八 方 美 人 な 読 書 日 記
−書評300冊記念&休暇中イベント−

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6月分の日記

6月30日(土)

 関東はこのところ蒸し暑い日がつづき、体調もあまりよくなかったのだが、先日ついにエアコンを動かして寝ることにする。おかげでよく眠ることができたが、だんだん贅沢に体が馴染んでくるのが、怖いといえば怖い。
 昔は四畳半の部屋でエアコンはなく、扇風機だけで夏の夜をしのいだものだが……。

 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』を読了。一番の遊びざかりだった時間を、神学校の受験勉強で潰され、せっかく入った学校でもさらに良い成績をおさめるために勉強を続けなくてはならなかった才知ある少年が、勉強をつづける意味、さらには自分が生きる意味を見失って自滅していく様子を描いた本書は、日本の詰め込み式の勉強のあり方にも通じるところがあるように思える。
 といって、最近しきりと叫ばれている「ゆとり教育」の一環で、π=ほぼ3としてしまうことにも疑問があるが……。

6月29日(金)

『グインサーガ58 運命のマルガ』読了。
 それにしても最近思うのは、栗本薫という人は、サービス精神が旺盛な作家なのだな、ということ。というのは、この「グインサーガ」には、しばしばその過去を読者に思い出させる工夫がこらされていることに、最近気がついたのだ。黒太子スカールなんて、この巻でナリスの口から出るまで、すっかり失念してました(笑)。

 全100巻というこのシリーズがいつから始まったのかはさだかではないが、私が大学生の頃にはすでに数十巻は刊行されていたはずなので、あるいはひとりの人間の人生と同じくらいの歴史を刻みつつある大作であることは間違いない。だから、すでに折り返し地点をすぎた頃から、登場人物たちがそれまでに自分が歩んできた過去を振り返る場面があっても、これはもうおかしなことではなく、かえってこのシリーズそのものが歩んできた時間の壮大さを読者に思い出させる結果となる。
 長いシリーズを通して読む、ということのの醍醐味は、あるいはこうしたところにあるのかもしれない。

 そして、シリーズとしての歴史があるからこそ、今では一国の将軍にまでのしあがり、人も羨む地位と名声を得たイシュトヴァーンの、しかし本当に欲しいものは何ひとつ手に入れていない、という焦燥や、たぐい稀なる美貌と頭脳、そして人を惹きつけずにはいられない魅力を備えながら、それまでただの一度として自分自身のために生きてこなかったクリスタル公アルド・ナリスの決意に、心打たれることになるのだ。

6月27日(水)

 ヘミングウェイの『老人と海』を読了。100ページ足らずの小説だが、漁師の老人がカッコイイ! たったひとりで漁に出て、一匹の巨大な魚と戦うという、それだけの話なのだが、徹底して老人の行動や独白を追いつづける文章や、網にかかった巨大な魚との、戦いをつうじてふと交わされる共感の念、そして他人にはけっして理解できない「何か」のために、漁師であること、戦うことをやめない老人の姿に、ハードボイルドの先駆けを見たような気がする。

6月26日(火)

 小野不由美の『月の影 影の海(上・下)』を読む。もともとは講談社X文庫ホワイトハートで出ていた「十二国記」の、講談社文庫版。

 予想していた以上に面白い。
 主人公の陽子ちゃんが、かなり理不尽な目にあわされて、上巻終了時はどうなることかと思ったが、とりあえずどん底の状態から立ち直ったようでひと安心する。景麒とも再会できたし。

 ところで、こうした「ごく普通の人間がある日突然異世界に迷い込む」というシチュエーションは、ファンタジーではよくあるものだし、そうしたシチュエーションの裏に「自分の本当の居場所」「自分の存在意義」に対する夢にも近い願望が混じっていることは承知していたが、本書ほどそうしたテーマを強く感じさせるものはなかったように思う。
 以前聞いた話によると、UFOの存在を信じている人は、多かれ少なかれ「いつかUFOが自分を本来いるべき場所に連れていってくれる」という願望を持っているのだという。本書の構造はそうした願望と似たようなところがある。

 陽子はほとんど無理やりといった形で異世界に連れてこられたわけだが、途中、宝剣が見せる幻によって、自分の元いた場所に自分の居場所などどこにもないことを思い知らされる。
 そして、彼女がもともと十二国の世界から流れてきた人間であり、国を治めるべく麒麟から選ばれた王という役割を背負わされる、という展開は、単なるつじつまあわせを超えて、「自分が何者なのか」「自分が本当に成すべきことは何なのか」という命題を解決したい、という著者の願望が現われているように思えてならない。
 いや、むしろ「これまでの偽りの自分からの変身」への願望に近いものがあるのかもしれない。事実、陽子は異世界に飛ばされて、顔の形まで変わってしまった。

 人間なら誰もが持っているそうした変身願望――「本当の自分探し」を、物語の形で実現させる本書を読んで、なぜ「十二国記」がこれほど多くの人に愛されているのか、少しだけわかったような気がする。

6月25日(月)

 今日の関東はえらく蒸し暑かった。おそらく湿気のせいだろうが、なんか仕事とかやる気が起きない。そのくせあまりぐっすりと寝ていないためか、昼飯を食べたあとがやたらと眠い。

 早く梅雨が明けることを願うほかない。

 フィツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読み始める。
 偉大な、という形容詞を持ってきてはいるものの、その当人は、いまだ作品中に登場しない……。

 【更新のお知らせ】『いちご同盟』(三田誠広著 集英社)の書評を追加。

6月24日(

 ひさしぶりに午後から晴れてきたので、布団を干すことに成功する。これで今日の安眠は約束されたも同然(笑)。

『アンナ・カレーニナ』をようやく読了。「真実の愛」というものにあまりにも誠実でありすぎたがゆえのカレーニナの悲劇と、その一方で幸せな家庭を築いたリョーヴィンとキチイとの対比が印象的だった――というのが優等生的なのだろうが、私の印象に残っているのは、じつは結婚式であまりに舞い上がってしまい、ヘマばかりしてしまったり、キチイの出産のときにオロオロしっぱなしだったリョーヴィンのほほえましい姿だったりする(笑)。

 あと、『星界の紋章U ささやかな戦い』も読了。この巻になって、ようやくというか、「世間知らずの王女様」ぶりを発揮するラフィールと、銃を手にしてちょっとワイルドになったジント君を見る。ついでにフィルムブックで視覚イメージを確認したりもする。このスペースオペラ、アニメになっていたのですね。

6月23日(土)

 岩波ジュニア文庫の『映画少年・淀川長治』を読む。今年の読書感想文の課題作品でもある。

「すべてを褒める」という、私の書評に対する姿勢に、淀川長治さんみたいですね、という声を何度かいただいたことがあるのだが、このサイトを立ち上げた当初は淀川長治さんのことをとく意識したわけではありません。というか、あのように人間としても素晴らしいお方と比較されるだけでも恐れ多い、という気持ちのほうが、正直大きい。

 この本を読むと、淀川さんの映画に対する思い入れの深さをものすごく感じることができる。淀川さんの「どんな映画も褒める」という姿勢の裏に、競争すること、すべてのことに優劣をつけることにこだわりすぎて、心の余裕を失っている今の大人に対する嘆きの心があり、誰にでもわかりやすい、親しみのある映画解説をする「サヨナラおじさん」の裏に、今の技術ばかりすばらしくて中身の薄い映画に対する厳しい姿勢があったことが書かれている。

 そして、どんなに歳をとっても、映画から何かを学ぼうとする真剣な姿勢を崩さないこと、困難に正面から立ち向かい、何よりどんな人も「他人」だと思わないで接すること――淀川さんの10分の1、いや100分の1でもかまわないから、彼のような生き方ができたら、と思わずにはいられない。

6月22日(金)

「全米が泣いた」というキャッチコピーで最近話題になっている、オグ・マンディーノの『十二番目の天使』。じつは、野球小説を探している過程でこの本に辿りついたのだが、この本の一部がWeb上で公開されているのを発見した。

 どうやら求龍堂ホームページが一時期行なっていた、発売前のサービスだったらしく、今はリンクが外されているのだが、yahooなどの検索エンジンを使うと、しっかりひっかかったりする。
 まだ購入するかどうかは未定だが、不慮の事故で妻と子どもを失った主人公が、友人の薦めで監督を引き受けることになったあるリトルリーグでひとりの少年と出会う、という内容らしい。

 もし買おうかどうか悩んでいる人がいたら、上記サイトを参考にしてみるのもいいかもしれない。

 三田誠広の『いちご同盟』を読了。タイトルの「いちご」に、じつはとても深い意味があることを知る。この本、おそらく書評することになるだろう。

6月21日(木)

 検索サイトの「goo」で、私のサイトを検索すると、サイトの名前こそ「八方美人な書評ページ」と出るのに、リンク先がまったく別のサイトになっている、という現象が発見された。

 「goo」に問い合わせたところ、とりあえず手作業でリンクの削除をする、という返答が来たものの、私のサイトそのものが、どこかで流用されているのではないか、という指摘があり、もしそうであるなら、ロボット検索であるゆえに、今後もそのような事態が起こる可能性がある、ということらしい。

 私のサイトを流用したところで仕方がないのでは、とは思うものの、もしその話が本当なら、インターネットの闇の部分を垣間見たような思いである。すごく嫌な気分だ。

 『グインサーガ57 ヤーンの星の下に』を読了。話がちょっと停滞気味である。

6月20日(水)

 新潮社がつい最近刊行したコミック雑誌「週刊コミックバンチ」を買ってみる。

 以前から「北斗の拳」の続編(「蒼天の拳」――時代は「北斗の拳」よりも遡る)や、「シティーハンター」の続編(「エンジェル・ハート」――冴羽のパートナーがすでに死んでいる、という設定)が載っているという情報はあったので、あきらかに、かつて「週刊少年ジャンプ」で育った青年層を狙った構成にはいまさら驚かなかったが、ひとつだけ気になったマンガに「熱血江湖」というのがあった。

 このマンガ、もともとはおとなりの韓国で連載されていたものらしく(原作:ジョン・グッジン 漫画:ヤン・ゼヒョン)、日本では珍しい左開きとなっている。つまり、左から右へと読んでいくマンガなのだが、韓国ではこのマンガが爆発的な人気を誇っているそうだ(詳しい説明は「週刊コミックバング」公式サイトを参照のこと)。

 韓国で人気のあるマンガというと、悪者の日本人をコテンパンに叩きのめすようなマンガではないだろうか、という偏見があったりするが、内容そのものはわりとまともな冒険活劇風の物語。舞台設定や人物名などに韓国っぽい(というか、大陸っぽい)ところがあるものの、そのまま日本のマンガだといっても、たいして遜色がなさそうな感じさえする。

 韓国のマンガ、もしかするとこれからの注目株かもしれない。

6月19日(火)

 会社の昼休みに何をしているかと言えば、食事が終わったあとはたいてい本を読んでいる。

 ところが、食事の後、ということもあって、さすがに読書家(自称)とはいえ、眠くなってくることも、ままあるわけだ。
 眠気を追い払うには、アドレナリンを分泌するのが一番。ということで、最近、昼休みの読書で眠気が襲ってきたとき、会社の屋上で体を動かすようにしている。
 今日も会社の屋上で腕立て伏せ20回、懸垂10回、ぶらさがった状態からの腹筋10回、ヒンズースクワット30回をこなす。もちろん、まわりに誰も人がいないのを確認することはけっして忘れない。

 というか、そこまでして本が読みたいか、自分?

6月18日(月)

 昨日の夜はちょっとしたミニオフ参加のために、新宿へ。

 新宿駅南口にある青山ブックセンターで1時間ほど時間をつぶす。青山ブックセンター、独自の品揃えが定評、という噂には聞いていたが、じつは立ち寄るのはこれが初めて。
 棚と棚の間が広くとられていて、全体的にゆったりとしたスペースが保たれている。そしてけっして話題作ばかりにとらわれない棚づくり――たとえば、ちょうど『情熱と冷静の間』リニューアル版発売、ということで、江國香織と辻人成のフェアをやっていたりしていた――は、たしかに魅力だった。本好きな人が、暇なときにぶらりと立ち寄って楽しめる書店であることを実感する。

 そしてミニオフでは、久方ぶりにお会いした方と、つい最近お会いしたばかりの方と居酒屋へ。私は例によってすっかり酔っぱらってしまったが、どちらもお元気そうでなりよりだった。
 というわけで、昨日、日記の更新ができなかったのは、こういうわけだったりする。

 サン・テグジュペリ『星の王子さま』を読了。正式な本として読むのはこれがはじめて。
 こうだ、と言葉で説明することはできないけど、なぜこの童話はこんなにももの悲しさを感じさせるのだろうか。「ゾウを飲み込んだうわばみ」がわからなくなったことへの郷愁か?

  【更新のお知らせ】 メインの掲示板に見切りをつけ、とりあえず「八方美人な掲示板の逆襲」をメインに据える。
一番最初に設置したtea−cup掲示板の逆襲です(笑)。

6月16日(土)

 奥歯に詰めた金属の一部が欠けたので、いきつけの歯医者に行く。

 学生時代にその存在を知った親切な歯医者で、私は正直、ここ以外の歯医者は信用できない、とさえ思っている。何が親切って、ここの歯医者は「虫歯の予防を真剣に考えてくれる歯医者」なのである。

 普通、虫歯がなくなったら歯医者はいらなくなる、と考える歯医者は多いが、私が通うその歯医者は「虫歯の予防を奨めても歯医者は成り立つ」と考えていて、実際、歯の磨き方を教えてくれたり、歯石がつかなくなるうがい薬(非売品)を売ってくれたりするのだ。私もここへ来るようになってから、だいぶ歯に関する認識があらたまった。
 こういう歯医者は大事にしたいものだ。

 高千穂遙の『天使の憂鬱−ダーティペアフラッシュ1』を読了。なるほど、著者は「ダーティペア」ではなく、「ラブリーエンジェル」の活躍が書きたかったのだな、と納得する。
 それも、「変身する美少女ペア」としての(笑)。

6月15日(金)

 JTBのるるぶ軽井沢を見ながら、どこへ行ってみたいかいろいろ考えてみる。

 文学ゆかりの地を訪れる、という線で考えると、文学碑や旅館、記念館などいろいろあるようだが、今のところ一番気になるのは、「軽井沢高原文庫」と「軽井沢絵本の森美術館」のふたつ。どちらも塩沢湖の近くにあるのでちょうどいいやと思いつつ、肝心の軽井沢までの交通機関を調べてみると、東京から新幹線で約1時間15分ほどとか。案外近い。
 こりゃあもしかすると、日帰りで行って来れそうだな。

 高田馬場であらたに見つけた漫画喫茶で、ジャンプコミック『ヒカルの碁』1〜6まで読んでくる。碁についてはほとんど何も知らない私だが、そんな私をして碁をやってみたいと思わせたマンガ。こういう、これまで自分が知らなかった世界を広げてくれる物語は、小説であれマンガであれ好きだ。

6月14日(木)

 さるパソコン入門書より。
 


 あなたは正しいマウスの持ち方をしてますか?
 あなたは正しいマウスの使い方をしてますか?

6月13日(水)

 メインの掲示板の調子がよろしくないので、臨時用の掲示板を急遽復活させる。これまで調子がよかっただけに、残念。

 どうも最近、このサイトの存在が社内の人間にも知られつつあるようだ。私が「うっかり」口を滑らせて・・・という自業自得な面もあるのだが、これでは会社の悪口とか、書けないなあ・・・。
 というか、これで会社クビになったら、目も当てられない(笑)。

 『グインサーガ外伝11 フェラーラの魔女』読了。グインは魑魅魍魎と一緒のほうがよく似合う(笑)。

6月12日(火)

 今、読書系サイトでもいろいろ話題になっている、岡田斗司夫の『フロン』を読了。「フロン」とは「婦論」で「夫論」で「父論」。女性のために書かれた新しい結婚生活の指南書、ということだが、著者はあのアニメ・ゲーム会社「ガイナックス」をつくった人でも有名。

 私がこの本を読んでまず思ったのは、恋愛、結婚、育児に対する彼の考え方が、今の生命保険に対する考え方によく似ているなあ、ということ。

 かつて、大手のセールスレディが版で押したかのように売りこんでいた生命保険は、いわゆる「定期付終身保険」と呼ばれるもので、死んだときの保証はもちろん、生きているときの入院や手術費用の保証、さらに保険の内容によっては三大疾病保証やリビングニーズなど、さまざまな特典のついた、いわばオールマイティの保険として幅を利かせていた。
 しかしあたり前の話だが、人が10人いれば、10通りの人生があるわけで、すべての人の人生にフィットする生命保険など、あるはずがない。「定期付終身保険」はあきらかに、バブルの頃に共同幻想として持たされたライフプラン――会社に就職して結婚し、良き家庭を持ち、将来は郊外に1戸建てを構え・・・といった人生を誰もが送ることを前提として考えられた保険であって、それはもう、今の若者たちのライフスタイルにはフィットしなくなっているのだ。
 そこで今は、終身なら終身だけ、定期なら定期だけ、医療保険なら医療保険だけ、というふうに、それまですべてをひとつの保険としていた要素を分離して、必要なときに必要な保険に単体で入る、という考えが主流となりつつある。

 『フロン』に書かれている恋愛、結婚、育児の考え方も、基本はこの新しい生命保険についての考え方と同じ。つまり、恋愛は恋愛、結婚は結婚、育児は育児で独立させて考えるべきであって、そのすべてをたったひとりの男に求めるのはもう無理な話なのだ、ということである。

 良くも悪くも、自分が男であって、それまで生命保険に対して盲目であったのと同じように、恋愛、結婚、育児にも盲目であることを思い知らされた一冊だったが、うーん、やっぱり愛だけじゃダメなんでしょうかねぇ。経験がないからなんとも答えようがないのですが・・・(笑)。

6月11日(月)

 森岡浩之の『星界の紋章T 帝国の王女』を読了。以前から話題になっていたスペースオペラだったが、読後に思ったことは「頑張れジント君!」だった(笑)。なんか、応援してやりたくなりますね。
 侵略者であり、人類とは異なる文化を築いてきたアーヴの世界観を理解するのに多少骨が折れるものの、けっして押しつけるような説明ではなく、あくまでストーリーと寄り添うような説明であり、さりげなく世界観を理解させようとする工夫は立派なものだと言えるが、あの漢字にカタカナのふりがなを打つという表記の仕方がずいぶん多く、慣れてない人は大変だろうなあ、と思う。
← 戯れにスキャンしてみたトルストイ君。

なんか、怖いっス(笑)。
『アンナ・カレーニナ』を書いたときはまだ34歳なんだから、こんなオジサン時代のものを使わなくても・・・。
 【更新のお知らせ】『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ著 白水社)の書評をアップ。ほぼ一ヶ月ぶりの書評更新です。

6月10日(

 どうでもいいような話だが、スーパーに買い物に行ったとき、賞味期限ぎりぎりのため半額になっているような生鮮食品を見つけると、一人暮らしの私などは、買うべきかどうかずいぶん迷ってしまう……。

 トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読み始める。

 トルストイの作品は『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』のどちらにしようか迷ったが、文章量の関係で後者に決定(笑)。
 上巻の半分を読んだかぎりの感想は、「恋愛小説」というより「不倫小説」に近い感じ。恋愛観の異なるいろんなタイプの男性が出てきて面白い。オブロンスキーは「男ってヤツぁー」と女性の反感を買いそうな、妻子持ちでありながら惚れっぽく、その感情にとことん正直な男、リョーヴィンは恋愛に関しては極端にうぶな男、そしてアンナと恋することになるヴロンスキーは、今のところ遊び人タイプの男。
 はたして、どうやることやら!

 ビデオショップで借りていた「ワイルド・ワイルド・ウエスト」を観る。西部劇とスチームパンクを足して、ちょっとしたコメディーでスパイスしたかのような映画だった。

6月9日(土)

 「ポカヨケ」

 この言葉を聞いて、あなたは何を連想するだろうか。

 じつは、日本規格協会という出版社が出している『実践 現場の管理と改善講座』というシリーズの、れっきとしたシリーズ名なのだ。

 その本では、仕事などで人間が「うっかり」「ぼんやり」やってしまうミスのことを「ポカミス」と呼んでいる。人間は機械ではないので、どうしても「ポカミス」を犯してしまう。そのミスをできるだけなくす、あるいはその被害を最小限に食い止めるために行なわれる一連の工夫のことを「ポカヨケ」と定義している。本書はそうした「ポカミス」をなくすために何をすべきなのかを書いた本である。

 だが、そうした内容はともかく、「ポカヨケ」……ものすごいネーミングセンスだと思ったのは、きっと私だけではないはずだ!

 アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』の書評を書きはじめる。ストーリーらしきものはあるものの、それがけっしてメインではなく、どの章から読んでも物語の断片として成立するという、何とも不思議な雰囲気の小説。
 はたしてこの雰囲気を、どのように表現すれば読者には伝わるだろうか……。

6月7日(木)

 次の号がもうすぐ出る、というにもかかわらず、『本の雑誌』6月号を買う。「最強の脇役」という特集が目的。一応トーナメント方式で勝ちぬいて、優勝した者が「最強の脇役」という設定だが、私の知っている『ブルース』の徳山、スペンサー・シリーズのホーク、そして『ハンニバル』のメイスンは相次いで1回戦で敗退(笑)。

 それよりも、インターネットの出版サイトDream Book Club.comからはじめて本が出版された、という記事の方が興味深かった。非再版本扱い、ということは、おそらく取次経由の流通をいっさい考えていない、ということだろう。どういう仕組みになっているのかが非常に気になるところである。

 【更新のお知らせ】「終わりなき文学」へのリンクを追加。じつはこういうのに弱かったりする(笑)

6月6日(水)

 レンタルビデオ屋で『ふたり』を借りてきた。以前、赤川次郎の原作『ふたり』を読んだあとに映画化されたという情報をいただき、一度観てみたいと思っていたものでもある。

 内容はおおむね原作に忠実だった。幽霊となってとりついた姉をどう表現するのかが一番の関心事だったが、光の加減など、よく注意されていたと思う。
 ちなみに、母親が入院した病院の医者役を、竹中直人がやっていた。キャラクター的によく目立っていました(笑)。

 『吾輩は猫である』は、その当時の時代風刺の意味合いもけっこう強い作品であることを実感するが、当時も今も、人間の関心事というのは、たいして変わってないなあと思う。

6月5日(火)

 この前読んだ『チーズはどこへ消えた?』の二番煎じと言われている『バターはどこへ溶けた?』。本当に二番煎じなのか、扶桑社が訴えを起こすほどその内容が似ているのかを確かめるために、読んでみた。

 装丁や中身の構成は、たしかによく似ている。いや、というより意図して『チーズ〜』を真似て書かれている。
 だが、その内容はあきらかに『チーズ〜』のアンチテーゼであった。
 「新しいチーズ」という目標を見つけ、それを手に入れるためにひたすら前進し、自分を変えていくことを勧める『チーズはどこへ消えた?』。それに対して、「新しいチーズがそんなに大切なのか? 現状でなぜ満足しようとはしないのか? 欲望には限りがない、その欲望のために、何か大切なものを見失ってはいないか?」という問いかけが『バターはどこへ溶けた?』。

 正直「うまい」と思ってしまった。どちらかといえば、私は『バターはどこへ溶けた?』の考えのほうが好きである。だが、この本もまた、『チーズ〜』がなければここまで感銘を与えたかどうか。

6月4日(月)

 ブックオフに出張買取を頼む。

 一応、出版業界に勤める者として、ブックオフに買い取りを頼むのはまずいかなぁーとは思ったが(あと、買い取りの値段が安いので、はじめは遠慮してた)、他の古本屋は、古い単行本は買い取ってくれなかったりと、いろいろ制限があるため、けっきょくほとんどすべての本を買い取ってくれるブックオフに頼むことにした。
 全部で101冊の本を売ったが、たいした金額にはならなかった。まあ、それは覚悟していたからいいのだが、わざわざ来ていただいた店員が、出ていくときに、レジで口にする文句をまったくそのまま繰り返して帰っていったのは、ちょっと驚いた。ブックオフは本の値段のつけ方が完全にマニュアル化されていることでも有名だが、こんな台詞ひとつでも一貫しているんだなあ、と実感する。

 高千穂遙の『ダーティーペアの大冒険』を読了する。アニメは昔、観たことがあったが、原作は初めて読んだ。もともとの名前が「ラブリーエンジェル」であることも発見。そして彼女たちの通った後には、惑星規模の破壊と累々たる屍の山が・・・。スケールでかいです(笑)。

6月3日(

 なにもないにちようび。
 というわけで、一日読書に没頭。

 まずは夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み始める。これは、奥泉光の『「吾輩は猫である」殺人事件』を読んだときから、いつかは読まなければ、と思っていた作品でもあるが、鼻毛を抜いて原稿用紙に貼りつける苦沙弥先生のオトボケぶりや、迷亭のまったく意味のなさそうな法螺話など、意外にキャラクターが生きているのに驚く。

 その合間に、読みかけのまま放っておいた、福田和也の『「作家の値うち」の使い方』を読了。内容は終始一貫していて、もしかしたら全部を通して読む必要はなかったかと思ったが、最後のほうに、なぜ著者が村上春樹びいきなのか、その理由が書いてあった。どうやら作家は、常に「外国語にたいして緊張を持ってい」なければならないらしい。

 さらに、『グインサーガ56 野望の序曲』と『グインサーガ外伝10 幽霊島の戦士』を読了。イシュトヴァーンが織田信長のように見えてきた。そしてグインは新たなる冒険の旅へ……。

6月2日(土)

 読書系サイトとしてリンクさせてもらっている、たきどりさんの披露パーティーに出席する。ちなみに、新郎のほうも読書系サイトを持っていたりして、出会いもネットを通じてというから、ちょっと驚きである(新郎のサイトはこちら、そして新婦のサイトはこちら)。
 喫茶店での披露パーティー、と銘打ってはいるが、実質的な結婚披露宴だった。ただ、

 新郎新婦の紹介は、読書歴の披露(さすが読書系サイトを持つ者どおし)
 賛美歌の代わりに『愛のMelody』(おお、ジャニーズ系)
 ウェディングケーキは本の形(!!)
 そして、集まった方々の大部分はネット関係者(ほとんどオフ会のような雰囲気)

 という、これまでに体験したなかではもっともユニークな披露宴でした。

 私が祝儀代わりに用意したのは、菊田まりこの『君のためにできるコト』という絵本。あたり前すぎて気づかなくなることがあるけど、ずっといっしょにいてくれる、ということが何より大切なんだよ、ということを教えてくれる絵本です。
 私の下手なお祝いの言葉よりも、100倍も意義のある本だと思う。

 ふたりとも、末永くお幸せに!

6月1日(金)

 4月下旬に行なった「漫画喫茶オフ」でも少し話題になった、ディアゴスティーニの『トレジャーストーン』を見る機会を得る。
 本の内容として一番印象的だったのは、宝石の真偽の見分け方がけっこう詳しく載っていたこと。さすが「石つきマガジン」と言うべきか。
 そして、付録の宝石だが、昔とっていた学研の「学習」と「科学」についてくる付録を思い出したのは、私だけだろうか?

 【更新のお知らせ】みちるさんのMoon Rabbitへのリンクを追加。その蔵書数に注目!



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