【中央公論新社】
『園芸家12カ月』

カレル・チャペック著/小松太郎訳 



 たとえば、部屋の掃除のことを考える。とくに掃除マニアでもない私にとって、掃除というのはなんとも面倒な作業である。できるだけ手早く片づけて、読みかけの本にとりかかりたい、などと思いながら、ある休日の朝にようやく重い腰を上げて掃除をはじめるのだが、いざ掃除をはじめてみると、なかなか当初の予定どおりに終わるようなことはない。なぜなら、掃除をしているうちに、いろいろな箇所がどうしても気になってしまうからだ。テレビとミニコンポの上もずいぶん埃がたまっているなあ、あの本棚の隅は前に掃除したっけ、そういえば電灯の笠を掃除したのはいつだったか、よく見るとフローリングにも汚れがこびりついている気が……。

 こうして、軽くはたきがけをして床に掃除機をかける程度と考えていた部屋の掃除が、家具や家電をひっくり返し、雑巾と洗剤を手にしつこい汚れと格闘したり、こまかい部分まで念入りにきれいにしたりという大がかりな掃除へと発展していくことになる。そのうえ本棚の整理や部屋の模様替えといったことが脳裏に浮かんだりすると、事態はさらに悪化の一方をたどる。さほど好きでもない掃除でさえ、いったん凝りはじめるとこの有様である。これがその人にとって興味のあること、好きで好きでしょうがない事柄の場合、そのこだわりがどこまで突き進んでいってしまうのか、もはや想像の域を超えると言わざるを得ない。

 園芸家は、植物をいじることを商売だとは思っていない。一つのサイエンスであり、かつ芸術だと思っている。園芸家が同業者から、あいつはりっぱな商売人だと言われたら、その園芸家はそれこそペシャンコだ。

 本書『園芸家12カ月』によると、園芸家というのはなんともへんてこな生き物であり、およそ人が生きていくうえで何の益もない植物の栽培にのめり込み、そのために金と時間と情熱を注がずにはいられない種類の人たちであるようだ。暴れ狂うホースと格闘し、足元を泥だらけにし、庭を訪れた人たちにお尻ばかりを向け、相手が政治の話をしていても雨のことばかり、冬は冬で凍った土をフカフカにしようとしてシャベルの柄を折ったり、種苗のカタログを見ては次の春には何を買おうかと思いをめぐらせたりと、なかなかに忙しそうでありながら、どこか不毛な作業をしているように見える園芸家の一年を、独特のユーモアをまじえて紹介しているのが本書である。ここで、私は園芸家のやっていることを「不毛」という言葉で修飾したが、そこに彼らのことを皮肉るような調子はまったくない。むしろ、そんな不毛なことをしている園芸家たちへの、あふれんばかりの愛情に満ちているという点こそが、本書の大きな特長のひとつだと言える。

 私自身は、園芸というものにさほど興味があるわけではないが、そんな自分が園芸をやるとしたらと考えたときに、まずは自身に何らかの利益があるようなものを育てたい、という発想をする。それはたとえば、食用となるような植物を植えたいとか、料理に使うハーブを育ててみようか、といった発想へとつながっていくのだが、本書で紹介している園芸家たちのなかに、そうした実用的な植物を育てる人たちは含まれていない。彼らが愛好するのは、綺麗な花を咲かせる植物であり、ロック・ガーデンを彩る高山植物であり、そしてそんな花たちを育成する土である。それこそ、自分の庭に完璧な調和をもたらすためであれば、道端に落ちている馬糞をうっとりと見つめ、どうやって持って帰ろうかと思案することさえ厭わないほど、園芸家はガーデニングに心血をそそいでいる。そして、本書を評するにおいて重要なのは、食用になるとかいった実用性を度外視したところで、彼らが自分の庭を――そしてそこで育つ花々を愛してやまない、という点にこそある。

 本書に登場する園芸家は、それこそ自分の庭に心血をそそぐことに余念がないのだが、自分でも何を植えたのか忘れてしまったまま、無駄に新しい種や苗を買ってしまったり、注意しているにもかかわらず芽を踏んでしまったり、土と一緒に球根も耕してしまったりする。彼らはけっして園芸のプロではなく、むしろ園芸マニアとでも言うべき人たちだ。そして本書の著者が愛しているのも、そうした園芸マニアたちの、いかにも素人臭いところである。

 ほぼ年がら年中庭の手入れで忙しく、ゆっくり自分の庭を眺めることができるのは、庭が雪で覆われる12月くらい。もちろん、花なんかどこにも咲いていない庭を眺めることに、何の意味があるのか、という園芸マニアたちの本末転倒ぶりがまたおかしかったりする本書であるが、そもそも私たちが趣味と呼んでいることの大半が、生きていくうえで何の腹の足しにもならないものだったりする。それこそ私の読書という趣味にしても、実用書やビジネス書であればともかく、あくまで虚構でしかない小説を読んだところで、腹がふくれるわけでもない。だが、私たち人間というのは、ただ生きるだけではけっして満足することのできない因果な生き物でもある。

 自然というのは、けっして私たちの思いどおりにできないものだ。そして園芸という趣味は、多分にそうしたものに影響を受けてしまうものでもある。けっしてままならない自然を相手に、とことん理想の庭を築こうとする園芸マニアは、ともすると自分の周囲にいる人たちにとってはいろいろとやっかいな存在となりかねないのだが、そんな彼らがこのうえなくいとおしく思えてしまうのは、著者だからこそだと言える。きっと園芸マニアという生き物は、土を耕しながら、同時に自分もふくめた人間の心も耕しているのだろう。そんな彼らの一年の様子を、どうか見守ってもらいたい。(2010.07.14)

ホームへ