【文芸社】
『ヅラが彼女にバレたとき』

藤田サトシ著 

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「ヅラ」という言葉が、いったいいつ頃から世間で広く使われるようになったのかは知らないが、よくよく考えてみるとこの言葉、なんとも奇妙な性質をもった単語である。

 おそらく、髪型をかたどったかぶりものである「鬘」から派生した俗語ではないかと思うのだが、この単語が使われるとき、必ずといっていいほどどこか後ろめたいような、恥ずかしいような感情をともなってくるのは、どういうことなのだろう。これはあくまで私の推測でしかないのだが、「鬘」がたんに頭髪を模したかぶりもの全般を指すのに対して、「ヅラ」というと、そのなかでも特に頭のハゲを隠すという、限定された用途で使われる鬘を指すものであり、そこには必然的に「自分の姿を偽っている」という、後ろめたい意識が付随されてくるものだからではないだろうか。じっさい、「ヅラ」=「ハゲ」という意味で用いられている例も多かったりするのだが、「ハゲ」という自分の恥部を隠すための「ヅラ」が、そのまま「ハゲ」と直結しているとは、なんとも皮肉なことだと思わずにはいられない。

 目の前の鏡には、外ヅラが一変した自分の姿が映し出されていた。

 本書『ヅラが彼女にバレたとき』は、まさにそのストレートなタイトルに象徴されるように、若ハゲのせいで自分の容姿に自信がもてず、女の子とのつきあいにも後ろ向きであった著者が心機一点、ヅラを装着することによって、ブラット・ピットならぬ「ヅラット・ピット」へと変身、理想の結婚相手を見つけ出すために、積極的に女の子にアタックをかけ、恋愛体験を積み重ねていくという、まるで某トレーニングマシンの紹介マンガのようなドキュメンタリーである。

 よく本の中などで、「自分に自信をもつことが大切だ」などといったことが書かれていたりするものだが、自分に自信を持ちつづけるというのは、口で言うほど簡単なものではない。人間というのは愚かで弱い生き物だ。それゆえに、人はときに安易に外見を着飾ったり、また外見からその人の中身まで判断しようとしたりする。もちろん、それが間違いだと言うつもりはない。人と会うというのにだらしない格好をしている者は、えてしてだらしない性格であることも多いからだ。
 だが、それまでハゲであることのコンプレックスから、好きな女の子に声をかけることもできず、彼女の住む家をうろついたあげく、彼女の捨てた古雑誌を持ち帰ってしまうという、ストーカーまがいのことまでしていた著者が、ヅラをかぶることによって妙な自信をもってしまい、結婚相談所からお見合いパーティーの常連へ、さらにはスゴ腕ナンパ師へとのしあがっていく過程を追うにつれ、外見の変化がその人に与える影響の大きさを痛感せずにはいられない。

 もちろん、著者はただヅラをかぶっただけでモテモテになったわけではない。そこには恋愛経験を豊かなものにしたい、という思いから生まれた涙ぐましいまでの努力があってのものであることを明記しておかねばならないのだが、本書の面白いところは、もともと理想の結婚相手を探す、という目的のための行動が、いつしかナンパ師への道を歩んでしまっているという、目的意識の妙なズレ加減であり、それゆえに本書の内容がヅラそのものから離れて、しばしば現代風俗や結婚産業といったものの実情を暴露する内容へと変化してしまう、というところである。

 人間、努力次第でここまで変わることができるのか、という意味では、本書はすべてのハゲコンプレックスに悩む人にとっては大きな勇気を与えてくれる作品であることに間違いないが、世界人口の半分を占める女性とどのようにコミュニケーションをとり、交流を深めていくかで思い悩むすべての内気な男性諸君にとっても必読の書であると言えるかもしれない。

 それにしても不思議に思うのは、女性だってさんざん化粧をしたりして本来の自分を偽っているにもかかわらず、男性が自分をカッコよく見せるためにつけるヅラに対して批判的なのは、どういうことだろうか。昨今のジャニーズ系タレントの台頭を見てもわかるように、今や男もまた、女性によって値踏みされる商品と化している、という認識が強まっているにもかかわらず、である。

 おそらく、男でも女でも、ただ相手とうわっつらだけで付き合う関係であれば、ヅラだろうが化粧で化けていようがあまり関係ないのだろう。私たちが人と会うときに、最低限の身なりを整えるのと同じようなもの、あくまで「他人」と接するときの「外ヅラ」は、みっともないよりはきちんとしていたほうが良いに決まっている。だが、そこから一歩踏み込んで、たんなる「他人」以上の関係――生涯の伴侶となることを考えているような異性と交際することを考えたとき、もしお互いに何か隠し事があったとしたら、それはとても悲しいことではないだろうか。そして本書のもっとも大きなテーマは、まさにその一点にこそあるのだ。

 はじめてのお見合いパーティーであからさまに女の子に馬鹿にされたり、嘘の電話番号やデートのすっぽかしに一喜一憂したり、ナンパした外人女に性病を移されたりと、さんざんな目にあいながらも、それでも「ヅラ」をかぶったことによって、著者はたしかに、おそらくこの地球上では最後の秘境でもある「女の子の心理」を垣間見ることができたのである。

 もし、本書を読んだあなたが、「ああ、ハゲって素晴らしい!」と思うようになったのであれば、それこそ著者の思うツボ、ということである。(2002.06.09)

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