【角川春樹事務所】
『ゼウスガーデン衰亡史』

小林恭二著 



 人は誰しも趣味のひとつやふたつは持っているし、暇つぶしのための娯楽をたしなんだりもする。だが、それらを楽しむことができるのは、娯楽というものが私たちの日々の生活――決まった事柄の繰り返しのように思える単調な現実生活とのあいだに、明確な境界線が引かれるからこそのものである。言い換えれば、人々に非日常を提供するのが娯楽の役割であるが、その非日常が日常に侵食してくると、いささかやっかいなことになる。少し前にニュースでも話題になった、オンラインゲームにのめりこんでしまう人たちというのは、本来あるべき日常が、非日常であるはずのゲームという娯楽と入れ替わってしまった人のことである。当人にとってはごく真面目で大切なことであっても、それはゲームという「非日常」を共有していてはじめて成り立つ価値観であり、「日常」側しか知らない人たちにとって、彼の言動は奇妙奇天烈なものにしか映らない。

 よくよく考えてみれば、趣味や娯楽というものは多かれ少なかれそうした性質をもったものである。私の読書という趣味にしても、知らない人からすれば「いったい何が面白いのだろう」と思うだろうし、まったくの時間の無駄だとしか思えないだろう。また同じように読書が趣味の人たちであっても、たとえば私が仕事すら放り出して小説を読み漁ってばかりいたとしたら、やはり奇異なものに映ってしまうに違いないし、もしかしたらその姿は滑稽にさえ見えているのかもしれない。今回紹介する本書『ゼウスガーデン衰亡史』の面白さについて考えたときに、行き着くのはそうした奇妙奇天烈さということになる。つまり、本来「非日常」であるはずのものが「日常」に侵食してきたときに、私たち読者が持ち合わせている日常の感覚が引き起こす落差の滑稽さである。

 ある双子の兄弟によってオープンした、下高井戸の遊戯場の栄枯盛衰を描いた作品――本書のあらすじを説明すると、この一文ですべて要約されることになる。ただし、そのスケールが半端ではない。なんせ、もともとはうらぶれた場末の遊戯場――とっくの昔に廃棄されるべきメリーゴーラウンドのような遊具しか置かれていない、なんともみずほらしい「下高井戸オリンピック遊戯場」が、いつしか日本そのものすら飲み込む一大遊戯場帝国、あらゆる流行と快楽の発信源として世界をリードする「ゼウスガーデン」へと発展していくのである。

 最盛期には国家予算を軽く上回る資金と売上、百万単位の労働力、治外法権すら許された主権国家並の権力を有するという、とてつもない規模の遊戯場としての「ゼウスガーデン」の物語は、まるでひとつの国の勃興を語るかのような壮大さを誇っている。当初こそ創業者である藤島宙一、宙二兄弟による「下高井戸オリンピック遊戯場」のアトラクションのアイディアが大流行した、といった程度であるが、やがてこのふたりが行方不明になると、組織内の対立やら一部アトラクションの独立騒動やら、全国の遊戯場の吸収合併による版図拡大政策やら、クーデターやら、震災による混乱とそこからの復興やら、さらには同じ「ゼウスガーデン」でありながら、中央の意向を完全に無視して独立状態にある北九州や北海道グループとの覇権争いやら、そこから繰り広げられる権力闘争や複雑な権謀術数やら、まるでどこかの歴史小説を髣髴とさせるような内容が次々と展開していくことになる。

「ゼウスガーデン」が提供するアトラクションにしても、物語が進むにつれて大規模なもの、壮麗なものへと変化し、ひとつの芸術としての域にまで昇華されていく。同時に、そうしたアトラクションを専門で作成するアーティストも多数輩出されるようになり、それにともなってファッション、美術、建築、自然科学といった分野が発展していくという有様になる。最初はオール木製のジェットコースターだったものが、最後には人工火山噴火のモニュメントというとんでもない見世物へと行き着いてしまうこの倒錯ぶりは、まさに本書がたどることになる紆余曲折を物語るものである。

 もともとは子どもたちのための遊戯場だったものが、一部の大人たち――たとえば、木製ジェットコースターにスリルを見出したフリークに好評だったことを機に、大人のためのアトラクションを目指すことになった「ゼウスガーデン」は、その発展とともに享楽への志向も高級感溢れるもの、きわめて洗練されたものへと移行していく。そしてその発展の裏には、当然のことながら莫大な金銭の流れがある。本書はそういった金銭がもたらす快楽もふくめ、快楽志向をひたすら突きつめていったときに見せる、人々の悲喜劇を描いたものだと言うこともできる。

 いかに高級感に溢れようと、いかに芸術的であろうと、彼らが夢中になっているものの元は、たんなる遊戯でしかない。際限のない快楽を追い求める人間たちの姿――本書の登場人物たちは、まさにその快楽のために人を陥れ、あるいは命のやりとりすら行なうのだが、読み手である私たちにとって、そんな彼らの姿はただただ滑稽なものに映る。だが同時に、私たちの趣味や娯楽もまた、そうした快楽のひとつの形であることも知っている。限度を超えて肥大していく快楽の象徴、それが「ゼウスガーデン」だとするなら、私たち人間の活動の、まさに泡のような儚さに唖然とするほかにない。なんとなれば、本書のタイトルにある「衰亡史」が象徴するように、すべてのものは永遠に栄えつづけることはできず、いずれは衰退し、滅亡する運命にあるのだから。

 ある遊戯場の栄枯盛衰を描いた物語――だが、その一文で要約されるものの内容は、私たちが考える以上に深く、そして底知れないものがある。はたしてあなたは、この世にも奇妙な衰亡史から、どのような示唆を受けることになるのだろうか。(2012.02.07)

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