし、その朝が、他の朝とくらべて特別だと感じることがあるとすれば、それは多分に人間の感傷でしかないだろう。どんなに絶望に打ちひしがれていても、どんなに幸福に包まれていても、朝はそんな人々の意図とは関係なしに、過去もそうであったように訪れるだろう。夜が来て、そして必ず朝が来る。その事実さえ信じることができるなら、その日の朝がどのようなものであっても、私はおそらくその朝を愛することができるだろう。

18.一脚の椅子があります。どんな椅子を想像しますか?形、材質、色、置かれた場所など。
 やや大きめのロッキングチェア。木製でクッションつき。どこかの別荘の二階か三階のテラスに置かれている。そばには小さなテーブル。その上に飲み物と菓子と本。

19.目的地を決めずに旅に出るとしたら、東西南北、どちらの方角に向かいそうですか?
 かつて、フン族は東から西へと移動し、民族大移動を引き起こした。三蔵法師も東から西へと旅をした。逆に、マルコ・ポーロは西から東へ向かい、アレキサンダー大王も東方へと遠征した。西から東、あるいは東から西への移動は歴史的な出来事として知られることが多いのに、北や南への移動については、とくに大きな歴史的転換とならないように思えるのは、やはり同じ緯度であれば自分たちと同じように、人々が暮らしていける、という思いがあった、ということかもしれない。それは、逆に言えばそれだけ人間が孤独を嫌う生き物でもある、ということだ。というわけで、向かうとすれば西か東だろうが、しいて言うなら、東だろう。太陽の昇る方向。どの方角よりも希望がありそうな気がする。

20.子供の頃から今までずっと身近に持っているものがあったらあげて下さい。
 残念ながら、この体以外に何ひとつ持っていない。故郷から単身上京し、その後実家も新しい土地に建てなおしたことが大きい。おそらく、昔の私のものなど何も残ってはいないだろう。それでなくとも、私は何かを長く持ち続けるというのが好きではない。だが、電化製品などの耐久消費財については、できれば自分が死ぬまで壊れないでほしいと思ったりするのだから、現金なものだ。ちなみに、以前のパソコンは、五年半近くも使っていた。よくこんなに長く使えたものだ。

21.素足で歩くとしたら、以下のどの上がもっとも快いと思いますか?大理石、牧草地、毛皮、木の床、ぬかるみ、畳、砂丘。
 自然物というのは、意外と歩きにくいものだと思う。人工物のなかでは、大理石はちょっと硬質すぎる感じがするし、木の床はささくれがありそうだし、毛皮はそもそも歩く場所ではない。というわけで畳。一番どこまででも歩いていけそうな気がする。

22.あなたが一番犯しやすそうな罪は?
 嘘をつくこと。誰もが日常的に嘘をついて生きている。じつはぜんぜん大丈夫でないのに「大丈夫」と言ってしまったり。だが、もし誰もが自分の本音に正直だったとしたら、この社会は成り立っていかないだろう。いや、あるいはもっとシンプルな世界に再構築されるのか。

23.もし人を殺すとしたら、どんな手段を択びますか?
 自分が人を殺す。いったいどういう状況だろうか。もし私が誰かを殺したいほど憎んでおり、その生殺与奪の権利を握ったとしたら、私はそいつを殺せるだろうか。もしかしたら、とてつもなく残酷な方法で殺してしまうのかもしれない。だとしたら、そんな自分が怖ろしくもある。だが、現実的に考えて、せいぜい私にできそうなのは、殺す相手が事故で死ぬ可能性を高めるよう、こそこそとしくんだりする程度のことだろう。

24.ヌーディストについてどう思いますか?
 けっきょくのところ、人間というのは周囲の状況を敏感に察知する生き物である。もし自分以外の人間がみんな裸だったとしたら、服を着ているという状況そのものが恥ずかしい、ということになってしまう。それはともかくとして、夏はいいと思うけど、冬とかはすごく寒そう。

25.理想の献立の一例をあげて下さい。
 食べ物に関しては、基本的に食べることができればそれでいい、という考え方なので、理想の献立というもの自体にあまり興味はない。ただ、暑いときはできるだけ体を冷やす効果のある料理を、寒いときはできるだけ体を温める効果のある料理を食べたいとは思う。そのためには、季節の野菜や旬のものが何なのか、ということをきちんと把握し、本来あるべき四季の料理を献立としてとりいれるための知識が必要である。もし、理想の献立というものがあるとすれば、それは一年を通して築かれるべきものだろう。

26.大地震です。先ず何を持ち出しますか?
 たぶん財布。カードとかはみんな入っているから、とりあえず何とかなりそうではあるが、貨幣流通そのものが崩壊しているなら、毛布とかそういうもののほうがいいのだろうか。ああ、ガスの元栓は忘れないようにしなければ。あとブレーカーとか。

27.宇宙人から<アダマペ プサルネ ヨリカ>と問いかけられました。何と答えますか?
 宇宙を越えて旅をするだけの科学技術をもっている宇宙人であるならば、当然のことながらその星のコミュニケーションの手段についてもある程度把握済みなのではないだろうか。そもそも私たちと同じように声で言葉をあらわす宇宙人がいるのかどうかもわからないところだが、まず見知らぬ相手に呼びかけたこの言葉は、ふつうは挨拶だと考えるべきだろう。だから同じ言葉を返す。「アダマペ プサルネ ヨリカ」と。

28.人間は宇宙空間へ出てゆくべきだと考えますか?
 当然そうあるべきだ。地球は母なる星であるが、いつまでもその懐にいては、人類はいつまでたっても幼年期を脱却することができない。人間にはまだまだ多くの可能性が残されていることを信じたい、という意味でも、宇宙への挑戦をつづけてほしいところである。

29.あなたの人生における最初の記憶について述べて下さい。
 これが最初の記憶かどうかははっきりとしないが、かつての生家の二階にある部屋で、カラー大百科を読んでいる自分のことが記憶にある。たしか、一番最後の項目は「われもこう」だった。なるほど、たしかに最後の言葉っぽい、と思ったことも覚えている。

30.何のために、あるいは誰のためになら死ねますか?
 今の私は、おそらく何のためにも、また誰のためにも死ぬことはできないだろう。だが、それは同時に自分が命にかけても大切にしたいものが、この世に存在しない、ということでもある。はたして、それが人として悲しむべきことなのか、それとも喜ぶべきことなのか、私には判断のしようがない。「死」は恐怖ではない。だが、自分がじっさいに死んでしまうとなれば、私はどんなパニックに陥ることだろう。私にできるのは、その日その日を精一杯生きることで、たとえいつ死ぬようなことになっても、それはそれで仕方のないことだ、と覚悟を決められるだけの生を生きることだけである。それは非常に難しいことではあるのだが。

31.最も深い感謝の念を、どういう形で表現しますか?
 こういうたぐいの設問を見ると、私はふとキャサリン・ライアン・ハイドの『ペイ・フォワード』という作品を思い出す。感謝の念を「返す」のではなく、他の誰に向かって投げかける、という姿勢――もし、誰かに深い感謝の念をあらわすのであれば、他ならぬ自分自身が、相手の親切をぶちこわすような人間でない、ということを今後の人生で示していくことではないだろうか。

32.好きな笑い話をひとつ、披露して下さいませんか?
 このあいだ、「誤変換」でネット検索をしていたら、「パソコン」を「パコソン」と言い間違える子どものことが載っているサイトを見つけた。その子どもは父親といっしょに新しいパソコンを買いに来たのだが、ことあるごとに「パコソン」「パコソン」と連呼していて、さすがの父親も「パコソンじゃなくてパソコンだろ」と訂正するが、当の子どもはちゃんと「パソコン」と言っているつもりらしく、きょとんとするばかり。父親は一語づつ区切って発音することでわからせようとする。「パ」「ソ」「コ」「ン」。子どももそのときはちゃんと「パ」「ソ」「コ」「ン」と言うのに、いざ「パソコン」とつづけると、子どもの発音はやっぱり「パコソン」。まるでドリフのコントみたいでお気に入りの笑い話のひとつとなりました。

33.何故これらの質問に答えたのですか?
 八方美人な書評ページで書評数600冊突破記念の一環として。



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