【静山社】
『ジェームズ・ポッターと時の迷宮』

J・K・ローリング著/黒原敏行訳 

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 注)この書評は2009年エイプリル・フール企画で用意したフィクションであり、書評されている本は実在しません。

 平成のファンタジーブームの火付け役ともなった「ハリー・ポッター」シリーズ――さえないメガネ小僧だったハリーがじつは魔法使いであり、「ホグワーツ魔法魔術学校」への入学が認められてから、最後には邪悪な魔法使いとの因縁に決着をつけることになるこの作品について、今さらあらすじを紹介したり、書評をおこなったりすることは、それ自体が無粋ともいうべきものであるが、本シリーズに登場するさまざまな魅力的な登場人物のなかでも、とくにハリーの両親、不死鳥の騎士団に所属していたというジェームズとリリーのポッター夫妻は、生きた登場人物として出てくることがないにもかかわらず、ともすると主人公以上に強烈な存在感をともなうものとして書かれていたことは、このシリーズのファンであれば誰しもが認めるところである。

 ハリーと同じく、「ホグワーツ魔法魔術学校」の生徒でもあり、今は教師となっているシリウス・ブラックとも悪戯仲間だったというポッター夫妻は、はたしてどのような人物だったのか。彼らはどのようにして出会い、お互いに恋に落ち、そしてあのヴォルデモートとの因縁がどのようにして生じていったのか――本書『ジェームズ・ポッターと時の迷宮』は、そんなふたりの魔法学校時代を描いた物語であるが、この作品の驚くべきところは、「外伝」と銘打っていながら、じつのところ「ハリー・ポッター」シリーズの流れをさほど知らなくても充分に楽しむことができることであり、それはこのふたりの個性がそれだけ際立っている、ということもさることながら、本書の筆致や文章構成そのものについても、それまでの児童書を前提としたスタイルとは一線を画しているからに他ならない。

 それまで一貫して三人称で書かれていた本編とは異なり、本書ではジェームズとリリーのふたりの一人称によって物語が進んでいく。そして、はじめはそれぞれの主観から語られる、それぞれの独立した物語が同時進行的に展開していくことになるのだが、ここで注目すべきなのは、グリフィンドールに所属するジェームズの時間軸が、過去から未来へと一定した時制で統一されているのに対して、スリザリンに身を置いているリリーの時制には、妙な乱れが生じているという点である。ときに遠い過去の出来事を語っているかと思えば、来るべき未来のことを、まるで見てきたかのように語る彼女の時間軸は常に不安定で、それゆえに読者はあるいは面食らうようなところがあるかもしれないが、このふたりの登場人物による、それぞれの人称で展開する物語という構成と、リリーの時制の歪みは、本書のタイトルのなかにある「時の迷宮」というキーワードがすべてを示唆している。

「ハリー・ポッター」シリーズにおける魔法の原理については、そのシリーズのなかでもあまり厳密に書かれていないところがあるのだが、本書のなかではそうした魔法体系が比較的詳しく書かれているところがあり、それだけでもなかなか面白いものがある。だが、そのなかでも本書の世界観において特徴的なのは、「時間」にかんする魔法が最大の禁忌として扱われている、という点である。これはよくよく考えてみればあたり前のことであるが、どれだけ優れた戦士も、どれだけ偉大な魔法使いも、時の流れにはいっさい逆らうことはできない。それは逆にいえば、時間を支配する魔法を手に入れたものが、すべてを制する力をもつということにつながるのだ。

 本書を読んでいくとわかるのだが、リリーはもともとはマルグ出身で、当時の校長アーマンド・ディペットがスリザリンの生徒のなかでもとくに優秀だったトム・リドルに命じ、魔法学校に保護することになったという経緯があり、それは彼女のなかに隠された、時間の魔法を危惧してのことだということが見えてくる。ここでシリーズに精通している方ならおわかりだと思うのだが、アーマンド・ディペットは「ホグワーツ魔法魔術学校」の創始者であり、そしてトム・リドルは、のちに「ヴォルデモート」と呼ばれる男である。そしてそう考えると、ジェームズの生きる時間軸と、リリーの生きる時間軸とは、通常ではけっして交わることがない、ということになる。

 けっして交わることのない時間軸――だが、「時の必然」を超える魔法に脅威が迫るとき、ふたりは文字どおり時間を超え、思いがけない邂逅をはたすことになる。そしてそのとき、ジェームズの視点で語られていたある少女が、ほかならぬリリーであり、そこからすでにヴォルデモートとの切っても切れない因縁が宿命づけられていくことになる。はたして、リリーの体に秘められた時間の魔法の秘密とは何なのか、いや、そもそもリリーとは何者なのか? 魔法の腕は今ひとつながら、その不足分を気合いと根性で押し通すような豪快な性格をもつジェームズには、その真実をすべて見通せるわけではない。だが、にもかかわらず彼がリリーを救うという一貫した決意を胸に秘めていくのは、何よりふたりの立場の違いというものが影響している。

 立場の違い、それはたんに彼らの生きる時間軸の違いというだけではない。魔法に対する立ち位置の違いだ。リリーにとって魔法とは忌むべきもの、自分に災いをもたらすものであり、それが事実であることは、彼女のそれまでの過去が雄弁に物語っている。だが、ジェームズにとっての魔法とは、人々が幸せになるためのものだという信念があり、それがふたりの個性を強烈にアピールすることにもなっているのだ。

「魔法? 魔法だって? 女の子を泣かせるようなことしかできない魔法なんか、本物の魔法じゃねえ! 魔法ってのはな、みんなが笑って楽しんで、幸せになるための力なんだ!」

 かつてシリウス・ブラックとともに、魔法でしょうもない悪戯ばかりしてきたジェームズの、魔法に対するこだわりの深さ――そこにはたんに純粋な少年の想いというだけではなく、魔法の力ではあきらかに劣るジェームズが、格段の力の差を見せるヴォルデモートの罠を知恵と勇気で切り抜けていくという成長の物語の基盤があり、またひとりの不幸な少女の心を開かせる人間ドラマの基盤がある。ともすると、魔法の使えない人間を「マルグ」と蔑視する魔法使いとは思えないような熱いハートは、ともすると人間以上に人間らしく、それゆえに私たちは、このふたりの心が戦いを通して少しずつつながっていく過程に心奮わされることになる。

 もちろん、「ハリー・ポッター」シリーズを全巻読んでいたほうが、より楽しめるのはたしかである。だが、それ以上に本書には、たんなる「外伝」と片づけてしまうにはあまりに雄大で、あまりにダイナミックな物語が語られている。魔法のファンタジーという言葉に、児童書という言葉に敬遠しているような人にこそ、本書はぜひとも読んでもらいたい。(2009.04.01)

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